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お念仏を申す生活法話

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8月31日

2022-08-31
 今日は8月31日です。
私が小学校の頃
この日は夏休み最後の日で明日から学校です。

 夏休みの宿題の思い出です。
42日間の長い休みがあって宿題も多く出ます。
 計画を立てて次々にやっていけばいいのですが
ついつい遊びに夢中になって
明日がある明日があると先延ばしにした結果
宿題をやり終えずに8月31日を迎えるのです。

 最後に残る宿題が読書感想文と工作の作品作りでした。
一人で短時間でできることではありません。
 8月31日になって工作をしていなかったということで
それこそ家族総出で手伝ってもらい夜遅くまでかかって
夏休みの作品をつくってもらったことです。

 何で早くしておかなかったのと周囲の声です。
「そんなこと言われなくてもわかってる」って
心の中で何度も叫びながら
自分の至らなさ悔しさに涙目になって
「何で何で何で」と過ごした辛い時間でした。

 8月31日に
人生の締め切りということを重ねて思います。

 人生の締め切りは8月31日と
日が決まっているわけではありません。
 この無常の世に無常のわが身を生きるお互いです。
いつどんな形でこの命を終えていくのか分かりませんが
人生の締め切りは必ずやって来ます。

 生まれ難い人身に生まれて
仏法に遇ってお念仏を申す身になってくれよと
阿弥陀仏さまの大きな願いです。

 人間に生まれて来たのはね
仏法を聞くために人間に生まれて来たんだよと
お釈迦さまのお示しです。

 お念仏を申してご一緒にお浄土参りしましょうと
お念仏の救いのみ教えを勧めてくださる
親鸞さま蓮如さまです。

 そして仏法聴聞の仏さまのご縁を
私たちにつくってくださった
ご先祖有縁の仏さまがご一緒です。

 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりの中に
共々に生かされて
お念仏を申してお浄土への人生の営みを
今日もさせていただきます。

 「どんなことがあってもいつも私が一緒だから大丈夫
あなたはあなたの命を精いっぱい輝かせて
この人生を共々に生きていこう」と
南無阿弥陀仏のあたたかいお喚び声に支えられ
私にできる精いっぱいのことをさせていただける
有難さ尊さを深く深く思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.8.31)

先に往かれた仏さまからいただいたお念仏のご縁です

2022-08-30
 7月の下旬にお葬式が4件続きました。
その4件の四十九日満中陰のご縁が
先週から4週続けて毎週日曜日にお勤まりです。

 本来は同じ日曜日に重なるようなご縁ですが
そのうちの2件は繰り上げてのお勤めです。

 四十九日が三月にかかると
「始終苦が身につく」と言われるものですが
高齢のお母さんや親戚が言うので
繰り上げてお勤めしますというのです。

 そんなことは単なる語呂合わせで
少しもとらわれることはありませんよと
何度もお話させていただくことですが
特に年輩の方は昔からみんながしている言ってると
頑なな思いがあって中々聞き入れてくれません。

 大事なことは
大切な方とお別れした悲しみのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただいて
精いっぱいお勤めしましょうということです。

 日頃中々聞くことのないお念仏の救いのご法義に遇って
お念仏申す身になっておくれと
先に往かれたご先祖有縁の仏さま方が
まさに命がけでつくってくださった仏さまのご縁です。

 四十九日間の中陰の期間中
七日七日のご縁は初七日から七七日まで7回あります。
 繰り上げて仏さまのご縁が減るのは
本当にもったいないことです。

 阿弥陀仏さま有縁の仏さまからいただいたご縁と
そのままいただいて
お勤めさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.8.30)


お寺の住職という公職

2022-08-29
 北欧フィンランドのマリン首相が
窮地に立っているといいます。

 ロシアと国境を接するフィンランドは
ロシアのウクライナ侵攻にあって
大きな不安と脅威の中にあります。

 そのなかでマリン首相がパーティでダンスに興じる姿が
SNS上に拡散して非難の対象になっているのです。

 この緊急事態に国のトップたる首相が
何をしとるかこんなことでいいのかという批判です。

 マリン首相が涙の会見のなかで
「私も人間です」といったそうです。
 日夜公務に忙殺されて大変な苦境の中にも
楽しみがあってもいいのではないかということです。

 支持者の若い女性を中心に
ダンスに興じる
たくさんのSNSがあがっているといいます。

 首相という公職です。
公の職業仕事に就くことですが
お寺の住職もある意味公職です。

 皆さんから見られているということです。
住職たる者こうあるべきだという見方です。

 皆さんはお寺の住職お坊さんというと
どういう方を思い浮かべますか。

 住職という役職役目に重ねて
日々の生活の中でこうあるべきだと
こんなことをする住職は言語道断だという
ものの見方です。

 あたかい見方もあれば冷めた見方もあります。
批判的な見方もあれば私は関係ないという見方もあります。

 いろんな住職像その人人の見方のなかにあって
お寺の住職も日々生活しているのです。

 自分勝手なものの見方でピント外れなことを言われて
言いたいこともたくさんありますが
言ってはいけないと自嘲することもあって
ストレスが溜まります。

 あなたも私もこの同じ社会を
それぞれ生きているのです。
 お互いにいのちを敬う中に
共々に生かされて生きていきたいものですが
自分の思い通りにいかないと
ついつい周囲への不平不満が出て爆発することもあります。

 そんな自分中心でどうしようもない私を
阿弥陀仏さまは見て取って
そのまま救うと南無阿弥陀仏のおはたらきです。

 お念仏のお救いのご法義です。
周りの人がどんな見方をしようとも
「私はあなたを護るよそのままま護るよ大丈夫
どんなことがあっても見捨てることはないからね」とね。

 南無阿弥陀仏のおはたらきに
甘えるのではありません。
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりの中に
生かされて支えられてあると安心して
今私にできる精いっぱいのことをさせていただく
このお朝事のおつとめでもあります。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.8.29)


孤独死の報道に(2009年アーカイブ)

2022-08-28
 孤独死の報道です。
独りで亡くなって一週間も10日も1か月も経って
ご遺体が発見されるということです。

 何とも寂しい悲しいことですが
今65歳以上の方で一人暮らしの方は
男性に比べて女性の方が多く
5人に1人という割合だそうです。

 男性に比べてというのは
男性より女性の方が長生きをするということですが
この孤独死という社会現象は
日頃の人と人とのつながりが
今の社会生活の中で薄くなった
無くなってきているということを意味します。

 私たちの住んでいる三佐は
昔からの地域の行事も多く残っていて
日頃から人と人とが声をかけ合ったりして
つながりがあることで
孤独死と聞いてえっと思うかもしれませんが
ちょっと町の方に行きますと
隣にどんな人が住んでいるのか
近くに一人暮らしの高齢者がいても
知らないという状況があります。

 同じ地域に近くに住んでいながら
お互いに知り合うことがない
日頃からのつながりがないということですが
お寺はというと昔から
人と人のつながりの場だったと思います。

 今は公民館をはじめいろんな集会場の施設がありますが
ちょっと前まではお寺は公民館であり
いろんな人のたまり場集まる場所だったわけです。

 お寺にいつもお参りする人が来ていないと
一体どうしたんだろう
病気にでもなったのではないかと
心配にもなります。

 そうした社会のコミュニテイ
お念仏の共同体です。
 お寺を中心にお念仏のつながりのなかに
共同社会があったというのは
随分昔の話ではなくて
つい最近の話なのです。

 そんなことに思いをはせながら
昔の通りにはできませんが
お寺が人と人とのつながりの場になっていくような
お寺のあり方をまた考えさせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2009・8・28)


私のいのちの古里(2011年アーカイブ)

2022-08-27
 福島の原発事故で避難をされている
3キロ以内居住の方が
昨日一時帰宅されたというニュースです。

 防護服に身をまとい非日常の異様な姿で
3月11日の震災以来初めて
懐かしいお家に帰ったということです。

 その時の様子がテレビに映し出されていましたが
家の周囲は草が茫々で
家の中はあらゆる物が散乱し
ひっくり返ったような無残な状態でした。

 ある方は「古里に帰りたいという思いを強くした」と
言っていましたが
大方の方は「もう帰れる状態じゃない
もう帰れる所ではない」という思いをしたといいます。

 古里といいます。
皆さんの古里、私たちの古里はどこでしょうかね。

 古里に帰る家に帰るといって当り前のようですが
帰る家はあるけれども
家に帰ることは許されないということです。

 そして昨日やっと帰ったけれども
もう帰る所じゃないというわけです。

 帰るところじゃないといっても
帰るところがないと私たちは生きていけません。
 そうした私たちが生きる大きな依りどころが
帰るところなのです。

 今避難所にいらっしゃる方
仮設住宅にいらっしゃる方
他県に出ていかれて借り住まいをされている方
皆さんそれぞれですが
早く今後のことを決めたいという思いです。

 避難指示や避難解除は行政が決めて実施することです。
私の思いでできることではありません。
 この社会全体の政治の問題になってきます。
大丈夫だよという声かけとともに
具体的な安心できる政策こそが必要です。

 私たちは「私がしっかりしていれば大丈夫」という
思いをもって生きていますが
私がといって
本当に弱いもので
それこそ生活そのものがぶち壊されると
どこに身を置いていいのか
大きな不安に襲われ苦しみ悩み迷うのが私たちです。

 そういう私たちのすがたを見てとられたのが
阿弥陀仏仏さまなのです。

 阿弥陀さまはこの私を必ず救うとご本願をおこし
南無阿弥陀仏と成就して「まかせよそのまま救う」と
お念仏の声となっておはたらきです。

 私のいのちの古里を
阿弥陀さまはお浄土と用意してくださり
「わが古里に帰って来いよ」と喚び続けているのです。

 私のいのちの古里といわれて
お浄土に私は行ったことはありませんが
お浄土には阿弥陀さまがいらっしゃる
私のご先祖有縁の仏さま方がいらっしゃる古里と
聞かせていただき帰らせていただくのです。

 私たちが生きる人生には色んなことがあります。
思い通りにならないことでいつも不安がつきまとい
苦しみ悩み多い人生ですが
南無阿弥陀仏に安心してお念仏申しつつ
お浄土への人生を今日も一日歩ませていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2011.8.27)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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