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お念仏を申す生活法話

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南無阿弥陀仏のおはたらき一つで救われる

2024-12-04
 親鸞さまは『歎異抄』第二章に
「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」と
「よきひと」法然聖人から専修念仏の「仰せ」を聞いて
「信ずるほかに別の子細なきなり」と
念仏一つで救われるご法義に遇いました。

 同じく『歎異抄』第一章には
「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて
往生をばとぐるなりと信じて
念仏申さんと思い立つ心のおこるとき
すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたもうなり」と
信心一つで救われるといただきました。

 さてこの「ただ念仏して」と
「念仏申さんと思い立つ心のおこるとき」とは
別々のことをいっているのではなくて
念仏も信心も阿弥陀仏の本願力のおはたらきによる
他力の念仏他力の信心で
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで救われる
ということです。

 南無阿弥陀仏は阿弥陀仏の
「生きとし生けるものすべてを分け隔てなく必ず救う」
本願成就の名号ですから
名号法こそがすべてのものをそのまま救う
おはたらきなのです。

 念仏も信心も
私の側のところで語る宗教が一般的です。
 私が起こす信心私が称える念仏で救われるといったら
私の手柄となって
救いも確かなものと受け取ることができるでしょうが
どこまでも私の思いはからいを離れるものではなく
阿弥陀仏の救いを信ずることを疑うことになります。

 私の思いはからいに振り回され
苦しみ悩み迷うこの私をこそ
必ず救うと本願を起こし南無阿弥陀仏を成就された
阿弥陀さまのお心おはたらきを聞かせていただき
お念仏申して阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
共々に生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024124)

浄土真宗門徒の心意気

2024-12-03
 遠縁のお寺さんの御正忌報恩講に
ご法話お取り次ぎのご縁をいただきました。

 11年ぶりのご縁です。
お参りの方でしょう
駐車場に車がいっぱい止まっていました。

 お勤め前にご院家さんから
コロナ禍で総代さんだけのお勤めが続いたが
ようやく昨年からご門徒皆さんとお勤めする
従来の報恩講に戻りました
とお話を聞きました。

 本堂に入ると満堂のご門徒さんでいっぱいでした。
きれいにお飾りされたお内陣のお荘厳を前にして
皆さんのお顔が輝いて見えました。

 浄土の荘厳です。
ご門徒皆さんが施主となりご懇志をはこんで
お荘厳できた阿弥陀さまの御尊前に一堂に座り
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に安心して
ご一緒にお念仏申させていただきます。

 お念仏の先人が私たちに伝え届けてくださった
親鸞さまの御正忌報恩講のご縁です。

 コロナ禍でこれまで続いていた多くの行事が
中止になったり内容変更を余儀なくされました。

 年末恒例の紅白歌合戦も三年前の東京オリンピックも
無観客での開催になりましたが
それでも続けて行われてきました。
 今年夏のパリ五輪は多くの観客で盛り上がりました。
紅白歌合戦も然りです。

 報恩講のご縁でいえば
親鸞聖人三十三回忌のご縁に第三代覚如上人の時から
毎年お勤めさせていただく
私たち浄土真宗門徒にとって
最も大事な親鸞さまのご法事です。

 第八代蓮如上人は「信をとれ信をとれ」と
報恩講にこそ仏法聴聞のご縁に遇って
信心獲得を勧めお念仏申す身にお育ていただくことが
祖師聖人の報恩謝德のつとめだといわれました。

 今年が763回忌のご法事になります。
長い歴史のあゆみのなかで
これまでにも何度か中断の危機があったと思いますが
種々工夫して報恩講を勤められ
今ここに届けられたご縁といただきます。

 「よかったですね」とお話しました。
阿弥陀さまの「われにまかせよ必ず救う」
南無阿弥陀仏のおはたらきに
「おまかせします阿弥陀さま」と
ほれぼれとよりたのみよりかかって
報恩謝德のお念仏を申させていただきます。

 浄土真宗門徒の心意気を力強く有難く思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.12.3)

かりんとう饅頭

2024-12-02
 ご門徒のお家にお参りして
お勤めの後にお茶のお接待があります。
 あるお家で出されるお茶うけについて
あるお坊さんのお話です。

 初めてお参りしたお家で出されたのが
<かりんとう饅頭>でした。
 初めていただくお菓子で珍しくて
「おいしいです」「好きです」といただくと
それから決まって<かりんとう饅頭>が
お茶うけに出てきたそうです。
 用意できていないときは「すみません」と
謝られたといいます。
 自分のことを気にかけ思ってくださる
有難いことだなというお話です。

 私が学校を卒業して自坊に帰り
ご門徒のお家の月参りを始めた頃のお話です。
 一人暮らしの70代の小綺麗なおばあちゃんのお家で
決まってコーヒーが出ました。
 素敵なカップにコーヒーをいれてくださり
最後に角砂糖を混ぜて出してくださるのですが
1個2個3個…と
コーヒーがあふれ出すのではないかというほど
たくさん入れてくださり「さあどうぞ」と言われます。

 すごく甘いコーヒーでしたが
ご門徒さんの精いっぱいのおもてなしです。
 戦前戦中戦後の物の無い時代を生きてきて
甘いものは本当に貴重でぜいたく品だったそうです。
 そのぜいたく品をお坊さんに
布施する思いなのでしょうね
その心遣いが有難くて甘いあったかい思い出です。

 阿弥陀さまの御仏前に共々に誘われて
ご一緒にお念仏申させていただく
あたたかい仏さまのご縁に遇わせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.12.2)

声に力あり

2024-12-01
 ご門徒のお家の報恩講参りで
久しぶりに懐かしいご門徒さんにお会いしました。

 92歳のおばあちゃんです。
お正信偈のお勤めですが
大きな声でご一緒にお勤めされます。

 お勤めが済んで
「大きな声が出ますね!」と言いますと
「もう何も出来んようになってつまりません」
と言われます。
 隣には車いすが置かれてあり
家の中をこの車椅子で動いているのでしょう。

 リーダー格の元気のよいご門徒さんで
お寺にもよくお参りされて
お寺のご加勢も率先してしてくださいました。

 「お寺にお参りしたいけれど
ご無沙汰していてすみません」と謝られます。
 この状態ではお寺参りも難しいと思いつつ
「またお参りしてくださいね」と言って
お別れしました。

 大きな声は若い頃とそんなに変わっていません。
「大きな声が出てお元気ですね」と言うと
「はい声も大きいし食べるのもよく食べるんですよ」と
「それはいいじゃないですか。
大丈夫!大丈夫ですよ」と言ったことです。

 阿弥陀さまは声の仏さまといいます。
南無阿弥陀仏のお念仏の声になってくださって
いつでもどこでもどんな人にも分け隔てなく
「われにまかせよ必ず救う」とおはたらきです。

 お念仏の声の力おはたらきです。
大きな声でも小さな声でもたとえ声にならなくても
阿弥陀さまのお慈悲のおはたらきは
この私に届いてくださっているのです。

 もののいのちをいただき
愚痴や怒りのことばが出る
この同じ口から
お念仏が出てくださいます。

 「大丈夫大丈夫!私がいつも一緒だから
われにまかせてお浄土参りさせていただきましょう」と
阿弥陀さまが喚んでくださって
私の口から「おまかせします阿弥陀さま
ありがとうございます」と
御礼のお念仏が出てくださるのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.12.1)

スマホめし

2024-11-30
 一人で食事をする時スマホを見て楽しむ
<スマホめし>の話題です。

 初めて聞く言葉です。
一人暮らしの若者を中心に
スマホめしを経験した人は10~20代で77.5%
30~40代も半数いるといいます。

 ながらスマホの話題が事欠かないほど
日常生活の中でスマホの存在は若者ばかりでなく
今や全世界の人々の主要アイテムになっています。

 新聞を読まないテレビを観ない人が増えるなかで
孤独感を楽しむ工夫として
誰かの存在を感じながら食事をしたいということで
スマホやテレビラジオで人の声を感じながら
よりおいしく食事をするというのです。

 ただスマホに夢中になって
何を食べているのか満足度が少なく
食べ過ぎになってしまうとの指摘もあり
食べ物に向き合うことなく
いのちへの感謝が薄れるのではとも言われます。

 私の口からふと出る出てくださる
<ながら念仏>です。
 わが身について離れず
いつでもどこでもご一緒くださる
お念仏のおはたらきです。

 食事をしながらふと出てくださるお念仏は
「まかせよ救う、いつも私が一緒だよ」と
阿弥陀さまのお喚び声のおはたらきで
食事をいただくいのちもこの私のいのちも
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
共々につながって生かされて生きていることを
聞かせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(20241130)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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