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お念仏を申す生活法話

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干し柿でつながるお念仏のご縁です

2022-12-07
 門徒報恩講のご縁で
ご門徒皆さんのお家にお参りしています。

 仏さまのお供えのお下がりを
いただきます。

 あるお家で干し柿を
たくさんいただきました。
 お家のおばあちゃんがこの日のために作って
用意してくれたものです。

 もう十数年前になります
そのお家で門徒報恩講の地域法座を
お勤めした時のことです。

 近所のご門徒衆がお参りされるご縁で
お正信偈のお勤めをしご法話お取り次ぎをして
皆さんでお茶をいただきます。

 夜のご縁で地域によってそれぞれ違いますが
お参りの皆さんが囲む机の上に
煮豆やきんぴらサラダ漬物
そしてお菓子やみかんなどが並びます。

 そのお家では干し柿が
お盆にたくさん盛られてありました。
 私はその後帰宅して夕食をいただきますが
小腹が空いていることもあって
干し柿をいただきました。

 程よい甘さの柔らかい食感で
「こりゃあ美味しい!」と声に出て
勧められるままに2個いただきました。

 おばあちゃんの手作りの干し柿でした。
喜んで食べてもらって嬉しかったのでしょう
それから毎年地域法座のお家は変わりますが
決まって干し柿を持って来られて
たくさん家に持たせてくださるのです。

 コロナ禍でこの三年地域法座はお休みしていますが
お供えの干し柿のお下がりは休みなく
今年も大きなパックごといただいて帰りました。

 干し柿でつながるお念仏のご縁です。
今年も美味しくいただきました。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.12.7) 

前住職の呼び名

2022-12-06
 住職を継職退任して
さっそく門徒報恩講のご縁で
ご門徒さんのお家にお参りしています。

 お勤めをした後に
お茶をいただきながらの話題は
呼び名のことです。

 新住職は「ご院家(いんげ)さん」ですが
前の「ごいんげさん」の私のよび名です。

 前の住職ということで
「前住(ぜんじゅう)さん」というのが一般的ですが
何か面白くないというか
もっと他にすてきな呼び名がないものかと思います。

 「老院(ろういん)さん」とも呼ばれますが
まだ早過ぎる感じがします。
 御前(ごぜん)ということで「ごぜんさん?」
「ごぜんさま」というと
映画『男はつらいよ』の笠智衆さんを思い浮かべますし
夜遅くまで深酒して帰宅する「午前様」につながります。

 等々とお話をしていましたら
今日のところは「ぜんじゅうさん」ということで
よろしくお願いしますということになりました。

 「ついつい<ごいんげさん>と呼んでしまいそうです」
と言われて
「いいですよ」とこたえました。

 長い間「ごいんげさん」と呼ばれてきて
呼ぶ方も呼ばれる方もお互いに
何かほっと落ち着いて安心できます。

 呼び名一つですが
人と人とのつながりお念仏のご縁です。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.12.6)


先に往かれた大切な方のお遺骨

2022-12-05
 満中陰の法要で納骨にご一緒しました。
大分の町中の小高い丘に以前からある
地域の小さな墓地です。

 同じ姓のお家のお墓が目立ちます。
地域の親族縁者のつながりを思います。

 昔は今のように火葬ではなく
遺体をそのまま土葬することで
その地域の墓所が決まっていました。

 火葬してお遺骨を納めるということで
地域の墓所にお家のお墓を建てて
今のような墓地に区画整理されてきたのです。

 先日納骨にお参りした墓地は
高台にある大きな広い墓苑でした。
 高崎山や由布鶴見の山々そして別府湾も望む
大分市を一望できる所にありました。

 地域の小さな墓地とは違い
何百何千といった
すぐ数を数え切れないたくさんのお墓が
すり鉢状に整然と区画配置されていて圧巻でした。

 お墓の形態も様々で
これからお墓を建立する人もいますが
最近は墓じまいの話題をよく聞きます。

 お墓の継承者がいないこともありますが
継承者がいても遠方のお墓を維持することの不安です。

 人が亡くなっても遺骨は遺ります。
死んだら全てが無くなってお終いではありません。

 この目に見えるお遺骨です。
安置すべき墓所に納めることで
葬儀の大きな節目となって
遺族は安心したものです。

 仏さまのご縁が続くといった意味で
遺ったお遺骨そして納めるお墓の存在は
遺った者が仏さまのご縁に
これからも遇っていくということです。

 仏法を聞いてお念仏申す身になっておくれと
先に往かれた仏さまの大きな願いの中に
これからも共々に生かされて生きて往くご縁です。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.12.5)

仏法を聞かせていただく大事

2022-12-04
 浄土真宗は聞法の宗教といわれ
お念仏の先人は「お聴聞が大事」と言い
伝えられてきました。

 阿弥陀如来の御本願のお心
本願成就の南無阿弥陀仏のおいわれを
聞きなさいというのです。

 迷いの凡夫のこの私が
さとりの仏に成らせていただく
浄土真宗の仏道です。

 聞くといって
私たちは人間に生まれてこの方ずっと
人の言うことを聞いて育ってきました。

 お母さんお父さんの言うことですし
おじいちゃんおばあちゃん家族親族
学校に行って先生から
仕事に就いて職場の上司や先輩からと
多くの人の言うことを聞いて
物事を習い覚え身につけてきました。

 今はどんなに立派な大学教授や
地域の生き字引といわれる町の長老識者も
人の言うことを聞かずに
知識を身につけ大成した人はいません。

 道に迷った時も人に聞いて
目的地に行けるように
聞くことは生きる上で大事なことです。

 その上で仏法を聞くとは
人の言うことではなく
仏さまの言うことを聞くことです。

 南無阿弥陀仏はそのまま
阿弥陀仏の言うことを聞くということです。

 仏法を聞くことはこの上なく大事なことで
私たちは仏法を聞くために
この人間界に生まれて来たとまでいわれるのですが
世間のことはよく聞く人も
仏法のことは
「忙しいから、まだそんな歳ではないから」と
進んでお寺参りして仏法を聞く人は多くありません。

 仏法に遇うご縁が
有縁の大切な方とお別れする悲しみのご縁という人が
少なくありません。

 「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のおはたらきで
私たちは分け隔てなく阿弥陀さまのお浄土に生まれて
仏に成らせていただくと聞かせていただく
仏法聴聞のご縁をいただくのです。

 南無阿弥陀仏とお念仏申して
阿弥陀さまの言うことを
そのまま聞かせていただきましょう。

 先に往かれた仏さまが
後に遺ったこの私に
仏法を聞いてお念仏申す身になっておくれと
仏法聴聞のご縁を開いてくださるのです。

 悲しいご縁ですが
お念仏申して
先に往かれた仏さまと遇えるご縁をいただける
有難さ尊さです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.12.4)

葬儀社任せの葬儀になっていませんか?

2022-12-03
 近年いつの間にか<家族葬>という葬儀の形態が
一般的になりました。

 三年間のコロナ禍で家族葬が愈々定着し
葬儀に一般の方は「お参りしてもよろしいですか?」と
予め問い合わせするようなことで
お参りできないような雰囲気さえあります。

 最近は<家族葬専門の葬儀社>を名のる業者が多くなって
広く情宣をしています。

 葬儀をお勤めするお寺のお坊さんは
家族葬と一般葬や社葬などの特別葬で
読むお経が違ったりということはなく
各宗派の葬儀規範に基づく葬儀を
全国どこのお寺も執り行っています。

 家族葬といわれる葬儀で
葬儀社のお寺に対する対応が
これまでの葬儀とは違ってきているように思います。

 一般の葬儀に有ったものが
無くなってきています。

 家族だけの内々の葬儀ということで
弔辞や喪主の挨拶、会葬御礼といったものが無くなり
お寺に対するものまでが無くなり事務的になって
お経を読む役割のお坊さんといった対応です。

 今は葬儀の時だけのお坊さんもいるようですが
お寺とご門徒の関係でいえば
先祖代々のご縁つながりがあり
平生日頃からお互いに知り合いの関係です。

 特に葬儀のご縁で
これから中陰初盆年回法要と
ご門徒さんのお家にお参りすることが多くなり
仏さまのご縁を共々にいただくことです。

 家族葬といって葬儀社任せにしないで
お寺とご門徒のご縁つながりのなかに
仏事のことはお寺に相談しましょう。
 そのためのお手次ぎの決まった
ご門徒さんのお寺なのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.12.3)

 
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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