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お念仏を申す生活法話

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お念仏申す今日のおつとめ

2025-03-10
 朝起きて「今日は〇〇をしよう」と段取りをし
仕事の準備に取りかかります。

 時間が過ぎ行くなかに
準備が思ったようにいかないと
「今日はここまで。また明日にしよう」と
明日に持ち越し一日が過ぎます。

 何かそんなことの繰り返しで
一日、一週間、一か月そして一年が過ぎ
歳を重ねるなかで
「一体今まで何をしてきたのだろう」と
ふと立ち止まり
過去を振り返ってみても
現実は今こここの私を生きているということです。

 自分の思い通りに行く人生ではないことは
昨日の私の生活ぶりを振り返っただけでも
頷けることですが
この現実をわが身のことと
受け止められない私がいます。

 過ぎ去ったことに思い煩い
未だ来ないことに思い悩む私を見て取って
阿弥陀さまは「われにまかせよそのまま救う」と
今こここの私に南無阿弥陀仏とおはたらきです。

 お念仏申して
いつでもどこでも阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
生かされて生きていると聞かせていただき
今日一日も今こここの私にできる
精いっぱいのおつとめをさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.3.10)

「十三回忌」※転載

2025-03-09
 十三回忌は、ちょうど干支が一巡した年に
勤められます。
 だから、前の巳年に亡くなった人は
今年が十三回忌になります。

 昨年の春に、お母さんの十三回忌法要を
お勤めされた娘さんがいらっしゃいます。

 実は、お母さんのご命日には
ご自宅に伺って月参りをしていたのですが
お仏壇はありませんでした。

 それではどんな形でのお参りだったのかと言うと
部屋の壁に一つ椅子が置いてあって
背もたれにお母さんの遺影
それに座る部分には小さな香炉があるだけです。

 それに毎月、「懐中名号」と呼ぶ
三つ折りの小さなご本尊を持参して
写真の前に安置してお勤めしていたのです。

 もちろん、何度も小さくてもいいから
お仏壇を用意されたらどうかと勧めたのですが
いつも首を横に振られました。

「きちんと形が出来てしまったら
母が本当に死んで、遠い所にいってしまう気がするんです」

 既に亡くなって何カ月も何年も経つのに
「本当に死んでしまう」というのも
変だと思われるかも知れませんが
それくらい、この娘さんにとっては
お母さんの死という事実が
受け入れ難いことだったのでしょう。

 それが、お寺で十三回忌を勤めた年の暮れ
娘さんはついに
「お母さん、椅子ではかわいそう。
お仏壇を求めたいです」と
そう申し出られたのです。

 この心境の変化は何でしょう。
私には、仏さまとなられたお母さんが
わが子の深い心の悲しみを
干支が一回りする間
少しずつ癒やされていったのだと思えてなりません。

  ※菅純和 著「仏事の小箱」
       ー『御堂さん』2025年3月号より ―

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.3.8)


男女の役割分担

2025-03-08
 今日3月8日は1975年に国連で制定された
「国際女性デー」です。

 女性の人権向上をめざして
世界的にジェンダー平等が広く浸透し
女性の社会進出を強く後押しするものですが
日本では1985年に
「男女雇用機会均等法」が制定されたものの
男尊女卑といわれる旧態依然としたものが
日本社会の中でまだまだ残っています。

 日々の生活の中で
男女の役割分担意識があります。

 会社に就職しても
女性は社内での事務職が一般的で
社外の営業職や技術職は男性の役割でした。
 事務所での掃除やお茶くみが女性職員の仕事と
当たり前のように思われてきました。

 男は外の仕事で女は家事ということで
結婚すれば女性は専業主婦として家事をつとめ
良妻賢母の女性像が作り上げられ
「女らしくあれ」そして「男らしくあれ」と
男女の役割分担が確立されていったのです。

 近年は働く女性が一般的になり
仕事内容も徐々に男女の区別が
なくなってきたように思いますが
男女の役割意識は年輩者を中心に
根深く残っているように思います。

 私たちのお寺の組織もまた
家父長制の家族のようにとらえられ
今も役割分担といった意識が
強くあるのではないでしょうか。

 お寺参りする方は女性が圧倒的です。
お寺の活動も仏教婦人会という女性の組織が
活躍してきました。
 まさにお寺は女性の力で
支えられてきたといっても過言ではありません。
 ただ男性の陰に隠れるよう女性はあって
表舞台に出るのは男性ばかりという有り様が
ずっと今も変わっていません。

 阿弥陀さまのお救いに男女の区別はありません。
というか善悪賢愚老少男女の違いを超えて
阿弥陀さまの本願念仏のお救いの目当ては
生きとし生けるものすべての衆生といい
この私なのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.3.8)

恵みの雨

2025-03-07
 山林火災の延焼が続く岩手県大船渡市に
久しぶりに大きな雨が降ったということです。

 先月26日の発生からずっと燃え広がり
ホースによる消火活動は限定的なものに止まり
空からヘリコプターでの放水も
思うようにならないものでした。

 地元の人は久しぶりの降雨に
「もっと降れもっと降れ」と叫んだといいます。

 大自然の営みです。
強風に煽られ広がった火の勢いも自然のことなら
火をくい止める雨も自然のはたらきです。

 人間の思い通りになるものではなく
大自然の営みいのちのはたらきのなかに
私たち人間も生きているということです。

 どんなに人間がえらくなっても
大自然の営みを自分たちの思い通りに
変えることはできないのです。
 大自然の脅威と恵みの中に
良くも悪くも生かされて生きているということです。

 お念仏のご法義を
親鸞さまは「自然法爾(じねんほうに)」とご教示です。
 阿弥陀さまの他力本願のお心
「生きとし生けるものすべてを分け隔てなく救う」
南無阿弥陀仏のおはたらきです。

 私がどうこうして救われるのではありません。
自然のありのままのおはたらきそのままに
阿弥陀さまのお慈悲の中に
救われていると聞かせていただきます。

 お念仏申して今日一日も
阿弥陀さまのお心おはたらきにまかせて
生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.3.7)

お念仏申す間をいただく

2025-03-06
 先日のアメリカホワイトハウスでの
米ウクライナ会談決裂の余波は
世界中を先行きの見えない
重い空気につつんでいます。

 前代未聞の首脳会談での
互いにホンネの言い分をぶつけ合う外交の大失態に
通訳を入れなかったことが
一因であるとの指摘です。

 本来は母国語で会談することが通例のようですが
通訳を入れないことで間がとれず
直接意見の応酬非難になってしまったというのです。

 私たちの日常でも言い争いになるときは
冷静にと思いつつ感情的になって
互いに自分の意見主張ばかりして
相手の意見を聞こうともしません。

 間をおくことの大切さですが
お念仏申すことを心がけていたらと思います。
 つぶやくように「ナマンダブナマンダブ……」と
お念仏申しましょう。
 間ができて
お念仏の声が聞こえてきます。

 今回はアメリカのホームグランドで
世界の超大国でウクライナの最大の支援国である
アメリカの正副大統領が二人で
ウクライナの大統領に
最後は「感謝しろ」「失礼だ」「謝れ」の大合唱です。

 早速ウクライナ支援をする欧州各国から
「大統領あなたは決して独りじゃない」
「私たちはあなたたちと共にある」と
次々にメッセージが届けられたといいます。

 お念仏は南無阿弥陀仏
「われにまかせよ必ず救う」
「どんなことがあっても決してあなたを独りにしない
いつも私が一緒だから安心して生きて往こう」の
阿弥陀さまのお心おはたらきです。

 お念仏申して
阿弥陀さまのお喚び声を聞かせていただきましょう。
 あなたも私も自他皆共に
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に生かされて
生きているのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.3.6)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
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