お念仏の声に励まされて生きて往ける(2009年アーカイブ)
2022-10-30
東京八丈島沖で船が転覆して
3人の方が助かったというニュースです。
90時間ぶりにひっくり返った船室の空間に
3人が重なり合うようになって
飲まず食わずの中を励まし合ったということです。
よくぞ生きてこれたなということですが
取材に応じて3人が3人とも
「3人だから助かった、生きられた」と
言っていました。
私たちの日々の生活は暗い船室ではありません。
明るい中を生きています。
そして不自由なく食べて飲んで生きていますが
3人だから生きてこられたというのは
誰も私一人だけでは生きていかないという
私たちの真実です。
一人で本当に自由にのびのびと
生きられそうですけれども
独りぼっちじゃ生きられないということです。
逆にあの人がおるから生きにくい
あの人がいなかったらということさえ思うのが
私たちですが
あの人がいるから私がいるということです。
夫婦であれば妻がいて夫がいる
夫がいて妻がいるということです。
親子であれば子どもがいて親があり
親がいて子どもがいるということです。
私たちはあなたと私のつながりのなかに
生かされて生きているという真実です。
共にといいます。
一緒にといいます。
三人の方が互いに声を掛け合ったといいます。
「がんばろう」「生きよう」と声を掛け合い
その声が互いを励まし力となって
生きられたということです。
私たちの阿弥陀仏さまは
声の仏さまといいます。
南無阿弥陀仏の仏さまです。
「いつも私が一緒だよ。
どんなことがあっても
あなたを見捨てることは決してないから
大丈夫安心して
あなたはあなたの命を精いっぱい輝かせて
一緒に生きて往こう」と喚んでくださる仏さまです。
お念仏の声に励まされ支えられて
今日一日も共々に
生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2009.10.30)
先人からの贈りもの(2012年アーカイブ)
2022-10-29
この時期大分の町中に行くと
店頭でかぼちゃのお化けのキャラクターに
たくさん出くわします。
ハロウィンというヨーロッパを発祥とするお祭りで
いつの間にか日本の恒例行事になったようです。
テレビもここ数日はこの話題で持ちきりで
東京では仮装した若者が街に繰り出して
集団で大騒ぎしている様子が報じられています。
欧米ではこの10月31日に子どもが仮装して
近所の家々を回って
「トリック・オア・トリート」
(お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ)と言って
キャンディやチョコをねだって歩くそうです。
大分前になりますが
アメリカで留学中の日本人高校生が
ハロウィンで仮装して家を間違って訪れ
不審者と思われて射殺された
悲しい事件がありました。
見知らぬ人が突然家に来て
「何かよこせ、さもなければ何かするぞ」と
脅されるようなことに思われたのでしょうか。
銃社会のアメリカならればの出来事と
片づけてしまうには重い課題です。
私たちの社会には
それぞれの国や地域で
日常生活のなかに人と人とをつなぐ
先人から伝えられた習慣伝統行事が
今もたくさん残っています。
近くの地域でこの時期
仲秋の名月の日に
子どもたちが近所の家々を
「名月おくれ」と言って
お菓子をもらって回る行事があるということです。
大在ではずっと以前からの伝統行事で
この時期スーパーにはそれ用のお菓子が
山積みされているという話も聞きます。
この辺の行事では
3月のお彼岸のお中日の
弘法さんのおせったいですね。
子どもたちそして大人も一緒に朝早くから
お菓子をもらいに家々を駆け巡っています。
これも仏さまのご縁です。
お菓子を仏さまからいただくことで
仏さまにお礼をしましょうと
弘法太師の尊像に手を合わせるのです。
日常生活のなかに手を合わすことが
少なくなった今だからこそ
そうした先人からの贈りものを
大事にしていかねばならないと思うことです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2012.10.29)
お念仏の相続です
2022-10-28
毎月大分市のコンパルホールで
法話会を開いています。
これまでに『歎異抄』『正信偈』『御文章』を
皆さんとご一緒に拝読して
ご法話お取り次ぎさせていただいていますが
今月で一応修了して来月からどう進めて行くかについて
昨日メンバー二人と話し合いをもちました。
大分の町中のメンバーの方からお電話があり
お寺に来られてのご相談です。
私たちの法話会という思いがあって
参加者の皆さんから声が上がることが
有難く嬉しかったです。
お話をする中でお一人の方から
「ご院家さん、ここまで長く続くって思われました」と
言われてハッとしました。
ほぼ同じメンバーでコロナ禍の中も
いつものように続けてきましたが
「いつから始めたんですか」と聞かれて
ちょうど大分駅の駅ビルが開業したその日に
第一回目の法話会を立ち上げたことを思い出しました。
2015年のことです。
あれから7年が経ちました。
7年です。
小学校に入学して6年で卒業
そして中学1年になったという時間の経過です。
7年歳を重ねてきたことです。
7年間毎月1回ずっと続けてきました。
「継続は力なり」という言葉です。
わずかなことでも続けて行えば成果となってあらわれる
小さな努力も続けてやれば成功するという意味で
続けることが大きな力になるということです。
私たちのお念仏のご法義でいうと
念仏相続と言われます。
お念仏を相続するということですが
お念仏の力おはたらきが相続させてくださると
味わわせていただきます。
お念仏は南無阿弥陀仏です。
阿弥陀さまの大きなおはたらきです。
阿弥陀さまがこの私を
お念仏を申す身にさせてくださって
念仏相続させてくださると
「継続は力なり」の言葉をいただきます。
ものごとを続けるというと
どうしても続けなければならないと
私に力が入ります。
力が入ると順調な時はいいのですが
ちょっとしんどい思いになることもあります。
このお朝事のご縁です。
毎朝続けるなかに
皆さんにお会いできてご一緒に
御仏前に座ってお勤めをさせていただき
今日一日を始めさせていただける有難さです。
これ以上有難いお念仏のご縁はないといっていいほど
一朝一夕にできることではありません。
長い長い間私たちのお念仏の先人が
伝え届け相続してくださったお念仏のご縁に
今日もこうして皆さんとご一緒に
遇わせていただいたことです。
このお朝事のご縁も
コンパルホールの法話会のご縁も
みんな仏さまの大きなおはたらきをいただいて
続けさせていただいていることを
またあらためて尊く有難く思うことです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.10.28)
「ある ある ある」
2022-10-27
今国会が開会中で
予算委員会の模様がテレビ中継されました。
各党委員の質問に対して
政府の首相大臣が答弁します。
れいわ新選組参議院議員の
重度の障がいをもった方の質問です。
言葉を発することができません。
介護支援者が何人も傍について
かすかな目の動きで一字一字文字を追って
質問していきます。
昔も障がいをもった方はいましたが
家の中に居て外に出ることは殆どありませんでしたが
今は誰にでも開かれた共生社会をめざすなかで
障がい者も共に社会の第一線で活動する姿を
目にすることが多くなりました。
ただまだまだ障がい者に対する偏見差別が
現実社会にあることも事実です。
健常者といわれる私たちの
障がい者に対するものの見方です。
私たちのお念仏の先人に
中村久子さんという方がいらっしゃいます。
幼い頃に脱疽の病気で両手両足を失いましたが
親鸞さまの浄土真宗のみ教えに遇われて
お念仏申してたくましく生き抜かれました。
中村久子さんの『ある ある ある』という詩です。
さわやかな
さわやかな
秋の朝
「タオル取ってちょうだい」
「おーい」と答える
良人がある
「ハーイ」という
娘がおる
歯をみがく
義歯の取り外し
かおを洗う
短いけれど
指のない
まるい
つよい手が
何でもしてくれる
断端に骨のない
やわらかい腕もある
何でもしてくれる
短い手もある
ある ある ある
みんなある
さわやかな
秋の朝
私たちは何もかも「ある」ことが
当たり前というなかに生きていませんか。
「無い物ねだり」の言葉があります。
ない物を欲しがること
実現できないことを無理に望むことです。
今「ある」ことに気づこうとせず
あれもないこれもないと「ない」ことを探すと
「ないものだらけ」で
嫌になることってありませんか。
あるんです。
今この私が生きてあるということです。
人それぞれ生活ぶりは違いますが
私は私を生きているのです。
生かされて生きているのです。
「今日の夕食はあるものでいい?」と
妻が聞きます。
買い物に行かないまでも冷蔵庫の中に
残りもののおかずとか買い置きの食材があります。
あるものがあるのです。
あれが欲しいこれが欲しいと
ないものを求めるのもいいんです。
こんな技術を身につけてこんな仕事がしたいと
勉強に頑張れるんです。
でもそれもこれも
今あるというなかでのことですよね。
今生きてあるこの私です。
みんなそれぞれ違います。
どれが良いとか悪いとかではなくって
みんなそれぞれ違う私たちが
この同じ社会を生きているのです。
私が私がと自己中心に生きる生活は
自分の思い通りに行けば
それはそれでいいのでしょうが
どんなに財産や地位や名誉を築いても
振り返ってみて
どんな人生だったのでしょうかね。
色んなことがあったけれども
人間に生まれてあなたに会えてよかった
本当によい人生だったと
命終えて往きたいですね。
阿弥陀さまの本願念仏のお救いのみ教えは
どんないのちも
みんな等しく分け隔てなく
誰一人取り残さず
南無阿弥陀仏のおはたらきで
浄土に往生成仏させると聞かせていただきます。
今あるあなたをそのまま救うのです。
「いつも私が一緒だよ
どんなことがあっても決してあなたを見捨てないから
大丈夫安心して
あなたはあなたの命を精いっぱい輝かせて
一緒に生きて往こう」と
喚んでくださる南無阿弥陀仏のみ声を
お念仏申して聞かせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.10.27)
安倍元首相追悼演説
2022-10-26
昨日国会で安倍元首相の追悼演説を
安倍さんの前の首相の野田元首相がされました。
自民党と民主党という相対峙する政治的立場で
個々の政治信条考え方も異なるお二人の関係です。
野田さんは仇のような政敵と言っていました。
演説を全部聞いていたわけではありませんが
今朝の新聞を読むと皆さんに大変好評で
いつもはヤジが飛び交う国会が
温かい拍手で包まれたといいます。
時間をかけて何度も推敲を重ねたのでしょうね。
文章の力言葉の力です。
追悼です。
あなたを敬い思う気持ちが言葉になって
伝わってきます。
政治の舞台では互いに政策を批判し合い
罵倒することもあったと思います。
隙を見せたらどんな目に遭うかわからない
真剣勝負の世界ガチガチの言葉の応酬です。
ただ人と人との関係は互いに敬い合うことで
心のこもった言葉の力が発揮されることを思います。
これは政治の世界のことだけではなく
私たちの日々の生活においても大事なことです。
他面言葉は他の人を傷つけることもある
両刃の剣です。
思いやりのある言葉に遇って
ギスギスした雰囲気が和らぎやさしい気持ちになれた
エピソードも演説の中にありました。
国政を背負う重圧と孤独を経験した者同士だからこそ
分かり合える心情が伺えてほっとしました。
追悼って過去の思い出話ではありません。
色んなことがあったなかに今があるということです。
人の命を終えて逝ったけれども
あなたは今も私たちと共にあると
思い起こさせていただきます。
私たちの人生は
日々の生活のなかで人と人とが出会いと別れを繰り返し
命終えて別れていかなければなりません。
でも死んだら終いの人生ではありません。
阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏となって
この迷いの世に還って来て人々を救うと
浄土真宗のみ教えに聞かせていただきます。
政治の世界の敵味方勝った負けたを超えて
昨日は国会という主戦場で与野党の国会議員が一堂に会し
一人の政治家の死を悼んだことです。
私たちは今ここ阿弥陀さまの御仏前に
生活ぶりがそれぞれ違う者同士が一堂に会し
阿弥陀さまに手が合わさって
南無阿弥陀仏とお念仏を申して
お礼をさせていただきました。
日々の生活のなかにこれからもずっと
阿弥陀さまの大きな南無阿弥陀仏のおはたらきに
共々に生かされて生きて往ける世界があることを
また有難く思うことです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.10.26)