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お念仏を申す生活法話

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初盆会のご案内

2022-07-13
玄関のお花たち(2022.7.13.18:00)
 この数日前から大分合同新聞の社会面の広告欄に
<初盆会のご案内>が目立つようになりました。

 大方大きな会社組織の関係者の初盆会で
二通りのご案内に分かれます。

 一つは何日の何時から何時までと時間設定し
場所はほぼ葬儀社での初盆会に
お参りしてくださいというご案内です。

 もう一つは初盆会は家族だけでしますので
自宅へのお参りはご遠慮くださいといったもので
両方とも御仏前や供花を辞退される文面です。

 丁寧なご案内のようですが
昔からの初盆会の習わしを思うとき
何か寂しい感じもいたします。

 初盆会は先に往かれた方の初めてのお盆のご縁で
8月13日14日15日の三日間
家族親族縁者がお仏壇のある仏間で一堂に会し
故人を偲ぶ仏さまのご縁です。

 今は車社会で駐車場がないとか
いつ誰がお参りされるかどうかわからないなかで
三日間ずっと家を空けられないということは
本当に大変です。

 そうしたことが煩わしいという見方もありますが
有縁の方がお参りされて故人の思い出話に花が咲き
人と人とがつながりがまた広がります。

 先に往かれた方を偲ぶ人人の情です。
そうした人人の思いを寄せ合えるご縁で
あってほしいと思います。

 昨日は安倍元首相の葬儀が東京の増上寺であって
たくさんの一般の方々がお参りされ
また沿道で見送っていました。

 安倍さんに直接関係があった方ではありません。
ただお礼を表したかったという思いで
暑い中を遠方からも駆けつけられたということです。

 人人の情です、思いです。
何か閉塞したギスギスした今の社会にあって
人と人とが思いを寄せ合いつながって
乾いた空気を潤わせてくれるようにも感じます。

 このお朝事のご縁もそうです。
皆さんそれぞれに思いをはこんでくださって
お念仏申して円光寺の朝
今日の一日を始めさせていただきます。

 お参りしないといけないのではありません。
お参りしようと思うなかに
お朝事のご縁が開かれるのです。
 どうぞご縁ご縁にこれからもご一緒に
お参りさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.7.13)


この社会の閉塞感

2022-07-12
 参議院選挙が終わって
安倍元首相の銃撃事件の詳細が報道されています。

 母親が入信した宗教団体に恨みがあって
その団体と関わりが深いと思った安倍さんを殺そうと
狙っていたという供述です。

 昨日は宗教団体の代表が会見を行いました。
確かにお母さんが信者で家庭が破綻状態にあったことも
知っていたということですが
20年以上も前のことで
最近は月に一度ほど関連施設に
お参りしていたといいます。

 容疑者と宗教団体の間にまた安倍さんとの関係で
これまで実際にトラブルがあったかはわかりませんが
容疑者の一方的な思い込みのようにも思われます。

 今はネット社会にあって
SNSで大量の情報が飛び交う中に
私たちは日暮らししています。
 何が本当かか嘘か分からないままに
いろんな方が様々な見方で意見を発信します。
 自分の思いに沿う意見に聞き入り
思い込むことになる危うさです。

 母親が多額の献金をして家庭が破綻し
今もこんなに酷い目に遭っているのは
その宗教団体のせいであり関係のある安倍さんを殺すといった
自分勝手な論理で決して許せることではありませんが
今の世相を反映している事件に思えます。

 容疑者の生活ぶりはどんなものだったのでしょうか。
この同じ社会時代に生きて
どういう人間関係があったのでしょうか。

 アパートの一室に閉じこもって
ひたすらパソコンスマホに向き合い
通販で物品を取り寄せては
人を殺すために拳銃を作っていたという生活です。

 そこに他の人とのつながりはあったのでしょうか。
人と話をすることがあったのでしょうか。
 周囲の関係を断って孤立した
孤独な生活ぶりを想像します。

 孤独な生活は容疑者の彼だけのことではなく
私たちのすぐ周りにもあったりして
私自身もその一人なのかもわかりません。

 自分中心の思いはからいが
私たちを苦しめ迷わせているとみ教えに聞きます。
 広く宗教の救いは
小さな世界に閉じこもって生きる私を
広い世界に解き放つことにあると教えます。

 仏法に遇うことの有難さです。
仏法に生きる人に遇うことです。

 阿弥陀さまの「まかせよ救う」のお喚び声
南無阿弥陀仏のおはたらきに遇って
お念仏申して阿弥陀さまの大きな広い世界に
生きて往けるのです。

 いつも阿弥陀さまがご一緒です。
お念仏申して阿弥陀さまのお慈悲の中に生かされて
共に生きる人がいます。
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
私たちは共々に生かされて生きているのです。

 容疑者は安倍さんの人なりを
どのように思っていたのでしょうか。
 私もそうですが
実際に会っていないのでわかりません。

 国のリーダーたる政治家の安倍さんは
敵味方をハッキリさせた論戦で近寄りがたい印象でしたが
実際に会って話をした人は話題も豊富で面白く
気さくでフレンドリーな方だといいます。

 入り乱れた雑多な情報だけに思い込むのではなく
人として触れ合うことがあればと思います。

 宗教がらみの事件になって
このお寺も仏教の宗教施設ということで
同じ現代社会に生きる者として
またお寺の住職として
今回のことを深く見つめていきたいと思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.7.12)


クーラーの入った仏間で仏さまのご縁をご一緒します

2022-07-11
 昨日お参りに行ったお家で
お茶をいただきながら
「初めてクーラーを入れました」と言われました。

 連日の猛暑ですから
クーラーがあるとお勤めする私も助かります。

 今度初盆を迎えるお家で
よく話を聞いてみると
仏間にはこれまでクーラーの設備がなくて
初盆のご縁にクーラーを設営して
今日初めて使ったということでした。

 昔のお家の造りで
仏間が二間にわたって結構広く
クーラーは通常より大きなものになります。

 アパートマンションや今のお家の造りは
仏間という特別な部屋はありませんが
皆さんのお家の仏間は
日頃は滅多に使わない部屋になっていないでしょうか。

 コロナ以前からも親戚縁者のお客さんが
お家に来られることが少なくなりましたが
お仏壇をご安置する仏間ということで
お坊さんは必ず仏間に通されます。

 お家の方が日頃使われるのは
居間や台所そして個人の部屋です。
 自分たちの使う部屋にはクーラーは真っ先に入りますが
日頃使わない仏間にはクーラーを入れるという
発想自体がないのではありませんか。

 大切なお方とお別れする悲しいご縁で
仏間を使うことが多くなります。
 お坊さんは勿論ですが
家族も親族も仏間にお参りします。
 そこで初めて気がつくのですね。
暑さを体感してクーラーが入るのです。

 仏さまのご縁で
仏間にクーラーが入ります。
 先に往かれた仏さまが家族親族有縁の方々を
仏間に座らせてくださるご縁なのです。

 今はコロナ禍で法事のあり方も随分変わりました。
人数が多ければいいという話ではありませんが
家族だけの少人数の法事が多くなりました。

 以前のご法事を思い出します。
20人30人といった法事もあって
外食でお斎を出すところが一般的でした。

 親族有縁の方同士ですが
親戚が集まる機会が少ないなかに久しぶりに会う方もいたり
親の代理で子どもが参って初めて会う方もいたりして
「元気やったかえ」「あんたと親戚になるの」などと
声が聞かれたものです。

 人と人とのつながりです。
先に往かれた方がつくってくださったご縁です。
 生きている私たちだけではなく
人の命終えて先に往かれた方は今は仏さまとなって
私たちと共に生きてくださってあるということです。

 初盆に親族有縁の方々がお参りされて
先に往かれたお母さんが入れてくださった
クーラーの効いた仏間でご一緒して
お念仏申す身にさせていただく
仏さまのご縁が楽しみです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.7.11)


朝からお念仏の声が聞こえる円光寺は生きとるぞ!

2022-07-10
 おはようございます。
こうして仏教壮年会の月例会を
日を決め時間を決め場所を決めて
皆さんが今ここ円光寺の御仏前にご縁をいただくことを
あらためて有難いことだなと思います。

 一昨日そして昨日と安倍元首相が銃撃され
亡くなられたニュース一色です。

 41歳の容疑者です。
これから事件の背景が明らかになってくることですが
何故どうしてと思うことばかりです。

 どういう生活をしていたのかなと思います。
この同じ社会時代を生きて
一方が殺人犯になり一方が被害者になるということです。

 安倍さんと容疑者の接点が見えません。
政治家の暗殺はこれまでにもありましたが
政治的な思想信条が違うことを動機として
すぐ思い浮かべますが
今回の事件はどうなのでしょうか。

 今の社会は閉塞社会閉ざされた社会と
いわれます。
 人と人とのつながりが薄くなり切れてしまって
孤立して孤独な人が多いといいます。

 アパートの一室で何時間も何日もかけて
銃撃するための拳銃を作っていたといいます。
 ずっとその思いをもち続けて
安倍さんを殺そうと狙ったんですね。

 傍から見ると自己中心の思い込みによる
異常な行動としか思えないのですが
この閉塞社会の病理を思います。

 浄土真宗仏教はつながりの教えです。
すべてのものが縦横無尽につながっているという
縁起の教えです。

 私一人で生きているのではなく
隣の人も隣の人も人間だけではなく
いろんな命に支えられ生かされてあると
聞かせていただきます。

 それは私たちの目に見える命だけではなく
この目に見えない人もすべてのものの命も
そして先に往かれた命もこれから後に生まれてくる命も
すべてがつながってあるというのです。

 そうしたつながりのなかに生きる私たちは
そのつながりが返って鬱陶しくて嫌だという
思いもありますが
自分の思いに良くも悪くも
そうしたいのちのつながりのなかに生きてきたし
今を生きているし
これからも生きていくということです。

 仏教壮年会のご縁です。
お念仏のご縁をいただいた者同士が
今こここの御仏前にそろって
『讃仏偈(さんぶつげ)』のおつとめができました。

 『讃仏偈』は
「光顔巍巍(こうげんぎぎ)威神無極(いじんむごく)
 如是炎明(にょぜえんみょう)無与等者(むよとうしゃ)
(光かがやく師の仏のお顔はこの上なく威力にあふれ
 そのかがやきは世に等しいものがない)で始まります。

 これは阿弥陀仏が法蔵菩薩だった時に
師仏の世自在王仏のお徳をほめ讃えた言葉です。

 法蔵菩薩は何よりもまず光り輝くそのお顔を
ほめ讃えられたのです。
 世自在王仏の清らかな心が
そのまま表情にあらわれていたのでしょう。

 世自在王仏が深く喜んでお説法されているのが
法蔵菩薩に伝わったからであり
法蔵菩薩はそのお説法を聞いて深く喜び
私も世自在王仏のような仏に成りたいと思い
阿弥陀仏の本願が起こったのです。

 私たちはどんな人も光り輝く命を
生きているのです。
 この人生自分の思い通りに行けばいいのでしょうが
思い通りに行くこともあれば行かないこともある
善いも悪いもある人生を私たちは生きているのです。

 日々の生活ぶりはそれぞれ違いますが
みんなそれぞれの命を
精いっぱい輝かせて生きているのです。

 今日の皆さんもそうです。
それぞれが生きているのです。
頑張って生きているのです。
 ただ頑張って頑張って頑張っても
空しいな辛いなと思うことってあります。

 どんな人もどんな命も
どのような状況にあろうとも
阿弥陀仏はいつもこの私をご覧になって
南無阿弥陀仏のおはたらきで
ご一緒してくださっているのです。

「あなたの命そのまま救うからね。
そんなに頑張らなくてもいいよ」とご一緒です。

 頑張らなくてもいいって
何もしなくていいよということではありません。
 あなたの命そのまま引き受けたから
そのまままかせよ救うというのです。

 善いことをしたから救うのではありません。
悪いことをしたから救わないのではありません。
 阿弥陀さまのお救いに条件は何一つありません。
そのまま救うのです。

 阿弥陀さまのお救いは摂取不捨のお救いで
「逃ぐるものを追はえとるなり」と
仏から逃げているこの私をこそ救うというのです。

 背を向けて言うことを聞かない私が悲しいのです
そして愛おしいのです。
 だから救うのです。

 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりは
四方八方に人だけでなくすべての命に寄り添って
つながってくださってあるのです。

 私が拒否してもつながっています。
これからもつながって行くのです。

 今のこの社会です。
コロナ禍です。
 猛暑の異常気象です。
自然災害も起こるでしょう。
 思い通りにならないことが
たくさんたくさんあるでしょう。

 自分にとって思い通りになることは善いことで
思い通りにならなかったら悪いことと
自己中心の見方で思い込む私ですが
この阿弥陀仏さまは善いも悪いもを超えて
この私の命そのままを引き受けてくださるのです。

 南無阿弥陀仏のおはたらきに生かされて
色んなことがある人生だけれども
この人生振り返ってみたらよかったなと
私の思いはからいを超えて言える人生を
お念仏申して生き抜かせていただきます。

 人間に生まれて仏法に遇えて
南無阿弥陀仏とお念仏を申す身にさせていただき
この人生を生きて本当によかったと思うことです。

 今日も境内の草取り清掃作業をしていただき
ありがとうございました。
 お寺がきれいになって
円光寺に一人でも多くの方がこの御仏前にお参りされて
お念仏を申すご縁をいただけるということです。

 「お念仏の声が聞こえる円光寺は生きとるぞ!」と
今日一日も始めさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。
      (2022.7.10/仏教壮年会7月例会)


歌声喫茶的なお寺にようこそ!(2009年アーカイブ)

2022-07-10
 今、60代70代の女性を中心に
歌声喫茶が静かなブームだといいます。

 私が学生の頃も歌声喫茶がありました。
今でいうカラオケのようなものですが
オルガンやアコ-ディオンの伴奏で
独りで歌うのではなくみんなが一緒に歌います。

 小さなお店に熟年の方々が集まり
コーラスのように整列して合唱するのではなく
それぞれの席で思い思いに声を出して歌うのです。

 同じ場所にみんなが集まることの楽しさがあり
声を出すことが元気の源と言っていました。

 この話題を聞いて
お寺もまた歌声喫茶的なところだと思います。

 今日もお朝事のご縁に皆さんが集まりました。
独りではありません。
 そしてご一緒に声を出して
お勤めができました。

 大きな声を出してお勤めするなかに
今日も一日生きて往こうと元気をもらいます。
 それも一人じゃなくて二人三人四人と
お念仏の仲間がご一緒です。

 皆さんそれぞれ生活ぶりは違います。
今日も一日いろんなことがあるでしょう。
 楽しみなこともあれば
気がかりなこともあると思います。

 いろんな問題を抱えて
苦しみ悩む私たちお互いですが
こうして御仏前でご一緒にお勤めをし
お念仏を申して
力強く今日一日を生きていく力をいただきます。

 他力のご法義です。
「あなたの命そのまま引き受けた。
必ず救うまかせよ」の
阿弥陀仏の仰せに信じまかせて
南無阿弥陀仏の大きないのちのおはたらきの中に
生かされてあることをまた有難く思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2009.7.11)


円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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