お念仏の文化生活
2022-11-03
今日11月3日は
文化の日の祝日です。
過ごしやすい秋の絶好のこの時節に
コロナ禍で中断していた各地の行事や催し物が
再開されつつあります。
唐津くんちや鹿児島おはら踊り大会など
近くでは今日の朝刊に
「大在ワクワクまつり!」の
折り込みチラシが入っていました。
ワクワクするような楽しみです。
文化はカルチャーといって
耕すという意味があります。
心を耕す心の栄養剤で
心がワクワク豊かになると聞かせていただきます。
コロナ禍で不要不急の用事は取り止めて
ステイホームの生活をしましょうと
ずっと呼びかけられてきました。
家に居ることの楽しみもありますが
ずっと家に居ることがやがて苦痛になり
心も閉じこもりがちで固くなってまいります。
今はネットの時代社会で
家に居ながらリモートで仕事ができ
動画で趣味を開拓することも可能ですが
いろんな人に会うことで文化が広がる
心豊かな生活ができるのです。
人に会うことでいろんなお話を聞いて
様々なものの見方考え方にふれることができます。
頑なな心が耕されて
ワクワクドキドキする柔軟な心豊かになるのです。
私たちの仏教文化です。
お念仏の文化です。
阿弥陀さまが南無阿弥陀仏と
わが心を耕してくださるおはたらきです。
わが心はどこまでも自己中心で
わが身は煩悩具足の凡夫の身です。
自分の思い通りにしたいなりたいと欲の心をおこしては
思い通りになると有頂天になり
ちょっとでも思い通りにならないと周りの者を責め立てる
鬼のような怒りの心が湧いて出ます。
共に支え合い生かされて生きている
私たちのいのちの真実のあり方に
向き合おうとせず気づかない
愚かな心の持ち主です。
そうしたありのままの私を見抜かれて
阿弥陀さまは南無阿弥陀仏とはたらいて
わが心を耕してくださるのです。
お念仏のはたらきで耕すことで
固い心を柔らかく柔軟にしてくださるのです。
お念仏の声となって
日々おはたらきです。
このお朝事のご縁も
日々お念仏の文化
南無阿弥陀仏のおはたらきに遇うことです。
今日一日もお念仏の文化生活のなかに
心豊かに生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.11.3)
「色んなことがあったけれども本当に良い人生だった」
2022-11-02
私の叔母で母の二番目の妹が
亡くなったという連絡がありました。
92歳です。
母が長女の5人姉弟の上4人が女性で
末っ子が長男ということです。
結婚してずっと京都暮らしでした。
私もご本山の用事で京都に度々行くことがありましたが
高齢で体調が悪く入院し施設に入ったなどと
聞いてはいましたが
訪ねることもないままになっていました。
京都には大学を卒業して
一年余り本山関係の学校に通っていました.
京都の思い出は楽しいこともありましたが
あまり思い出したくないこともあって
その時に叔母には大変お世話になりました。
昨日はご門徒さんのお通夜がありました。
お通夜は夜伽ぎといって
夜を通して色んなお話をするご縁ですと
ご法話の初めにお話します。
お通夜には故人とご縁の深い方ばかりがお参りです。
共に歩んだ人生の道行きで色んなことがあったでしょう。
楽しかったこと嬉しかったことも
辛かったこと苦しかったこともあったでしょう。
自分の都合でいったら良いことも悪いことも
色んなことがあったけれどもです。
二度とないこの人生を振り返って
人間に生まれてよかった
本当に良い人生だったと
ふっと思えるのが
この私がお念仏のみ教えに遇わせていただいたご縁かなと
この歳になって思います。
辛くてしんどかったこと思い出したくないことも
ふっと思い出して今は笑って話ができそうです。
色んなことがあって京都のあの時があって
今の私があるということです。
良くも悪くも今の私です。
阿弥陀さまはこの私を一人子のように
ずっと抱き取ってくださって
南無阿弥陀仏のおはたらきで
「いつも私が一緒だよ。
どんなことがあってもあなたを護り通すから
大丈夫安心して
あなたはあなたの命を精いっぱい輝かせて
一緒に生きて往こう」と
喚んでくださっているのです。
「やり直すことができない人生も
見直すことができる」とお聞きします。
そのまま見直させてくださる
阿弥陀さまのあたたかいまなざしものの見方を
仏教浄土真宗お念仏のお救いのみ教えに
今聞かせていただいて
色んなことがあったけれども
どれもこれもお念仏に遇わせていただく
有難いご縁だったといただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.11.2)
喚鐘とともに父のお念仏の声が聞こえてきます
2022-11-01
11月になりました。
今年も残すところ2か月です。
今日11月1日は前住職の祥月命日で
2時からご法座のご縁をいただきます。
23年前の平成11年11月1日の朝
ちょうどお朝事の喚鐘を撞こうとする時に
亡くなったという電話がありました。
23年経ってもつい最近のことのように
喚鐘を撞きながらふっと思い起こします。
あれから23年が経ました。
23年齢を重ね私も70歳を超えて
父の年齢に近づいてきました。
このお朝事のご縁で
日々の生活を始めさせていただける有難さを
歳を重ねるなかで愈々思います。
11月の新しい月です。
今日一日も新しい日です。
お念仏を申すなかに
一日一日を大切に生き抜かせていただくことです。
前住職から私に住職のバトンが渡され
今月28日の御正忌ご満座のご縁で
新院に住職を継職させていただきます。
日々移り変わりする中で
思い通りにならないこともたくさんありますが
南無阿弥陀仏のいのちの帰依処をいただいて
お念仏の道を共々に歩ませていただく有難さです。
「いつも私が一緒だよ。
どんなことがあってもあなたを決して見捨てないから
大丈夫安心して
あなたはあなたの命を精いっぱい輝かせて
一緒に生きて往こう」と
阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のお喚び声が
前住職父のお念仏の声が
今日も喚鐘と共に聞こえてまいります。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.11.1)
仏さまのご縁の挨拶は南無阿弥陀仏のお念仏です
2022-10-31
昨日日曜日はご法事がなく天気も良かったので
思い立って久しぶりに久住山に登山に行きました。
牧ノ戸から上るいつもの登山ルートです。
絶好の登山日和そして紅葉の最中ということもあって
予想通り大変な多くの登山者がいっぱいで
現地に8時頃着いたものの駐車場はすでに満車で
ちょっと空いたスペースに路肩駐車させていただきました。
若い頃から結構久住には登っていますが
老若男女の皆さん
小学生の子ども連れの家族や
若者たち80歳以上のお年寄りまで
山道は終始賑やかでした。
山登りでは行き交う人たちが
「こんにちは」と言葉をかけ合います。
今はまだコロナ禍で
最初付けていたマスクは皆さん外したものの
いつものように「こんにちは」と声を出すのが
ちょっと躊躇されます。
目が合って「こんにちは」と言う程度で
目を見合わせるのではなく下を向いて
「こんにちは」といった感じです。
「こんにちは」の声かけは
登山者のマナーのようなものですが
昨日びっくりしたのは
「おはようございます」と声かけがありました。
私は上りで下る方が「おはようございます」です。
時間的には9時過ぎのことで
通常は「おはようございます」です。
この下る方はというと
朝早く暗いうちから上り始めたのでしょうね。
「おはようございます」は
芸能界の関係者の挨拶のように聞きます。
舞台やテレビの収録映画の撮影など
出演者のスケジュールを調整して
朝からとは限らず昼でも夜でもどの時間でも
これから仕事が始まるということで
「おはようございます」ということだそうです。
「おはようございます」で始まるということで
このお朝事も「おはようございます」で
今日一日を始めるということです。
私たちの仏さまのご縁の挨拶は
南無阿弥陀仏のお念仏です。
今朝も何度もお念仏を申しましたが
南無阿弥陀仏と私が申す念仏の声は
そのまま南無阿弥陀仏とこの耳に聞こえてくる
阿弥陀さまのお喚び声と聞かせていただきます。
「いつも私阿弥陀が一緒だよ。
どんなことがあっても
あなたを決して見捨てることがないからね。
大丈夫安心して
あなたはあなたの命を精いっぱい輝かせて
一緒にお浄土に生きて往こう」と
聞かせていただきます。
阿弥陀さまのみ名を称える南無阿弥陀仏は
私が称える称名念仏ですが
そのまま聞名のお念仏と聞かせていただきます。
阿弥陀さまのみ名を称える念仏の声が
そのまま私を喚んでくださる
阿弥陀さまのおはたらきとなって
聞こえてくるのです。
称名は聞名ということで
阿弥陀さまのお喚び声を聞かせていただく
私たちの称名念仏なのです。
先に往かれた方のことを思うときは
南無阿弥陀仏とこの耳に聞こえるぐらいで結構ですから
声に出してお念仏を申しましょうとお勧めします。
先に往かれたご先祖有縁の仏さま方が
阿弥陀さまの大きなお慈悲のおはたらきを
お手伝いしてくださって
南無阿弥陀仏と聞こえてきます。
この目には見えないけれども
数えきれないほどの無量の仏さま方が
南無阿弥陀仏とこの私を喚んでくださり
お浄土へ「この道を往け」「この道を来い」と
力強いお念仏のおはたらきの中に
今日の一日をまた始めさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.10.31)
お念仏の声に励まされて生きて往ける(2009年アーカイブ)
2022-10-30
東京八丈島沖で船が転覆して
3人の方が助かったというニュースです。
90時間ぶりにひっくり返った船室の空間に
3人が重なり合うようになって
飲まず食わずの中を励まし合ったということです。
よくぞ生きてこれたなということですが
取材に応じて3人が3人とも
「3人だから助かった、生きられた」と
言っていました。
私たちの日々の生活は暗い船室ではありません。
明るい中を生きています。
そして不自由なく食べて飲んで生きていますが
3人だから生きてこられたというのは
誰も私一人だけでは生きていかないという
私たちの真実です。
一人で本当に自由にのびのびと
生きられそうですけれども
独りぼっちじゃ生きられないということです。
逆にあの人がおるから生きにくい
あの人がいなかったらということさえ思うのが
私たちですが
あの人がいるから私がいるということです。
夫婦であれば妻がいて夫がいる
夫がいて妻がいるということです。
親子であれば子どもがいて親があり
親がいて子どもがいるということです。
私たちはあなたと私のつながりのなかに
生かされて生きているという真実です。
共にといいます。
一緒にといいます。
三人の方が互いに声を掛け合ったといいます。
「がんばろう」「生きよう」と声を掛け合い
その声が互いを励まし力となって
生きられたということです。
私たちの阿弥陀仏さまは
声の仏さまといいます。
南無阿弥陀仏の仏さまです。
「いつも私が一緒だよ。
どんなことがあっても
あなたを見捨てることは決してないから
大丈夫安心して
あなたはあなたの命を精いっぱい輝かせて
一緒に生きて往こう」と喚んでくださる仏さまです。
お念仏の声に励まされ支えられて
今日一日も共々に
生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2009.10.30)