弥陀釈迦二尊一致のお話(2010年アーカイブ)
2022-09-25
昨日は本願寺別府別院の彼岸会法要のご縁に
お参りさせていただきました。
ご法話で弥陀釈迦二尊一致のお話がありました。
浄土真宗の本堂のお内陣そしてお家のお仏壇には
正面真ん中にご本尊の阿弥陀如来のご尊像をご安置して
釈迦如来のご尊像をご安置していません。
仏教を開かれたお釈迦さまを蔑ろにして
浄土真宗は仏教ではないと
極端なことを言う人がいますが
実は阿弥陀さまとお釈迦さまは一致
一つであるといただくのです。
二河白道の譬えを引いて
ご法話お取り次ぎがありました。
ある人が西に向かって旅をしていると
前方に火の河と水の河が立ちふさがったといいます。
行く手を阻まれて後ろを振り返ると
盗賊や毒蛇悪獣が迫って来たというのです。
もう後ろにも戻れない前にも行けない状況で
前を見ると幅4、5寸の白道が開かれていたといいます。
火の河に焼かれるか水の河に溺れるか
危険をおかしてその道を行くかどうか迷った時に
後方の東の方から
「汝、一心にこの道を行け」という声がして
前方の西の方から
「汝、正念にしてこの道を来い」と
喚ぶ声があったというのです。
火の河は怒りの心
水の河は貪りの心という
私たちの煩悩をいいます。
東からの声はお釈迦さまの声で
「汝、この道を行け」と
西の方から聞こえてきた声は阿弥陀さまの声で
「汝、この道を来い。我よく汝を護らん」と
弥陀釈迦二尊の声に支えられて
その旅人は狭い狭い白道を行って
西の岸に至り着いたというお話です。
この西の岸こそが
阿弥陀さまのお浄土であるというのです。
お釈迦さまの「この道を行け」のお勧めと
阿弥陀さまの「こっちに来い」の招喚のお呼び声です。
これこそが南無阿弥陀仏のお心おはたらきと
聞かせていただくのです。
私たちの浄土真宗のご本尊は阿弥陀如来であり
南無阿弥陀仏の仏さまです。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
煩悩具足の迷いの私がそのまま救われる
阿弥陀仏の本願念仏のご法義なのです。
南無阿弥陀仏一つということに
阿弥陀さまのお姿を通してお釈迦さまのお姿を
偲ばせていただきます。
弥陀釈迦二尊にいつも護られて
「汝、正念にしてこの道を来い」と喚んでくださる
お喚び声に「おまかせします」とお念仏申して
お浄土への道を今日も一日ご一緒させていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2010.9.25)
人それぞれの思い出(2009年アーカイブ)
2022-09-24
昨日はお彼岸のお中日で
お墓参りに行かれた方も多いようです。
先週の土曜日からシルバーウィークという連休で
各地の行楽地が大変賑わっていたようです。
行楽地に行くといって
皆さん行く所は大体決まって同じですから
道路が混む中を行楽地に行くまでが大変
行ってからが大変そして帰るのが大変と
それこそ運転するお父さんは
疲れ果ててしまうということでしょうか。
行楽地に行くとか非日常の営みの中に
思い出をつくるといいますが
その思い出はその人人で違って
同じ家族で同じ場所に居ても
それぞれ違った思い出が残るものです。
そのことをいつまでも思い出す人もあれば
すぐ忘れてしまう人もいます。
特別な思い出だけではなくて
日々の生活の中にふっと思い出されることがあります。
今日一日の日暮しの中にも
そうしたことがあるかもしれません。
私たちの生活日々の営みというのは
一人で生きてるわけではありません。
いろんな方々とのつながりの中で生かされてあり
私たちは南無阿弥陀仏の中心をいただいて
お念仏申す生活をさせていただいています。
今日明日といつもの年と少し遅れましたが
お彼岸のお勤めをさせていただきます。
それぞれ生活ぶりが違う私たちお互いが
今日明日と円光寺の本堂阿弥陀さまの御仏前に
座らせていただけることです。
それは単なる思い出ではなく
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
生かされてある私たちお互いであると
気付かせていただくご法縁になってほしいと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2009.9.24)
お念仏は先人の一番の贈りもの
2022-09-23
秋のお彼岸のお中日です。
朝が暗くなりました。
これからどんどん暗くなって寒くなってきます。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言われます。
近年は猛暑の夏の延長で
お彼岸が過ぎても暑い日が続きますが
この前の台風で潮目が変わるというか
日中も大分涼しくなり過ごしやすくなりました。
今日はこの後納骨堂でお彼岸のお勤めをして
大村の円光寺墓地にお参りをさせていただきます。
今朝お仏飯をお供えするのに納骨堂にお参りしたら
お家の納骨壇にいろんなお供え物があがっていました。
おはぎがあがっています。
秋彼岸はおはぎで春彼岸はぼたもちと
同じようなものですが
何かほっとして良いですね。
私たちの日々の生活の中に
先人が色々なものを送ってくださっています。
私たちにとって先人の第一の贈りものは
お念仏です。
本堂に「念仏の声を世界に子や孫に」と
本願寺のスローガンをかけています。
今日も皆さんとご一緒にお勤めをする中に
南無阿弥陀仏ナモアミダブツと
何度も何度もお念仏を申しましたね。
南無阿弥陀仏のお念仏です。
お念仏の大本は阿弥陀如来のご本願のお心おはたらきです。
「わが名を称えておくれ」と
南無阿弥陀仏のお喚び声となって
私たちにお念仏をお勧めです。
お念仏申して
「いつも私が一緒だよ
どんなことがあっても私はあなたを見放したりしないから
大丈夫安心して一緒に生きて往こう」と
南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただき
そのまま阿弥陀仏の大悲の中に生きて往けるのです。
長い長い時間をかけ広い広い空間を超えて
幾多の先人の声となってこの私に届けてくださった
お念仏の贈り物です。
先人の声が私に届いて
私の口から南無阿弥陀仏が出てくださるのです。
そのお念仏の声が子や孫に隣の人に
そのまま届けられるという
南無阿弥陀仏の大きな大きなおはたらきです。
どうぞ今日のお彼岸のお中日の一日も
お念仏を申すなかに
先に往かれた先人を偲びゆっくりゆったり
如来の大悲に生かされて生きてまいりましょう。
お昼の1時半からお寺の本堂で
お中日のお勤めをさせていただきます。
どうぞお参りください。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.9.23)
山法師と台風と後生の一大事
2022-09-22
昨日台風で倒れたヤマボウシの木を
立て直していただきました。
台風という大事、大きな出来事です。
台風はあまり来てほしくありませんが
そうした目に見える大事がないと
いつもの事とそのままにして次の行動に移れないのが
私たちのようです。
ヤマボウシの木ということでいうと
横に枝葉がいっぱい延びて剪定しないといけないと
日頃その都度思っていましたが
この台風で倒れて専門の業者さんに来ていただき
直していただいたことです。
枝葉を殆ど切ってもらって
今日皆さんが見る通りすっきりしました。
桜の木も枝葉がちょうど参道にかかって
気になっていましたが
剪定してもらってよかったです。
素人の私たちは切ることはできますが
いつどの時期に切るとか
どこをどのくらい切るとか
そこまでのことはやはり専門の方にお願いするのが無難で
どうしても先送りになってしまいがちです。
大事といいますと
私たちのご法義は後生の一大事の解決が肝要と言われます。
お念仏のみ教えに生死の帰依処を
たずねていくことの大事です。
私は何のために人間に生まれて来たのか
生きる依りどころは何か
命終えてどこに行くのか聞かせていただきます。
私がどうこう考えるどうこうすることではありません。
南無阿弥陀仏のお心一つ聞かせていただくことですが
私の思いはからいが入ると
これが間違いの元だと仏さまの仰せです。
自己中心の思いはからいで生きて
苦悩し迷う私を見抜かれた上で
阿弥陀仏は「我にまかせよそのまま救う」と
ご本願をおこして私が救われる全ての手だてを
南無阿弥陀仏と成就してくださったのです。
「まかせよ救う」のお喚び声に
「はい」とおまかせするままのお救いです。
私の後生の一大事は
お念仏申してこの人生を生き抜き
命終わってそのまま阿弥陀仏のお浄土に生まれて
さとりの仏さまに成らせていただく
南無阿弥陀仏のおはたらき一つの大事と
聞かせていただきます。
今日明日とお彼岸のお勤めをさせていただきます。
お念仏のご縁です。
南無阿弥陀仏のお救いの法をお聴聞させていただき
お念仏申す身にお育ていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.9.22)
自分の葬儀を考えてみませんか?
2022-09-21
台風の影響でしょうか
昨日から急に涼しくなりました。
昨日から彼岸の入りです。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言われますが
最近は残暑厳しい秋彼岸にあって
少し秋の気配を感じます。
一昨日はエリザベス女王の国葬が
テレビで全世界に生中継されました。
女王陛下のお葬式です。
何か前もって制作された映画を観ているようで
荘厳で華麗な映像に見入ってしまいました。
イギリスはキリスト教国ですが
イギリス国教会という独自のものです。
今回の国葬はエリザベス女王が戴冠式を行った
同じウェストミンスター寺院で行われました。
司祭が葬儀を取り仕切ります。
仏教の葬儀でいうとお導師の僧侶です。
今回は国王の葬儀ですから
イギリス国教会のカンタベリー大主教が
説教をされました。
首相に任命されたばかりのトラス新首相が
聖書を朗読するなど
興味深い内容でした。
キリスト教の一般の葬儀でもそうだと思いますが
仏式の僧侶のお経のお勤めが聖歌です。
天使の歌声といわれるように
子どもたちのきれいな声の合唱がとても印象的でした。
そして参列者皆さんで歌う讃美歌です。
私たちでいったらお正信偈のお勤めでしょうか。
最初から最後まで基本的な式次第はあるものの
女王陛下の葬儀にふさわしい
女王自身の希望がかなり入った演出のようにも
言われています。
私たちも一人一人自分の葬儀を経験します。
どういう葬儀になるのか
最終的には後に遺った喪主が決めることですが
こんな葬儀にしたいと思われませんか。
葬儀のことは死んでから後のことであり
自分の葬儀など考えたくもないということでしょうが
考えてもいいのです
考えられるのです。
仏式の葬儀は仏教徒として勤める葬儀ということで
ご縁のあるお寺との関係が大事な意味をもちます。
生前からご縁のあるお寺ということで
浄土真宗の門徒のお葬儀です。
導師のお寺お坊さんが決まっているのです。
円光寺の場合は住職の私が導師を勤めます。
浄土真宗のお葬儀ということで
ご本尊の阿弥陀如来を中心としたお葬儀です。
エリザベス女王の葬儀は教会で行われましたが
仏式のお葬儀は基本的にはお寺のご本尊の前で
執り行われるのが本来です。
今は葬儀社で行うことが一般的になっていますが
必ず中心にご本尊をご安置します。
その時だけの葬儀会場で
その時だけご安置するご本尊のおすがたです。
お寺は平生日頃からご門徒皆さんが
お参りされる決まったお寺で
これまでもそしてこれからもずーっと
皆さんとお寺のご縁はつながっています。
お寺参りはお浄土参りの習いです。
お寺にお参りするそのままが
阿弥陀仏のお浄土にお参りすることでいうと
ご縁のあるお寺でお葬儀をお勤めすることが
日々の延長上にある自然なことなのです。
命終わって葬儀をどうするか
どこのお寺にお願いするかなど心配しなくていいのです。
私のお寺は決まっているのであり
私の生まれ往くお浄土は
阿弥陀仏が決めてくださっているのです。
だから安心です。
今の安心です。
そして死んだらお終いではなく
そのままお浄土にお参りして
南無阿弥陀仏の仏さまに成らせていただけるのです。
お葬式の後火葬されてお遺骨になりますが
還骨勤行といってお遺骨をお寺の本堂お内陣の
阿弥陀さまの側にお供えしてお勤めをします。
人の命は限りがありいつか必ず終わりますが
お浄土の仏さま南無阿弥陀仏のいのちとなって
これからもずーっとつながっていくのです。
南無阿弥陀仏の大きないのちの物語のなかに
人と生まれる以前もずっと長く
生まれては死に生まれては死にと
生死の迷いの境涯を繰り返し経巡ってきて
今ここに人間に生まれてお念仏の仏法に遇えて
阿弥陀仏のご本願を信じまかせて
お念仏申す身にお育ていただいたということです。
そしてこれからも南無阿弥陀仏のお慈悲の中に
お念仏申して生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.9.21)