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お念仏を申す生活法話

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年賀はがきののぼり(2009年アーカイブ)

2022-09-03
 昨日大分の町中のお参りをしていましたら
大分中央郵便局の前に<年賀はがき>と書いた
のぼりが何本も立っていました。

 えっまだ9月なのに
何で今年賀はがきかと思いました。

 何か先へ先へと急かされる
慌ただしさ忙しなさを思います。

 何ででしょうかね。
確かに9月になって
今年もあと4カ月になりました。
あっという間に新年を迎えます。

 日々の移ろいです。
まさにあっという間ですが
ゆっくり時間を楽しむ過ごさせていただくことが
本当に難しくなりました。

 先から先へとセールスを仕掛ける
お商売といえばお商売なんですけれども
その中で私たちは今を生きています。
明日を生きているわけではありません。

 明日という日があるかどうか
これ自体おぼつかないし分かりません。

 この命いつか必ず終えていきますが
一番確かなことは今を生きているということです。

 阿弥陀さまのお念仏の救いの法に聞かせていただくと
南無阿弥陀仏のおはたらきで
命終わるその時そのまま阿弥陀仏のお浄土に
往生させていただけるというのです。

 私たちの生まれ往くところは
阿弥陀さまが「必ず救うまかせよ」と決めてくださった
お浄土なのだと聞かせていただきます。

 帰る家がある安心です。
人の命終えて生まれ往くお浄土があることに安心して
私たちはお念仏申しつつ
今日一日を生き抜かせていただけるのです。

 明日がある明日があるといって
明日を生きるわけではありません。
 今度はお正月だよ
今度はひな祭りだよ
今度はお節句だよと
何か急かされるように日々が過ぎ行きますが
今日一日を本当に人間に生れてよかった
私は私でよかったと生き抜かせていただける
お念仏のみ教えに遇わせていただいた
有難さを思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2009.9.3)


お念仏一つの救い

2022-09-02
 親鸞聖人が恩師法然聖人からご教化いただいたのは
「念仏一つで誰もが等しく救われる」という
阿弥陀仏の本願念仏のお救いの仏法でした。

 念仏一つとは
南無阿弥陀仏のおはたらき一つということです。
 この本堂お内陣の真ん真ん中にお立ちの阿弥陀如来が
法蔵菩薩のときに
「生きとし生けるすべてのものを
分け隔てなく必ず救う」と
ご本願をおこされ成就された南無阿弥陀仏の相です。

 念仏一つで救われると
どんなすぐれた修行も要らないと
念仏一つでいいよというのです。

 仏のさとりを開く仏道修行には
いろんな修行があります。
 比叡山の千日回峰行であったリ
学問は基より読経したり座禅をしたりとかです。
 もっと平たくいえば
善いことをしたら救われるといった
諸善万行ということです。

 阿弥陀仏さまは煩悩を抱えて迷いの中を生きる
この私のありのままの姿を見たときに
お念仏一つだけを選び取られ
それ以外の諸行はどんなにすぐれていても
何の役にも立たないとすべて選び捨てられたのです。

 そのうえで救われ難いこの私を
もう放っておこう関係ない知らないと
見放されたのではなく
日夜煩悩に振り回され迷い苦しむ私のために
お念仏の道を切り開いてくださったのです。

 念仏一つで救われるこの道を来いと
南無阿弥陀仏と喚んでくださっているのです。

 法然聖人の著書に『選択本願念仏集』があります。
阿弥陀仏の第18願選択本願です。
 阿弥陀さまが私のために
本願念仏を選んでくださったのです。

 選ぶといって大変です。
私たちの日々の生活を振り返って
例えば服を買いに行くとき
色んな服の中から一つ選ぶわけですが
これがいいなと思う矢先に
これもいいなあれもいいなと迷って
結局は買うのはまた今度にしようと帰ることがあります。
 間に合わないのです。

 阿弥陀さまは迷う私をご存知で
この私にまかせなかったのです。
 阿弥陀さまが私の救いを念仏一つと
選んで決めてくださったのです。

 阿弥陀さまが選んでくださった
「我にまかせよそのまま救う」の南無阿弥陀仏のお心を
聞かせていただきましょう。

 南無阿弥陀仏のおはたらきが私に届けられて
今日も私のこの口からお念仏が出てくださいます。

 南無阿弥陀仏はこの私が心配で心配でならず
私をどこまでも追いかけるように付いて離れず
いつでもご一緒くださる声の仏さまです。

 今日一日もお念仏申して
阿弥陀さまと共々に生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.9.2)


9月1日

2022-09-01
 9月1日です。
昨日8月31日のお話をしましたが
私の当時は今日から学校が始まり二学期でした。

 長い長い夏休みを終えて
再び学校に行く毎日の始まりですが
子どもも親もそれぞれ違った思いで
9月1日を迎えたのではないでしょうか。

 昨日のお話の延長でいいますと
夏休みの宿題がまだ済んでいない子にとっては
学校に行ったら先生から「何をしていたの」って
叱られるということで
重い腰をあげて家を出たことでしょう。

 大方の子どもは久しぶりに友だちに会える楽しみに
胸躍らせて学校に行ったことでしょう。

 この9月1日を迎えるについて
複雑な思いで夏休みを過ごし
できたら学校に行きたくないなと思って
朝を迎えた子もいるのではないでしょうか。

 友だち関係や勉強のことで悩んで
不登校になる子どもの実態です。
 学校に行くとまた嫌な目に遭うので行きたくないが
とにかく学校に行きなさいという周囲の声と
揺れ動く気持ちの間で
どうしていいのかわからない子どもたちです。

 私たちも日々生きています。
 新しく始まる今日一日ですが
あの人に会えるとかどこかに行けるとか
楽しみな一日もあれば
重たい思いをもって朝を迎え
嫌だな嫌だなと気が進まないままに始める一日もあります。

 その人人によって今日一日のことだけではなく
長い人生のなかで生活ぶりはそれぞれ異なります。
 自分にとって都合の良いこともあれば
悪いこともあるでしょう。

 ただ良いも悪いも生きているし
楽しい中に悲しい中に悩み苦しむ中に
生きていかねばなりません。

 お念仏のみ教えを聞かせていただきます。
南無阿弥陀仏とお念仏を申す身にさせていただいて
「どんな時でもいつも私が一緒だよ
我にまかせよ必ずそのまま救う大丈夫」の
阿弥陀仏さまのお喚び声に支えられ安心して
思い通りにならない人生を
共々に生き抜かせていただきます。

 私一人で頑張って生きているのではありません。
多くの周りの人たちとたくさんの命をいただいて
大きないのちのつながりの中に
生かされて生きているのです。

 今日も一日思い通りにならないことや
思いがけないこともたくさんあるでしょうが
「あなたはあなたたの命を精いっぱい輝かせて
一緒に生きて往こう」とお念仏申して
南無阿弥陀仏の大きないのちのおはたらきにまかせて
9月1日の一日を始めさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.9.1)

8月31日

2022-08-31
 今日は8月31日です。
私が小学校の頃
この日は夏休み最後の日で明日から学校です。

 夏休みの宿題の思い出です。
42日間の長い休みがあって宿題も多く出ます。
 計画を立てて次々にやっていけばいいのですが
ついつい遊びに夢中になって
明日がある明日があると先延ばしにした結果
宿題をやり終えずに8月31日を迎えるのです。

 最後に残る宿題が読書感想文と工作の作品作りでした。
一人で短時間でできることではありません。
 8月31日になって工作をしていなかったということで
それこそ家族総出で手伝ってもらい夜遅くまでかかって
夏休みの作品をつくってもらったことです。

 何で早くしておかなかったのと周囲の声です。
「そんなこと言われなくてもわかってる」って
心の中で何度も叫びながら
自分の至らなさ悔しさに涙目になって
「何で何で何で」と過ごした辛い時間でした。

 8月31日に
人生の締め切りということを重ねて思います。

 人生の締め切りは8月31日と
日が決まっているわけではありません。
 この無常の世に無常のわが身を生きるお互いです。
いつどんな形でこの命を終えていくのか分かりませんが
人生の締め切りは必ずやって来ます。

 生まれ難い人身に生まれて
仏法に遇ってお念仏を申す身になってくれよと
阿弥陀仏さまの大きな願いです。

 人間に生まれて来たのはね
仏法を聞くために人間に生まれて来たんだよと
お釈迦さまのお示しです。

 お念仏を申してご一緒にお浄土参りしましょうと
お念仏の救いのみ教えを勧めてくださる
親鸞さま蓮如さまです。

 そして仏法聴聞の仏さまのご縁を
私たちにつくってくださった
ご先祖有縁の仏さまがご一緒です。

 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりの中に
共々に生かされて
お念仏を申してお浄土への人生の営みを
今日もさせていただきます。

 「どんなことがあってもいつも私が一緒だから大丈夫
あなたはあなたの命を精いっぱい輝かせて
この人生を共々に生きていこう」と
南無阿弥陀仏のあたたかいお喚び声に支えられ
私にできる精いっぱいのことをさせていただける
有難さ尊さを深く深く思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.8.31)

先に往かれた仏さまからいただいたお念仏のご縁です

2022-08-30
 7月の下旬にお葬式が4件続きました。
その4件の四十九日満中陰のご縁が
先週から4週続けて毎週日曜日にお勤まりです。

 本来は同じ日曜日に重なるようなご縁ですが
そのうちの2件は繰り上げてのお勤めです。

 四十九日が三月にかかると
「始終苦が身につく」と言われるものですが
高齢のお母さんや親戚が言うので
繰り上げてお勤めしますというのです。

 そんなことは単なる語呂合わせで
少しもとらわれることはありませんよと
何度もお話させていただくことですが
特に年輩の方は昔からみんながしている言ってると
頑なな思いがあって中々聞き入れてくれません。

 大事なことは
大切な方とお別れした悲しみのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただいて
精いっぱいお勤めしましょうということです。

 日頃中々聞くことのないお念仏の救いのご法義に遇って
お念仏申す身になっておくれと
先に往かれたご先祖有縁の仏さま方が
まさに命がけでつくってくださった仏さまのご縁です。

 四十九日間の中陰の期間中
七日七日のご縁は初七日から七七日まで7回あります。
 繰り上げて仏さまのご縁が減るのは
本当にもったいないことです。

 阿弥陀仏さま有縁の仏さまからいただいたご縁と
そのままいただいて
お勤めさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.8.30)


円光寺
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