仏教ブームですか?(2009アーカイブ)
2022-10-01
今仏教仏像ブームということで
特に若い女性に人気らしいです。
今働いている女性が多いことで
仕事でたまるストレスの一つの発散口が
仏教ということらしいです。
仏教のお話を聞いたり
仏像を鑑賞したり写経をしたりと
そうした仏教ブームが
東京を中心に都会で流行っているといいます。
この前まで大宰府の九州国立博物館で
阿修羅展が開かれていましたが
連日大変な入場者数だったそうです。
何か追い立てられるような生活感の中で
現代人は心の安らぎ
癒しを仏教に求めているのでしょうか。
でも仏教ブームといって遠くに出かけていかなくても
家にはお仏壇があり
近くのお寺には大きな仏像がご安置されています。
お家やお寺の仏さまの前にまず座ることから
始めたらどうですかと言いたいですね。
今日はお寺の敬老会で
70歳以上のご門徒有縁の方にご案内しています。
以前はお寺参りは高齢者のお役のようでしたが
今はお寺のご縁にお参りするお年寄りが
ずっと少なくなりました。
元気で長生きになって他の楽しみが
いっぱい増えてきたことで
お寺参りどころじゃないとでもいうのでしょうか。
お寺に参ってもじっと座ってわからない話を聞かされて
何のご利益もないと公然と言う人がいますが
ご利益ってお参りして初めてわかることで
仏法聴聞してお念仏申す身にさせていただいて
今まで見えなかったものが見えてくる
聞こえなかったことが聞こえてくるという
仏さまの世界が広がるのです。
その時だけのブームということではありません。
私たちの先人が日々の生活の中で
お念仏申してきたことです。
お念仏の先人の後ろ姿を見習って
今ここに私たちはお念仏のご縁をいただけたのです。
そして今度は皆さんのお寺参りの姿を見習って
お念仏の声が子や孫の世代につながっていくのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2009.10.1)
仏さまにお供えします
2022-09-30
今朝6時の鐘を撞くのに玄関を出て
冷っとしました。
朝の気温が下がって
急に涼しくなりました。
秋です。
日中はまだまだ暑いということですが
鐘楼前の彼岸花が今満開で
赤い花が鮮やかです。
本堂の余間にお米があがっています。
毎年この時期のことですが
昨日野津原のお寺さんが
「仏さまにお供えしてください」と持って来られました。
お寺さんのお家の田圃で収穫されたお米です。
ちょっと前までどこの地域でも
田圃がたくさんあってお家でお米を作るところが多く
田植えや稲刈りの時には皆さん総出で
お手伝いしたものです。
今は私たちの三佐にも田圃は無くなり
住宅地や店舗や小さな工場になって
すっかり風景が変わりました。
お寺の上がりもの仏さまのお供えも
お米や野菜といったものから
お金になりました。
仏さまにお供えするお仏飯のお米も
今は市場で買うことが当たり前になりました。
時代社会の変遷とともに
私たちの生活ぶりが変わったのです。
ただ仏さまにお供えして上げた
お仏飯のお下がりをいただくことに変わりありません。
お仏飯でお育ていただくということで
お仏飯はこの身を育ててくださる糧なのです。
こうして秋の装いになりました。
暑い夏を乗り越えて秋になって
しばらくすると冬になって寒くなるという
四季日々の移ろいのなかで
私たちの生活の営みも変わってまいります。
今日で9月も終わりです。
明日から10月ということで
また気持ちも新たにということですが
お念仏を申して今日の一日も
始めさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.9.30)
日中国交正常化50周年
2022-09-29
今日は日中国交正常化50周年の記念の日ですが
日中間の現状でいろんな懸案事項があって
盛り上がっていません。
私が大学2年の二十歳の頃で
当時田中角栄首相が飛行機で北京空港に降り立って
周恩来首相と日中共同宣言に署名し
がっちりと握手を交わした光景を思い起こします。
あれから50年中国は目覚ましい発展を遂げて
今やアメリカに並ぶ勢いの
世界有数の経済大国軍事大国となり
中国の存在抜きに世界情勢を語ることはできません。
日本から見た中国の印象です
皆さんは中国について
どんなイメージを持っていますか。
50歳代以上の私たちの世代は
あまりいい印象を持っていないといわれます。
日本にとって中国は
世界で一番近くて一番遠い国とも表現されます。
50年前の中国は国土は広く人口も多い国でしたが
経済的には貧しく人々の生活は困窮していました。
それ以前に中国共産党の毛沢東主席が
主導した文化大革命が起こりました。
日本の江戸時代のような鎖国政策で
外国からのものは一切受け入れず
中国国内では中国共産党の原理原則に則って
これまでの歴史文化を大胆に見直し
文化人や政治家を次々と粛清していった
暗黒の時代です。
そうした文化大革命の時代を経て
いよいよ世界に門戸を開いて行こうとする時代で
同年2月にはアメリカのニクソン大統領が電撃的に訪中し
米中関係改善の第一歩をしるしていました。
外国からの資本や新しい技術文化が入ってくる過程で
中国古来の文化や国のあり方政治信条の違いから
様々な軋轢が生まれ
天安門事件がおこりました。
若い世代は生まれた時から
中国は経済文化の先進国でしたが
古い世代は
ありのままの姿を見せない不安もあって
中国は信用できないという偏見で
スーパーでも中国製品は偽物が横行すると
敬遠される始末です。
仏教の歴史でいうと
インドから中国そして日本へと
仏教が伝えられてきました。
仏教はお釈迦さまのインドの国で始まりましたが
中国という国で熟成したのです。
お念仏のみ教えについては
七高僧の第五祖中国の善導大師の功績が
非常に大きいのです。
善導大師の教えを法然聖人がいただき
親鸞聖人に伝わって
浄土真宗が私たちに開かれたのです。
今の中国に仏教があるか寺院があるか
お坊さんがいるかというと
皆無に等しい状況です。
時代は変わるといいますが
変わり過ぎるぐらいに変わってきました。
そして日本に入ってきた仏教も
時代の変遷とともに変わってきています。
仏教の教えそのもの基本根本は変わりませんが
その時代に生きる人人が変わって行くのです。
真実変わらないお念仏のみ教えも
今の時代今を生きる私たち
人によってその基本根本がぐらついているのが
今の日本の状況ではないかと思います。
あれから50年中国も日本も
社会環境生活のあり方が随分変わりました。
その時代時代を生きる人人が変わっているのです。
私たちも個々にそれぞれ歳を重ねるなかに
ものの見方が随分変わってきました。
仏教本来の基本
私たちでいうとお念仏のみ教えを訪ねて行くことが
いよいよ大事になってきたと思います
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.9.29)
安倍元首相の国葬
2022-09-28
安倍元首相の国葬が終わりました。
7月8日の衝撃的な暗殺事件から81日
国論を二分分断する事態になるなかでのことです。
最愛の夫を突然亡くされた昭恵夫人をはじめ
ご遺族有縁の方々の心情を察します。
一般献花台に花束をもって弔問しようと
長い列に並ぶ多くの人がいる一方で
「国葬反対」と大きく叫びデモをする方もいました。
故人に「安らかにお休みください」と弔意を表すなかで
安倍さんはこの状況をどのように見ているのでしょうか。
国葬という葬儀のあり方への疑問です。
国をあげての葬儀ということで
経費一切は国の予算で賄うものの
「国民に弔意は強制しません」とわざわざ言ったり
公共の機関の弔意もそれぞれにまかせるといった具合です。
国葬の内容は無宗教で宗教色は一切ありません。
遺影と遺骨を中心に
故人を偲ぶ弔辞と参列者の献花が主です。
葬儀委員長の岸田首相の弔辞は
国を代表して元首相の功績を讃えるものでした。
友人代表で官房長官として安倍首相と二人三脚で
安倍政権を推進してきた菅前首相の弔辞は
まさに逝く友を追って悼む内容でした。
今回の国葬には私自身違和感があり
無理があると思います。
岸田さんが国葬にするかどうか迷っていた時に
自民党の有力者から「理屈じゃない」と言われて
舵を切ったという話があるそうです。
本来葬儀は葬送といって亡き人を送ることです。
人と人との出会いがあり別れがある
この人間社会の営みの中で
自分にとって都合の良いことも悪いこともあったけれども
長年付き合いがあってお世話になった方に
最期は感謝し御礼をして送るという
極めて個人的なことです。
そうした自然の心情に添うものでいえば
葬儀は理屈云々ではありません。
ただ国葬となると意味は違います。
国のあり方自体が法治国家という理屈の上にあり
今回の国葬についての混乱は
その理屈を無視したものに映ったのではないでしょうか。
菅さんの弔辞はそういう意味では
国葬に相応しくない
安倍さんとの個人的なエピソードを語られ
会場から葬儀に相応しくない拍手が沸いたのでしょう。
まさに人人の心情の吐露するところで
昭恵夫人も涙を流し自然でよかったです。
人と人とが織りなす社会
私の一回きりの人生で
多くの人と出会いと別れを繰り返すなかに
家族や友人といったご縁の深い大切な特別な方がいます。
今は家族葬が一般的になって
最期のお別れをすることが難しくなりましたが
葬儀はその人と共に生きた人生を振り返るご縁になります。
今は無宗教の葬儀が増えているといいます。
家族葬に重なる事情ですが
家族だけで火葬して送るという葬儀です。
仏教の葬儀には導師のお役目のお坊さんがいます。
お釈迦さまが開かれた仏教を伝え仏の世界に導く師です。
浄土真宗のお寺と門徒の関係でいえば
お手次ぎ寺の住職です。
お念仏のみ教えをお手次ぎして
南無阿弥陀仏のおはたらきで人の命終えるそのままに
阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏に成らせていただくと
共々に聞かせていただきます。
「ゆっくりお休みください」と言われても
名のある方はゆっくり休めそうにもありません。
大河ドラマは今鎌倉幕府の物語ですが
付いては離れ殺しては殺されるといった愛憎劇の展開で
あの人は善いとか悪いとか
自分勝手に面白く観ている私がいます。
善悪愛憎を超えて
阿弥陀仏はどんな人も等しく救われて
俱に一処に会えるお浄土を建立してくださいました。
南無阿弥陀仏とお念仏申してこの人生を生き抜き
命終えてからも
南無阿弥陀仏のおはたらきで
後に遺った有縁の方のお念仏の声となって
ご一緒させていただける
ご法義に遇えたことを有難く思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.9.28)
墓じまいのご相談
2022-09-27
最近墓じまいの相談を受けることが多くなりました。
個々に相談するのですが
お家お家の事情が全くといっていいほど違います。
お墓の継承者がいるかいないかで
相談の内容が大きく異なります。
継承者がいないお墓とは
当該のお墓に今後納骨される方がいないお墓です。
一方継承者はいるけれども
遠方に持ち家があって住いされていて
将来もこちらに帰ってくることがない方です。
そしてこれからのお墓の維持管理を考えて
墓地のお墓をしまって納骨堂を求める方が多くなりました。
墓じまいを含めた終活ということが
マスコミで広く報道されている影響が多いのですが
円光寺で何より相談が多くなったのは
円光寺墓地に合同墓を建てたことに理由があります。
お家のお墓にはご先祖のお遺骨が
たくさんご安置されているということで
墓じまいをした後にそれらのお遺骨をどうするのか
お遺骨の行く先の問題があります。
今はいろんな霊園や公共の墓地でも
そうした対応をしているのですが
円光寺でいったら
今までお寺にご縁があったご門徒皆さんですから
お寺の合同墓にご一緒しましょうという提案です。
円光寺通信やお寺からのご案内を
よく読んでくださっていることでのご相談です。
日頃は中々お寺参りのご縁がない方も多いのですが
お寺と門徒の関係でご縁がつながっていることの
有難さを思います。
昨日も墓じまいのご相談に
ご門徒さんがお寺にお参りされました。
本堂の阿弥陀さまの御仏前でお話をします。
最初に「阿弥陀さまにお礼をしましょう」と
ご一緒に合掌お念仏申させていただきます。
仏事のご相談も何もかも
南無阿弥陀仏のおはたらきにつながる
お念仏のご縁と尊くいただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.9.27)