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お念仏を申す生活法話

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六根清浄

2025-03-15
 私たち人間には
眼・耳・鼻・舌・身・意の
六根という六つの感覚器官があって
外界の対象物を認識して生きています。

 視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚の感覚で
総元締めは私の意識ものの見方です。
 自己中心のものさし自分の都合に合わせて
「よかった」「悪かった」と認識しては
苦しみ悩み迷う私がいます。

 仏教は如実知見の法で
この身を苦しめ心を悩まし迷うのは
自己中心の思いはからい煩悩が原因と明かして
煩悩を滅することで迷いの私がさとりの仏に成ると
四諦八正道の教えを説きます。

 私たちに具わる六根を清浄にすることで
煩悩を滅し成仏するという仏道修行の道筋ですが
理屈はそうでも自ら実践することは
難中の難と思い知らされ
親鸞さまは20年間仏道修行された比叡山を下りて
法然聖人が説かれる専修念仏の仏道に
帰依されたのです。

 『正信偈』に浄土真宗のみ教えを
「不断煩悩得涅槃」と明かします。
 阿弥陀仏の本願念仏のお救いは
南無阿弥陀仏のおはたらきで
自ら煩悩を断ち切らないまま
浄土でさとりを得ることができると教えます。

 浄土真宗の仏道は
阿弥陀仏の本願念仏のお心を
お聴聞することを勧めます。

 私から聴いてたずねていきますが
学校の勉強のように
聴いて覚えて救われるのではありません。
 南無阿弥陀仏のお心おはたらきをたずねていくなかに
本願念仏のお心が聞こえてくる
本願を信じお念仏申す身にお育ていただくのです。

 私がお聴聞する前から
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
すでに救われていたと聞こえてきます。

 「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば
ひとえに親鸞一人がためなりけり」(歎異抄)の
親鸞さまのお心です。

 私がこの人間界に生まれる前から
ずっとずっと遥か昔から
私一人を救うために阿弥陀さまのおはたらきがあったと
聞かせていただくとき
これからもずっとどんなことがあっても
「いつでもどこでもあなたと共にある」と喚んで
今ここ煩悩具足のこの私をそのまま救うてくださる
阿弥陀さまのお念仏の声に安心して
往生浄土のお念仏の仏道を歩ませていただけるのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.3.15)

お寺は元々地域の皆さんの安心できる居場所

2025-03-14
 地震や豪雨などで被災者が避難する避難所は
学校や公民館などの公共施設が
一般的に指定開設されますが
お寺が指定避難所になっている事例が
本山(京都西本願寺)発行の
『本願寺新報』に紹介されていました。

 1982年の長崎大水害で
多くのご門徒が被災されたお寺で
広く避難者を受け入れ救援活動をされたことで
後に指定避難所になったということです。

 お寺は広い境内地に大きな建物があり
大人数を収容する空間は十分あります。
 ただ避難所となるとプライバシーの保護など
諸々の課題があります。

 記事には、過去の経験からお寺の方が
「『仏さまに守られているような安心感がある』と
お内仏に手を合わせる方もおられて
お寺ならではの温かさがあるのでは」と言われ
「地域の皆さんの安心できる居場所であることが
元々のお寺の役割であり
特別なことではなく大変な時にこそ
『仏さまに守られているようで安心』という
関わりができたら」と述べられています。

 地域に開かれたこれからのお寺のあり方を
考えさせられることです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.3.14)


「おかえりと 言ってくれる 人がいるところ それがふるさと」※転載

2025-03-13
 今から10年ほど前
私が京都の私立高校で宗教科の
非常勤講師をしていたときのことです。

 その高校に通うため
故郷の鹿児島から出てきて
一人暮らしをしている生徒がいました。
 その生徒が授業の発表で
こんな話をしてくれました。

 「僕の地元では同年代の子どもが少なく
友達といっても本当に限られた人数でした。
 それが京都に来てから一気に
たくさんの友達ができました。
 その友達は、高校を卒業した後も
僕が京都に帰ってきたときには
きっと『おかえり』と迎えてくれます。
 僕は『おかえり』と言ってくれる人が
いるところが<ふるさと>なのだと思います。
 だから京都は僕にとっての
大切な<ふるさと>です」と。

 「ふるさと」は必ずしも
「生まれ育った土地」のことだけではない
ということですね。
 懐かしい人たちが私を「おかえり」と言って
温かく迎えてくれる「ふるさと」があるという実感は
私たちが生きていくために
とても重要なものだと思います。
 そのような「ふるさと」があると実感できたとき
私たちはどこにいても、何をしていても
安心して生きることができるのでしょう。

 ※『本願寺インスタ倶楽部』
    (芝原弘記 本願寺派総合研究所研究員)より転載
      ー本願寺新報2025年3月10日号ー

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.3.13)

病院に行こう!

2025-03-12
 歳を重ねるなかで
体調に異変を感じます。
 若い時分はそのうち忘れてしまうようなことも
何か気になります。

 ああやこうや色々思いを廻らしては
また心配の堂々巡りになりますが
何か気になるときは
病院に行きましょう。

 病院に行って
「これは歳のせいですよ」と言われることもありますが
「歳のせい」などと自己診断するのではなく
専門の医師から言われたら言われたで
何か安心できるものです。

 年中山登りをしている同級生の話です。
山に登っていつもと違う疲れを感じ
早速病院に行ったそうです。
 診察の結果、心臓に疾患が見つかり
このまま放置していたら大変なことになるということで
入院手術になったそうです。

 70歳を過ぎていつ何が起きてもおかしくない
生身を生きている私です。
 私の身体といって私のものではありません。
心臓はじめこの身体を
私が制御し動かしているのではなく
私の思い通りにならないことも含めて
この身体が私を生かし生きているということです。

 そこで私事ですが
気になることがあって病院に行きました。
 病院に行くのはどうしても億劫になりますが
思い切って病院に行きました。

 お医者さんに診てもらい処方箋をいただいて
安心しました。
 先ず病院に行って
お医者さんにまかせることの安心です。
 少しでも体調に気になるところがあったら
病院に行きましょう。

 お寺は元々病院でした。
聖徳太子が立てられた四天王寺には四箇院といって
寺院そのものの敬田院と
療病院・施薬院という病院・薬局があり
悲田院といって福祉施設の役割もありました。

 心と体の総合病院です。
自分の思い通りにならない
苦しみ悩みに向き合ってくださる仏さまのご縁です。

 仏さまから見ると
心と体を患う私たちですが
自覚症状のないままに
仏さまのご縁をいただくことなく
人生を終えるのは何とももったいないことです。

 お寺に参って仏法聴聞することで
お念仏申す身にお育ていただき
安心して苦悩の人生を生き抜かせていただくのです。

 体調が気になったら病院に行きましょう。
そしてお寺の病院にお参りしましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.3。12)

14年目の3月11日

2025-03-11
 東日本大震災から14年です。
地震・津波そして原発による被災は
死者・行方不明者が2万2228人に上り
今も約2万8千人の避難者がいます。

 多くの人が大津波に呑み込まれ
今も2520人の方が行方不明です。

 先日テレビで『水平線のうた』という
津波で妻子が行方不明になったタクシー運転手が
偶々乗車した少女との出会いから
偶然見つけた妻が遺した楽譜をもとに
さまざまな人とのつながりのなかに
音楽会を開くというドラマを観ました。

 今朝の新聞には
津波で行方不明の妻を
潜水士の資格をとって海中を探し続けている方の
記事が掲載されていました。

 何度も何度も潜って捜しても見つからないなかで
震災の日から14年が過ぎて
最近ただ潜っているだけで
近くにいるのだろうと
不思議と気持ちが安らぐようになったといいます。
 
 大切な方は既に亡くなっているのでしょうが
懐かしいお姿に会うことができなくても
ずっと一緒につながっていると
日々の生活の中で感じるということです。

 いのちのつながりです。
先に往かれた大切な方と
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなか
阿弥陀さまのお慈悲の中に共々に生かされて
生きていると聞かせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.3.11)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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