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お念仏を申す生活法話

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親子で共に育つ(2012年アーカイブ)

2022-11-05
 待機児童の問題です。
保育園に入りたくても受け入れる保育園がないことで
待機する児童が全国的に多くなっているといいます。

 今の保育園事情は
私たちの子どもの頃と違って
核家族で夫婦共働きの家庭が多くなり
ゼロ歳児から保育園にお世話になることも
特別なことではなくなってきました。
 それで保育園の収容人数を超えて
待機児童が増えたということです。

 祖父母が同居していたり近所にいるお家もあったりと
家庭環境もそれぞれ違うと思いますが
祖父母に子どもを預けたくないという
理由もあると聞きます。

 そもそも子育てについての考え方が
親世代と祖父母世代で変わってきた
ということではないでしょうか。

 子どもが4歳ぐらいまでの幼年期は
「三つ子の魂百まで」という格言があるように
一生一度のこの時期こそ
親が子どもと一緒に居て
精いっぱい子育てに励むというのが
祖父母世代の考え方で
一方今の20代30代の親世代は
子育ても大事だが
自分の時間も大事にしたいという考え方が基本にあって
仕事も子育ても両立していこうということです。

 親と子の関係です。
子どもが生まれて親になるわけで
親と子は同い年といいます。

 そうした親子の関係つながりのなかに
私たちの先人は
忙しい生活のなかにもあたたかい眼差しで
子どもの成長を見守って
親子が共に育てられてきたということです。

 とりわけ幼年期の子どもは
親や周囲の人たちの援助がなかったら
子ども自身に生きる力はありません。

 そもそも私たちは誰一人として
自分独りで生きてきた人はいません。
周囲の人たちに育てられて生きてきたのです。
 子どもだけではありません。
みんな互いに支えあって生かされて生きてきて
今の私があるということです。

 私たちのお念仏の先人は
生活の中心に阿弥陀さまのお念仏のみ教えを
いただいて生きてきました。
 阿弥陀さまのお慈悲の光に照らされて
あなたも私もみんな育てられてきたのです。
 照育です。

 お家のまん真ん中にお仏壇
お仏壇のまん真ん中に阿弥陀如来さまを
ご安置させていただいて
今まさに生きているのです。

 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
共々に生かされて親も子も共に育てられていく世界です。

 子は親の姿を見てまねて育つといいます。
日々の生活のなかで
仏さまのご縁をいただいて
お念仏申す身にさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2012.11.5)

南無阿弥陀仏の仏さま

2022-11-04
 浄土真宗のご本尊の仏さまを
南無阿弥陀仏の仏さまといいます。

 一般的に仏さまというと
仏像になった仏さまのお姿を
思い浮かべるのではないでしょうか。

 私たちが目にする浄土真宗のご本尊のお姿でいうと
阿弥陀如来の御尊像であり御絵像です。

 南無阿弥陀仏の仏さまは
お名号という言葉になった仏さまです。
 阿弥陀仏という仏さまのお名前に
南無が付いて南無阿弥陀仏です。

 南無は帰命ということで
そのままいうと
依りどころにするたよりにするということで
私が阿弥陀仏を南無するという関係です。

 ところが名号本尊は
南無阿弥陀仏と蓮台の上にすっとお立ちの仏さまで
南無がついており
南無自体が阿弥陀仏のおはたらきなのです。

 阿弥陀仏の「帰せよの命」といいます。
命は命令で阿弥陀仏が私に命令しているのです。
 阿弥陀仏の私を依りどころに生きていけ
たよりにせよまかせよとの
阿弥陀さまのお喚び声なのです。

 「まかせよ救う」と阿弥陀さまのお喚び声が聞こえて
私の口から南無阿弥陀仏とお念仏が出てくださるのです。

 阿弥陀さまは
私が願ったり祈ったりする前に
「わが阿弥陀をたのめよまかせよ必ず救う」と
おはたらきくださっている仏さまで
南無阿弥陀仏なのです。

 南無阿弥陀仏の「まかせよ救う」のお喚び声が
この身にはたらき届いて私の口から南無阿弥陀仏と
お念仏を申す身にしてくださるのです。

 ようこそお念仏を申す身になってくれたねと
すっとお立ち姿の阿弥陀さまが
今日も頼もしく見守ってくださって
お念仏を申す生活をさせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.11.4)


お念仏の文化生活

2022-11-03
 今日11月3日は
文化の日の祝日です。

 過ごしやすい秋の絶好のこの時節に
コロナ禍で中断していた各地の行事や催し物が
再開されつつあります。

 唐津くんちや鹿児島おはら踊り大会など
近くでは今日の朝刊に
「大在ワクワクまつり!」の
折り込みチラシが入っていました。

 ワクワクするような楽しみです。

 文化はカルチャーといって
耕すという意味があります。
 心を耕す心の栄養剤で
心がワクワク豊かになると聞かせていただきます。

 コロナ禍で不要不急の用事は取り止めて
ステイホームの生活をしましょうと
ずっと呼びかけられてきました。

 家に居ることの楽しみもありますが
ずっと家に居ることがやがて苦痛になり
心も閉じこもりがちで固くなってまいります。

 今はネットの時代社会で
家に居ながらリモートで仕事ができ
動画で趣味を開拓することも可能ですが
いろんな人に会うことで文化が広がる
心豊かな生活ができるのです。

 人に会うことでいろんなお話を聞いて
様々なものの見方考え方にふれることができます。
 頑なな心が耕されて
ワクワクドキドキする柔軟な心豊かになるのです。

 私たちの仏教文化です。
お念仏の文化です。
 阿弥陀さまが南無阿弥陀仏と
わが心を耕してくださるおはたらきです。

 わが心はどこまでも自己中心で
わが身は煩悩具足の凡夫の身です。
 自分の思い通りにしたいなりたいと欲の心をおこしては
思い通りになると有頂天になり
ちょっとでも思い通りにならないと周りの者を責め立てる
鬼のような怒りの心が湧いて出ます。
 共に支え合い生かされて生きている
私たちのいのちの真実のあり方に
向き合おうとせず気づかない
愚かな心の持ち主です。

 そうしたありのままの私を見抜かれて
阿弥陀さまは南無阿弥陀仏とはたらいて
わが心を耕してくださるのです。

 お念仏のはたらきで耕すことで
固い心を柔らかく柔軟にしてくださるのです。
 お念仏の声となって
日々おはたらきです。

 このお朝事のご縁も
日々お念仏の文化
南無阿弥陀仏のおはたらきに遇うことです。
 今日一日もお念仏の文化生活のなかに
心豊かに生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.11.3)


「色んなことがあったけれども本当に良い人生だった」

2022-11-02
 私の叔母で母の二番目の妹が
亡くなったという連絡がありました。
 92歳です。
母が長女の5人姉弟の上4人が女性で
末っ子が長男ということです。

 結婚してずっと京都暮らしでした。
私もご本山の用事で京都に度々行くことがありましたが
高齢で体調が悪く入院し施設に入ったなどと
聞いてはいましたが
訪ねることもないままになっていました。

 京都には大学を卒業して
一年余り本山関係の学校に通っていました.
 京都の思い出は楽しいこともありましたが
あまり思い出したくないこともあって
その時に叔母には大変お世話になりました。

 昨日はご門徒さんのお通夜がありました。
お通夜は夜伽ぎといって
夜を通して色んなお話をするご縁ですと
ご法話の初めにお話します。

 お通夜には故人とご縁の深い方ばかりがお参りです。
共に歩んだ人生の道行きで色んなことがあったでしょう。
 楽しかったこと嬉しかったことも
辛かったこと苦しかったこともあったでしょう。

 自分の都合でいったら良いことも悪いことも
色んなことがあったけれどもです。

 二度とないこの人生を振り返って
人間に生まれてよかった
本当に良い人生だったと
ふっと思えるのが
この私がお念仏のみ教えに遇わせていただいたご縁かなと
この歳になって思います。

 辛くてしんどかったこと思い出したくないことも
ふっと思い出して今は笑って話ができそうです。
 色んなことがあって京都のあの時があって
今の私があるということです。

 良くも悪くも今の私です。
阿弥陀さまはこの私を一人子のように
ずっと抱き取ってくださって
南無阿弥陀仏のおはたらきで
「いつも私が一緒だよ。
どんなことがあってもあなたを護り通すから
大丈夫安心して
あなたはあなたの命を精いっぱい輝かせて
一緒に生きて往こう」と
喚んでくださっているのです。

 「やり直すことができない人生も
見直すことができる」とお聞きします。
 そのまま見直させてくださる
阿弥陀さまのあたたかいまなざしものの見方を
仏教浄土真宗お念仏のお救いのみ教えに
今聞かせていただいて
色んなことがあったけれども
どれもこれもお念仏に遇わせていただく
有難いご縁だったといただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.11.2)


喚鐘とともに父のお念仏の声が聞こえてきます

2022-11-01
 11月になりました。
今年も残すところ2か月です。

 今日11月1日は前住職の祥月命日で
2時からご法座のご縁をいただきます。

 23年前の平成11年11月1日の朝
ちょうどお朝事の喚鐘を撞こうとする時に
亡くなったという電話がありました。

 23年経ってもつい最近のことのように
喚鐘を撞きながらふっと思い起こします。

 あれから23年が経ました。
23年齢を重ね私も70歳を超えて
父の年齢に近づいてきました。

 このお朝事のご縁で
日々の生活を始めさせていただける有難さを
歳を重ねるなかで愈々思います。

 11月の新しい月です。
今日一日も新しい日です。
 お念仏を申すなかに
一日一日を大切に生き抜かせていただくことです。

 前住職から私に住職のバトンが渡され
今月28日の御正忌ご満座のご縁で
新院に住職を継職させていただきます。

 日々移り変わりする中で
思い通りにならないこともたくさんありますが
南無阿弥陀仏のいのちの帰依処をいただいて
お念仏の道を共々に歩ませていただく有難さです。

 「いつも私が一緒だよ。
どんなことがあってもあなたを決して見捨てないから
大丈夫安心して
あなたはあなたの命を精いっぱい輝かせて
一緒に生きて往こう」と
阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のお喚び声が
前住職父のお念仏の声が
今日も喚鐘と共に聞こえてまいります。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.11.1)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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