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お念仏を申す生活法話

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私の人生の目的地

2022-10-06
 仏さまから見ると
私たちは迷いの凡夫といわれます。

 「あなたは迷っている」と言われて
「はいそうです」と私のことと受け入れるのではなく
あの人は迷っているけれども
私は大丈夫ぐらいに思っているのが
私なのではないでしょうか。

 道に迷ったという話です。
近くにその地域の地図を見つけました。

 地図には必ず現在地が載っています。
現在地を見て
<今私はどこにいるのか>か確認できます。
 そして次に目的地を見つけて
そこに行くまでの道順を確かめます。

 現在地と目的地がわかったことで
迷いを離れることができるのです。

 私は今どこにいるのか。
私たちは今ここ円光寺の本堂にいます。
 ここが私の現在地です。
そしてこの後皆さんそれぞれのお家に帰ります。
 帰る処があるなかに
私たちは今ここで安心していられるのです。

 私の目で見て確認できる
現在地と目的地ですが
人生の道行きでいうと
私はどこに向かって生きているのでしょうか。

 人それぞれに人生の歩みは違いますが
私たちがこの命終えてどこに行くのか
私たちの人生の目的地を
阿弥陀さまはお浄土と用意をしてくださっていると
浄土真宗の教えを聞かせていただきます。

 私が歩む私の人生ですが
目的地が分からないと迷うことになってしまいます。
 
 私は一体どこに向かって生きているのか。
私の歩む道ですから
私が自分で決めることが道理のようですが
自分で決めたところで
命終えて行く処は
自分の思いはからいを超えた処です。

 つまりは迷いの中に
命終わって次の世に生まれて
また生まれては死に生まれては死にの
生死の迷いを繰り返すことになります。

 「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のおはたらきで
阿弥陀さまが決めてくださったお浄土に生まれて
お念仏のさとりの仏さまと成って
この迷いの世に還って来ると聞かせていただきます。

 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
お念仏申して今生かされて生きて
命終わるときそのままお浄土に往いて生まれるのです。

 私のいのちの現在地と目的地を
阿弥陀さまの方ですでに決めてくださって
私たちはお念仏申し安心してお浄土への人生を
生きて往けるのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.10.6)


ご門徒のお葬儀

2022-10-05
 お寺の住職のつとめで
ご門徒のお葬儀を執り行います。

 日頃からご縁のあるご門徒が殆どですが
お葬儀で初めてご門徒になるご縁の方もいます。

 仏教の葬儀は仏教徒としての儀式で
浄土真宗の葬儀は法名をつけて
浄土真宗の門徒としての葬儀です。

 人それぞれにその人生は異なります。
人間に生まれた環境も違えば生活ぶりも違う
それぞれの人生を生きて
いつどこでどんな形でこの命を終えていくのか
この私のことですが
誰もわかりません。

 ただ浄土真宗の葬儀は
どんな人の葬儀も同じお勤めです。
 会社の社長さんの大きなお葬式も
家族葬といわれる小さなお葬式も
その人の生活ぶりに関係なく
お葬儀は同じです。

 浄土真宗の葬儀はご本尊の阿弥陀如来を中心に
南無阿弥陀仏のお徳をほめたたえるご縁です。

 南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
どんな人も命終えて等しく阿弥陀さまのお浄土に
生まれて仏にさせていただける
浄土真宗の教えに基づいた葬儀です。

 通夜葬儀その後の七日七日の中陰のご縁で
お念仏のお救いのご法義を
ご法話お取り次ぎをさせていただきます。

 初めて聞かれる方が殆どだと思います。
学校や塾では教えてくれません。
 自分から進んでお寺にお参りして
み教えを聞くことは大変難しいです。

 大切な人とお別れする悲しみのご縁ですが
そのままお念仏のご縁といただき
御仏前に有縁の方々が一堂に座りお勤めをして
仏さまのみ教えを聞かせていただく
この私にしてくださるのです。

 南無阿弥陀仏のお念仏のお徳おはたらきです。
その大本はご本尊の阿弥陀如来さまですが
先に往かれた仏さまのご縁といただけるのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.10.5)


悩めるあなたに

2022-10-05
 生きることは時として悩ましく
しんどいことです。

 お釈迦さまは「人生は苦なり」と仰せになり
人と人とが織りなすこの人生は
一つとして自分の思い通りにならないと
お説法くださっています。

 この人生は他人事でなく自分事であり
先送りできない今の課題に
逃げることなく向き合って
いかねばならないからです。

 迷います。
苦しいです。
 それは課題としっかり向き合い
今を生きているからです。

「困った時にゃお念仏に相談しなされや」と
お念仏の先人の言葉です。

 南無阿弥陀仏のお念仏は
阿弥陀仏の仰せを聞くことです。

 生きることは悩むことであり
そのまま尊いことだと
阿弥陀仏はいつも私に寄り添って
南無阿弥陀仏と喚んでくださっているのです。

 お念仏申して
「我にまかせよ必ず救う」のお喚び声に
「はい」とそのまままかせて
今を生きて往きましょう。

 お釈迦さまが「この道を往け」と
阿弥陀さまが「この道を来い」と
お念仏の道が今ここ私のところに
開かれているのです。

 決して独りではありません。
阿弥陀さまがご一緒です。
 お釈迦さまが親鸞さまが蓮如さまが
ご先祖有縁の諸仏方がご一緒です。

 お念仏の有縁の方々もご一緒に
お念仏の道を往きましょう。
 大丈夫安心して
お念仏申して生きてまいりましょう。

            ナモアミダブツ

去る人来る人共々にお念仏に生かされて

2022-10-04
 アントニオ猪木さんそして三遊亭円楽さんと
実際に会ったことはないけれども
いつもテレビで観ていた身近な存在の方々の
訃報が続きます。

 何か一つの時代が終わっていくようで
寂しい悲しい思いにさせられます。

 昨日はプロ野球ヤクルトの村上選手が
今季最終試合の最終打席で
世界の王を超える56号の日本人選手新記録の本塁打を打ち
22歳の最少年で三冠王に輝きました。

 すごいことです。
私が小学6年生の時の王さんの記録は
当分破られないと言われてきましたが
こうして記録は破られるためにあるとも言われます。

 アメリカの大リーグでいえば
イチロー選手が年間最多安打を100何年ぶりに更新したとか
大谷翔平選手が投打の二刀流で
あの伝説のベーブルースの記録を超えたという話題です。

 こうして時代の変遷とともに
去る者があれば来る者があるということで
これからも私たちを楽しませてくれる
スーパースターの活躍が楽しみです。

 スポーツ選手のピークは競技にもよりますが
10代後半から20代30代ということでしょうか。

 私たちもそうした年齢を経てきて
あこがれの選手に自分を重ねて
夢をもったこともあります。
 そして今その前を行く方々が
亡くなって逝かれます。

 人間生まれて老いて病んで死んでいくことは
どんな人もです。
 本当のことです。
私のことです。

 この生老病死の人生に
私たちは仏法を遇わせていただるのです。
 生死の迷いの身を生きると教えていただき
仏法に遇ってそのままお念仏申す身にお育ていただきます。

 この命いつか必ず終えていきますが
南無阿弥陀仏のおはたらきでそのまま
お浄土の仏にさせていただくと
聞かせていただきます。

 死んだら終いの人生ではありません。
お念仏申して心豊かに生かされて生きて往き
お浄土の仏となり南無阿弥陀仏のおはたらきで
この迷いの世に還って来てこれからも
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりの中に
共々に生かされて生きて往くのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.10.4)


「元気ですか!」あるがままに生きる

2022-10-03
 昨日は祥月命日のご縁で
大分の町中のご門徒のお家にお参りしました。

 車で行きますが
お家の駐車場があって二台止められるようになっています。
 一台はそのお家の方の車ですが
昨日は車がありませんでした。

 お勤めの後でお茶をいただきながら
「車がありませんでしたが」と聞くと
「89歳の誕生日で運転免許証を返上しました」との返事です。

 実は10月3日が祥月命日なのですが
前の日に変更してのお参りでした。
 玄関周りをスロープにやり変える
工事をするということだったのです。

 高齢者には段は危なくてということで
車いすの生活も考えられているということです。

 車がないと「不便でしょう」と言いましたら
即答「不便です」と返ってきました。
 何が不便かというと
日常の買い物であり病院通いだそうです。

 町中で近くにお店があって買い物自体は困らないが
歩いて行かないといけません。
 運動にはなりますが
大きな買い物ができませんと言われます。

 買った物を家に持って帰るのです。
車は本当に便利だったなと
車は運転さえすればどこにでも行けるし
大きな買い物も車に積んで家に持って帰れます。

 本当に便利なことは
不便なことの裏返しなんだと思います。

 89歳と聞いてまたびっくりです。
私も同じ分歳をとっているのですが
えっと思いました。

 私が若かった30代の頃に
その人の仕事関係のお葬式で
県北のお寺で会ったことがあります。
 50代のバリバリの営業マンで
人生で一番といっていいほど輝いていた頃でした。

 皆さんも若くて健康な時がありました。
そして歳を重ねて今があります。

 アントニオ猪木さんが亡くなりました。
元プロレスラーで国会議員でもありました。
 非常に目立った存在で
ネットで各方面からコメントが
たくさん寄せられています。

 79歳です。
プロレスラーのあの勇姿です。
 燃える闘魂といわれ
どんな相手にも果敢に立ち向かい
モハメドアリとの試合は世界のニュースになりました。

 そしてあの「元気ですか!」と呼びかける
パフォーマンスです。
 多くの印象的な言葉を発し
勇気づけられた方がたくさんいます。

 ここ数年は難病との戦いで
頑丈だった体はやせ細って
電動ベットに横たわり車椅子の生活でしたすが
その姿をネットで日々発信していたといいます。

 最後の最期まであるがままに
生き切ったということです。

 中々できることではありません。
こんな姿を見せたくないと
入院見舞いを断る話をよく聞きます。

「元気ですか」といって
いつまでも若くて健康でということではありません。
 どんな人も老いていきます病むこともあります。
老いるなかに病むなかに
元気に生きるということだと思います。

「生きてますか」と
あるがままに生きることを見せてくれたのですね。

 あるがままでいいんです。
あるがまま以上のことはできません。
 出来なくなるんです。
出来ないけれども生きているんです。

「生きとるうちは生きとるぞ」です。
その有るがままに生きとる私を
そのまま支えてくださるお念仏です。

 老いていく中に南無阿弥陀仏
病んでいく中に南無阿弥陀仏
命終えていく中に南無阿弥陀仏と
お念仏を申してお浄土に生まれさせていただける
南無阿弥陀仏のいのちをいただいて
今日10月3日は私の誕生日です。
 今日から70歳の新たな旅立ちです。
お念仏申してあるがままに
生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.10.3)


円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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