お別れの言葉
2022-08-25
昨日98歳のご門徒さんのお葬儀でした。
連れ合いの奥さんが喪主で
子どもさん二人のご家族が
遠方から帰ってお参りでした。
長男さんのお別れの言葉がありました。
決まり文句の弔辞の文章を読むのではなく
お父さんに語りかけるように言われました、
関東大震災が起こった大正12年に生まれて
大正昭和平成令和と四世代にわたって生き抜いて
私たち家族を育ててくださって
ありがとうございましたと
戦前戦中戦後の苦しい時代生活がありました
高度経済成長時代オイルショックもバブルも色々あって
今はコロナですねというお話です。
私の人生に重ねて聞いていました。
人人の生活ぶりはそれぞれ違います。
同じ時代を生きて
親子夫婦兄弟のつながりのなかに
同じ屋根の下で生活していても
私たちの生活ぶりは違います。
その私たち一人一人が
この世に生まれて生きて人生を終える時に
いろんなことがあったなあと振り返ります。
良いことも悪いこともあったといって
自分にとって都合の良いことも悪いこともと
いうことかもしれません。
良くも悪くも生きてきたんですね。
良くも悪くもの人生のなかで
周りの人たちの支えがあって多くのいのちのおかげで
生かされて生きてきたと
人生を振り返ることができたら有難いなと思います。
良いことも悪いこともあったけれども
人間に生まれてよかったあなたにあえてよかった
お念仏のみ教えに遇えて本当によかったと
この人生の命終えて往きたいものです。
南無阿弥陀仏おおはたらきにまかせて
私たちは阿弥陀仏のお浄土に往生させていただくのです。
葬送です。
送る者も送られる者も
送り送られるところがわかっているから
南無阿弥陀仏とお念仏申して送られるのです。
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
私たちは共々に生かされて生きていると
聞かせていただきます。
人生は長さではない目覚めだと言われます。
恵まれた人生の道行きのご縁に
目覚めよとお念仏のおはたらきです。
真実本当のことです。
お念仏のみ教えに聞かせていただきます。
大切な人との出会いがあって別れがあります。
大切な方とお別れする悲しみのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただける有難さ尊さです。
南無阿弥陀仏とお念仏申して
先に往かれた仏さまとこれからもずっとご一緒に
この人生を生き抜かせていただける頼もしさを思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.8.25)
車の定期点検です
2022-08-24
一昨日昨日と車の定期点検でした。
二年に一回の点検で
この前は令和2年でコロナの中でした。
そして今もコロナの中です。
コロナの中の日常を
車も私たちも生きてきたのです。
車の点検です。
これで大丈夫かと点検し悪い所を直して
安心安全運転です。
私たちも点検です。
これで大丈夫かと点検して
安心して生きて往きますといって
あれこれ直すところだらけで
後から後から次ぎ次ぎと
不備なところが出てくる始末です。
そんな私をすでに見通した阿弥陀仏さまが
南無阿弥陀仏のおはたらきで
不備なところもそのままで救うてくださる
本願念仏の浄土真宗のご法義です。
「まかせよ救う」のお念仏のお喚び声に
「はい」とそのまままかせて安心して
往生浄土の今日の道行きを
共々に生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.8.24)
白河の関越えの悲願達成
2022-08-23
昨日全国高校野球選手権甲子園大会の決勝戦があり
仙台育英高校が下関国際高校を破って
東北勢で初めて全国制覇を果たしたというニュースです。
大正時代から始まる104回目の大会です。
春の選抜大会を合わしても
初めて甲子園の優勝旗が白河の関を越えるという言い方で
長い間の悲願達成を意味します。
福島県の南部栃木県との県境近くに
白河の関はあり
平安時代から人やものの交通の関所があって
白河の関を越えて東北に入るということです。
人の通行や物流を管理する関所は全国各地にあり
箱根の関所は有名です。
東国と西国を結ぶ箱根山は
天下の嶮といわれるほどの難所でもあり
親鸞聖人が62歳の頃関東から京都に帰られる途中を描く
『御絵伝』の「箱根権現の段」を思い出します。
1957年王貞治投手の早稲田実業が選抜大会で優勝し
初めて箱根越を果たしたこともいつか聞いたことです。
関門海峡を越えて九州に
津軽海峡を超えて北海道に優勝旗がもたらされたのは
2004年夏の大会の駒大苫小牧高校でした。
この越という字は
関所を越える峠を越えるということで
陸路を歩いて越えるという意味です。
今は超えるということでしょう。
今回の優勝旗も飛行機か新幹線で
すっと一足飛びに超えて行くのでしょうね。
白河越といって白河の関を実際に歩いて越えて
東北に入るということではないと思います。
親鸞聖人の当時そして江戸時代の最近までは
人の交通は陸路であり船の航路でした。
人が歩いて道を越えて行ったのです。
私たちのお念仏のみ教えも
道を越えて人から人へと伝えられ
南無阿弥陀仏のおはたらきが時間と空間を超えて
今ここ私のところに届けられたということです。
白河の関越という悲願達成の歴史的な出来事に接し
阿弥陀仏の本願成就の真実を
南無阿弥陀仏とお念仏申して思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.8.23)
7日ぶりのお朝事のご縁です。
2022-08-22
7日ぶりのお朝事のご縁です。
お盆参りの疲れが出たのでしょう。
寄る歳には勝てないということです。
一週間お休みをいただいて
昨日から心の準備というかちょっと気合を入れて
今朝はいつもの時間に起きて洗面をし
お仏飯をお供えして
6時の梵鐘を撞いてお朝事のご縁です。
今日皆さんがお参りされるチャイムの音が
いつもにまして心強く有難かったです。
こうして皆さんと一緒にお朝事のお勤めができて
お念仏申して今日の一日を始めさせていただけることを
本当に有難く思います。
いつもの時間阿弥陀さまの御仏前で
私一人ではありません。
皆さんがご一緒です。
元気をいただきます。
生きる力をいただけます。
阿弥陀如来さまの本願力です。
「我にまかせよ必ず救う」と
南無阿弥陀仏のいのちのつながりおはたらきに
生かされてあるということです。
今日も一日皆さんそれぞれ生活ぶりは違います。
いろんなことがあるでしょう。
ただどんなことがあっても
阿弥陀さまがご一緒です。
「あなたの命そのまま引き受けたから大丈夫」と
南無阿弥陀仏とお念仏を申して
生きて往ける有難さ尊さを重ねて思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.8.22)
<本場鶴崎踊り大会>復活!
2022-08-21
昨夜<本場鶴崎踊り大会>が三年ぶりに
復活開催されました。
コロナ禍で通常二日の大会が
一日だけの短縮時間開催になったということです。
大友宗麟の時代から450年以上続く伝統芸能で
地元鶴崎を中心に老若男女が多数参加する
毎年盆明けの一大風物詩で
円光寺からもこれまで数回参加しました。
囃子手が陣取る大きなやぐらを囲んで
踊りの輪が何重にもできます。
鶴崎踊り『猿丸太夫』の歌詞です。
一、来ませ見せましょ 鶴崎踊り
いづれおとらぬ 花ばかり
二、咲いた咲いたよ 踊りの花が
里のかおりを とめて咲く
親鸞聖人の御和讃『現世利益和讃』の
「南無阿弥陀仏をとなふれば 十方無量の諸仏は
百重千重囲繞して よろこびまもりたもふなり」
(南無阿弥陀仏を称える身になると
すべての世界の数限りない仏がたは
百重にも千重にも取りかこみ
喜んでお護りになるのである)
に重ねて思います。
南無阿弥陀仏のおはたらきで
この私がお念仏申す身になると
仏さま方が何重にも取り囲むように
私のことをいつも思い護り導いてくださり
そのことが仏さまの喜びであるというのです。
その仏さまの大本は阿弥陀如来さまです。
生きとし生けるすべてのものを
分け隔てなく必ずそのまま救うと
ご本願を建て南無阿弥陀仏と成就されて
いつでもどこでもおはたらきの仏さまです。
ちょうど踊りの輪の中心のやぐらにあって
南無阿弥陀仏のお念仏の声で喚んでくださっています。
そのお喚び声に促されて
お念仏の踊りの花が幾重にも咲いていくのです。
お浄土の里のかおりを放つ
お念仏の踊りの花です。
先にお浄土に生まれたご先祖有縁の仏さまが
仏さまのご縁ご縁に私のところに還ってみえて
お念仏のご縁に遇わせてくださり
お念仏申す身にお育てくださるのです。
鶴崎踊り大会の最後に
恒例の花火がいつもの年より長く上がりました。
光と音の花火のはたらきです。
「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のおはたらきに
重ねて見上げたことです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.8.21)