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お念仏を申す生活法話

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お念仏申す身にさせていただく(2010年アーカイブ)

2022-07-31
 今日は31日で晦日(みそか)といいます。
31日は一年に7回やってきます。

 それで今日の御文章さま「大聖世尊の章」は
一年に七回だけ拝読させていただくことです。

 どの御文章さまも浄土真宗のみ教え
阿弥陀さまのお救いの法の肝要を
蓮如上人がわかりやすくお手紙にしてくださっていますが
今日拝読の章でいいますと
南無阿弥陀仏と声に出してお念仏を申すのは
ただナマンダブナマンダブと言っておけばいい
ということではなくて
南無阿弥陀仏の六字の名号にこめられた
阿弥陀さまのお救いのお心おいわれを
聞かせていただくことが肝心要ですといわれるのです。

 「仏法は聴聞にきわまる」といわれます。
仏法は聞くに始まり聞くに終わるというのです。
 この聞くというのは
学校の授業で先生の言う教科書の内容を聞くという
ことではありません。

 聞こえてくるという世界なのです。
阿弥陀さまのお心おはたらきが聞こえてくるのです。

 聞こえてくるとどうなるのかというと
この私が南無阿弥陀仏とお念仏を申す身に
させていただけるということです。
 お念仏を申さねばいけないというのではなく
お念仏が私の口から出てくださるというのです。

 南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
お念仏申さずにはおれない私にお育ていただくのです。

 「思い内にあらば色外にあらわるなり」と
阿弥陀さまのお心がこの身に届いて
お念仏申す身にすがたが見えてくるのです。

 私が立派になったのではなくて
阿弥陀さまのお徳おはたらき一つで
お念仏がわが身に満ち満ちてくださる
私にさせていただくのです。

 こうして皆さんがお朝事参りをされるお姿が
そのままお念仏のご法義繁盛のお手伝いを
してくださってあるお姿です。

 こうしなければならないと私に力が入るのではなく
南無阿弥陀仏のおはたらきで
お念仏相続させていただくのです。

 お念仏申して今日一日も
共々に生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2010.7.31)


オリンピック選手も生身の人間です(2012年アーカイブ)

2022-07-30
 ロンドンオリンピックが始まって
三日目の競技です。

 テレビのいろんなチャンネルで
たくさんの競技を実況や録画で観させていただきます。
 それこそ世界一を競う
私たち人類の代表選手のたたかいですが
競技をするのは私たちと同じ人間の選手です。

 選手人それぞれの人生があり
オリンピックにかける人生があるということです。
 4年に一度のオリンピックです。
4年に一度その時に偶々調子の良い選手もいれば
日頃は良くてもその年その日に調子が悪い選手もいて
これも人間がすることなのです。

 機械がするゲームではありません。
いくら実力があっても
そこに心の要素精神的なものも加わって
これが人間なのです。

 人間だからこそ
泣く者があったり笑う者があったり
喜ぶ者があったり悲しむ者があったりということです。

 私たち一人一人の日暮しもそうです。
波瀾万丈泣き笑いの人生といいますが
私たちの人生は誰一人自分の思い通りの人生を
生きているのではありません。

 思い通りにならなくって
悔むことも泣くことも怒ることもあります。
 そんな私に
そっと声をかけてくれる人がいます。

 私が私がと何か自分一人で頑張っている私ですが
私のすぐ傍で私を支えてくれてる人がいるということです。
 私一人じゃなかった
私のことをいつも思うてくれる人がいて
私たちは今日一日も生き抜くことができるのです。

 私たちのご本尊の阿弥陀如来の仏さまです。
「いつでもどこでも私が一緒だよ
どんなことがあっても
決してあなたを見捨てることがないから」と
この目には見えないけれども
力強い南無阿弥陀仏のお喚び声となって
いつも私のところに来てくださってあると
聞かせていただきます。

 今日も暑い一日になりますが
南無阿弥陀仏とお念仏を申して
共々に生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2012.7.30)


政治と宗教

2022-07-29
 新聞テレビで「政治と宗教」の問題が
大きな話題になっています。

 宗教といって旧統一教会のことです。
安倍元首相の衝撃的な銃撃暗殺事件で
山上容疑者が供述した事件の背景が
「政治と宗教」の問題に波及しているのです。

 政治家と宗教団体の関係は
持ちつ持たれつの関係だと言われます。
 政治家にとって選挙で当選することが
最大第一の命題ですが
宗教団体の組織票は喉から手が出るほど
欲しいものだといいます。

 その宗教の信者でもなく
これといった宗教的な信仰心もない政治家が
選挙の時ばかりは熱烈な信者の振る舞いで
その宗教団体を持ち上げほめたたえます。

 一方宗教団体はというと
有力政治家のお墨付きをもらったようなことで
ビデオやネットで宗教勧誘に利用するのです。

 そうした宗教団体と政治家の関係構図は
旧統一教会ばかりでなくあらゆる宗教団体と
自民党ばかりでなく党派を超えて
深いつながりがあります。

 ただ政治がある特定宗教に肩入れすることは
政教分離・信教の自由という憲法に違反することになり
大方の政治家は十分わきまえているところですが
旧統一教会はこれまでに霊感商法や合同結婚式で
大きな社会問題になったこともあり
マスコミ報道が過熱するということです。

 私たちの浄土真宗も宗教ですが
旧仏教という既成仏教教団は押しなべて
特定の政党政治家を応援支援することはなく
本願寺教団では政治家個人の申請で
推薦状を出していることです。
 いろんな政党の政治家ですが
人数は極めて少なく
本願寺教団が集票について
政治家に当て頼りにされていな表れだと思います。

 日本全国に一千万人という浄土真宗門徒ですが
支持政党はそれぞれバラバラで無党派層も多く
政治と宗教の関係でいうといいバランスだと思います。

 親鸞聖人の浄土真宗思想が生の声で語られた語録と
近代の文化人に評価される『歎異抄』は
右翼左翼の両極端の思想を超えて
知識人に愛読され著述されたものが多くあり
阿弥陀仏の本願念仏の教えが
どんな人も分け隔てなく等しく救うことに
依るものだといえましょう。

 ただ「自見の覚悟をもって
他力の宗旨を乱ることなかれ」
(自己中心の一人よがりの理解で
 他力のみ教えをみだしてはなりません)
と『歎異抄』前序にあるように
常に本願聴聞を心にかけてお念仏申すことが
肝要です。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.7.29)


お念仏のご法義の有難さ尊さです

2022-07-28
 お葬式が続きます。
6月1日から40日余りありませんでしたが
7月14日から25日まで4件のお葬式がありました。

 その間の23日に坊守の母で
戸畑の教学寺の前坊守が往生されました。

 ご門徒皆さんのお葬式を勤めるご縁と
家族有縁のお葬式を勤めていただくことの違いです。

 遠方に行き来したこともありますが
お葬式の後の疲れが続きます。
 いのちの重さ尊さをわが身のことと
思う感じることです。 

 お葬式がありますと
その後初七日から始まる中陰という
49日間の七日七日のお勤めが始まります。

 大切なお方とお別れする悲しみのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただきます。

 人の命は終えたけれども
阿弥陀さまのお浄土に往生され仏に成って
南無阿弥陀仏とお念仏を申すなかに
これからも共々に生きてくださると聞かせていただく
浄土真宗のみ教えの有難さです。

 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
先に往かれたお方を仏さまと仰いで
生きて往けるお念仏の尊さです。

 これからの日々の日暮らしの折々に
大切な人が生活の中からいなくなったことを
実感することが多くあると思いますが
ご一緒にお念仏申しましょう。

 今朝の御和讃は『現世利益和讃』で
六首とも「南無阿弥陀仏をとなふれば」で
始まりました。

 御本尊の阿弥陀如来さまそして
先に往かれたご先祖有縁の仏さまの
南無阿弥陀仏のお喚び声です。

 お念仏を称えておくれとご催促です。
お念仏を申す身にならせていただき
「私がいるよ大丈夫だよ」と
お念仏の声に励まされ支えられて
往生浄土の道行きをご一緒させていただけるのです。

 お念仏のご法義って本当に有難いなと
いよいよ益々深く味わわせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.7.28)


この命終えて帰るところがある安心

2022-07-27
 昨日は戸畑の教学寺の前坊守の葬儀で
円光寺のご門徒皆さんからも
御仏前にお供えをいただきまして
誠にありがとうございました。

 恙なくお葬儀のお勤めができて
夕べには白骨となり教学寺の御尊前にご安置して
還骨のお勤めをさせていただきました。

 今はコロナ禍ということもあり
お寺関係ご門徒有縁の方々のお参りは少なかったものの
いろんな思い出をもった親族縁者がお参りでした。

 いい年輩の方が多く
「久しぶりね。元気にしていた」などと言葉を交わし
悲しいご縁のなかにも賑やかな雰囲気がありましたが
葬儀が終わると皆さん
潮が引くように帰って行かれました。
 私たち家族5人もそれぞれの家に帰りました。

 日頃中々会えない者同士が葬儀のご縁で再会し
そしてそれぞれ帰って行きます。
 久しぶりに会えて賑やかに談笑し
また別れ行く寂しさに何かもの悲しい思いが募ります。

 今日も皆さんとお朝事のご縁で会うことができました。
日々の生活ぶりはそれぞれ違いますが
南無阿弥陀仏の大きないのちのご縁つながりのなかに
共々に生かされて生きている有難さを思います。

 帰るところがある有難さです。
それはこの命終わってもそうです。
 今生に仏さまのご縁をいただき
お念仏申す身にお育ていただいて
同じお浄土に帰って行けるのです。

 人の命終えてこの目に懐かしい姿を見ることも
懐かしい声を聞くこともかないませんが
私のこの口から出てくださるお念仏の声となって
これからもお念仏の中に共に生きてくださると
聞かせていただきます。

 「私のことを思い出すときはお念仏申しておくれ」と
いつでもどこでもご一緒してくださる
仏さまとなってくださったと
またお念仏申させていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.7.27)


円光寺
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大分県大分市三佐3丁目15番18号
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