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お念仏を申す生活法話

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重ねてお寺参りのお誘いです!

2024-10-20
 「お寺のご縁にお参りしましょう!」と
ご門徒有縁の皆さんにお寺参りをお誘いします。
 「はい!」と
お参りしてくださる方は中々いません。

 「お寺参りして何か御利益があるんですか?」と
訊かれます。
 「はい!」と
答えます。

 「どんな御利益ですか?」と
重ねて訊かれます。
 「仏法聴聞してお念仏申す身にお育ていただき……」と
お話を続ける中で
何か<もういいです!>といった表情が窺われ
 「とにかく一度ご縁をいただいてください!」と
お話は終わります。

 お寺参りしたらどうなるのか。
何かいいことがあるのか。

 一般に神仏に祈願したら
病気が治るとか、商売が繁盛するとか
受験合格するとか
具体的なご利益を求めて
お参りする人が殆どのようです。

 今は健康だし、商売もうまく行っているし
関係者に受験生もいないと
当面は神仏にお世話になることはないということで
お寺参りをされないのでしょうか。

 浄土真宗の仏教のご利益は
仏法聴聞してお念仏申す身にお育ていただき
南無阿弥陀仏「必ず救うまかせよ」の
おはたらきに安心して
この人生を生き抜き
命終えて阿弥陀さまのお浄土に往生して仏に成ると
聞かせていただきます。

 お寺参りして
「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
救われるお念仏のご縁に遇わせていただくのです。
 いつでもどこでもどんな時でも
阿弥陀さまがご一緒してくださる安心です。

 どこまでも自分を中心に生きている私たちです。
自分の都合に合わせて当面の課題を
<よい・悪い>と二者選択し生きては
「よかった・悪かった」と右往左往して迷い
苦悩していると仏さまの見立てです。

 仏法聴聞するとは
阿弥陀仏のご本願に遇って
生死の迷いのわが身の事実を知らせていただき
そのまま救う南無阿弥陀仏のお慈悲のおはたらきを
聞かせていただくのです。

 どうぞお寺参りしましょう!
お寺参りがそのままお浄土参りと聞いて
お念仏申してこの人生の往生浄土の道行きを共々に
ご一緒させていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(20241020)

楽しく遊んで!

2024-10-19
 日本の野球とアメリカのベースボールの違いを
よく言われます。

 一個の球を投げて打って走って守る
子どもの頃みんなが空き地で遊んでいた野球と
基本は同じだと思います。

 大谷翔平選手の大活躍で
朝から大リーグ中継を観戦することが日常になり
日米の違いを意識するようになりました。

 大谷さんがインタビューでよく言う
「野球を楽しむ」ことにヒントがあるように思います。

 チームの勝利が最優先ですが
日本の野球は勝利のための自己犠牲が強いられ
アメリカは勝利のために自分ができることをするという
考え方の違いです。
 監督の采配についても
選手にこと細かな指示を徹底する日本のあり方と
大事な局面での選手起用の差だったりします。

 子どもの頃の野球をして遊んで楽しむという思いが
チームプレーを優先するなかで次第に選手から失われ
返ってプレッシャーに左右されることで
本来のプレーができないのではないでしょうか。

 仏さまの南無阿弥陀仏のお救いのおはたらきは
遊びだと聞かせていただきます。
 お正信偈に
「得至蓮華蔵世界 即証真如法性身
   遊煩悩林現神通 入生死園示御応化」
 蓮華蔵世界に至ることを得れば
 すなはち真如法性の身を証せしむと。
 煩悩の林に遊んで神通を現じ
 生死の園に入りて応化を示すといへり。
(阿弥陀仏の浄土に往生すれば
 ただちに真如をさとった身となり
 さらに迷いの世界に還り神通力をあらわして
 自在に衆生を救うことができる)
とあります。
 
 「遊」は子どもが無心に遊ぶように
何ものにもとらわれないで
融通無碍に衆生を救う境地を
「遊戯(ゆげ)」といわれるのです。

 私たちの日常生活においても
遊び心をもって生活したいものですが
いつも何かに縛られとらわれて生きるなかに
本来のいのちの輝きが失われているようです。

 阿弥陀仏は不自由不自在な私を見抜かれて
「われにまかせよそのまま救う」と
南無阿弥陀仏のおはたらきです。

 お念仏申してこの人生を楽しく遊んで
生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(20241019)

私を生き切る

2024-10-18
 俳優の西田敏行さんがお亡くなりになりました。
多くの方から寄せられたコメントから
あらためて西田さんの人となりに接します。

 小学校5年生の時
「役者になりたい」と決心したといいます。
 テレビがまだお茶の間に少なかった少年期
週末お父さんに連れられて観た
大衆娯楽の勧善懲悪の日本映画が
役者志望の原点だったといわれます。
 
 西田さんは独特なキャラクターで
どんな役柄も演じましたが
悪役もたくさんされています。
 勧善懲悪の冷徹無機質で憎らしいだけの悪役ではなく
悪いなかにも何か人間味を感じさせる悪役です。
 観る人の心のひだにふれるような演技で
自身に重ね合わせて共感された方も
多いのではないでしょうか。

 美男美女が繰り広げる夢物語ではなく
隣りの人かもしれない自分かもしれない
どこにでもいるような人が
泣き笑いし怒ることもある日常の中に
生きることの辛さ悲しさ喜びを
気づかせてくれるものでした。

 76歳です。
かつて共演した同年輩の方々の声です。

 猪八戒役で出演した『西遊記』の
孫悟空役の堺正章さんは
「みんな天竺に行ってしまった」といい
多くの作品で共演された泉ピン子さんは
「みんな死んでしまうのね」とコメントされています。

 私も同じ時代に生きて
20代の独身で悶々とした日々を送っていた頃
『池中玄太80キロ』をみて泣き笑い
「もしもピアノがひけたなら」をよく歌ったものです。
 どこか西田さんの役柄に自分を投影して
共に生きてきたんだなと思います。

 この世の中に100%善い人も悪い人もいません。
縁があれば善いことも悪いこともできる私たちです。
 善いも悪いも縁次第と
善悪を分別しない
その人人をそのまま引き受けて
「必ず救うまかせよ」といつでもどこでもどんな人にも
南無阿弥陀仏の摂取不捨のおはたらきです。

 70歳を過ぎて体調不良を自覚することもあったようで
あるインタビューで
「眠って次に目が覚めるかなと思う」といい
「やっぱり生き切るということ
自分に与えられたことをやり通すことが大事」と
言われていました。

 西田敏行を見事に生き切って
「ゴーゴーウエスト(西へ行こう)!」と
三蔵法師らが待つ西方浄土に生まれて往かれました。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(20241018)

お念仏につながる安心

2024-10-17
 一人暮らしの高齢者を襲う強盗団のニュースです。
金銭ばかりか命も奪われるような凶悪犯罪です。

 闇バイトといわれる
高額な報酬を受け取り犯罪行為を代行するアルバイトが
今ネット上に横行しているといいます。
 全く面識のない者同士が
ネットでつながり
加害者被害者の関係になる構図です。

 ただ報酬を得るために犯罪の指示役の言う通りに
実行役は加害に及ぶわけで
被害者に怨み辛みがあるわけでもなく
罪の意識はあるのでしょうか。

 短い時間で効率よくお金を稼ごうとする
コスパタイパといった
現代の風潮に重なるようにも思います。

 昭和の時代の終身雇用の会社で働く労働形態から
今は単発で短時間の仕事ができる
<スポットワーク>が注目されているそうです。

 コロナ禍で<リモートワーク>が増え
職場に出勤せずに自宅や旅行先で仕事をすることが
特別なことではなくなりました。

 海外で働きながら勉強したり観光したりする
<ワーキングホリディ>など
多様な働き方が増えてきました。

 すきま時間に面接なしで働くことができると
アプリ業者が企業と働き手をつなぎ
マッチした仕事をあっせんする
<スポットワーク>の仕組みです。

 従来からある派遣会社の社員という位置づけではなく
働き手にトラブルが生じたときの保証に不備も多く
アプリ契約を一方的に解除するなどの
問題が起こっているそうです。

 自分の空いた時間に仕事をし報酬を得て
自分の好きな趣味や旅行をすることで
何か自分に都合のいいことばかりのようですが
思い通りにいかないことも多くあって
結局は企業経営者の使い勝手のいいようなものに
なっているという指摘です。

 ネットでつながる人と人との関係です。
面識がないなかで
不安を感じることもあると思うのですが
つながりに縛られない自由が優先されるのでしょうか。

 果たして私たちは何につながって
安心できているのでしょうか。

 お念仏のご縁つながりです。
阿弥陀さまの大きなお慈悲のなかに
あなたも私も皆共につながって
生かされて生きていると聞かせていただきます。

 「すべてのものを分け隔てなくそのまま救う」と
阿弥陀仏の本願成就の南無阿弥陀仏のおはたらきで
私たちはいつでもどこでもつながって
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
共々に生きている安心です。

 いつでもどこでもお慈悲のなかに
良くも悪くもお慈悲のなかに
今日もお念仏申して
共々に生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(20241017)

人恋しくて

2024-10-16
 秋は人恋しい季節といわれます。
夏のにぎやかな祭りの後の静けさのなかに
ふともの思うことがたくさんあるのでしょうね。

 先日小学校の同窓会で
12年ぶりに懐かしい友に再会しました。
 互いに年を重ねて
見た目はみんな変わっていますが
少し話すと変わっていないみんなに出会えて
何かほっと安心します。

 人生の旅でいうと
秋は故郷を思い人生を振り返る時節のようです。

 秋が過ぎて冬を迎えるなかに
思い立って故郷に帰ります。
 私が生まれ育ったところであり
懐かしい人がいるところです。

 お念仏のご縁です。
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
共々に生かされて生きるお念仏申す営みです。

 あなたがいます。
お念仏のみ教えを勧めてくださった
お念仏の先人です。
 あなたがいます。
ご一緒に往生浄土の道を歩ませていただく
お念仏のお同行です。

 そしてあなたもご一緒しましょうと
お念仏のご縁づくりです。

 これまでにご縁のある方も
これからはじめてお会いする方も
阿弥陀さまのお慈悲のなかに
あなたも私も皆共に
お念仏申す身にお育ていただき
私たちのいのちの古里のお浄土へ
お念仏の旅をご一緒させていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(20241016)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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