本願の船に乗せていただく
2022-11-17
お墓に納骨をする際に
大抵施主の方が墓石を持ち上げてお墓を開けます。
日頃墓石を持つことってありませんから
墓石の重さに戸惑うことを多く見かけます。
ちょっとした石ですが
結構重たいのです。
先日紅葉を見に
竹田の岡城址に行きました。
小高い山に立つお城で
石垣が見事です。
間近で見ると積み上げられた石垣のどの石も
結構大きなものです。
どのように積み上げていったのか
遠くからこんな大きな石をどのように運んできたのか
先人の知恵を思います。
一つが数百㎏というような石です。
到底人間一人の力で抱え切れるものではなく
運んでくることは難儀の上にも難儀なことです。
この重い石をどう運んできたのかというと
船なんですね。
水に浮く船の力です。
どんな重い物でも船は水の浮力でそのまま抱えて
運ぶことができるのです。
阿弥陀如来のご本願のおはたらきお救いを
船に喩えられます。
苦悩を抱え迷う私を
如来の本願力でそのまま救うてくださるのです。
如来のご本願の船にこの私をそのまま乗せて
阿弥陀仏のお浄土に渡してくださるのです。
どういうことでしょうか。
石のように重さを数字で表せないほど
重い重い苦悩を持ち合わせている私のことを
阿弥陀如来は見抜かれて
どんな人もそのまま乗せて渡す本願の船を
用意してくださったのです。
「そのまま信じまかせよ」と
本願の船に乗ってくれよと
南無阿弥陀仏と喚んでくださっているのです。
今日17日の御文章の最後に
「われら一切衆生の往生の体は
南無阿弥陀仏ときこえたり」とあります。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
私たちはお浄土に往生成仏させていただけるのです。
本願成就の南無阿弥陀仏の船に
乗ってまかせてです。
どんなに泳力のある人でも
とても自分の力で泳ぎ切ることはできません。
いやどこに行くのか目的地自体が分からないで
ただ溺れないように泳ぐだけで
苦悩はいよいよ深まります。
本願の船は目的地をお浄土と定めて
重いものを抱えた私たちをそのまま乗せて
連れて往ってくださるのですね。
まさに本願の船の力はたらきです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.11.17)
光明と名号のおはたらきで必ず救う
2022-11-16
昨日夜7時頃大分駅に行きました。
駅の構内から出ると
目の前にきれいなイルミネーションが広がりました。
光のファンタジーです。
駅前の広い空間いっぱいの幻想的な世界に
若者を中心に多くの人が行き交っていました。
光は本来この目には見えないものですが
電球などで見事に目に見える化したものです。
今日の御和讃の最初に
「源空光明はなたしめ」
(源空聖人はその身から光明を放って)
とありました。
親鸞聖人のお師匠さん
本師源空法然聖人のことです。
法然聖人がこの世にましまして
光明を放ってくださったといいます。
親鸞さまは法然さまのことを
阿弥陀如来の化身と仰いて敬われました。
当時の人は勢至菩薩の生まれ変わりと
疑わなかったといいます。
勢至菩薩は阿弥陀如来の脇侍で
慈悲のおはたらきの観音菩薩と
勢至菩薩は智慧のはたらきといいます。
智慧の光明です。
智慧の光明を放って
煩悩具足の身をありのままに知らせてくださり
そのままお慈悲のおはたらきで
光明の中に摂取してくださるのです。
光の仏さま阿弥陀如来の光明のおはたらき
智慧と慈悲のお徳です。
光り輝く阿弥陀さまのお姿となって
この目に見えてますね。
光明のおはたらきで
「必ず救うまかせよ」と
南無阿弥陀仏の名号を届けてくださり
今日もこの口から南無阿弥陀仏とお念仏申せましたね。
南無阿弥陀仏と
阿弥陀さまがご一緒です。
今日このご縁だけではありません。
昨日も一昨日も明日も明後日も
日々私が生きているところに
いつでもどこでも寄り添って
「お前を必ず浄土に生まれさせ仏にさせる」と
おはたらきなのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.11.16)
七五三です
2022-11-15
今日11月15日は七五三です。
7歳5歳3歳になる子どものお祝いです。
今は生まれた赤ちゃんがすくすくと育ち
3歳5歳7歳の誕生日を迎えるのが当たり前のようですが
戦前戦中戦後の食糧難で医学も進んでいない時代には
乳幼児の死亡率が著しく高く
体力のない子どもが生きることが大変難しかったのです。
お家の過去帳を書かせていただく時に
幼くして亡くなる子どもが多かったことを思い知ります。
生まれてすぐ亡くなる子や
1歳2歳3歳4歳と多くあります。
昔の日本では
生まれた子どもは七歳までは人間界に属さない
という考え方があったといいます。
七五三の行事は
七歳になってようやく人間として生きていける
いのちになったことを確認する意味があったようです。
七歳まで無事に育ってきたことを喜び
このいのちを恵まれたという有難さを讃えるのです。
それは今日のいのちを恵まれた
この私のことでもあります。
今日もこうしていのちを恵まれました。
まさに生かされて生きてきたのです。
「生かされて 生きてきた
生かされて 生きている
生かされて 生きていこうと
手を合わす 南無阿弥陀仏」
今日も朝一番に手が合わさって
この口から南無阿弥陀仏とお念仏が出てくださって
今日の一日を始めさせていただける有難さを思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.11.15)
合同墓があってよかった
2022-11-14
今七日七日の中陰のご縁をいただいているお家で
「納骨堂に遺骨がいっぱいじゃありませんか」と言われ
聞きますと随分先にご往生されたお母さんが
「私が入るところがない」と言っていたことを
思い出したということでした。
一度確認しましょうと
その日のうちに納骨壇を開けて見たら
三段に六つのお遺骨がいっぱいでした。
納骨壇の中を見ることって
新しくお遺骨を納骨する時ぐらいで
日頃は確認することもありません。
どうしましょうかというご相談で
合同墓の話をしました。
お家のご先祖の大切なお遺骨で
皆さんつながりがあるわけですが
50回忌を過ぎた方で会ったことがない
お方が殆どです。
お父さんお母さんはご安置したままにして
満中陰で今のご縁の方を納骨してお遺骨が三つになり
後のお遺骨は合同墓に納骨することになりました。
連れ合いの方が
「私が入るところができてよかった」と
ふと言われました。
あらためて合同墓を建てて
よかったと思います。
合同墓の提案は一つの選択肢ですから
合同墓に納骨しないといけない
という話ではありません。
まだお遺骨が入る余裕のある
お家のお墓が殆どです。
ただどこかで整理をするというか
今生きている私たちの務めとして
これからのことも考えていくといった意味で
お家のお墓があって合同墓があるということです。
いずれ私たちも命終えて遺骨になります。
このお遺骨の行き場所です。
今は散骨や樹木葬であったり
個人墓や友だち同士で入るお墓など
多種多様です。
納骨のかたちは様々であっても
お寺が引き受けてくれる安心です。
阿弥陀さまが引き受けてくださる
このいのちの往く先です。
阿弥陀仏のお浄土です。
浄土真宗南無阿弥陀仏のお救いのご法義を
聞かせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.11.14)
あたたかいお葬儀のご縁です(2010年アーカイブ)
2022-11-13
昨日96歳のおばあちゃんのお通夜があり
今日がお葬式ということです。
お孫さん二人と連れ合いの方3人の
家族だけのお勤めでしたが
あたたかいご縁になってよかったです。
お通夜はお夕事のお勤めということで
日常勤行のお正信偈をお勤めします。
今は葬儀社でのご縁が多くなり
たくさんの人が集まりますが
お坊さんの私が一人で声を出しお勤めすることが殆どです。
お参りの皆さんはきちっとした格好で来ていますから
何かしらっとした感じで形式的な感じなのです。
昨日は3人の方でしたから
こじんまりとしたお部屋で
お孫さん二人が聖典を自ら持って来ていて
ご一緒にお勤めされました。
病気でお参りできないお母さんに言われたのでしょうね。
よくお寺にお参りされていた方で
お念仏のお話をよく聞かれていました。
お通夜というのは
いつもの日常のお夕事の最後のご縁で
有縁の方とみんな一緒にお勤めをして
阿弥陀さまにお礼をして過ごすんですよと
聞かれていたことでしょう。
そういうお勤めができました。
本当に有難いご縁になりました
今は直葬といったり家族葬といったり
いろんな葬儀の形があります。
これからも葬儀のあり方は
変わってくると思います。
葬儀は葬送といって大切な方を
お見送りするということです。
南無阿弥陀仏の仏さまを中心に
お念仏のご縁をいただく私たちです。
お見送りをするといって
どこかわからないところではなくて
阿弥陀さまのお浄土に見送るのです。
そしてこの私も同じ阿弥陀さまのお浄土に
生まれて仏にさせていただくと
聞かせていただく葬儀のご縁なのです。
大切なお方とお別れをする悲しみのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただいて
お念仏の救いのみ教えをお聴聞させていただけるのです。
先に往かれた方は
死んだらお終いではなくて
お浄土の仏さまとなって後に遺った有縁の皆さんを
南無阿弥陀仏のおはたらきで護り導いてくださるのです。
お葬儀のご縁はこれからも七日七日の中陰のご縁
そして年回のご法事と続きます。
先に往かれた仏さまがまさに命がけで
私たちに仏法を聞いてくれよと
つくってくださった仏さまのご縁です。
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながり
おはたらきの中にこれからもずっと
共々に生かされて生きて往く
尊いご縁をいただくことの有難さを思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2010.11.13)