ラインでつながる
2024-10-15
先日スマホのライン操作をあれこれ扱っていたら
誤って電話登録している皆さんに
ラインの通知がなされたようで
早速11人の方から「よろしくお願いします」と
ラインが返ってきました。
どうしてこうなったのか
どう対処すればいいのかなどと
思いながらそのままにしていたら
「何も応答がない!」と
お叱りをいただきました。
そうですよね。
こちらから「ラインでつながりませんか」といって
「よろしくお願いします」と意思表示されたのに
こちらからも「よろしくお願いします」と応じて
ラインがつながるということです。
対面の人間関係でいったら
一方的に無視されたようなものです。
そこで大分時間が経ちましたが
こちらから少し言葉を添えて
「よろしくお願いします」とラインを送りました。
びっくりしたのは相手方の反応です。
次々と即座にラインが返ってきました。
ああこれか!
ラインがつながる、つながっているという安心です。
逆につながらないと
不安になるということなのでしょう。
お念仏のご縁つながりです。
私たちは共々に阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
生かされて生きていると聞かせていただきます。
私がどうこうしてあなたがどうこうして
私とあなたがつながるのではなく
あなたも私も南無阿弥陀仏のおはたらき一つに
つながっている大安心です。
それは昨日もその前からずっとつながっていたし
明日もこれからもずっとつながっていくのです。
お念仏申して今日一日も
南無阿弥陀仏の大きないのちにつながって
共々に生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.10.15)
スポーツの日
2024-10-14
今日は「スポーツの日」の国民の休日です。
以前は10月10日が「体育の日」でしたが
今は10月第二月曜日になり名称も変更されています。
国民体育大会(国体)も
今年から「国民スポーツ大会(国スポ)」に
名称変更になりました。
スポーツの秋です。
秋晴れの清々しい天気の中で
スポーツにいそしむ絶好の季節ですが
地球温暖化で10月のこの時期も日中は暑い日が続き
小学校の運動会は今週の土曜日に
やっと開催されるということです。
コロナ禍で運動会も大分変わったといいます。
運動会といえば家族総出で
お弁当をもって見に行ったものですが
今は午前中で運動会を終えて
弁当の時間がないところもあるそうです。
運動会の日の天気を気にしながら
朝早くからお弁当作りしていたなんて
思い出話になってしまいそうです。
テントの場所取りも大変だったと聞きます。
ある学校では前日から場所取りが始まるそうで
夜中も寝袋で寝て場所を確保したということです。
諸々大変なことが多かった運動会は
家族の一大イベントでした。
時代社会の移り変わりで
いろんな行事のあり方も変わって行きます。
それぞれの家庭の事情生活ぶりが違うなかで
仕方のないこともありますが
何か寂しい気もします。
人それぞれに運動会の思い出もさまざまですが
徒競走が苦手だった私は
運動会が近づくと
「風よ吹け雨よ降れ」と思ったものです。
その思いが通じたのか雨になることもありましたが
運動会は延期になって後日開かれ
モヤモヤする日が続くことになるだけでした。
この人生も良いこと悪いことと
自分の都合に合わせて思うと色々ですが
嫌な思い出も今は返って話の種にするぐらいに
よい思い出になっています。
南無阿弥陀仏のお救いのご法義は
「良いも悪いもお慈悲の中」と
たくさんの人と出会い繰り広げる人生模様の
すべてがこの身になって
歳を重ねるなかに「あなたの会えてよかった」と
聞かせていただく有難さです。
今日一日もお念仏申して
生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.10.14)
お坊さんの見立て
2024-10-13
お坊さんってどんな人?
お寺の法務のご縁で接する機会が多い
ご門徒さんはじめ周囲の人は
個々のお坊さんをどう思っているのでしょうか。
それぞれ人人の見方があって
一々そんなに気にすることもないのでしょうが
さすがに「えっ」と思うお坊さんの見立てに
びっくりするようなことがあります。
これはお坊さんだけではなく
色んな職種の人についても言えることですが
「お坊さんはこうあるべきだ!」と
勝手に思い込んで見られることには
多少抵抗を感じます。
他のお坊さんのことだったら
そんなお坊さんもいるんだと
批判的な見方には反省することもありますが
自分自身のことでそれも日頃よく知っている人の
予想外の見立てを聞きました。
こんなふうに思われているんだと
そのまま受け入れることができず
弁明するように自分なりの理屈を重ねますが
どんどん距離ができてしまって
挙句の果てに
「これでもお坊さんですか!」と非難される始末です。
人と人との関係です。
その人人の性格ものの見方生活ぶりもそれぞれ違って
同じ屋根の下で毎日一緒に生活している
夫婦親子兄弟姉妹もみんな違い
ちょっとした思いや意見の行き違いで
背中合わせになることもあります。
つくべき縁あれば一緒になり
離れるべき縁あれば離れていく
人と人との関係ですが
お念仏のご縁つながりのなかに
私たちは共々に生かされて生きていると
聞かせていただきます。
どこまでも自己中心の
私の思いはからいが邪魔をして
ついたり離れたりするあなたと私の関係も
阿弥陀さまはすべてご存知でそのまま救うと
南無阿弥陀仏のおはたらきでいつでもどこでも
私たちにご一緒してくださっているのです。
お念仏申してあなたも私も皆共に
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.10.13)
核のない世界へ
2024-10-12
日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に
ノーベル平和賞が授与されることになりました。
授賞理由を
「核兵器のない世界の実現に尽力し
核兵器が二度と使われてはならないことを
証言を通じて示してきた」としています。
1945年8月6日広島に9日に長崎に
世界で初めて原子爆弾が投下され
幾多の命が犠牲になりました。
被爆者が自ら手を上げ語ることで
核兵器禁止を世界中に訴え続けてこられた
尊い活動です。
ただその切なる願いに抗うように
世界の主要大国は核開発競争を進め
現存する核兵器は地球を何度も破壊するような数になり
核兵器が再び使われる脅威も迫るものがあります。
核保有国の首脳が強調するのが核抑止論です。
核を持つこと有ることで
戦争を抑止し平和を維持できるというのです。
自分たちに都合のよい全くの詭弁であり
ロシアのプーチン大統領は
ウクライナ侵攻の思わしくない展開に
核の脅しを再々公言しています。
核のリスクが高まるなかに
このたびの平和賞です。
「核のない世界」の実現へと
1956年に日本被団協は結成され
地道に運動を展開されてきました。
「ノーモアヒバクシャ!」と訴え続け
ヒバクシャが国際用語に認知されるほどになりましたが
「核のない世界」の実現の道筋さえ
見い出すことができないままです。
核のない世界、戦争のない世界は
仏さまの願いです。
仏教は「一切の者は刀杖(武器)を恐れ
一切の者は死を恐る。
己が身に思いくらべて
殺すなかれ、殺さしむなかれ」と
不殺生戒を説きます。
阿弥陀如来のご本願お念仏の世界は
生きとし生けるすべてのいのちを
分け隔てなくそのまま救うと
南無阿弥陀仏のおはたらきで
お慈悲の中に共々に生かされて生きる世界です。
核がある世界に本当の安心はありません。
核があることで互いに疑心暗鬼になり
大きな不安の中に
私たちを貶めるものでしかありません。
お念仏に生きる私たちです。
お念仏申して仏さまの願いを聞き
「核のない世界」の実現に向けて
私にできることをさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.10.12)
お聴聞の心得
2024-10-11
浄土真宗は「聞の宗教」といって
お聴聞を大事に心得なさいと
親鸞さま蓮如さまお念仏の先人のお勧めです。
浄土真宗のお寺はお念仏聞法の道場といわれ
お寺にお参りしてお念仏のみ教えをお聴聞し
お念仏申す身にお育ていただくというのです。
阿弥陀如来のご本願のお心
南無阿弥陀仏のお救いのおはたらきを
聞かせていただきます。
聴聞の聴も聞も聞くということですが
聴はこちらから聞くといいます
仏法を聞くためにお寺参りするのですが
お参りしようとする思いがないと
いつまでもお参りできず
仏法聴聞のご縁に遇うことができません。
お寺参りして仏法聴聞させていただきます。
お寺のお話は仏さまのお話です。
真実変わらないいつも同じお話で
これは聞いた分かった覚えたと聞く人がいますが
それは知識として仏法を聞いたということです。
聞いたことをテストしたら
100点を取れるかもしれませんが
仏法を聞いた分かった覚えたから
救われるということではないのです。
お聴聞の場である御仏前に身を置くことの意味です。
私の思いはからいで聞くのではなく
その時どきで変わり行く不実なわが身に引き当てて
ひたすらそのまま聞かせていただくのです。
仏さまの智慧のおはたらきで
仏さまのお心が凡夫のわが身に聞こえてくるのです。
「われにまかせよ必ず救う」のお念仏のお喚び声です。
南無阿弥陀仏のお心おはたらきが
私の心に届けられて
私の口からお念仏が出てくださるのです。
私が聴こうと思い立って
お念仏のお心を聞かせていただくことですが
南無阿弥陀仏の他力のお救いのおはたらきが
そのまますでに私に届けられていたのです。
聴くも聞くも
阿弥陀さまのお慈悲の中に
仏さまのご縁に遇うことで
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
私たちは共々に生かされて生きていると
聞かせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.10.11)