お彼岸お中日です
2025-03-20
朝が明るくなりました。
お彼岸のお中日です。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言われますが
昨日一昨日と日本列島は大寒波の襲来で
大分県内もよく行く所に積雪があって
何か雪国を思わせる光景にびっくりします。
大きな季節の変わり目にあって
お彼岸のご縁をいただきます。
何か慌ただしく過ぎ去る日常生活の中で
お寺にお参りしてゆっくりゆったり
仏法聴聞のご縁をいただきませんか。
いつでもどこでもどんなことがあっても
真実変わらない仏さまのみ教えに
私のいのちのあり方を聞かせていただきましょう。
いつでもどこでも誰でも分け隔てなく
「われにまかせよ必ず救う」阿弥陀仏のご本願のお心
南無阿弥陀仏のおはたらきにまかせて
今日一日も阿弥陀さまのお慈悲の中に
あなたも私も皆共に生かされて
往生浄土のお念仏の道行きを
ご一緒させていただきましょう。
お寺参りはお浄土参りの習いです。
皆さんお誘い合わせお寺にお参りしましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょ。(2025.3.20)

尼さんのような生活
2025-03-19
いしだあゆみさんがお亡くなりになりました。
全く面識はありませんが
先の西田敏行さんと同じく
ほぼ同世代の人でテレビや映画でいつも見てきて
何か他人事ではないように思います。
亡くなった後で過去のテレビ収録から
その人となりに接します。
60歳の還暦を過ぎて
住まいを転居し周りのものを断捨離して
生活が変わったといいます。
「ウサギとカメ」の寓話に重ねて
ウサギのように生きてきたのを
カメの生き方に変えたというのです。
普段着るものも洋服から和服へと
「要らない化粧をしなくていいから」と
興味深い発言です。
周りの親しい方は
尼さんのような省エネ生活だったといいます。
早く年を取りたいと言っていたそうです。
いつまでも健康で若くありたいと思うのですが
最後は線香花火のように人知れず死んでいきたいとも。
携帯をもたなかったといいます。
時流に抗うような生き方のようですが
いしださんにとっては
それが自分らしい自然な生き方だったのでしょう。
お母さんが「今日一日無事に終わってよかった」と
常々言っていたことが今頷けるといいます。
何事もない日々なんてありません。
常に移り変わりするなかに
日暮らししている私たちですから
自分の想定外の大事がなくて
よかったということでしょうか。
命終えることも大事ではなく
必ずこの身に引き受けていくこととして
よかったんでしょうね。
日々一つ一つ淡々と私にできることを
あるものでさせていただく
まさに尼僧の生き方かなと思います。
何事にも抗うことなく
そのままこの身に引き受けて
あるがままに日暮らしさせていただく
南無阿弥陀仏とお念仏申して
阿弥陀さまのお慈悲の中に生かされて
あなたも私も皆共にご一緒させていただく
今日も大安心の一日を生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.3.19)

感覚のズレ
2025-03-18
石破首相の商品券問題で
内閣支持率が急落しているといいます。
新聞テレビ等の報道では
これまでも自民党だけでなく形態は種々違っても
昔からある永田町という政治風土の慣習だという
指摘です。
飲み食い贈り物等々で人間関係をつくる構図です。
今もなお旧態依然とした人つながりがものを言う世界は
一般世間の現実世界とは乖離した光景のようで
「永田町の常識は国民の非常識」と言われる始末です。
特に今「政治とカネ」の問題で
国会が紛糾している最中に
「何故どうして?」ということです。
またもや身内から出たスキャンダルに時間を費やして
国会審議もままならず
重要案件が先送りになるのでしょうか。
ここはこれをチャンスに変えて
大胆な政治改革ができないものかと思います。
それにしても相も変らぬ政治家の有り様であり
日本の政治文化の体質です。
どの社会組織でも人間がやっていることで
その時どきの人間関係で活動が左右されがちですが
先のフジテレビの問題もそうですが
一本筋の通った倫理がないと昔からの体質に
皆がどっぷり浸かってしまっているところが
あるのではないでしょうか。
組織の中では当たり前のようなことが
外から見ると大きなズレと思われる感覚です。
私たちのお寺も一つの社会組織です。
構成する住職坊守門徒それぞれに役割がありますが
昔からのお寺の体質があり
世間のものの見方に同化して
お念仏のご法義を邪魔しているようなことが
あるのではないでしょうか。
お寺の世俗化ということですが
「お寺は何のためにあるのか?」と
お念仏のみ教えに問い聞きながら
お寺の体質改善をはかるところもあるのでは
ないでしょうか。
私たちのお寺の中心は阿弥陀さまのご法義
お念仏の体質です。
生きとし生けるものすべてを分け隔てなく必ず救う
阿弥陀仏の本願念仏のお心にかなうできることを
平素から一つ一つさせていただく
お念仏の実践対応こそが大切だと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.3.18)

お念仏の旅の道中です
2025-03-17
今日は彼岸の入りです。
20日春分の日のお中日前後一週間を
彼岸といいます。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように
何をするにも最適な時候にあって
お寺では『彼岸会(ひがんえ)』をお勤めし
ご門徒有縁の皆さんに仏法聴聞をお勧めします。
彼岸会は<到彼岸>ということで
私たちが生きているこの迷いの岸から
仏さまのおさとりの岸に到る道をたずねていく
という意味があります。
迷いの私がさとりの仏に成る
成仏道です。
私たち浄土真宗の成仏道は
往生浄土のお念仏の道です。
阿弥陀仏の「われにまかせよ必ず救う」の
ご本願のお心おはたらきにまかせて
南無阿弥陀仏とお念仏申して歩ませていただく
私たちは今お念仏の旅の道中です。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つにまかせ
阿弥陀さまのお慈悲の中に生かされて
お浄土参りの道往きを
あなたも私も皆共にさせていただく
お彼岸のご縁にお寺参りをご一緒しましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.3.16)

夢に出てくる
2025-03-16
「よく主人が夢に出てくるんですが
どういうことでしょうか?」とのお尋ねです。
3年前に死別してから何度も夢に出てきては
「寝過ごしていないか、時間だぞ!」などと
言ってくれるそうです。
私も夢をみます。
皆さんに聞いたわけではありませんが
皆さんも人それぞれに夢をみるのではないでしょうか。
夢に出てくる人もそれぞれに違い
怖い夢も楽しい夢もあると思います。
お話を聞いて
「いいですね。
大切な方が夢にでてきてくれるって
すてきなことじゃないですか」と言いました。
つながっているんですね。
人の命は終えましたから
実際この目でその人の姿を見ることはできませんが
死んだら終いのいのちではなく
つながっているんですね。
思われているんですね。
今もこれからも私のことを心配して
見てくださり守ってくださるということです。
南無阿弥陀仏の大きないのちにつながって
阿弥陀さまのお慈悲の中に共々に
生かされて生きていると
お念仏申して聞かせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.3.16)
