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お念仏を申す生活法話

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日朝首脳会談(2002年アーカイブ)

2022-09-18
 昨日の日朝首脳会談の話題です。
政治ということについて思います。

 政治とは駆け引きだとよくいわれます。
国と国の間では色んな材料をもって
自国に有利なように国益を考えて
駆け引き交渉をしてまいります。

 今回の日本側の最重要課題は
北朝鮮による日本人の拉致問題という人権問題であり
不当な誘拐事件の犯罪行為です。

 8人の拉致被害者が既に死亡しているという
衝撃的な内容が伝わってきています。

 この問題は極めて個人の人権にかかわる
犯罪行為であり
北朝鮮に拉致された方が日本国という国家を背負って
北朝鮮に連れて行かれたということではありません。

 皆さん私たちと同じ一般の市民です。
ある日突然強制的に異国に連れて行かれて
家族や知人と連絡がとれないままに
大きな不安の中に不自由な生活を強いられ
亡くなった方もいらっしゃるということです。

 拉致被害者の方とその家族にとって
これほど不条理で理不尽なことはありません。

 拉致という事実があって北朝鮮のトップも認める
この拉致問題は何を置いてもすぐ解決されるべきことで
国家間の駆け引きの材料にするべきものでは
決してありません。

 ただこうしたことがこれまでも
私たち人類の歴史の中で繰り返されてきました。
 その最たるものが戦争です。

 国家間の駆け引き交渉が決裂して
最後は自国の正義を互いに主張し合い
雌雄を決して殺し合う戦争で
結局は一般市民に犠牲を強いることです。

 私たち愚かな人類は何度も何度も
そして今も戦争を繰り返して
何人もの個々の人生が埋没されてきました。

 個々のご家族の思いとは遠く遠く離れた
歴史の歯車の中で
私たち個々のいのちの尊厳が
見えなくなってきています。

 私たち一人一人の命に寄り添うところに
宗教があると思います。
 宗教と政治は相容れないところが多くありますが
宗教も政治も本来一人一人の福祉に貢献するものです。

 いのちあるものすべてを分け隔てなく救うと
本願に誓われ南無阿弥陀仏と成就された
浄土真宗の教えに聞かせていただき
お念仏申して
「すべての者は暴力におびえ
すべての者は死をおそれる
すべての生きものにとって生命は愛しい
己が身にひきくらべて
殺してはならぬ殺さしめてはならぬ」
(『法句経』129偈130偈)と
言い続けていかなければならないと思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2002.9.17)

3か月ぶりのご縁です

2022-09-17
 昨日は大分市のコンパルホールで毎月一回開いている
<大分まちなか法話会>のご縁をいただきました。

 3か月ぶりのご縁です。
7月8月と予定していたもののコロナ感染者の急増で
取り止めていました。

 今回も台風14号の接近でできるかどうかと思いましたが
とお話を始めたことです。

 いつもの時間よりお話がオーバーしてしまいました。
「久しぶりに熱が入っていましたね」
と進行の方の弁です。

 7年前の4月から始めた会で
私の大変思い入れのあるご縁です。
 
 参加者も決まってきて
大分市内の各地から毎回10人前後の方が
お集まりです。

 人から人へと仏法は自ずから伝わるということを
メンバーの方々とのご縁つながりに思います。

 不思議なご縁とでもいいたいほどに
仏さまからご縁をいただいたと有難く思います。

 親鸞聖人は『正像末和讃』に
「他力の信心うるひとを うやまひおほきによろこべば
すなはちわが親友とぞ 教主世尊はほめたまふ」
(他力お信心を得る人は
 仏の教えを敬い信じて喜ぶので
 釈尊はこのものを
 わたしのまことの友である
 とおほめになっている)
と述べられています。

 阿弥陀如来の本願念仏の仏法に遇って
ご信心をいただきお念仏申す身にさせていただく
私たちは
お釈迦さまの親友まことの友であると
親鸞さまはいただかれました。

 親鸞さまは『歎異抄』の中で
「親鸞におきては弟子一人ももたず候」と
常日頃の仰せであったといわれます。

 共に南無阿弥陀仏のおはたらきに信順して
如来より信心を賜わるおなかま御同朋であり
同じお浄土へのお念仏の道を往く御同行であると
お念仏のご縁をいただく人人と
膝を交えてお念仏を喜び申された
親鸞さまのあたたかいお姿を思います。

 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかで
阿弥陀仏の大悲のおはたらきに
共々に生かされて生きてあると聞かせていただき
これからも<大分まちなか法話会>を
ご一緒に続けてまいりたいと思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.9.18)


 

一歩二歩前をご一緒くださる(2012年アーカイブ)

2022-09-17
 台風の影響で凄い風が吹いています。
今朝6時の梵鐘を撞いて
いつもすぐ目に入るのですが
本堂の前に親鸞聖人の御尊像を
ご安置させていただいています。

 こんなに風が吹いても雨が降っても
また晴れの日でも雪国では深い雪の中でも
親鸞さまはすーっとお立ちになっていらっしゃいます。

 何とも頼もしいなあと思って
手を合わせてお礼をさせていただきます。

 当り前じゃないか
立ってるすがたに作っているのだから
という見方もあります。

 ただお念仏申す私たちには
私たちが救われていくお念仏のみ教えを
この私に示してくださり
お浄土への道を一歩二歩前に歩いて
ご一緒してくださっている
親鸞さまの尊いおすがたです。

 今日は敬老の日です。
昨日のニュースで65歳以上の高齢者が
全国で三千万人を超えて
全人口の約四分の一になったということです。

 今年から昭和22年生まれの団塊の世代の方々が
高齢者の仲間入りをするということで
これから高齢者の割合が増えてくるといいます。

 高齢者になったからどうこうということではなく
その人人です。
 50代60歳前後の方でも
お亡くなりになる方もいらっしゃいます。
 今も病気で病院に入院されている方も
たくさんいらっしゃいます。

 いつまでも若くて健康で
長生きできたらいいのでしょうが
老病死の苦といって私の思い通りにはなりません。

 私たちのお念仏のみ教えは
南無阿弥陀仏とお念仏を申して若返る
南無阿弥陀仏とお念仏を申して病気が治る
南無阿弥陀仏とお念仏を申して長生きをするという
ご宗旨ではありません。

 南無阿弥陀仏とお念仏を申して
老いて往ける、病んで往ける、死んで往けるのです。
 南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
老病死の苦悩の身を生きる私をそのまま
生死の苦悩を超えた阿弥陀仏の安養浄土に
生まれさせていただけるのです。

 阿弥陀さまがご一緒です。
親鸞さまがご一緒です。
蓮如さまがご一緒です。
 そして私たちのご先祖有縁の仏さま方が
南無阿弥陀仏とお念仏申すなかに
いつも私に寄り添いご一緒して
私の人生を荘厳してくださるのです。

 南無阿弥陀仏のおはたらきで
本願を信じお念仏申す身にお育ていただいて
今日の一日も往生浄土の道行きを
共々に生かされて生きて往けるのです。

 敬老は老いを敬うと書きます。
私たちが共に生きる現実社会にあって
お念仏のみ教えを聞かせていただいて
人人が互いのいのちを敬い認め合って
南無阿弥陀仏とお念仏を申す日暮しを
させていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2012.9.17)


「ただ念仏のみぞまこと」

2022-09-16
 先ほどいつものように
6時半前に喚鐘を打っていましたら
東の空に太陽が真正面から輝いて
大変眩しかったです。

 毎年のことですが
お彼岸に入るこの時期のことです。
 ちょっと前までの真夏の時分は
この時間もう既に太陽が東の空高く上がって
暑かったです。
 これからは日の出がどんどん遅くなって
夕方日の入りが段々早くなってきます。

 季節の移ろいです。
日々移り変わって行きます。
 無常の理のなかに
あらゆるものがあって
この私自身のことでもあります。

 無常の世界に我も人も皆共に
生きているのです。

 一瞬たりとも止まることがなく
すべてが移り変わって行くことに
不安を感じながら
私たちはこれさえあれば大丈夫安心と
それぞれ何かをしっかり握りしめて生きています。

 若さでしょうか
健康でしょうか
家族友人の人間関係でしょうか
地位や名誉いやお金でしょうか。
 色々です。

 ただどれ一つとして私にずっと寄り添うものではなく
いつか必ず私から離れて行くものばかりです。

 すべてが移ろい変わり行く中にあって
一つとして私の依りどころとなるものではなく
安心できず返って不安に陥る原因ともなるもの
ばかりです。

 親鸞聖人の常日頃の仰せに
「煩悩具足の凡夫 火宅無常の世界は
よろづのこと みなもって そらごと たはごと
まことあることなきに
ただ念仏のみぞまことにておはします」
とあります。

 無常の世界のただ中を
煩悩をいっぱい兼ね備えて生きる
凡夫の身と知らされ
不安におののくこの私をこそ
必ず救わずにはおかないと
南無阿弥陀仏のおはたらきです。

 煩悩具足の凡夫の身をそのまま
お念仏申す身にしてくださって
いつでもどこでもご一緒してくださる
阿弥陀仏になってくださったのです。

 「念仏のみぞまこと」の力強いお喚び声に
励まされ支えられて
お念仏申して往生浄土の道行きを
今日一日もご一緒にさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.9.16)


エリザベス女王の葬列

2022-09-15
 エリザベス女王のご遺体が
バッキンガム宮殿から国葬が行われる
ウエストミンスター寺院に
行列をくんで行かれる様子を
テレビの生中継で観ました。

 1.8㎞の道のりを38分かけて
多くの近衛兵に囲まれ優雅に
そして威厳をもって歩いて行きます。
 豊かな色彩感のある整然とした行列が
ロンドン中枢の美しい町並みと相まって
見事なものです。

 日本の昔の葬儀でいえば
葬列をくんで行く野辺の送りを思い起こします。
 私たちは霊柩車で火葬場に送る
車列の印象しかないのですが
昔の映画などにそうした光景を観ます。

 弔いの旗をもった先導者がいてお坊さんがいます。
棺桶を担いだ人がいて
喪主をはじめ遺族親族有縁の方が続きます。
 寂しい田舎の一本道を進む葬列は
何かもの悲しさが漂います。

 遺体を埋葬する墓場に向かいます。
今は火葬で火葬場に向かいます。

 そうした葬列をくむようなお葬式は
家族だけではできません。
 親族だけではなく地域の皆さんが総出で
葬儀を行い故人を見送ったものです。

 今は家族葬という葬儀のあり方が
主流になっています。
 家族葬と一般葬との違いはたくさんありますが
家族葬は葬儀の最後に喪主の挨拶がありません。

 一般葬では喪主が会葬者に向けて
「故人になりかわって」と前置きして
生前のご愛顧に「お世話になりました」と御礼を申し
最後に「これからも故人同様に遺った私たちを
ご指導ご鞭撻くださいますよう宜しくお願いします」
と申し上げるのです。

 葬儀というのは
亡くなった人を見送ると同時に
次の後継者を皆さんに知らしめる
お代替わりの儀式でもあるのです。

 昨日の葬列もそうでした。
ご遺体の後にはチャールズ国王とウィリアム皇太子
そして親族の王室の方々がずらっと連なっていました。

 皆さんはそのすがたを見ることで
安心してこれからの王室の行く末を
思ったのではないでしょうか。

 大きないのちのつながりのなかに
人から人へいのちのバトンが引き継がれることを
葬儀という儀式にそれぞれが受けとめるのです。

 時代とともに葬儀のあり方も変わって行きますが
葬儀の意味心持ちということを
私たちは大事にしていきたいものです。

 死んだらお終いでもう関係ないよと
人と人とのつながりが切れてしまうことのないように
常日頃からの人間関係を大切にしたいと思います。

 お念仏のご法義を聞かせていただきますと
私たちのご縁つながりは
私が付いたり切ったりするものではなく
阿弥陀仏さまの大悲のおはたらきで
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりの中に
共々に生かされて生きていると教えてくださいます。

 人の命終えても
南無阿弥陀仏のおはたらきで
そのままお浄土の仏さまとなって
これからもずっとご一緒くださるのです。

 先に往かれた仏さまのご縁で
年回法要をお勤めさせていただけるのです。
 先に往かれた仏さまが
後に遺った私たちを心配して
仏さまのご縁をつくってくださり
御仏前に座って仏法を聞いて
お念仏を申す身になってくれよとおはたらきです。

 ご法事のご縁だけではなく
日々の生活のなかに
南無阿弥陀仏とお念仏を申すなかに
ご一緒してくださるのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.9.15)


円光寺
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