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お念仏を申す生活法話

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コロナ禍の中の卒業生

2023-03-03
 3月は卒業式の時節です。
高校中学校と各地で卒業式のニュースです。

 このたび卒業式を迎える三年生の学校生活は
コロナ禍の中で
入学式からずっとマスクを着けての学校生活でした。

 コロナもやっと収束状況になり
3月13日からはマスクの着用が緩やかになります。

 卒業式はというと
マスクは校歌斉唱のときは着けて
その他の時の着用は自由のようです。

 先月28日鹿児島のある高校の卒業式では
卒業生の歌手長渕剛さんがサプライズ出演で
持ち歌を披露して卒業生の門出を祝い
大きな話題になりました。

 何ものにも代えがたいこの三年間
まさに青春真っ盛りの中に
運動会や文化祭修学旅行と
行事が中止になったり内容が変更になったりで
思い出作りができないままに
「つらかったね かわいそうだね 気の毒に」と
周囲の声ですが
この三年間を生きてきたし
ある意味貴重な経験をしてきて
振り返った時に「よかった」と言えるのも
三年間を共に過ごした皆さんだからと思います。

 いろんなことがある人生です。
良かった悪かったといって
そうした時間を過ごしてきた中で
今の私があるということ
私たちの人生の確かな歩みがあると思います。

 大きないのちのつながりの中に
共々に生かされて生きて
本当によかったと
お念仏申して今日一日も生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023、3.3)


マイナンバーの申請

2023-03-01
 2月の愈々終わりということになって
昨日28日にやっとマイナンバーの申請をしました。

 もう早くから何度も書類が届いて
メディア等で言われていましたが
申請に何か一つ踏み切れないところがあって
先送り先送りで今になったということです。

 マイナンバー制度を推進したい政府は
色んなひも付きで申請を促し
健康保険証に係ることなど
日常生活に及ぶ負担まで言い出しました。

 すでに国民の70%が申請済みということです。
そこでやっと思い立った次第です。

 市役所に行くと2時間待ちの申請になるとのことです。
早くしておけばいいいようなことを
私のような人がたくさんいるんだなあと
心の中で苦笑いです。

 担当者曰く
近くのショッピングセンターでもできますとのことで
早速行きました。

 先客が一人ということで
3人がかりですぐ対応してくださり
事務的な流れ作業で5分も係らず申請終了しました。

 えっこんなもの!っと
何やかんや思っては放置して
追い込まれて重い腰を上げる私のあり様を
おかしくも思います。

 この人生の道行きについても
同じようなことを思います。

 本当に大事なことを後回しにして
いつでもできるどうでもいいようなことに
忙しい忙しいと言っては右往左往している私です。

 後生の一大事の解決こそ
仏法聴聞の要とお聞かせいただきます。

 私の落ち着くところです。
何をたよりに何を大事に生きているのかと
阿弥陀如来のご本願に聞かせていただきます。

  お念仏申して
「われにまかせよ そのまま救う」の
南無阿弥陀仏のおはたらきにまかせて安心して
今日の一日も私にできることをさせていただき
往生浄土の道行きを共々にさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.3.1)


お念仏の人が後に遺すもの(2011年アーカイブ)

2023-02-28
 先に往かれた方が後に遺った人に
遺されるものに三つあるといわれます。

 一つは思い出、一つはお遺骨
そして仏縁といいます。

 「死んだらお終い」といわれます。
確かに死んでしまったら
生きているうちにするべきことはできなくなります。

 ただ仏法聴聞させていただくと
人の命は終わりますが
南無阿弥陀仏のおはたらきで
そのままお浄土に生まれて
仏さまに成らせていただくと聞かせていただきます。

 仏さまのご縁をいただくのです。
人の命終えて愈々大きないのちのつながりのなかに
先に往った方も後に遺った方も共々に
生かされて生きて往けるのです。

 尊い仏さまのご縁を
私たちは大切なお方のご法事でいただきます。

 確かに思い出はいつまでも遺りますね。
あの時あそこに行ったこうだったという思い出です。

 そしてお遺骨です。
今は写真も映像もあって
この目で見ることで
亡き人を懐かしむ思い出すということです。

 ただそうした思い出も過去ということではなく
今ですよといただけるのが仏縁なのです。

 今まさに先に往かれた方は
この目には見えないけれども
この私のことを護り導いてくださっているというのです。

 そのお導きがお念仏のご縁です。
お念仏のみ教えを聞いてくれよと
先に往かれた仏さまがつくってくださるご縁です。

 お念仏のみ教えを聞かせていただきますと
私たちは南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
この命終わる時そのまま
阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただけるのです。

 先に往かれた方はすでに
阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏さまに成ってくださり
この世に還って来て
お念仏の声となりご一緒してくださっているのです。

 お経さまにお浄土を俱会一処
俱に一処に会う世界と示してくださっています。
 私もまたこの命終えてお浄土に生まれ
お浄土で懐かしい方々と再び会うことができるのです。

 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
今日の一日をまた恵まれたということです。

 お念仏を申して今日一日も
阿弥陀さまのお慈悲の中に
生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2012.2.28)

自信教人信(2016年アーカイブ)

2023-02-27
 年度末の時節です。
日本の社会は年度といって
4月から翌年の3月までを一年のくくりとします。

 学校は4月の始業式で始まり入学式があり
3月に卒業式があって終業式で終わります。

 この時期お寺の各団体の会議が種々あります。
この一年間を振り返り
来年度の活動計画を立てる会議です。

 ほぼ前年度を踏襲するということが多くあって
同じことの繰り返しだったら
別に会議をしなくてもと思うこともあります。
 形ばかりのことでしたら
何か勿体ない気にもなります。

 今年度の反省を踏まえて
来年度は一つでも何かしましょうと
お互いが確認する会議でありたいと思います。

 お念仏のご法義に当てていただきますと
自信教人信のみ教えです。

 このお寺が建てられた目的を思います。
一人でも多くの人にお念仏のみ教えに遇ってほしい
お念仏に生きる喜びをもって
お寺にお参りしてほしいということです。

 一人でも多くのというと
何か他人事のように聞こえますが
実は私なのです。

 まず私からという「自信」です。
自ら信じるということです。

 阿弥陀さまの「必ず救うまかせよ」のご本願を信じ
「教人信」で人に教えて信ぜしむといいます。

 何かこういう言い方をすると
人にこうだよこうだよこうだよと
言ってるみたいですけれども
自信です。
 自ら信じるそのすがたです。
お念仏喜び申すすがたがそのまま
隣の人に伝わっていくということです。

 自分に力を入れるということではありません。
ただ自信教人信と言ってはみても
中々隣の人につながる伝わるということは難しいです。

 だからお寺で色んな行事をしたりして
お念仏のご縁づくりをはかるのです。

 お寺にお参りしてほしいといっても
本堂に入ってお説教を聞いてというのは
まだまだ抵抗があると思います。

 だからうちのお寺でしたら
花まつりや降誕会をしたりして
地域の方もお寺参りできるような行事を工夫して
住職だけでなくご門徒皆さんも一緒に考えて
何か一つ一人でも多くの人にという思いのなかに
自信教人信のお気持ちを持たれて
これからも皆さんお寺参り
仏法聴聞していただきたいと思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2016.2.27)


私の伯父さん(2016年アーカイブ)

2023-02-19
 今日2月19日は私の伯父さん
昭円さんの祥月のお命日です。

 円光寺の長男に生まれ
昭和23年に28歳で往生されました。

 5人姉弟の二番目で
長女二男と既にお寺のご縁をいただいて寺を出ており
三男の私の父が次期住職を継ぐべく
円光寺に帰り結婚して私が生まれたので
私は伯父さんに会ったことがありません。

 写真をみますと
丸い眼鏡をかけた何とも温厚な感じの伯父さんです。
 戦後の混乱期で医療も充実していませんから
今だったら助かる病気も
当時は死に至るということだったのでしょう。

 私が今ここに生きているということは
昭円伯父さんのご縁なくしてはないことで
私たちのいのちの不思議を思います。

 いのちのご縁つながりです。
こうしてこうしたらこうなるということではなくて
南無阿弥陀仏の大きないのちの物語です。

 私の思いはからいで私がつくる物語ではなく
南無阿弥陀仏の大きないのちのおはたらきで
仏さまがつくってくださる仏さまのご縁の物語です。

 私たちは人間としてこの世に生まれて
どんな人も命終えていきます。
 生まれて生きてという人生のいのちの物語ですが
仏法を聞かせていただきますと
死んだら終いのいのちではなく
この人間界に生れてくる前から
ずっとつながっているいのちの物語です。

 先に往かれた昭円伯父さんは
お浄土で仏さまに成ってくださって
これまでもそしてこれからもずっと
南無阿弥陀仏のおはたらきで私たちを見守り
必ずすくうと阿弥陀さまのお手伝いをしてくださっていると
聞かせていただきます。

 私たちはみんな南無阿弥陀仏の
大きないのちのつながりのなかに共々に生かされて
生きているのです。

 お念仏申して人の命を生き抜いて
命終えてそのまま無量寿のいのちとなって
無量光のおはたらきをさせていただきます。
 永遠に南無阿弥陀仏の
いのちの物語は続くのです。

 今ここに生きている私も
南無阿弥陀仏のいのちの物語の中にあって
これからも生かされて生きて往きます。

 私が私がと自分を中心に
自分の思い通りに生きよう生きている私です。
 思い通りに行けばいいのでしょうが
思い通りにならないときに苦悩し
周りに腹を立て他人をまた自らを傷つける私がいます。

 このいのちは自分だけのいのちではありません。
南無阿弥陀仏の大きないのちに生かされて
周りの方々多くのいのちに育まれて
あらゆるいのちとつながっていることを
仏教は縁起の法で教えてくださいます。

 昭和23年2月19日28歳でご往生された伯父さんのご縁で
今ここに私が生きています。
 何とも不思議ないのちのご縁をいただいて
今日も皆さんとご一緒にお朝事のお勤めができて
お念仏申させていただくことの有難さを思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2016.2.19)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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