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お念仏を申す生活法話

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お休み時間の有効活用です

2022-07-04
坊守さんの家庭菜園に立派なキュウリが生りました(2022.7.4.8:30)
 今日は月曜日で
三日ぶりのお朝事のご縁です。
 1月末から土曜日曜のお朝事のお勤めをお休みして
半年が過ぎました。

 毎朝お朝事にお参りされる皆さんは
この土曜日曜の朝をどのように過ごされていますか。

 今は陽が開けるのが早くなり
日中はすごい猛暑ということで
外のことを朝早く済ませる方が
多いのではないでしょうか。

 昨日一昨日といつもより早く起きて
土曜日は臼杵の石仏辺りの蓮を観に行きました。
 蓮の花は朝早く開くと言われているので
5時前に出て6時には着きました。

 お朝事のお勤めをすることでいえば
今までは行けなかったことで
ゆっくり楽しんで観賞できました。

 昨日は本堂の前のソテツの剪定をしました。
これも朝早くしないとすぐ暑くなるということで
6時前後に作業しました。

 お休み時間の有効活用です。
いつもはできないことも
工夫して行うということです。

 朝の時間は本当に貴重です。
いつもは仕事や学校に行くのに逆算して
少しでもゆっくり睡眠をとり
起きてからは分単位の朝の支度です。

 早起きして朝の時間にゆっくり自分時間を
有効活用する人もいるでしょう。
 特にこの夏の時期は涼しい朝のうちに
できることがたくさんあるのではないでしょうか。

 その貴重な朝の時間に
皆さんとこうしてお朝事のご縁に遇わせていただきます。

 一人の自分時間ではとても続くことではありません。
頑張って続けようとして中々難しいことです。

 皆さんとご一緒のお念仏のご縁だからこそ
南無阿弥陀仏のおはたらきで
今日もこうして御仏前に座らせていただけたのです。

 朝一番に皆さんが本堂に入られ
ピンポーンとチャイムが聞こえて
私にスイッチが入ります。

 今日は週の初めの月曜日です。
あっという間に今年も半年が過ぎました。
 月日の経つことの早さを思うことですが
今日も一日生きる時間をいただいたことです。
 お念仏申して共々に阿弥陀さまのお慈悲の中に
生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.7.4)


南無阿弥陀仏の他力にまかせて生きる(2014年アーカイブ)

2022-07-03
すっきりとソテツの初夏の装いです(2022.7.3.9:00)
 大分合同新聞に毎日連載されている
五木寛之さんの『親鸞』がいよいよ最終章です。
 今日のところでいいますと
親鸞聖人が90歳の頃ということですから
ご往生がもう間近ということです。

 五木さん流の親鸞さまのとらえ方がとても興味深く
人間味あふれる親鸞さまが身近に想われて
いいなと思います。

 歳とともに力がどんどん抜けてくるような
親鸞さまの生きざまです。

 まさに命終わる時のご様子です。
「なごりをしくおもへども
 娑婆の縁尽きて
 ちからなくしてをはるときに
 かの土へはまゐるべきなり」
(この世に執着して名残を惜しんでいても
 この世の縁が尽きて生きる力がなくなり命終わるとき
 お浄土へまいらせていただくのです)と
『歎異抄』のお言葉を重ねていただきます。

 私たちは若い頃は特に何をしようこう生きようと
自分のことで精いっぱい生きることで精いっぱいで
生きて生きて生き抜くぞと力が入ります。

 そんな私たちがみんな幸せに
日暮しできたらいいのでしょうが
お互い自分を中心とした思いのなかで
それが言葉になり行動になって
人と人とが支え合うのではなく
逆に傷つけ合うこともたくさんあります。

 それでも頑張って頑張って頑張って
生きるこの私なんだと
日々の生活を振り返って思います。

 頑張ってはぶつかり悩み苦しみ惑う私を
阿弥陀仏さまはしっかりあたたかくご覧になって
南無阿弥陀仏の六字の名号となって
私のところに来てくださり
「まかせよ救う」とおはたらきです。

 「そんなに頑張らなくていいんだよ
私がいつも一緒だから私にまかせて
あなたができる精いっぱいのことを
させていただこうね」とやさしく仰せです。

 阿弥陀さまの他力のおはたらき
南無阿弥陀仏一つにまかせて
ご信心をいただきお念仏申す身にさせていただくのです。

 今日一日もいろんなことがあると思いますが
お念仏申して私にできることを精いっぱい
させていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2014.7.3)


七夕飾りの願い事(2013 年アーカイブ)

2022-07-02
臼杵石仏辺りの蓮のお花畑です(2022.7.2.6:30)
 昨日1日は円成会の月例会のご縁で
皆さんで昔を思い出しながら
七夕飾りを作りました。

 短冊にしたためた
皆さんの願い事を見ました。

 今一番気になることでしょうか
健康のことが多くありました。

 次にお寺のことです。
「仏法ひろまれ」と
一人でも多くの人がお寺にお参りして
お念仏のご縁に遇ってほしいという願いです。
 有難いことです。

 そして社会の平和を願い
東日本大震災からの復興や原発を無くしてほしいなど
様々な願いが書かれていました。

 若い頃の願いでしたら
自分中心に自分のことばかりの願いでしょうが
段々と歳を重ねていくなかで
願い事の中身も変わってくるようです。

 これまでの人生を振り返り
さまざまな経験を積むなかで
自分の思い通りに行くこともあったでしょうが
失敗することもたくさんあったと思います。

 それらの経験を踏まえて
人生を見直すことができるのも
私たちが歳をとるということなのでしょう。

 ただ歳をとっても気づかないわからないことも
たくさんあります。

 仏さまはそんな私たちに
仏法に自らのあり方を聞いてくれよと
仏さまのご縁に遇ってほしいと願っているのですが
仏さまのご縁に遇うことの難しさです。

 歳をとっても自分のことで精いっぱい
生きることで精いっぱいというのでしょうか
お寺参りにお誘いしても
「今は忙しいからいつか必ずお参りします」と
体よく断られます。

 厳しいことを言うようですが
「仏法には明日はない」と言われます。
 諸行無常の仏法の理で
私たちはどんな人も無常のこの身を生きており
明日の命があるかどうかもわからないというのです。

 いつか明日でもと先延ばししても
結局は仏法に遇わずじまいに命終われば
これほど空しいことはないというのです。

 仏さまに反発するように逃げ惑う私を追いかけて
阿弥陀さまは仏法に遇って
お念仏を申す身になってほしいと
南無阿弥陀仏のお名号になって
喚び通しに喚んでくださっているのです。

 お念仏のご縁に遇って
思い通りにならない人生のあり様を
この身の上に思い知らせてくださり
「人間に生まれて仏法に遇えて本当によかった」と
お念仏申す身にさせていただいたことを
有難く尊く思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2013.7.2)

お念仏申して今できることをさせていただく

2022-07-01
7月の円成会誕生日お祝いのお花アンスリウムです
 7月に入りました。
早い梅雨明けで朝から暑いですね。
 今朝一番に本堂の戸を開けると
東の空から太陽がガンガン照りつけます。
 危険な暑さという表現で
熱中症に気をつけてくださいということです。

 昨日は祥月命日のお参りがありました。
毎年のご縁です。
 若くしてご主人にお別れになったことで
仏さまのご縁をいただき
ずっとお仏壇とお墓を守ってこられました。

 お勤めの後でお茶をいただきお話になります。
歳を重ねる中で年々話題が変わってきて
昨日は終活の話になりました。

 いいお歳になってお墓をどうするか
お仏壇をどうするかという心配です。
 誰が後を見てくれるのかということですが
子どもさんはいるものの心配なのです。
 親の心配、子どもが心配ということです。

 その時になったら
何とかなるようになるということですが
ああやこうやと考えては悩むのですね。

 そういうなかにあって祥月のお命日のご縁です。
祥月命日やお盆のお勤めをされていることは
子どもさんもよく知ってる分かっていることです。

 親の後ろ姿を見て子は育つといいますが
子どもは親のしていることを見ています。
 親は今できることを精いっぱいさせていただくことしか
できないのです。

 ああしなさいこうしなさいといって
思いは親子でも違います
夫婦であっても違います
兄弟であっても違います。

 ただ私たちは同じ中心をいただいていることの
有難さです。
 お仏壇です。
お墓です。
 お仏壇にお墓にお参りして
手を合わせて南無阿弥陀仏とお念仏申すことができる
有難さです。

 先に往かれた仏さまが命がけでつくってくださった
祥月命日のご縁です。
 お念仏を申して共々に
今日一日も生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.7.1)


お浄土からの便りです

2022-06-30
 昨日思い立って
私が住職を継職して始めた
寺報『ようこそ』の整理をしました。

 偶々コロナ禍に重なって
この2年半ほどお休みしていますが
年3回の発行で46号まで続いています。

 ご門徒皆さんだけではなく
仏法のご縁に遇ってほしいという思いで
広く有縁の皆さんにも発信しています。

 お寺関係の方ばかりでなく
小中高大学の友人知人先輩諸氏も多く
読後の感想を手紙やハガキで返信してくださる
楽しみがあって発行を続けて行く励みにもなりました。

 私が30代40代の頃大変お世話になった
先輩方の便りをあらためて読み返すと
本当に有難いです。

 丁寧に封書にしたためられた文面には
「いつも送っていただきありがとうございます」と
御礼の言葉とともに感想が書かれてあり
「お体を大事にしてください」と書き添えてあります。

 私より20歳以上も年輩の方々で
もうすでにご往生されている方がいらっしゃいますが
若い私の体調を気遣ってくださる有難さです。

 その中の一人はお寺の坊守さんで
県内でも遠方の方でもうしばらくお会いしていません。
 文面には近況も書かれており
高齢になって体が思うように行かない様子です。

 文面には何度も「会いたいですね」と綴られ
「でも難しいですね」とあって
「お浄土でまたお会いしましょうね」と
書かれていました。

 お念仏のご法義に遇うということは
「この身は思い通りにならないけれども
阿弥陀さまのお浄土で
また会えることを楽しみにしています」
と書けるんですね言えるんですね。

 その坊守さんはすでにご往生されていますが
南無阿弥陀仏のおはたらきでお念仏申すなかに
今も会えています。

「元気にしていますか」
「暑いですね」
「少しずつできることをやっていきましょう」
「どうかお念仏を申すなかに
今日一日もこれからも阿弥陀さまと
私も共々にご一緒させていただきましょう」と
今日もお便りをいただいて
いつも思われていることを
お育てをいただいていることを
有難く思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.6.30)


円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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