葬儀社任せの葬儀になっていませんか?
2022-12-03
近年いつの間にか<家族葬>という葬儀の形態が
一般的になりました。
三年間のコロナ禍で家族葬が愈々定着し
葬儀に一般の方は「お参りしてもよろしいですか?」と
予め問い合わせするようなことで
お参りできないような雰囲気さえあります。
最近は<家族葬専門の葬儀社>を名のる業者が多くなって
広く情宣をしています。
葬儀をお勤めするお寺のお坊さんは
家族葬と一般葬や社葬などの特別葬で
読むお経が違ったりということはなく
各宗派の葬儀規範に基づく葬儀を
全国どこのお寺も執り行っています。
家族葬といわれる葬儀で
葬儀社のお寺に対する対応が
これまでの葬儀とは違ってきているように思います。
一般の葬儀に有ったものが
無くなってきています。
家族だけの内々の葬儀ということで
弔辞や喪主の挨拶、会葬御礼といったものが無くなり
お寺に対するものまでが無くなり事務的になって
お経を読む役割のお坊さんといった対応です。
今は葬儀の時だけのお坊さんもいるようですが
お寺とご門徒の関係でいえば
先祖代々のご縁つながりがあり
平生日頃からお互いに知り合いの関係です。
特に葬儀のご縁で
これから中陰初盆年回法要と
ご門徒さんのお家にお参りすることが多くなり
仏さまのご縁を共々にいただくことです。
家族葬といって葬儀社任せにしないで
お寺とご門徒のご縁つながりのなかに
仏事のことはお寺に相談しましょう。
そのためのお手次ぎの決まった
ご門徒さんのお寺なのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.12.3)
手のひら返しの手のひら返し
2022-12-02
今朝は早起きしてサッカーワールドカップの
日本対スペイン戦を観た人が多かったと思います。
私もその一人です。
大方の予想通りスペインの華麗なパス回しに翻弄されて
前半は0対1で折り返す苦しい展開でしたが
後半直後に交代選手の活躍で
立て続けに2点を取って逆転しそのまま試合終了
ドイツ戦に続く番狂わせで世界を驚かせたという報道です。
「えっホント!」と驚き歓喜する人が多い中で
第2戦のコスタニカ戦の敗戦に
「まさか!」と落胆し監督選手を批判した人が
重なるように見えて
私たち人間のいい加減さを思います。
「手のひら返し」です。
それまでの態度や評価を一変させるという意味です。
昨日まで良い人が一夜にして今日は悪い人になる
自分の都合でころころ変わる私のものの見方です。
見る対象のその人は変わっていませんが
その人を見る私の見方が変わるのです。
見る人の勝手な都合に合わせたものの見方に
振り回され悩み苦しむ人がいます。
今回は見事な分かりやすい
「手のひら返し」が続きました。
それほどまでに日本チームに対する
期待と可能性の裏返しと見られなくもありませんが
SNSの匿名で敗戦の犯人捜しをするような個人攻撃には
お互いに人人をリスペクト敬う心が感じられず
本当に残念で寂しい気持ちになります。
その時だけの感情で言ったことで
すぐ忘れてしまうのも私たちですが
言われた人はそのことを忘れられず
精神的な傷となって一生苦しむことに
なるかもしれません。
あなたと私が織りなす私たちの社会にあって
私が言われてされて嫌なことは
私たちみんなも同じように嫌なことだということです。
みんなそれぞれ生活ぶりも違い
価値観もそれぞれ違います。
その違いを互いに認め合い敬い合う関係のなかに
私たちの社会があればと思います。
私たちの生きるバックボーンです。
自己中心の思いはからいで生きてる私たちですが
それぞれのバックボーンを認め合い敬い合うなかに
共々に生かされて生きる大きな世界が広がることを
お念仏のみ教えに聞かせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.12.2)
師走のお念仏を申す日暮しです
2022-12-01
月めくりの今年のカレンダーが
最後の一枚になりました。
12月師走です。
あっという間の時の移ろいを実感します。
お昼から久しぶりに近くのショッピングセンターに
買い物に行きました。
すっかりクリスマスモードの店内で
正月飾りやおせち料理が売り出され
早々と雛段飾りやランドセルのコーナーが
設けられてありました。
先へ先へと社会は動いて行きます。
一瞬たりとも立ち止まることを許さないような
諸行無常の世にあって
真実変わらない仏法を依りどころに
この身を生きることの大事を思います。
自分の思いはからいにまかせて
どこに行ってしまうのかわからない迷う私を
そのまま引き受けてくださり
必ず救うと南無阿弥陀仏のおはたらきです。
阿弥陀如来の大悲にいだかれて
慌ただしくも安心して
寒い中にもあたたかく
師走のお念仏を申す日暮らしです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.12.1)
僧衣姿でお坊さんが買い物します
2022-11-30
今朝の新聞の見出し
「警官 制服姿で買い物します」
の記事を読みました。
大分県警は警察官が制服姿のまま
コンビニやドラッグストア、スーパーなどで
買い物をすることを認めたというのです。
「仕事中にサボっている」などの誤解を避けるため
これまで休憩時間であっても上着を羽織るか
私服に着替えるかが慣例になっていたそうです。
制服警官が店舗に立ち寄ることで
特殊詐欺や街頭犯罪の抑止につながるといいます。
確かに「警察官が来ると安心できる。
事件を防ぐ上でとても心強い」と語る
店員の気持ちもわかります。
それほどまでに現実社会の不安を物語るものであり
人間関係が希薄になり面倒なことには関わりたくない
私たち現代人の心もちを反映するものかもしれません。
私たちお坊さんに重ねて思います。
浄土真宗の僧侶は有髪のお坊さんが多く
僧衣を着けない限りお坊さんと一般に認識されることは
殆どありません。
逆に僧衣姿で公共の場で生活するときに
周囲の人からどのように見られているのか
意識しているのかということです。
お坊さんらしく振る舞っているかというと
どうでしょうか。
先の記事には
「購入はたばこなどの嗜好品を除き
飲食物や日用品に限って認める」とありました。
そして僧衣姿のお坊さんが
皆さんに安心できる心強いと思っていただけるのは
どういうときかなと思います。
お坊さんも一般の皆さんと同じように
生きていることですが
通常一般に許されることも
僧衣を着けることで制約も出てくるでしょうし
僧衣を着けていなくても
常にお念仏に生きているかが問われます。
そのうえで平生にお念仏を申す生活のなかで
自他共に安心できる心強い人間関係が育まれるのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.11.30)
住職のつとめ
2022-11-29
昨日の<住職継職式>から明けて
愈々新住職の始動です。
お寺を預かる住職のつとめは
ご門徒との関係が第一義です。
浄土真宗の門徒とは
親鸞聖人が開かれた
浄土真宗のみ教えに生きる
一門の徒ともがらお仲間です。
住職は親鸞さまから
門徒衆を預かるといわれます。
ご門徒の命を預かるということでいえば
その人人の命終わる時に立ち会うことが
大きな重い住職のつとめです。
さっそくお葬儀のご縁ができました。
臨終勤行から始まって
通夜葬儀と次から次のお勤めです。
帰敬式を受けていない方に法名を付け
お寺の過去帳に記載して位牌に書きます。
一連の住職の導師というつとめです。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
命終わる時に阿弥陀さまのお浄土に往生し成仏するという
浄土真宗のみ教えですが
ご門徒をお浄土におくるという住職のつとめです。
大切なお方とお別れする悲しいいご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただきましょうと
ご遺族有縁の方にご法話お取り次ぎさせていただきます。
すぐさま新住職の出番になりましたが
日頃は中々ご縁のないご門徒と
真正面から向き合うご縁をいただくことで
まさに住職冥利に尽きることです。
ご縁ご縁を大切に一つ一つ
住職のつとめをさせていただく有難さです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.11.29)