何のために生かされているのか?
2022-09-26
運転する車中で聴くラジオからの言葉に
聞き入ることがあります。
あるアナウンサー氏が
「生きるということを
私は生かされていると受けとめて
何のために生かされているのかを考えながら
生きています」と言った言葉です。
私たちは今ここに生きていますが
何のために生きているのか
見方を変えれば
何のために生かされているのかということです。
若い時分は私が生きることで精いっぱいでしたが
歳を重ねていく中で
自分一人で生きているのではなく
多くの人たち多くのいのちに生かされていると
思うようになり
何のために多くのいのちに生かされているのかと
考えるようになったということでしょう。
同じ日のテレビ番組で
仕事をリタイアしたご夫妻が
妻の生まれ故郷の今は無人島になった所に移住して
一から生活を始め直し
島の活性化のために事業を進めているという話題です。
周りからはゆっくり生活を楽しむ程度でいいのに
何でそこまで力を入れて
大変なことに取り組むのかということですが
「これは私がこの島に生まれ育ったことへの恩返しで
人間に生まれた私の使命だと受け入れています」
と言われていました。
私が今ここに生きているのは
決して自分一人の力ではなく
目に見えることも見えないことも全て
多くの人たち多くのいのちのおかげで
生かされて生きているということです。
今ここに生かされている事実に立って
何のために生かされているのか
何か恩返しのようなことが
どのようにできるのでしょうか。
人間には人それぞれに
個性があり才能があるといわれます。
ただどんな才能があるのかといって
初めからわかることではありません。
人生の道行きの中多くの人に出会うなかで
その才能が見つけられ個性を生かす仕事に恵まれたら
本当にいいですね。
絵を描いたり音楽に勤しんだりと
指導者について専門的に何かに取り組むといって
限られた時間です。
あれもこれもできる私ではないことも確かです。
まさに人間に生まれたご縁であり
さまざまなご縁に遇うことで
私の人生の道行きが彩られます。
私でいったら
このお寺の長男に生まれたというご縁です。
気がついたらお寺の長男で
この私でした。
お念仏のご縁をいただいて
今こうしてお寺の住職をつとめさせていただいています。
お念仏のご縁に遇って
お念仏申す人人のつながりのなかに
共々に生かされてあると聞かせていただき
阿弥陀さまが私のために用意してくださった
南無阿弥陀仏の大きなお慈悲の中に
これからも生きて往こうと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.9.26)
弥陀釈迦二尊一致のお話(2010年アーカイブ)
2022-09-25
昨日は本願寺別府別院の彼岸会法要のご縁に
お参りさせていただきました。
ご法話で弥陀釈迦二尊一致のお話がありました。
浄土真宗の本堂のお内陣そしてお家のお仏壇には
正面真ん中にご本尊の阿弥陀如来のご尊像をご安置して
釈迦如来のご尊像をご安置していません。
仏教を開かれたお釈迦さまを蔑ろにして
浄土真宗は仏教ではないと
極端なことを言う人がいますが
実は阿弥陀さまとお釈迦さまは一致
一つであるといただくのです。
二河白道の譬えを引いて
ご法話お取り次ぎがありました。
ある人が西に向かって旅をしていると
前方に火の河と水の河が立ちふさがったといいます。
行く手を阻まれて後ろを振り返ると
盗賊や毒蛇悪獣が迫って来たというのです。
もう後ろにも戻れない前にも行けない状況で
前を見ると幅4、5寸の白道が開かれていたといいます。
火の河に焼かれるか水の河に溺れるか
危険をおかしてその道を行くかどうか迷った時に
後方の東の方から
「汝、一心にこの道を行け」という声がして
前方の西の方から
「汝、正念にしてこの道を来い」と
喚ぶ声があったというのです。
火の河は怒りの心
水の河は貪りの心という
私たちの煩悩をいいます。
東からの声はお釈迦さまの声で
「汝、この道を行け」と
西の方から聞こえてきた声は阿弥陀さまの声で
「汝、この道を来い。我よく汝を護らん」と
弥陀釈迦二尊の声に支えられて
その旅人は狭い狭い白道を行って
西の岸に至り着いたというお話です。
この西の岸こそが
阿弥陀さまのお浄土であるというのです。
お釈迦さまの「この道を行け」のお勧めと
阿弥陀さまの「こっちに来い」の招喚のお呼び声です。
これこそが南無阿弥陀仏のお心おはたらきと
聞かせていただくのです。
私たちの浄土真宗のご本尊は阿弥陀如来であり
南無阿弥陀仏の仏さまです。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
煩悩具足の迷いの私がそのまま救われる
阿弥陀仏の本願念仏のご法義なのです。
南無阿弥陀仏一つということに
阿弥陀さまのお姿を通してお釈迦さまのお姿を
偲ばせていただきます。
弥陀釈迦二尊にいつも護られて
「汝、正念にしてこの道を来い」と喚んでくださる
お喚び声に「おまかせします」とお念仏申して
お浄土への道を今日も一日ご一緒させていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2010.9.25)
人それぞれの思い出(2009年アーカイブ)
2022-09-24
昨日はお彼岸のお中日で
お墓参りに行かれた方も多いようです。
先週の土曜日からシルバーウィークという連休で
各地の行楽地が大変賑わっていたようです。
行楽地に行くといって
皆さん行く所は大体決まって同じですから
道路が混む中を行楽地に行くまでが大変
行ってからが大変そして帰るのが大変と
それこそ運転するお父さんは
疲れ果ててしまうということでしょうか。
行楽地に行くとか非日常の営みの中に
思い出をつくるといいますが
その思い出はその人人で違って
同じ家族で同じ場所に居ても
それぞれ違った思い出が残るものです。
そのことをいつまでも思い出す人もあれば
すぐ忘れてしまう人もいます。
特別な思い出だけではなくて
日々の生活の中にふっと思い出されることがあります。
今日一日の日暮しの中にも
そうしたことがあるかもしれません。
私たちの生活日々の営みというのは
一人で生きてるわけではありません。
いろんな方々とのつながりの中で生かされてあり
私たちは南無阿弥陀仏の中心をいただいて
お念仏申す生活をさせていただいています。
今日明日といつもの年と少し遅れましたが
お彼岸のお勤めをさせていただきます。
それぞれ生活ぶりが違う私たちお互いが
今日明日と円光寺の本堂阿弥陀さまの御仏前に
座らせていただけることです。
それは単なる思い出ではなく
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
生かされてある私たちお互いであると
気付かせていただくご法縁になってほしいと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2009.9.24)
お念仏は先人の一番の贈りもの
2022-09-23
秋のお彼岸のお中日です。
朝が暗くなりました。
これからどんどん暗くなって寒くなってきます。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言われます。
近年は猛暑の夏の延長で
お彼岸が過ぎても暑い日が続きますが
この前の台風で潮目が変わるというか
日中も大分涼しくなり過ごしやすくなりました。
今日はこの後納骨堂でお彼岸のお勤めをして
大村の円光寺墓地にお参りをさせていただきます。
今朝お仏飯をお供えするのに納骨堂にお参りしたら
お家の納骨壇にいろんなお供え物があがっていました。
おはぎがあがっています。
秋彼岸はおはぎで春彼岸はぼたもちと
同じようなものですが
何かほっとして良いですね。
私たちの日々の生活の中に
先人が色々なものを送ってくださっています。
私たちにとって先人の第一の贈りものは
お念仏です。
本堂に「念仏の声を世界に子や孫に」と
本願寺のスローガンをかけています。
今日も皆さんとご一緒にお勤めをする中に
南無阿弥陀仏ナモアミダブツと
何度も何度もお念仏を申しましたね。
南無阿弥陀仏のお念仏です。
お念仏の大本は阿弥陀如来のご本願のお心おはたらきです。
「わが名を称えておくれ」と
南無阿弥陀仏のお喚び声となって
私たちにお念仏をお勧めです。
お念仏申して
「いつも私が一緒だよ
どんなことがあっても私はあなたを見放したりしないから
大丈夫安心して一緒に生きて往こう」と
南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただき
そのまま阿弥陀仏の大悲の中に生きて往けるのです。
長い長い時間をかけ広い広い空間を超えて
幾多の先人の声となってこの私に届けてくださった
お念仏の贈り物です。
先人の声が私に届いて
私の口から南無阿弥陀仏が出てくださるのです。
そのお念仏の声が子や孫に隣の人に
そのまま届けられるという
南無阿弥陀仏の大きな大きなおはたらきです。
どうぞ今日のお彼岸のお中日の一日も
お念仏を申すなかに
先に往かれた先人を偲びゆっくりゆったり
如来の大悲に生かされて生きてまいりましょう。
お昼の1時半からお寺の本堂で
お中日のお勤めをさせていただきます。
どうぞお参りください。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.9.23)
山法師と台風と後生の一大事
2022-09-22
昨日台風で倒れたヤマボウシの木を
立て直していただきました。
台風という大事、大きな出来事です。
台風はあまり来てほしくありませんが
そうした目に見える大事がないと
いつもの事とそのままにして次の行動に移れないのが
私たちのようです。
ヤマボウシの木ということでいうと
横に枝葉がいっぱい延びて剪定しないといけないと
日頃その都度思っていましたが
この台風で倒れて専門の業者さんに来ていただき
直していただいたことです。
枝葉を殆ど切ってもらって
今日皆さんが見る通りすっきりしました。
桜の木も枝葉がちょうど参道にかかって
気になっていましたが
剪定してもらってよかったです。
素人の私たちは切ることはできますが
いつどの時期に切るとか
どこをどのくらい切るとか
そこまでのことはやはり専門の方にお願いするのが無難で
どうしても先送りになってしまいがちです。
大事といいますと
私たちのご法義は後生の一大事の解決が肝要と言われます。
お念仏のみ教えに生死の帰依処を
たずねていくことの大事です。
私は何のために人間に生まれて来たのか
生きる依りどころは何か
命終えてどこに行くのか聞かせていただきます。
私がどうこう考えるどうこうすることではありません。
南無阿弥陀仏のお心一つ聞かせていただくことですが
私の思いはからいが入ると
これが間違いの元だと仏さまの仰せです。
自己中心の思いはからいで生きて
苦悩し迷う私を見抜かれた上で
阿弥陀仏は「我にまかせよそのまま救う」と
ご本願をおこして私が救われる全ての手だてを
南無阿弥陀仏と成就してくださったのです。
「まかせよ救う」のお喚び声に
「はい」とおまかせするままのお救いです。
私の後生の一大事は
お念仏申してこの人生を生き抜き
命終わってそのまま阿弥陀仏のお浄土に生まれて
さとりの仏さまに成らせていただく
南無阿弥陀仏のおはたらき一つの大事と
聞かせていただきます。
今日明日とお彼岸のお勤めをさせていただきます。
お念仏のご縁です。
南無阿弥陀仏のお救いの法をお聴聞させていただき
お念仏申す身にお育ていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.9.22)