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お念仏を申す生活法話

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中秋の名月

2024-09-18
 昨夜は旧暦の8月15日の十五夜中秋の名月で
空高く丸いお月さまが煌々と輝いていました。

 7月から9月が旧暦の秋で8月が中秋だそうですが
今は新暦の9月に入っても各地で猛暑日を記録するなど
日中はまだまだ真夏の様相です。

 夜の時間が長くなって
少し暑さが和らぐなかに
月を愛でて秋の風情を楽しみました。

 太陽は眩しくて直接見ることはできませんが
月の光はいつの時代のどこにいる人にも
等しくやさしく照らしてくださいます。

 平安時代の貴族は戦国時代の武将は
江戸時代の庶民は
どんな思いで月を愛でたのでしょうか。

 親鸞さまが比叡の山で仏道修行されていた頃の心境を
「定水を凝らすといへども識浪しきりに動き
 心月を観ずといへども妄雲なほ覆ふ」
           (存覚上人『嘆徳文』)
(心を一点に集中し安定させるといっても
 ちょうど水面がすぐ波立ってしまうように
 いろいろな想いが浮かんでしまう。
 清浄なる心を観るといっても
 月がすぐに雲に覆われてしまうように
 妄想や妄念に覆われて隠れてしまう)
と伝えられています。

 厳しい学問修行によって自らの心をみがき
仏のさとりを目指された親鸞さまでしたが
励めば励むほど、煩悩がなくなるどころか
見えてきたのは自分の心の醜さであり
悩み苦しまれたといいます。

 比叡の山上から見える静かな琵琶湖の水面や
清明な十五夜の満月に心を寄せて
親鸞さまのご心境を想いはかります。

 今年は今夜が満月だそうです。
自然の大いなる営みのなかに
お念仏申して共々に生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.18)

供養ということ

2024-09-17
 年忌法要などのご法事を
亡き人のための追善供養とお勤めされる方が
多いのではありませんか。

 お坊さんにお経を読誦してもらい
その善根を回向することで
先祖の霊を慰め平安を祈るということです。

 法要の期日について
「命日より早くしないといけないのですか?」と
問い合わせがあります。
 遅くなると忘れているのではないかと
霊が不審に思って禍を及ぼし悪いことがあるなどと
周囲から言われるといいます。

 科学的なものの見方が一般的になった現代は
目に見えない霊魂があって云々などという
非科学的なことは信じるに値せずということでしょうか
法要を勤めること自体をスルーするところが
多くなったようにも思います。

 親鸞さまは『歎異抄』第五条で
「親鸞は父母の孝養のためとて
一返にても念仏申したることいまだ候はず」
(親鸞は亡くなられた父母への追善供養のためと思って
お念仏を申したことは一度もありません)
と述べられています。

 お葬儀にはじまるご法事のご縁は
大切な人とお別れする悲しみのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁と
浄土真宗のみ教えに聞かせていただきましょう。

 阿弥陀如来の本願念仏のお救いのご法義です。
「まかせよそのまま救う」と
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
大切なお方は人の命終えて
そのまま阿弥陀さまのお浄土に往生し
お念仏の声の仏さまとなって
すぐさまこの世に還って来て
後に遺った有縁の人たちを護り救うという
おはたらきをしてくださってあると
聞かせていただきます。

 先に往かれた仏さまはご法事のご縁で
有縁の皆さんを阿弥陀さまの御仏前に座らせ
お念仏を申し仏法聴聞する身にしてくださるのです。

 ご法事のご縁だけではありません。
いつでもどこでも何があろうとも
阿弥陀さまの大きなお慈悲のなかに
往生浄土の道行きをご一緒してくださるのです。

 今日一日もお念仏申して共々に
生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.17)
 




 

今が一番幸せ

2024-09-16
 今日は敬老の日の祝日です。
元々は9月15日が敬老の日でしたが
国のハッピーマンディ政策で
今年は9月16日が敬老の日ということです。

 各地で敬老会が開かれるということですが
敬老の日の始まりについて
先日のテレビ放送で知りました。

 戦後昭和22年に兵庫県のある村で
「としよりの日」が提唱されたことが
起源といわれます。
 終戦直後の社会の混乱期で
日々の生活が苦しかった時代です。
 当時は働き手の20代30代の男性が
戦死したり復員を果たせず
頼ることが多かったお年寄りの楽しみ会を催したところ
大変盛況で村の活性化にもなったことで
発案者の村長自ら他の市町村にも呼びかけて
兵庫県に「としよりの日」が生まれ
1966年に国民の祝日として
「敬老の日」が制定されたということです。

 現在65歳以上の高齢者は3625万人で
全人口の約30%を占め
100歳以上の「百寿者」は92,139人で
超高齢社会が続いていますが
高齢者の4人に1人が就労しており
元気なお年寄りが多いというニュースレポートの中で
101歳の薬剤師と自伝出版された女性二人に
「一番幸せなのは、いつですか?」とインタビューして
二人とも「今が一番幸せ有難い」「今が最高楽しい」と
答えていたのが印象的でした。

 歳を重ねるなかでそれぞれの人生いろんなことがあり
わが身のことでできないことも多くなって
悔しくて悲しい思いをするなかに
過去のことを思い出しては
「あの頃が一番よかった楽しかった」などと
愚痴をこぼすようなことがありますが
「今が一番幸せ」と
今をしっかり生きている姿に感銘します。

 過去のことに色々とらわれ
未来のことを何かと心配しては
ただ時間の過ぎ行くままに
ぼんやり生きているようなところがありませんか。

「年々に わが悲しみは 深くして
いよよはなやぐ いのちなりけり」と
岡本かの子さんの歌です。

 敬老とは老いを敬うということで
敬老の日は
「老人を敬愛し長寿を祝う日」と規定されていますが
仏法は老いを見つめるなかに
老病死のいのちの実相に
向き合うことの意義を説きます。

 私たちはいつまでも若くて健康で長生きしたいと
願って生きていますが
年々に老いて病んで必ず命終えていかねばなりません。

 仏さまは生死(しょうじ)の境界を迷い続け
このたび人間界に生まれた私たちに
今度こそさとりの世界に生まれて来いよと
仏法聴聞を勧めます。 

 お念仏のみ教えを聞いて
南無阿弥陀仏の大きないのちのおはたらきに遇って
お念仏申して老いて往きましょう
お念仏申して病むときには病んで往きましょう
そして命終わるときにお浄土に往生させていただいて
さとりの仏さまに成らせていただきましょう。

 思い通りにならない老病死のわが身に寄り添い
いつでもどこでもどんな時でもご一緒くださる
阿弥陀さまの大きなお慈悲に生かされて
今を生きる有難さ尊さを思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.16)

善知識って何ですか?

2024-09-15
 法話会のご縁で
「善知識(ぜんぢしき)って何ですか?」と
質問がありました。

 善知識とは仏縁に導いて
真実に目覚めさせてくださる方で
私を浄土真宗のみ教えに
遇わせていただいたお方のことをいいます。

 私にとって善知識とは
どなたのことでしょうか?
 私たち浄土真宗門徒でいえば
浄土真宗を開かれたご開山親鸞聖人であり
お念仏申す生活のあり方を示し
信心獲得を勧めてくださった蓮如上人であり
お念仏の法灯を代々受け継ぎ私に届け伝えてくださった
お念仏の先人のことでしょう。

 直接お会いした方も
お会いしていない方もいるでしょうし
誰彼というのではなく
お念仏のご縁に遇わせていただいた
多くのお念仏の方々です。

 親鸞聖人にとって善知識は
「よきひと」法然聖人でした。
 『歎異抄』第二条に
関東の門弟たちが
「往生極楽の道を問いきかんがために」
京都の親鸞さまを訪ねて来られたとき
「親鸞におきては
ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと
よきひとの仰せをかぶりて
信ずるほかに別の子細なきなり」と
申された「よきひと」です。

 同条には親鸞さまに本願念仏のみ教えが
至り届けられる道行きを
阿弥陀如来から始まり釈迦如来、善導大師、法然聖人
そして親鸞聖人へと示されています。

 さて私にとって善知識とは
誰のことでしょうか?
 今こここの私に
お念仏のみ教えを届けてくださった善知識です。
 
 初めてお念仏のご縁に遇った時のことを
覚えていますか?
 有縁の方のお葬儀やご法事であったかもしれません。
お寺のご縁だったかもしれません。
 御仏前に座ってお念仏の声が聞こえてきました。
誰の声かといって
お寺の住職坊守さんご門徒の方々
身近な祖父母や家族親族有縁の方だったか
わかりませんが
たくさんのお念仏の声が聞こえてきて
いつかこの口からお念仏を申す身に
させていただいたことです。

 誰からいつどこでと
善知識さがしをするのではありません。
 今この口から確かにお念仏が出てくださることを
有難く喜ばせていただきましょう。

 大本は阿弥陀さまです。
お釈迦さまがいて七高僧さまへと届けられ
親鸞さま蓮如さま有縁のお念仏のひとへと伝えられ
私のところに届けられたお念仏のみ教えです。

 南無阿弥陀仏のおはたらきです。
生きとし生けるものすべてを
分け隔てなくそのまま救うと
いつでもどこでもどんな時でも
この私にご一緒くださる
阿弥陀さま有縁の仏さま方です。

 お念仏申して
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
先にお浄土に往かれた方も後に遺った私たちも共々に
これからも生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.15)

浄土真宗のお寺

2024-09-14
 お寺って何だろう?
皆さんはお寺にどんなイメージを持たれていますか。

 お坊さんが厳しい仏道修行をするお寺であったり
京都や奈良の有名な観光寺院であったり
皆さんが暮らす地域のお寺を
思い浮かべる方もいるでしょう。

 大きな建物に住まいするお寺の人の生活ぶりは
一般のお家の生活とは大分違って
見えるのではないでしょうか。
 お寺にはいろんな法要行事があって
多くの人が出入りして大変だと思われるようですが
お寺に生まれて生活してきて歳を重ねるなかで
その大変さが有難いと思えるようになりました。

 浄土真宗のお寺はお念仏聞法の道場といわれます。
有縁の方々がお寺にお参りされて
仏法聴聞されお念仏申す身にお育ていただく道場こそが
お寺の本来の存在意義なのです。

 親鸞さまは生涯お寺をもつことなく
地域住民の皆さんと生活を共にするなかに
ご縁ご縁に所どころで
お念仏のみ教えを説かれたといいます。

 蓮如さまは地域の人びとが寄り合う講組織に
お名号のご本尊を届けて
お念仏のご縁を弘めたといわれます。

 皆さんのお家がお念仏の道場となり
より多くの人が集まれるように
お念仏の先人は
仏さまをご安置する内陣より
参詣者がお聴聞する外陣の方が広い
浄土真宗の特徴あるお寺を建立して
私たちに届けてくださったのです。

 今はお家にお仏壇があるのが当たり前のようですが
お家がお寺の始まりだったのです。

 地域の遠くからでも見れる
大きなお屋根のお寺に向かって
地域の皆さんがご縁ご縁に手を合わせ
お寺の仏さまにお礼をさせていただく
お寺は地域の皆さんの
日々の生活心の依りどころだったのです。

 現代は人口減少と都市部への集中核家族化で
ご門徒のお寺離れが進み
これからのお寺の護持が大変難しくなっています。

 お寺は何のためにあるのか?
お念仏のみ教えを届けてくださった
親鸞さま蓮如さまのお心
ご懇志をはこんでお寺を建て護持し伝えてくださった
お念仏の先人に思いをはせ
これからのお寺のあり方を共々に考え
今私にできることを
精いっぱいさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9。14)

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円光寺
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