本文へ移動

お念仏を申す生活法話

RSS(別ウィンドウで開きます) 

リレー・フォー・ライフ

2024-09-23
 昨日22日の秋分の日国民の休日の
今日は振り替え休日です。
 土曜日からの三連休になり
各地でいろんなイベントが行われます。

「暑さ寒さも彼岸まで」と言われる
本来は絶好の行楽シーズンですが
各地で猛暑日を記録するなど
まだまだ真夏の様相で外に出るのもおっくうです。

 昨日は一日雨模様でした。
土曜日には石川能登地方で大変な豪雨災害があり
心からお見舞い申し上げます。

 今日は朝から青空がひろがり
心地よい風が吹いて
「リレー・フォー・ライフ」の
ウォークイベントに参加しました。

 リレー・フォー・ライフとは
がんサバイバー(がん経験者)やそのご家族を支援し
地域全体でがんと向き合いがん征圧を目指して
1年を通じて取り組むチャリティ活動です。
 1985年、一人の医師がトラックを24時間走り続け
アメリカ対がん協会へ寄付を募りました。
「がん患者は24時間、がんと向き合っている」という
想いを共有し支援するためでした。
 ともに歩き、語らうことで生きる勇気と
希望を生み出したいというこのイベントは
現在世界34ヶ国2460ヵ所で開催され
年間寄付は約137億円にのぼります。
               (リーフレットより)

 今回私が参加したのは
リレーフォーライフ活動の締めくくりとして開催する
サバイバーに寄り添い歩くリレーイベントで
サバイバーや医療福祉関係者がチームの仲間と
24時間チームフラッグを掲げ
タスキをつないで歩きます。

 会場のスポーツ公園の周回コースを
1時間ほど歩きました。
 久しぶりのウォーキングです。
各チームのテントが並び
色んなメッセージのフラッグが掲げられ
さわやかに秋を感じられてよかったです。

 私たちが生きる社会には
人それぞれに色んなことがあります。
 老病死の苦悩を生きるお互いですが
自分が生きることで精いっぱいで
他の人のことを思いやることは
中々大変難しいことです。

 自利利他円満の菩薩の慈悲行は到底できませんが
お念仏申して今私にできることをさせていただくことで
自他共に心豊かに生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.23)

お念仏申して生きる

2024-09-22
 深夜2時過ぎ激しい雨音で目が覚めました。
雷も鳴って心配になりました。

 昨日石川県能登地方を襲った集中豪雨の
テレビ映像が頭をよぎりました。
 川という川が氾濫し至る所が
大きな河のような洪水状態になっていました。

 今年1月1日に能登半島地震が起こり
大きな被害をこうむったところで
まだ復旧復興の途上にあるなかでの
今度は豪雨災害です。

「地震があってまた今度は豪雨で、何でどうして」
「踏んだり蹴ったり」「神も仏もない」
「もう絶望感しかない」など
住民の皆さんの偽らざる悲痛な声です。

 私たちは豊かな自然の恵みを享受して生きていますが
時としてこの大自然は脅威の牙をむきます。

 同じ昨日の大相撲で石川県出身の関脇大の里関が
二度目の優勝を果たし
来場所の大関昇進をほぼ決めました。

 地元石川の度重なる自然災害に言及して
「この優勝と大関昇進の明るい話題で
地元が元気になってほしい」と述べています。

 いつどこでどんな災害に遭うかわからないなかに
毎日生きている私たちです。

 お念仏申して生きるとは
大自然の営みの中で
いつでもどこでもどんなことがあっても
阿弥陀さまの大きなお慈悲のなかに
共々に生かされて生きていると聞かせていただきます。

 どんなことがこの身の上に起こっても
阿弥陀さまは摂取不捨のおはたらきで
「決してあなたを見捨てることはないから
大丈夫安心して一緒に生きて往きましょう!」と
南無阿弥陀仏と喚んでくださっているのです。

 この人生は嬉しいこと楽しいこともありますが
自分の思い通りにならないことも沢山あります。
 どんなに悲しいときでも苦しいときでも
いつもご一緒してくださっている阿弥陀さまにまかせて
お念仏申して往生浄土の道行きを共々に
今日一日も歩ませていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.22)

秋の彼岸会のご縁です

2024-09-21
 お寺の秋の彼岸会のご縁です。
コロナ禍でお寺のご縁もしばらくは
お休みしたり内容変更したりしてきましたが
次第に以前のようなお勤めができるようになり
あらためてお寺のご縁の有難さを思います。

 本堂の阿弥陀如来の御仏前に
ご門徒有縁の皆さんが一堂に座り
ご一緒にお勤めをしご法話お聴聞しました。

 まさに俱会一処(くえいっしょ)のご縁です。
久しぶりにお会いする人もいて方々で話が弾みます。
 ゆっくりゆったり皆さんが安心できる
お寺の阿弥陀さまのご尊前です。

 お念仏のご縁につながって
阿弥陀さまの大きなお慈悲のなかに
共々に生かされて生きる
私たちはお念仏のお仲間
御同朋(おんどうぼう)であり
お浄土への道行きを共にさせていただく
御同行(おんどうぎょう)です。

 お寺のお話は仏さまのご法話お取り次ぎのお話ですが
そのことが本当に有難い尊いことです。

 仏さまのお話は学校や仕事場で
聞くことはできません。
 仏さまの御前でお念仏申すなかに
ご一緒に聞かせていただきます。

 仏さまは色々たくさんいらっしゃいますが
「阿弥陀さまが一番!」とお話でした。
 この私を必ず救うとおはたらきの阿弥陀さまです。
私の阿弥陀さま
私の生死(しょうじ)の帰依処を
南無阿弥陀仏と成就してくださり
いつでもどこでもどんな時でも
大きなお慈悲のなかに
ご一緒してくださる阿弥陀さまです。

 お念仏申してあなたも私も皆共に
心豊かに生かされて
阿弥陀さまの彼岸お浄土に生きて往きましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.21)

「なんてこった!」

2024-09-20
 大リーグの大谷翔平選手が
51本塁打51盗塁の51‐51達成です。

 前日まで48‐49でした。
あと10試合を残して
大方の人は大リーグ史上初の50‐50は
確実に大丈夫と思っていたでしょうが
今朝実況の試合で
何と6打数6安打10打点2盗塁3打席連続本塁打の
本人が一番びっくりしていると言う大車輪の活躍で
一気に前人未踏の目標に到達しました。

 それも自身初めての
ポストシーズン進出を決める試合で
舞台は去年ワールドベースボールクラシックの決勝戦で
大谷投手が最後三振を奪って
アメリカに勝利した球場ということで
まるで漫画のような驚きの展開です。

 これまでも40‐40の大きな節目は
最終回逆転満塁サヨナラホームランで決めるなど
どんな表現を使っても
人間業とは思えない驚きの連続に
「なんてこった!」とあきれるばかりです。

 英語で「オーマイゴッド!」
(私の神様……とても信じられない)と言われますが
不思議な出来事のようであって
今現実に私たちが目撃している事実です。

 どんなことが起ころうとも
この世の中の事象ものごとは
さまざまな因縁によって生起すると
仏教は縁起の法を説かれます。

 ただ誰もがみんな同じことができるのではなく
その人人の持って生まれた才能もあるでしょうし
目標に向かってたゆまぬ努力を続けた結果であって
ただただ称賛するばかりです。

 大谷選手は
自分一人の力ではなく多くの方々のおかげで
今の自分があるといつもの謙虚なコメントです。

 本当に人間味豊かな誰からも愛される
スーパースターだなといつも感じ入ります。

 「オーマイブッダ!」と置き換えて
仏さまの大きなお慈悲のなかに
私たちはどんな人も共々に
生かされて生きていると
仏法に聞かせていただきます。

 私たちは人それぞれに生活ぶりは違いますが
同じ時代社会に共に生きる者同士です。
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
お念仏申して互いのいのちを尊び敬い支え合って
これからも共々に生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.21)

ユルサレテキクシンジテキク

2024-09-19
 先日地元新聞のコラムに「傾聴」について記述があり
興味深く読ませていただきました。

 相手の話にひたすら耳を傾けて聴くということで
自分の思いはからいを極力排除する姿勢が求められ
傾聴に臨む心構えが記されていました。

 自分の世界観とは別の
「相手の世界」に入らせていただくことで
謙虚さを携えて臨むことが必須だとありました。

 「この方はなぜ、今、このお話を
私にしてくれているのだろうか」という自問が
話の聴き方を大きく変えてきたといいます。

 そして傾聴で求めるのは、必ずしも解決だけではなく
その場から逃げ出さず、共に寄り添い共苦してくれる
お互いの存在であることに気づかれたといわれます。

 「聴す」の読み方が「ゆるす」であることを知って
相手に話すことでしばし問題を自分から「放し」
相手がそれを聴くことで
それを「ゆるす」のであるとしたら
人と人との間には、何と豊かな相互回復の働きが
与えられていることだろうかと思う
と結ばれていました。

 「浄土真宗は聴聞に極まる」と言われるように
お念仏の先人は仏法聴聞を大切にし伝えてきました。

 浄土真宗のお寺の特徴に
仏さまをご安置する内陣より外陣の方が広くありますが
より多くの方々にお寺にお参りいただいて
仏法聴聞してほしいとの願いからです。

 ではお聴聞といって何を聞くのでしょうか。
親鸞さまは
「仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし
これを聞といふなり」と示されました。
 阿弥陀さまのご本願のいわれを疑いなく聞き
信心いただいてお念仏申す身にさせていただきます。

 親鸞さまは聴聞という言葉に
「聴」に「ユルサレテキク」
「聞」に「シンジテキク」とご左訓されています。

 そして親鸞さまご在世の頃の辞書には
「聴は往く聞は来る」とあるそうです。

 「聴」はこちらから往って聴くということで
「聞」はこちらに聞こえて来るということです。

 さて「聴」の字を「ユルサレテキク」と
いただかれたお心を
先のコラムに重ねて思います。

 私からお念仏の世界に往って聴くことで
「阿弥陀さまは、なぜご本願を起こされたのか」と
私のことと聴かせていただき
阿弥陀さまが苦悩の衆生の私を救うために
本願をたてられ成就して阿弥陀仏と成られ
いつでもどこでもどんな時でもご一緒くださる
南無阿弥陀仏のおはたらきとなって
私に聞こえて来てお念仏の世界が広がるのです。

 南無阿弥陀仏とお念仏申し
そのまま聞かせていただきましょう。
 お念仏のお心が私の心に届いて信心いただき
この口からお念仏が出てくださいます。
 お念仏申して往生浄土の道を歩ませていただく身に
お育ていただくのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.19)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
0
5
1
7
6
1
TOPへ戻る