検診の結果が良くても悪くてもお慈悲の中
2022-12-22
大分市の基本健診で
眼圧の検査を受けました。
片方の右目に当てて写真を撮りましたが
何回してもうまく行かない様子で
「左目も撮りましょう」ということになりました。
何回か撮り終って
「どちらかいい方を先生に診せましょう」と言われます。
「えっ?」
いい方ってどういう意味かと思っていると
「よく撮れている方です」と言われて
納得しました。
検診は体の悪いところをチェックするものですが
検診前には気をつけて体調を整えるように心がけます。
ある人は「検診前の一週間は酒やたばこを控えて臨む」
と言われます。
「検査結果が良い方がいい」というのです。
気持ちは分からないでもありませんが
普段日常の生活の中での検診です。
ただ良い結果が出ればいいのでしょうが
要は今のありのままの事実を知ることで
今後の対応を善処するということです。
仏教は私のいのちのあり方をありのままに知らせて
真実のいのちの営みに目覚めなさいと教えてくださいます。
浄土真宗のみ教えは
迷いの私のありのままを見抜かれた阿弥陀如来が
大悲のお心でそのまま救うと本願をおこし成就して
南無阿弥陀仏のおはたらきでお浄土に往生させ
さとりの仏にしてくださるというのです。
どんなに自分を良く見せようと頑張ろうとも
もうすでに私のすべてをありのままにご存知で
そのまま救うとおはたらきなのです。
検診の結果で改善すべきところはお医者さんに相談し
良くも悪くも阿弥陀さまのお慈悲の中に安心して
今私にできることをさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.12.22)
わがいのちの自分事
2022-12-21
先日18日の日曜日の夜は
ずっとテレビの前にくぎ付けになった人が
多かったのではないでしょうか
年末恒例の漫才№1を決める『M1』
今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の最終回
そして4年に一度の『サッカーW杯の決勝戦』と
注目の番組が目白押しでした。
凄まじい反響というか
今もネット上で話題が尽きません。
人々の関心の高さを
思い知らされます。
どの番組を観たかはそれぞれですが
M1と鎌倉殿は放送が1時間重なり
私は鎌倉殿を観ました。
臨場感第一のスポーツ生中継のサッカーは
深夜零時からの放送で眠ってしまい
目が覚めた前半終了間際の時点で
2対0でアルゼンチンの優勢を確認してまた眠ってしまい
再び起きたのが2時半だったことで
もうすでに試合終了と勝手に決め込んで
朝を迎えました。
朝のニュースでアルゼンチンの優勝を知ったのですが
筋書きのないドラマのスポーツ番組の真骨頂で
後半フランスが追い付いて延長になり
両者1点ずつ取り合って
最後はPK戦で決着したということです。
時間にして3時前の出来事でしたので
私が2回目に起きた時は
まだ延長戦の真っ只中だったのです。
何でどうしてと思ってみても
後の祭りです。
自分勝手な思い込みというか
本当に自分事として見ていない不誠実さです。
結果どうでもいいのです。
所詮他人事で
自分ではどうにもならないことですし
時間が過ぎれば
忘れてしまうことなのです。
ならば自分事って何でしょうか。
この世に生まれ生きて死んでいく
私のいのちのあり方です。
何のために生まれて来て
何のために生きるのか
死んだらどうなるのかと
わが生死を貫く自分事です。
まさにこの命を懸けた一大事です。
私の生きる依りどころであり
死して帰る生死の帰依処です。
阿弥陀仏は迷いの私を見て取って
「あなたの命そのまま引き受けた」と
さとりのお浄土を用意して
「必ず救い取って仏にする」と
南無阿弥陀仏のおはたらきで
今こここの私とご一緒くださっているのです。
「まかせよ救う」のお喚び声に
「おまかせします阿弥陀さま」と
お念仏申して往生浄土の成仏道を
歩ませていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.12.21)
非日常の中で日常の有難さを思う
2022-12-20
別府のホテルに宿泊しました。
すぐ近くに住んでいても
中々こうした機会はありません。
午後3時のチェックインから
翌日10時のチェックアウトまで
ほぼ一日を非日常の空間で過ごす
まさに極楽の世界です。
さっそく大きな広い温泉に身を浸し
次から次に出てくる豪華な美味しいお料理に舌鼓して
身も心もゆっくりゆったりと
あたたかい布団に身をまかせ安心して眠りにつきます。
翌朝日の出とともに温泉に浸かり
朝食はバイキングでより取り見取りの和洋食を
これでもかこれでもかとお皿についでは
あっという間におかわりです。
至極の幸福感に浸るなかに
チェックアウトの時間が来て
現実の日常に戻ります。
「名残惜しくおもえども
娑婆の縁つきて命終わる時に
彼の土には参るべきなり」と
『歎異抄』の御文がふと浮かびました。
私たちが住む世間の空間には
生きる現場の日常と特別に作られた非日常があって
日常と非日常の苦楽の格差に
私たちはつかの間の喜びと幸せを感じます。
仏さまがましますお浄土は真実の世界で
すべてが日常の営みであって
お念仏のおはたらきで
生死の間を除いてくださり
いつでもどこでも誰にでも生きても死んでも
お慈悲の中に包み込んでくださって
今こここの私に阿弥陀さまがご一緒くださるご法義なのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.12.20)
仏事のあり方が変わります
2022-12-19
急に寒さ厳しくなりました。
昨日は小雪がちらつくお天気のなか
本堂でご法事のお勤めをさせていただきました。
施主は東京の方で
前の日に大分に来られて
昨日午後の飛行機で帰られると聞きました。
滅多に雪の降らない大分ですが
空港のある国東は雪が積もることもこれまであって
ちょっと心配です。
今はコロナ禍ということもあって
リモートでご法事のお勤めをされることも聞きます。
葬儀や法事のあり方が
これから変わってきます。
いろんなあり方があるということで
最終的には施主の方が決めることです。
大事なことは仏事をお勤めする意味を
皆さんに知っていただきたいということです。
ただ「遠いから、忙しいから」と
自分の都合だけで仏事を考えないでほしいと思います。
仏事について
これまでどこで誰から教わり聞いてきたかといって
学校では教えてくれないし
地域の長老からお家の祖父母といった
人生の先輩に聞くということもありません。
ネットの時代社会で
今は簡単にスマホやパソコンで情報を入手できますが
自分に都合の良い情報だけ切り取っても
その意味までは教えてくれません。
それで葬儀や法事にお参りして
アッと思うようなことに出くわすことが
多くなりました。
私たちお寺のお坊さんの
常日頃からの発信不足を反省します。
単なる情報発信ではなく
仏さまのみ教えを正しく分かりやすく伝えるために
どうした工夫をすればいいのかと思います。
仏教やお寺に思いのある人と
できたら顔と顔を合わせて話し合い
日頃からの思い疑問や質問に
丁寧に向き合うことが一番の基本だと思います。
お念仏のご法義は平生業成
今こここの私がお念仏申す身にお育ていただき
往生浄土の仏道を歩ませていただくことです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.12.19)
お念仏の声を聞かせていただく往生浄土の仏道です
2022-12-18
念仏とは元々「仏を念じる」ということで
「仏を念じてついには仏と出会う」という
観仏の仏道修行が重んじられるようになります。
一方そんな厳しい修行ができない者が
仏の名を称える「称名」の念仏に注目したのが
中国に出られた善導大師であり
「称名念仏」の仏道は法然聖人
そして親鸞聖人へと受け継がれていきます。
ただ仏を念じる仏道実践は
どこまでも私の思いはからいの念仏であります。
阿弥陀仏さまは
自分中心の思いのままに生きて
思う通りに行けば自分の手柄にして有頂天になり
思い通りに行かなければ周りのものを怒り妬み
排除するような私であることを既にご存知で
すべてのものを分け隔てなく救うという願いを起こし
南無阿弥陀仏と成就しておはたらきなのです。
南無阿弥陀仏は
「わが名を称えてくれよ。
われにまかせよそのまま救う」と
いつでもどこでもお念仏の声となって
私たちに等しく聞かせてくださっている
阿弥陀さまのお喚び声だというのです。
声に出してお念仏申すと
そのままお念仏の声が聞こえてきます。
皆さんとご一緒にお念仏申すと
声の大きさ音質はそれぞれ違いますが
南無阿弥陀仏が等しく聞こえてまいります。
それぞれ生活ぶりは違う私たちお互いですが
同じお念仏の声を聞かせていただくのです。
南無阿弥陀仏のおはたらきにつながって
南無阿弥陀仏のいのちのつながりのなかに
共々に生かされて生きる
私たちはお念仏の仲間です。
ご法事のご縁は
先にお浄土に往かれた大切なお方が仏さまと成って
私のところに還って来てくださり
「仏法を聞いてお念仏申す身になって
浄土に生まれて来いよ」と
喚んでくださるお念仏のご縁です。
共々にお念仏申して
皆さんと同じお浄土に往き生まれる仏道を
歩ませていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.12.18)