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お念仏を申す生活法話

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納骨の仏さまのご縁です

2022-09-05
 昨日満中陰のご縁で納骨に参りました。
ちょっと遠方の墓地で車で行きましたが
お家を出て直ぐ大雨になりました。

 傘を持ってなくて納骨はどうなるのかと心配しましたが
その内に雨が止んで納骨の時には逆に陽が差して
暑いぐらいになりました。

 施主のお父さんのご縁で
10数年前に亡くなったお母さんのお遺骨が
お墓の中にご安置されているのですが
施主の息子さんで孫の方が
お遺骨をお墓に納めました。

 施主の方が「母ちゃんの右側に置けよ」と言います。
すると息子さんが戸惑って
「母ちゃんの右って向かって右かそのままの右か」と
言い返します。
 なるほど見方によっては
正反対で違いますね。

 結局は施主の方が確認して
「それでいい」となりました。

 お父さんがお墓を建てて30年ほどになります。
そして初めて入ったのがお母さんです。
 お母さんの納骨の時に
お父さんが「母ちゃんの右に置いておくれ」と
子どもたちに言ったんでしょうね。

 皆さん「父ちゃんの遺言通りにできてよかった」と
安心したようでした。

 最近墓じまいをするお家が多くあります。
それぞれのお家のご事情があることです。
 そして新しくお墓を建立するお家が少なくなり
納骨堂を求める傾向にあります。

 お家のお墓ではなく合葬墓に納骨される
形態も増えてきました。
散骨ということも行われています。

 お墓って何だろうと思います。
この命終えて火葬され遺骨となって納められる所ですが
後に遺った有縁の人にとっては
先に往かれた大切なお方を偲んで
手を合わせる所なのです。

 お墓にお参りすると手が合いますよね。
大切な方が手を合わさせてくださっているのです。
 お墓の中のお遺骨ですが
お父さんお母さんの仏さまのお姿です。

 死んだらお終いではなくて
仏さまに成ってくださって
これまでもそしてこれからもずっと
この私を護り救うとおはたらきくださっていると
聞かせていただくなかに
手が合わさって南無阿弥陀仏とお念仏が
私の口から出てくださるのです。

 先に往かれた仏さまの南無阿弥陀仏のおはたらきです。
今日もこうしてお朝事のご縁に
阿弥陀さまの御仏前に座らせてくださり
お念仏申す身にお育ていただいたことです。

 納骨のご縁での何気ないご家族の会話に
ほっとさせられました。
 ご家族皆さんがお元気だった頃の
お家の雰囲気が伺えるようで
よかったです。

 人の命終えて大切なお方とお別れする
悲しみのご縁ですが
死んだらお終いではなく
ずっとずっとこれからも
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
共々に生かされて生きて往く
仏さまのご縁の有難さ尊さを思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.9.5)

仏さまのチルドレン(2009年アーカイブ)

2022-09-04
 先日の総選挙で民主党が一挙に衆議院議員を308人とし
政権交代を成し遂げました。

 308人の中には新人議員が多く
前回の小泉さんの郵政選挙の時もそうでしたが
比例区で名簿記載され
国政にこれまで全く携わったことのない方まで
当選したことが昨日のテレビで紹介されていました。

 それこそ私たちと同じ一般人が
突然国会議員として重い職責を担うことになるのです。

 4年前の郵政選挙で当選した自民党の候補者が
今回軒並み落選しました。

 この前は小泉チルドレンで
今回は小沢チルドレンと言われます。

 チルドレンとは子どもたちということで
小泉さんの息がかかった
そして小沢さんの息がかかった人とでも
いうのでしょうか。

 私たちは仏さまのチルドレン
仏の子どもたちです。

 どこが決定的に違うのかというと
小泉さんであっても小沢さんであっても
議員在任中は親と子どもの関係で
私がいるから安心して何でも相談に来なさい
とでもいうのでしょうか。

 私たちの世間の人間関係は付いたり離れたりで
選挙のことでいうと
それこそ落選してしまえば
もう関係ないよと言えるのが
世間のことのようです。

 自分の都合で付いたり離れたりの世間に生きて
苦悩し迷う私たちに
仏さまは「あなたは私の子どもだから
いつも私が一緒だから安心しなさい大丈夫」と
ずーっと私に寄り添ってくださるのです。

 仏さまと私の親子の関係は
生きている間も命終えてもずっと一緒なのです。
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
私たちは共々に日々今日の一日も安心して
生き抜かせていただくことができるのです。

 仏の子どもです。
お念仏のおはたらきで仏の子どもに
成らせていただきました。

 親さまがいつでもどこでもご一緒です。
南無阿弥陀仏の親さまです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2009.9.4)


年賀はがきののぼり(2009年アーカイブ)

2022-09-03
 昨日大分の町中のお参りをしていましたら
大分中央郵便局の前に<年賀はがき>と書いた
のぼりが何本も立っていました。

 えっまだ9月なのに
何で今年賀はがきかと思いました。

 何か先へ先へと急かされる
慌ただしさ忙しなさを思います。

 何ででしょうかね。
確かに9月になって
今年もあと4カ月になりました。
あっという間に新年を迎えます。

 日々の移ろいです。
まさにあっという間ですが
ゆっくり時間を楽しむ過ごさせていただくことが
本当に難しくなりました。

 先から先へとセールスを仕掛ける
お商売といえばお商売なんですけれども
その中で私たちは今を生きています。
明日を生きているわけではありません。

 明日という日があるかどうか
これ自体おぼつかないし分かりません。

 この命いつか必ず終えていきますが
一番確かなことは今を生きているということです。

 阿弥陀さまのお念仏の救いの法に聞かせていただくと
南無阿弥陀仏のおはたらきで
命終わるその時そのまま阿弥陀仏のお浄土に
往生させていただけるというのです。

 私たちの生まれ往くところは
阿弥陀さまが「必ず救うまかせよ」と決めてくださった
お浄土なのだと聞かせていただきます。

 帰る家がある安心です。
人の命終えて生まれ往くお浄土があることに安心して
私たちはお念仏申しつつ
今日一日を生き抜かせていただけるのです。

 明日がある明日があるといって
明日を生きるわけではありません。
 今度はお正月だよ
今度はひな祭りだよ
今度はお節句だよと
何か急かされるように日々が過ぎ行きますが
今日一日を本当に人間に生れてよかった
私は私でよかったと生き抜かせていただける
お念仏のみ教えに遇わせていただいた
有難さを思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2009.9.3)


お念仏一つの救い

2022-09-02
 親鸞聖人が恩師法然聖人からご教化いただいたのは
「念仏一つで誰もが等しく救われる」という
阿弥陀仏の本願念仏のお救いの仏法でした。

 念仏一つとは
南無阿弥陀仏のおはたらき一つということです。
 この本堂お内陣の真ん真ん中にお立ちの阿弥陀如来が
法蔵菩薩のときに
「生きとし生けるすべてのものを
分け隔てなく必ず救う」と
ご本願をおこされ成就された南無阿弥陀仏の相です。

 念仏一つで救われると
どんなすぐれた修行も要らないと
念仏一つでいいよというのです。

 仏のさとりを開く仏道修行には
いろんな修行があります。
 比叡山の千日回峰行であったリ
学問は基より読経したり座禅をしたりとかです。
 もっと平たくいえば
善いことをしたら救われるといった
諸善万行ということです。

 阿弥陀仏さまは煩悩を抱えて迷いの中を生きる
この私のありのままの姿を見たときに
お念仏一つだけを選び取られ
それ以外の諸行はどんなにすぐれていても
何の役にも立たないとすべて選び捨てられたのです。

 そのうえで救われ難いこの私を
もう放っておこう関係ない知らないと
見放されたのではなく
日夜煩悩に振り回され迷い苦しむ私のために
お念仏の道を切り開いてくださったのです。

 念仏一つで救われるこの道を来いと
南無阿弥陀仏と喚んでくださっているのです。

 法然聖人の著書に『選択本願念仏集』があります。
阿弥陀仏の第18願選択本願です。
 阿弥陀さまが私のために
本願念仏を選んでくださったのです。

 選ぶといって大変です。
私たちの日々の生活を振り返って
例えば服を買いに行くとき
色んな服の中から一つ選ぶわけですが
これがいいなと思う矢先に
これもいいなあれもいいなと迷って
結局は買うのはまた今度にしようと帰ることがあります。
 間に合わないのです。

 阿弥陀さまは迷う私をご存知で
この私にまかせなかったのです。
 阿弥陀さまが私の救いを念仏一つと
選んで決めてくださったのです。

 阿弥陀さまが選んでくださった
「我にまかせよそのまま救う」の南無阿弥陀仏のお心を
聞かせていただきましょう。

 南無阿弥陀仏のおはたらきが私に届けられて
今日も私のこの口からお念仏が出てくださいます。

 南無阿弥陀仏はこの私が心配で心配でならず
私をどこまでも追いかけるように付いて離れず
いつでもご一緒くださる声の仏さまです。

 今日一日もお念仏申して
阿弥陀さまと共々に生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.9.2)


9月1日

2022-09-01
 9月1日です。
昨日8月31日のお話をしましたが
私の当時は今日から学校が始まり二学期でした。

 長い長い夏休みを終えて
再び学校に行く毎日の始まりですが
子どもも親もそれぞれ違った思いで
9月1日を迎えたのではないでしょうか。

 昨日のお話の延長でいいますと
夏休みの宿題がまだ済んでいない子にとっては
学校に行ったら先生から「何をしていたの」って
叱られるということで
重い腰をあげて家を出たことでしょう。

 大方の子どもは久しぶりに友だちに会える楽しみに
胸躍らせて学校に行ったことでしょう。

 この9月1日を迎えるについて
複雑な思いで夏休みを過ごし
できたら学校に行きたくないなと思って
朝を迎えた子もいるのではないでしょうか。

 友だち関係や勉強のことで悩んで
不登校になる子どもの実態です。
 学校に行くとまた嫌な目に遭うので行きたくないが
とにかく学校に行きなさいという周囲の声と
揺れ動く気持ちの間で
どうしていいのかわからない子どもたちです。

 私たちも日々生きています。
 新しく始まる今日一日ですが
あの人に会えるとかどこかに行けるとか
楽しみな一日もあれば
重たい思いをもって朝を迎え
嫌だな嫌だなと気が進まないままに始める一日もあります。

 その人人によって今日一日のことだけではなく
長い人生のなかで生活ぶりはそれぞれ異なります。
 自分にとって都合の良いこともあれば
悪いこともあるでしょう。

 ただ良いも悪いも生きているし
楽しい中に悲しい中に悩み苦しむ中に
生きていかねばなりません。

 お念仏のみ教えを聞かせていただきます。
南無阿弥陀仏とお念仏を申す身にさせていただいて
「どんな時でもいつも私が一緒だよ
我にまかせよ必ずそのまま救う大丈夫」の
阿弥陀仏さまのお喚び声に支えられ安心して
思い通りにならない人生を
共々に生き抜かせていただきます。

 私一人で頑張って生きているのではありません。
多くの周りの人たちとたくさんの命をいただいて
大きないのちのつながりの中に
生かされて生きているのです。

 今日も一日思い通りにならないことや
思いがけないこともたくさんあるでしょうが
「あなたはあなたたの命を精いっぱい輝かせて
一緒に生きて往こう」とお念仏申して
南無阿弥陀仏の大きないのちのおはたらきにまかせて
9月1日の一日を始めさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.9.1)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
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