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お念仏を申す生活法話

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コロナ感染の厄介さ

2022-08-10
 
 夏の全国高校野球甲子園大会が開催中です。
今大会は観客も入って声援はできないものの
いつものすがたに戻りつつありますが
大会直前にコロナの集団感染がおこったチームが続出し
大会本部の配慮で何とか試合ができるということです。

 昨日の第四日目第四試合の
岐阜県代表の県立岐阜商業は
18人の登録メンバーを10人入れ替えて
試合に臨みました。

 エースと二番手のピッチャーを欠くなかで
結果は完敗でしたが
最後までベストを尽くした球児たちに
スタンドから大きな拍手が送られていました。

 大分県のコロナ感染者は昨日も二千人を超えて
これまでで二番目に多い事態で
いろんなところに影響がでています。

 お盆参りは今日でちょうど中日ですが
今年は家族がコロナに感染したり濃厚接触者になったりで
お盆参りをお休みするお家がすごく多いのです。
 
 コロナが本当に身近な存在になって
この身がいつ感染してもおかしくない状況です。

 お盆参りに関しては私と新院が感染してしまったら
お盆参り自体ができなくなるということで
去年一昨年以上に気をつけてはいますが
感染する時は感染することで一日一日覚悟して
今朝も一番に体温を測って大丈夫ということで
とにかく最終日の15日までは気をおけないなかで
お盆参りを続けます。

 コロナ感染で何が厄介かというと
感染しても症状が出なく軽症の人が殆どというなかに
感染すると濃厚接触者を含めて
一週間とか10日の行動制限があることです。

 社会生活が正常に動いて行かない
ままならないなかにあって
お念仏のご法義です。

 阿弥陀さまの本願成就の
南無阿弥陀仏のお救いのおはたらきは
コロナに感染してもしなくても
どんなに思い通りにならない状況にあろうとも
「いつもあなたと一緒だよ」とお喚び声になって
お念仏を申すなかに共々に生きて往ける有難さです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.8.10)


お念仏の先人が今も教えてくださること

2022-08-09
 昨日のお話の続編です。
昨日は板屋町のお参りで
あるお家でそうめんが
きれいにお供えされていました。

 岸田シズヱさんの娘さんのお家です。
有難いなあと嬉しく思いました。

 お母さんがお盆にしていた通りに
しましたというお話です。
 旦那さんに先立たれて
三度目のお盆です。

 お葬儀のご縁でお寺のご門徒になられて
お仏壇を申されてと
まだ新米のご門徒さんですが
お念仏のお母さんのお姿を見て
お育ていただいていることを頼もしく思います。

 岸田シズヱさんのお人柄を思うとき
こうしなさいああしなさいと理屈で言うのではなく
お念仏申すそのお姿がそのまま後に続く人を
教え導いていたことです。

 このお朝事のご縁もそうです。
前住職がお朝事参りをご門徒皆さんに勧め始めて
体調が悪くなるまで約40年間毎朝ずっと
いつもの席にちょこんと座られて
ご一緒くださったそのお姿が今でも見えます。
懐かしい声が聞こえます。

 お念仏の先人の尊いお姿にその声に導かれて
周りの方々がそのお心を受け伝えてくださる有難さです。

 お念仏のご法義は理屈ではありません。
私たちのこの世間は特に今は何かと理屈が先行します。
 理屈で言われて理屈で応酬する
私たち人間の愚かな姿です。

 人間の理屈を超えて
お念仏のみ教えが代々伝えられ
今この私のところに届けられたと
そのままいただくとき
私にできる精いっぱいのことをさせていただけるのが
お念仏のご縁をいただいたことと
お盆のご縁に有難く頼もしく嬉しく思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.8.9)


お仏壇にそうめんとほうずきのお供えです

2022-08-08
 お盆参りが今日で4日目です。
ご門徒皆さんのお家にお盆参りに行きますと
きれいにお荘厳されたお仏壇が一番に目に入ります。

 あるお家のお仏壇です。
そうめんとほうずきがお供えされていました。
 ああこの暑い時期にお盆が来たなあと
何か懐かしく嬉しく思いました。

 岸田シズヱさんのお家です。
ご往生されて三度目のお盆を迎えます。

 生前はお寺のご縁にいつもお参りされて
お寺の法要行事がある度に
「岸田さん岸田さん」と声をかけて
お寺のご加勢をお願いしては
「はい」っと気持ちよくお手伝いしてくださいました。

 お寺のお盆のご縁には母と一緒に
お内陣のお飾りをしてくださって
おそうめんをお供えしていたことを思い出します。

 それでお家のお仏壇にも
お盆は決まっておそうめんをあげていたのでしょう。
 そのお姿を見ていてお家の方が
そうめんとほうずきをあげたのでしょう。

 お家お家で代々受け継がれてきたことです。
有り難いなあと思います。
 暑い中にさわやかなお盆のご縁に遇って
お盆のお参りをさせていただき
ご一緒にお念仏申します。

 阿弥陀仏さまのお仏壇のお荘厳です。
お念仏の人が往生させていただくお浄土の荘厳です。

 お浄土の三種の荘厳といって
お経さまに仏荘厳、国土荘厳、菩薩荘厳と説かれています。

 お仏壇は阿弥陀仏さまのお浄土を荘厳するもので
大事なことは菩薩荘厳です。

 菩薩は仏のさとりを求めて仏道修行される方ですが
往生浄土の仏道を往く念仏者のことです。
 きれいにお荘厳されたお仏壇であっても
その御仏前に座る私がいて浄土の荘厳なのです。

 この私がお念仏のご縁に遇うことが肝心要で
御仏前にお坊さんと一緒に座らさせていただく
お盆のお勤めです。

 手が合わさり
南無阿弥陀仏とお念仏を申させていただきます。
 お浄土の荘厳です。

 猛暑の中で汗びっしょりの様相ですが
お浄土の荘厳に遇わせていただき
爽やかに清々しいお盆参りのご縁です。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.8.8)


南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかにお念仏の生活です(2010年アーカイブ)

2022-08-07
 東京で111歳の方が
実は32年前に亡くなっていたことが
わかったことに端を発して
高齢者の行方不明者の身元確認が
日本各地で行われています。

 30年40年も前に家を出て
消息がわからないというのです。
 生きていれば111歳だとかいう方が
戸籍上は生きているということです。

 ちょっと考えられない話ですが
今の社会世相を象徴しているようで
とてももの悲しい寂しい事件です。

 あの人はもう何年も見ないけれども
一体どこにいるのかなあなどということが
皆さんの身近でもありませんか。

 そう言われてもすぐには思い出せない
私には関係ない社会に
なってしまっているのかもしれません。

 一方で身元不明の遺体が
一年に何百人もあるといいます。

 行方不明になっている人がいて
身元不明の亡くなった人がいるということで
それなりに資料が合っているわけですが
何かやりきれない悲しさを覚えます。

 どんな人も
両親がいてこの人間界に生を享け
周りの方々にお世話になり育てられ
一所懸命に生きてきて
最後は命を終えていくこの人生の道のりですが
誰からも看取られることなく
命を終えていくことを思うと悲しいものがあります。

 行方不明のままで亡くなって
荼毘に付された後もお遺骨は
どこに行くのでしょうか。

 今はお葬式や納骨のことも
子や孫に負担や迷惑をかけたくないと
自分のところで何もかも考え済ませる例が多くなりましたが
それは親の本心かなと思ったりします。

 私たちはどんな人も縁あってこの世に生まれ
人と人とのいのちのご縁つながりのなかに
共々に生かされて生きているのです。

 私が善いとか悪いとか肯定否定できるものではなく
いのちのつながりのなかにあるからこそ
生きてこれたしこれからも生きていけるのです。

 このいのちのつながりの根っこを
南無阿弥陀仏のお念仏と聞かせていただくのが
浄土真宗の仏教のみ教えです。

 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
私たちは共々に生かされて生きているのです。

 人と人とのつながりが希薄になり
切れてしまっているようにさえ思う今の社会にあって
南無阿弥陀仏につながってお互いに支え支えられ
共に助け合って生きてきた
お念仏の先人の生活に学ばせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2010.8.7)


広島原爆の日(2009年アーカイブ)

2022-08-06
 今日8月6日は
広島に原爆が落とされた原爆記念日です。

 今年で64回目ですが
今回の記念日はこれまでとはちょっと様子が違うと
報道されています。

 アメリカでオバマ新大統領が誕生し
今年4月にチェコのプラハで演説を行ったことが
波紋をよんでいるといわれます。

 核保有国で唯一核兵器を使った国の道義的責任として
核兵器の廃絶を目指していきたいと演説したことでした。
アメリカの大統領で初めて演説したことでした。
 これは極めて画期的な演説で
アメリカの大統領がこれまで
核廃絶に言明することはありませんでした。

 今地球上には2万発以上の核兵器があるといわれます。
その殆どをアメリカとロシアが保有し
フランス、イギリス、中国、インド、パキスタンも保有して
イスラエルそしてイランや北朝鮮にも
核兵器があるのではないかといわれます。

 ボタン一つで地球を破滅してしまう威力をもった核兵器は
私たち人類にとって大きな脅威です。
 地球を何百回も何千回も破壊し尽くしてしまう
恐ろしいものを私たちがもっているということです。

 誰が考えても本当に怖いことですが
だったら廃棄すればということにはなりません。

 逆に今の世界情勢から国と国との力関係のなかで
核兵器があるから平和が維持されているという
核抑止力の論理がまかり通っています。

 『大無量寿経』には
「仏の教化のおよぶところ、国も郡も町も村も
その教えのめぐみを被らぬところはない。
そのため、世の中はなごやかに治まり
日月は清らかに照り、風雨はほどよく時を得
もろもろの災さらにおこらず
国は富み、民は安らかに
軍隊や兵器もまったく用がなくなる。
また、人びとは徳をあがめ、いつくしみをおこし
つとめて礼儀を重んじ、たがいに譲りあうのである」と
仏さまが歩み行かれるところには
軍隊や兵器は全く必要がなくなるとあります。

 仏さまの大きな願いを聞かせていただきます。
一方で私たちが生きる国々には
核兵器をはじめ多種多様な武器や軍隊があります。

 この現実に向き合うとき
私たちの世界には仏さまはいらっしゃらないのかと
思ったりもします。

 こうして仏さまのご縁をいただく私たちです。
仏さまのみ教えを聞くということは
仏さまの教えと私たちの現実生活とは違うものである
という聞き方ではありません。

 私たちが生きているこの現実生活において
仏さまのみ教えを聞かせていただくなかに
いかに仏法が現実にそぐわない理想だといわれようとも
私ができることを行い
言うべきことは言っていくことが
いよいよ大事になってくると思います。

 核兵器の廃絶なんで理想じゃないかと一笑されようとも
仏さまのみ教えは真実真理の法です。
 真実ほど強いものはありません。
日常生活の中で仏さまの大きな願いを聞かせていただき
小さな声でも言うべきことは言い続けていきたいと
また思います。

 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2009・8・6)


円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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