御和讃を口ずさむ
2022-11-23
今日23日の御文章「一念大利章」に
御和讃が二首出てまいりました。
今日のお朝事で拝読の御和讃も入っていました。
「五濁悪世の有情の 選択本願信ずれば
不可称不仮説不可思議の 功徳は行者の身にみてり」
(さまざまな濁りと悪に満ちた世で
往生の行として念仏を選び取られた本願を信じるものは
たたえ尽すことも説き尽すことも思いはかることもできない
功徳が満ちているのである)です。
そしてもう一首
「弥陀の本願信ずべし 本願信ずるひとはみな
摂取不捨の利益にて 等正覚をばさとるなり」
(阿弥陀仏の本願を信じるがよい。
本願を信じる人はみな
摂め取って決して捨てないという利益により
この上ないさとりを開くことができる)です。
二首ともに「正像末和讃」の中から
蓮如上人が御文章に撰述されたものです。
お正信偈も御和讃も親鸞聖人の著述で
蓮如さまが浄土真宗門徒の日々のおつとめに
お勧めくださり
毎朝お朝事のご縁で拝読して
親鸞さまのお心をお聞かせいただき
最後に御文章を拝読します。
今日も御和讃を六首いただきました。
御和讃は親鸞聖人の当時庶民の間で流行っていた
今様の形式をとったものです。
今様は七五調でできており
調子がよく抑揚をつけて歌いやすく
庶民が日頃口ずさむうたです。
この今様を愛好されたのが
『鎌倉殿の13人』の前半に登場した
「日ノ本一の大天狗」と源頼朝に言わしめた
後白河法皇です。
当時の殿上人貴族の趣味は和歌ですが
庶民の娯楽の今様を昼夜を問わず
うたっていたといいます。
日々の生活のなかで
何とも大らかな風情を思います。
南無阿弥陀仏の救いのお心を
親鸞さまは今様のように御和讃にしたため
蓮如さまは日々の生活のなかに
御和讃を口ずさむようにして
お念仏をお勧めくださったのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.11.23)
これからもよろしくお願いします
2022-11-22
お寺の法要行事は
ご門徒皆さんの御懇志で勤まります。
このたびの御正忌報恩講については
「御正忌米懇志」ということで
ご門徒皆さんにお願いしています。
三佐地区は各班のお世話人が
ご門徒さんにいただきにあがり
地区外については各ご門徒が
お寺に持ってきていただくか送っていただきます。
法要のご縁に遇っていただくことが一番ですが
前以てお寺に持って来られる方がいらっしゃいます。
昨日は私の同級生のご門徒さんが訪ねてみえました。
「ご院家さんいらっしゃいますか」ということで
玄関に出ましたら
「今度住職を退任されることで
御礼を申させていただこうと思って来ました」
と言われます。
話を聞いていますと
住職退任でお寺の法務を一切辞めるように思われて
「大変お世話になり有難うございました」
と丁寧に言われました。
今私と新院二人で勤めているお寺の法務を
住職退任で新院が新住職になって
役割はそれぞれ違いますが
二人で勤める法務全般は変わりません。
そういう説明まではしませんが
「私はこれからもお寺にいて
法務のお手伝いをさせていただきますので
これからもよろしくお願いします」と言って
別れました。
日頃からお寺によくご縁のある門徒さんには
お話をしているつもりですが
文書だけで住職退任と聞いただけでは
お寺を辞めてこれからは悠々自適に過ごすのかと
受けとめられているのかもしれません。
実情はそんなことではありません。
今度の御正忌が最後のご縁と強調するあまり
こうした受けとめになったのでしょうか。
住職としての最後のご縁です。
お寺を預かる住職として
ご門徒皆さんに御正忌のご縁に遇っていただくことが
何よりの願いであり喜びです。
どうぞこれからもよろしく
お願いいたします。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.11.22)
世界中にお念仏の発信です
2022-11-21
昨日は日曜日ということもあって
ご法事が二件午前中と午後にあり
その間にお葬式ができて
一日中慌ただしいなかにも
お念仏の有難いご縁をご門徒有縁の皆さんと
ご一緒させていただきました。
昨日は車いすマラソンが大分であって
スイスのマルセルフグ選手が圧倒的な走りで
10度目の優勝を遂げました。
昨年の東京パラリンピックの金メダリストで
出場レースは連勝続きの世界的な絶対王者です。
レースの終盤の模様をテレビで観ましたが
通称40メートル道路のいつもの近所の風景が見えて
三海橋を下り家島橋の手前で折り返し
というところでした。
今朝の合同新聞には多くの紙面をとって
写真入りの記事がたくさん載っていました。
フグ選手の記録が1時間21分台で
平均時速35㎞ぐらいと
自転車でも追いつけない速さです。
障がいの一番重いクラスで
2時間22分台の世界新記録が出たということです。
女子マラソンのトップ選手の記録です。
あらためて大分のすぐ近くで
世界的なレースが行われるということです。
出場選手はもとより大会関係者ボランティアの方々の
大きな支えがあって素晴らしい大会ができるということで
大分から世界に発信できる誇りを思います。
昨日はサッカーのワールドカップが
いよいよ中東のカタールで始まりました。
4年に一度のいつもの大会は6月7月の開催ですが
今回は暑さ対策ということで
この11月12月の一か月にかけての長丁場です。
昨日のニュースではっと思ったのは
カタールはイスラム教の国で
日常公共の場ではお酒は飲めないことになっているそうですが
今回の大会に限ってお酒を飲める場所が設定され
世界各国から集まった国際色豊かなサポーターが
ビールを片手に気勢をあげていました。
3年前ラグビーのワールドカップの試合が
大分でも開催され
外国のサポーターが町に繰り出して
ビールを浴びるように飲んでいた光景を思い出します。
ただカタールは平生お酒を飲まない国ですから
100%の関税でビール一杯が約2000円ということには
ちょっとびっくりしました。
ビールを飲まないということはないでしょうが
果たして何杯まで飲むのでしょうか。
そしてイスラム教の国では豚肉が御法度です。
インドはヒンズー教で牛肉を食べません。
世界は広くてそれぞれの国によって
価値観が異なり生活習慣も様々違うことを思います。
色んな地域ものの見方考え方も違うなかで
世界中から選手やサポーターが一堂に集まり
大会が開かれるということです。
ここ大分の地で車いすマラソンがあるということで
それぞれの国や地域から世界に発信される文化です。
世界中の人びとに開かれた文化ですが
一方で戦争の歴史は続いています。
この時間も大きな不安の中に日暮らしする人がいて
戦争で家族や友人を亡くし家を失う人がいます。
同じ地球に共に生きている私たちの
これも現実の世界です。
こうしてお朝事のお勤めをさせていただきます。
また新しい一週間が今日一日が始まります。
私が住職としての
ラストウィークです。
私たちの生活ぶりはそれぞれ違いますが
南無阿弥陀仏のお念仏を依りどころに
今日も一日この一週間も
共々に生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.11.21)
報恩講の時節です(2010年アーカイブ)
2022-11-20
今町に出るとクリスマス一色で
これから12月後半にかけて
皆さん何かウキウキした感じなんでしょうね。
そうこうしているうちに
この一年が終わります。
報恩講の時節を迎えます。
11月末にお寺で御正忌報恩講をお勤めし
12月はご門徒さんのお家の報恩講です。
昨日は湯布院のお寺さんに
報恩講のご法話お取り次ぎのご縁をいただきました。
お寺お寺でお飾りも異なりますが
立派にあざやかなお内陣のお荘厳ができていました。
阿弥陀さまの浄土の荘厳です。
先日御正忌前の大掃除をしました。
お菓子作りをして昨日はお菓子の色付けをしました。
ご門徒皆さんにそれぞれお手伝いをいただき
お気持ちいっぱいご懇志をはこんでもらって
報恩講さまをお勤めさせていただきます。
親鸞さまからお寺をお預かりする住職にとって
ご門徒皆さんとご一緒に報恩講のご縁に遇うことは
最もうれしい喜びごとであり
ご門徒衆のたのもしさを一番感じることでもあります。
浄土真宗門徒の心意気と申します。
心意気といってそんなに力を入れることではありません。
先人が培い伝えてくださったことを
そのまま受け継いで
私にできる精一杯のことをさせていただける
まさに報恩講の報恩というお心です。
恩に報いるといいます。
親鸞さまのご恩です。
阿弥陀さまの本願念仏のお救いの法を
私たちに明らかにしてくださった親鸞さまです。
ご門徒衆が精一杯のご懇念をはこんでくださる
その結集がお内陣のお荘厳となって
お寺の御正忌報恩講さまをご一緒にお勤めさせていただき
続いてお家の門徒報恩講
そして年が明けてご本山の御正忌報恩講に連なっていきます。
報恩講の時節と共に私たち浄土真宗門徒の
年末年始の日々の日暮しです。
町はクリスマスかもしれませんが
里のお寺は報恩講でお念仏申して年を越し
お念仏申して新年を迎えさせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2010.11.20)
阿弥陀さまの大きく開かれた胸のお心(2009年アーカイブ)
2022-11-19
昨年の自殺者が
3万人を超えたといいます。
1日に100人近い方が
自ら命を絶つということです。
これは大変な数字で
交通事故死者が毎年1万人を超えることが
大変大きな問題になっていたことがありましたが
今はずっと減ってきています。
私たちの身の周りにも
自死された方がいらっしゃいます。
ただそのことを知るのは
亡くなってから後のことです。
自死に至るまでの悩み苦しみを
周りの人に言い出せなくて
自分で抱え込んでしまってということです。
顔と顔をあわせているなかで
そうした声が聞こえてこないのが
今の社会ということです。
私たちは同じ社会に互いに生きています。
生きていくなかには楽しいことばかりではありません。
それこそ辛くてその場から逃げ出してしまいたいことも
たくさんたくさん経験してきました。
そういうお互いだからこそ
互いの心を開いて話をし話を聞くことも
できるはずなのですが
家族といった身内にも
日頃は仲の良い友だちにも語ることができない
苦しみ悩みです。
阿弥陀如来の本願念仏のお救いです。
南無阿弥陀仏の大きなおはたらきで
すべてのものを分け隔てなくそのまま救うといわれます。
すべてのものと聞いて私のことです。
私のすべてありのままをご存知の上で
そのまま救うというのです。
分け隔てなくとは条件なしにということです。
善いことをしたら救うとか悪いことをしたら救わないとか
善悪賢愚老若男女といった私のあり方を超えて
そのままというのです。
私のすべてをそのまま抱き取って
何でもおっしゃい
辛いことがあったら何でもおっしゃい
言うだけでも心が落ち着くんであるならば
何でもおっしゃいと
阿弥陀さまは胸を大きく広く開かれています。
あなたの苦しみ悩み涙をここにいっぱい受け止めるから
どうぞ私の胸で思う存分泣いておくれというんですね。
そこまで私の悲しみ苦しみ悩みを思い取って
お立ち姿の阿弥陀さまです。
いつでもどこでも阿弥陀さまがご一緒です。
南無阿弥陀仏の大悲のお心を聞かせていただき
あなたも私も共々に
お念仏を申す生活をさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2009.11.19)