大宇宙の中でお念仏申す
2023-01-10
昨日今日と住職が留守で
私が朝のおつとめを代行しています。
6時の梵鐘を撞きます。
空を見上げると西の空高く
月が輝いていました。
1月7日が今年初めての満月ということで
ほぼ丸いお月さんがきれいでした。
少し曇っていますが
星が夜空のあちこちにキラキラ輝いて見えます。
大宇宙です。
遥か彼方どこまで続いているのか
人知を超えたロマンの世界です。
大分空港が宇宙港として
いよいよ動き始めるという計画で
大きな夢が広がります。
この果てしなく広い大宇宙の中に
この私が生きています。
小さな限りある人の命ですが
大宇宙とつながって生きています。
三千大千世界という仏教の世界観です。
広大無辺のお念仏の世界にあって
阿弥陀さまは無量無辺無碍の光明を放って
いつでもどこでもどんな人も
分け隔てなくそのまま救うとおはたらきです。
南無阿弥陀仏のおはたらきで
今こここの私を救うてくださるのです。
私だけではありません。
隣の人隣の人もみんなです。
人だけではありません。
生きとし生けるものすべてです。
広く大きな宇宙の中にあって
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
今日もこのいのちいただいて
お念仏申して共々に生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.1.10)
「どうする家康」
2023-01-09
今年のNHK大河ドラマ『どうする家康』が
昨日から始まりました。
天下取りをめざす徳川家康の
特に若い頃のことを取り上げるということで
私たちが抱くこれまでの家康のイメージとは違った
面白さを前宣伝でうたっています。
いろんな局面で「どうする?」との選択です。
どうしたらいいのかと迷いそして決断することで
それも一家の主という立場の責任で
周りを取り巻く家来衆のそれぞれ意見が違うなかで
最終的には大将が決断するわけですが
戦国時代にあってまさに生死をかけた究極の選択です。
生死をかけたというところまでは行きませんが
私たちも日々「どうする?」と選択して生きています。
今日はどうする、どう生きるかと
行く道を右に行こうか左に行こうか真っ直ぐか
それとも外の方向もありますが
止まることも後戻りもできません。
後から振り返って
こうしたらよかったああしたらよかったと思っても
これは言わない方がいい
どうしようもないことです。
いろいろ迷い苦悩し選択してきた中で
良くも悪くも今の私があるのです。
どこを目指して生きるのか今日どう生きるのかと
思い悩む私に
仏法は南無阿弥陀仏のお念仏の道を
開いてくださっています。
私の思いはからいで生きている私たちは
人生の選択それぞれ行く道は違います。
どんなに仲の良い家族でも友人でも
互いに自分中心の思いはからいで生きていますから
時には意見が合わず不快な思いをしたり
仲違いになることもあるでしょう。
そうした私たちのあり様をありのままに
見てとられた阿弥陀さまが
それぞれの違いを超えてそのまま救うと
私たちに開いてくださったお念仏の道です。
南無阿弥陀仏は
「そのまま来いよ」「そのまま往けよ」の
弥陀釈迦の招喚発遣のお喚び声です。
この口に声に出して称えるお念仏は
そのまま南無阿弥陀仏と聞こえてきます。
その人人が行く道は
右に行こうが左に行こうが真っ直ぐかと
それぞれ違っても
お浄土から開かれたお念仏の道は
そのまま私たちが共に歩む往生浄土の道なのです。
「どうする?」と迷うときは
お念仏申して阿弥陀さまにご相談しましょう。
南無阿弥陀仏のおはたらきで
いつでもどこでも阿弥陀さまがご一緒です。
ナマンダブナマンダブとお念仏申して
南無阿弥陀仏の御声を聞きつつ
隣の人もみんな共々にこの道を往きましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.1.9)
成人と成仏(2018年アーカイブ)
2023-01-08
今日は成人の日です。
私たちの頃は1月15日でしたが
今は1月の第二月曜日ということです。
いつも連休になりますので
昨日の日曜日に成人式があったところが多いようです。
20歳の同窓会といった
自分たちの身内の会の雰囲気で
明日がお休みということでもあり
ゆっくり交友を深めお酒も飲めるということです
一部の地域では成人式で派手な服装をした集団が
お酒を飲んで騒いで式典を妨害してと
救急車を呼んだり警察に逮捕されるといった
異様な事態にまでなることが報道されています。
成人とは人に成ると書きますが
どういうことでしょうか。
社会的に責任ある人に成るということで
今は選挙権が20歳から18歳になったことで
成人の年齢も18歳にしようという動きがあります。
ただ成人の年齢を20歳にしようと18歳にしようと
法律で決められても
その人人に成人の自覚がなかったら
社会的に迷惑な成人が増えるということに
なりかねません。
成人は責任と自覚をもった人に成るということですが
仏教の目的は成仏といって仏に成ることをいいます。
仏とは覚者ともいい
この世の真理を覚った方のことです。
仏教の教えに聞くと
私たち人間は迷いの世界に生きる凡夫で
仏道修行することで覚りの仏に成るといわれます。
私たち浄土真宗の仏道は
この世で仏に成るという教えではありません。
年齢が幾つになったからといって
お寺参りを何回したから
仏教の知識が増えたから
仏に成るということではありません。
仏道修行の一つもできず仏に成ることができない
救われようのないこの私がいることを見て取って
阿弥陀という仏さまが
この私をこそ救わずにはおかないと願いを建て
その願いを成就されて
お立ち姿の仏さまになってくださり
「われにまかせよ必ず救う」と
南無阿弥陀仏のお喚び声になって
私のところに来てくださって
命終わる時にお浄土に生まれさせ
仏に成らせていただく仏道なのです。
命終わって死んだら仏と約束された仏道だったら
今は関係ない何をしても救ってくださるのだったら
今は何をしてもいいと聞き違う人がいますが
この私をこそ必ず救うという
南無阿弥陀仏のお心おはたらきを
今聞かせていただくことが肝要です。
仏に成らせていただく尊い命を
今こここの私が生きていることを
聞かせていただくのです。
この私をこそ救うと願われ成就された
南無阿弥陀仏のお心おはたらきを
聞けば聞くほどに
身を慎み言行を慎んで
私にできる精いっぱいの
御恩報謝の営みをさせていただくのが
お念仏に生きる者の生き方であります。
成人といいます。
成仏といいます。
同じ成るといって
この私のことです。
仏法聴聞させていただきお念仏申す身に成って
お浄土への人生をいよいよ歩ませていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.1.8)
声に出してお念仏申しましょう(2014年アーカイブ)
2023-01-07
今朝の大分合同新聞のコラム『東西南北』を読んで
はっとしました。
声を出して読む音読のことが
書かれていました。
私たちは本や新聞を読むときは
黙読といって黙って文字を読んでいますが
音読の効用といって
声に出すことでそのまま耳に入ってくるという
新しい発見があるというコラムでした。
今日もお朝事のご縁で
声に出してお勤めをしました。
声に出してお念仏申しましょうと
常々申しています。
お正信偈も南無阿弥陀仏のお念仏も
いつも同じことの繰り返しです。
でも日々の生活の中で声に出して音読することで
その時どきの聞こえ方味わい方が違うというのでしょうか
いつも南無阿弥陀仏の音声は変わりませんが
今こここの私に届けられる
南無阿弥陀仏のお心おはたらきを
味わわさせていただけることの有難さです。
音読の効用です。
声に出すと私だけではなく周りの人にも
お念仏の声が聞こえます。
人それぞれに聞こえ方は違いますが
いつも阿弥陀さまがご一緒してくださる安心です。
黙読というと何か自分一人でわかったような
気持ちになりますが
声に出すことで阿弥陀さまのお救いの頼もしさを
聞かせていただきます。
こうして毎朝一番に声に出して
お正信偈のお勤めをさせていただくことは
健康面でもいいのではないでしょうか。
南無阿弥陀仏とお念仏申してくれよとの
阿弥陀さまそしてお念仏の先人のご催促にあって
お念仏申す身にさせていただいたことです。
私が申すお念仏ですが
実は阿弥陀さまが長い長い時間をかけて
私の口からお念仏が出てくださるように
お育てをいただいたのです。
日々の生活の中で声に出してお念仏申しましょう。
この耳に聞こえるほどで結構ですから
お念仏を申すなかに
今日一日も日暮しさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2014.1.7)
いつも見守ってご一緒くださる仏さま
2023-01-06
臨終勤行のご縁にお参りしました。
お勤めの後で通夜葬儀これからの仏事について
一通りご相談した後で
いろんな話になりました。
ご高齢のお方です。
娘さんがぽつんと
「こんなにお母さんが歳をとって
向こうに行ったら
お父さんびっくりするやろうね」と
言われました。
お父さんは40代でご往生されていますから
子どもさんには若い時のお父さんのままです。
すぐ私の口から「大丈夫ですよ。
いつも見守ってくださっていたのですから」と
申していました。
私たちが生きるこの娑婆世間のことは
良くも悪くも色んなことがありますし
この身は老いていきますから
昔の若い時のままというわけにはいきません。
浄土真宗のお念仏のお救いのご法義は
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
どんな人も分け隔てなく
阿弥陀さまのお浄土に往生させていただき
仏に成らせていただくと聞かせていただきます。
人の命は終えますから
遺った私たちのこの目に懐かしいお姿を
見ることはかないませんが
南無阿弥陀仏の仏さまと成って
いつでもどこでも私たちを見て護り
導いてくださっているのです。
お父さんの仏さまは
お母さんだけでなく皆さんを
ありのままに見てくださりそのまま救うと
南無阿弥陀仏とおはたらきだったのです。
先に往く人もお浄土ならば
後に遺った私たちも同じお浄土に
生まれさせていただけるのです。
大丈夫心配ありません。
先に往かれたお母さんは
阿弥陀さまのお浄土でお父さんと再会されて
これからもお念仏の声となって
遺った私たちを導いてくださいます。
私たちが日々生きる生老病死の苦悩の現場に
先に往かれた仏さまがご一緒くださってあることを
南無阿弥陀仏とお念仏申して
有難く聞かせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.1.6)