「逃げて来い!」
2023-01-20
博多でストーカーの殺人事件
そして13歳の中学生が母親を刺殺した事件
大分では小学一年生の子どもを母親が殺害した事件と
何ともショッキングな事件が相次いでいます。
あなたと私が織りなす私たちの社会にあって
私たちは誰一人独りで生きているのではありません。
それぞれが自分の思い思いに生活していますが
他者との関係でみんなが思い通りに生きているのではなく
互いに自分の思いをぶつけて衝突することもあるし
いろんな楽しい時間もあったのではないでしょうか。
ストーカー犯罪は今のネット社会が生んだものです。
SNSで誰とでも交信できるなかで
相手がどんな人か分からないままに
事件が後を絶ちません。
病んでる社会の様相です。
そしてこの私もこの病んでる社会の一員だということです。
ストーカーだったら警察に対処してもらってといって
やっぱりこうした事件が起こるのです。
子育てのことは児童相談所にとか
具体的な対処法を求めて様々な行き場所がありますが
一朝一夕に自分の思い通りに
解決できることではありません。
私がこの世に生まれて
今まで生きてきたなかで
これまで巣つくってきた心の闇です。
お寺はあなたの居場所といい
駆け込み寺といわれます。
お寺は逃げ場所だというのです。
阿弥陀仏さまの「まかせよそのまま救う」
南無阿弥陀仏のお喚び声です。
「逃げて来い!」と聞こえます。
阿弥陀仏さまの胸が大きくはだけているのは
この胸の中に顔をうずめて泣いておくれと
私をそのまま抱き取ってくださる
お慈悲のおはたらきとお聞きします。
お寺に来てどんな対処法があるのか
ストーカーの対策ができるのかというと
それはそれぞれ専門の部署での対応です。
自分が今抱えている問題に向き合うことが辛かったら
ここはとにかく逃げて来いというのです。
そしてあなたの思っていることを
打ち明けたらいいのです。
そのまま聞いてくださる仏さまです。
世間的に見れば逃げるのは恥だというでしょう。
ちゃんと問題に向き合わないで
何の解決にもならないというでしょう。
でもその場から逃げることで
仏さまの前に身を置いて
ゆっくりゆったり自分自身を見つめ直すことです。
逃げましょう、逃げましょう。
これはしんどい辛い
ここに居ることがたまらないときは
逃げましょう。
逃げても生きるということですから
これからも思い通りにならないことが起こってきますが
とにかく逃げましょう。
逃げて生きて往きましょう。
「まかせよそのまま救う」とおはたらきの
阿弥陀さまのお念仏の世界は
悩めるあなたの逃げ場所です。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.1.20)
私の楽しみ
2023-01-19
今朝久しぶりに
6時の梵鐘を撞きました。
玄関から外に出て南の空低く三日月が見えました。
ナイフのようなすっと冴えわたった輝きでした。
この時期「寒くて暗い中を(鐘撞きは)大変ですね」
と言われますが
外に出て月を見られる楽しみです。
月を見るためだけに外に出るのは億劫ですが
鐘撞きの縁に遇って
大宇宙の中に生かされて生きていることを
実感できる私の楽しみです。
住職を継職して法務の役割が代わり
日々の生活様式も特に朝の時間がすっかり変わりました。
そろそろ慣れて行かないといけないことですが
このお朝事のことでいうと
お導師のつとめが代わったことで
ご法話お取り次ぎがなくなりました。
毎回お話の内容を録音して後で文字にし整理して
HPに発信することが日課になっていました。
今は直接パソコンに入力していますが
中々思うようにお話が出てきません。
今日のお話も前以て原稿を書いて
用意しているわけではありません。
その時どきに私が思ったこと感じたことを
皆さんにお話させていただいています。
お朝事のご縁にお参りして聞いてくださる
皆さんがいるからお話できる楽しみです。
HPを開いてどういう方が
お話を読んでどう感じてくださるのか分かりませんが
確かに読んでくださる方がいらっしゃる楽しみです。
お寺の住職の楽しみは
一人でも多くの人がお寺参りして
お念仏のご縁に遇ってくださることです。
これからの私の楽しみも
一人でも多くの方に
お念仏のご縁に遇っていただくことです。
お寺から飛び出して
多くの人に出遇うなかで
共々にお念仏申すご縁をつくりを
楽しみながらさせていただきたいと思います。
私たちの楽しみの大本はお念仏です。
お念仏申す身にさせていただく仏さまのご縁です。
どうぞ引き続いてお朝事のご縁にお参りしてください。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.1.19)
「かかりつけ僧」のお坊さん
2023-01-18
十数年間月に一度の
かかりつけ病院の定期健診で
血圧の薬を処方されることになりました。
前々から血圧がずっと高い数値で推移しており
先日の大分市の健診で要診断と指摘され
いよいよ私も覚悟を決めてのことでした。
ここは日頃から私の体の健康状態がわかっている
主治医の先生のご指導に従うばかりです。
あまり薬に頼りたくないと言ってきた私ですが
今回は「わかりました」と素直に受け入れました。
70歳になりました。
実は父も高血圧症で
病院に行かないままに
70歳を過ぎて脳梗塞を発症し
74歳で亡くなりました。
私の心配もありましたし
かかりつけの医師の判断が決め手になりました。
かかりつけ医ならぬ
かかりつけ僧といって
日頃中々聞けない仏事のことや広く心の悩みについて
相談できるお坊さんのことをいうそうです。
所属寺があるなら
お寺の住職や坊守に相談すればいいことだと思いますが
かえって気軽に相談できないといいます。
お寺に日頃のご縁がないということでもあります。
葬儀や法事のお勤めはその時どきに相談できるのですが
それ以外のことは
お寺には用事がないということでしょうか。
お寺と門徒檀家の皆さんとのつながりが
特別な事務的なものになっているように思います。
何かの時のお寺さんお坊さんです。
お寺の経営ということではそれでいいのでしょうが
私たち浄土真宗のお寺はお念仏の道場といい
僧侶も門徒も同じお念仏のみ教えにつながって
仏法聴聞こそが肝要と聞かせていただきます。
平生業成の南無阿弥陀仏のご法義だからこそ
常日頃からいつでも何でも相談できる
かかりつけ僧のお坊さんでありたいと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.1.18)
阪神淡路大震災から28年
2023-01-17
阪神淡路大震災から
28年が経ちました。
6434人の方がお亡くなりになり
ご法事でいうと今年が29回忌です。
お寺からご通知しお勤めする
25回忌や33回忌のご法事は
親子の関係でいえば
施主の子どもの歳が大方
親の亡くなった歳前後になります。
大震災委で70代のお父さんお母さんを亡くされた
今70代の娘さんのお話です。
刺繍が得意だったお母さんの姿を見て育って
震災後お母さんの刺繍教室に通われて
今は同じように刺繍を楽しんでいるという
エピソードです。
突然のお別れで辛い悲しい日々を
過ごされたことだと思います。
刺繍という同じ趣味に生きるなかに
お母さんそしてお父さんがいつも一緒なのですね。
ご法事のご縁で皆さんご一緒にお勤めをし
お念仏申させていただきます。
南無阿弥陀仏のお念仏のおはたらきで
先にお浄土に往かれた方を
お念仏申して偲び
後に遺った私も同じお浄土に往生させていただけると
お念仏のお救いのご法義に遇わせていただきます。
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
共々に生かされて生きて往ける
お念仏のこの道を今日もご一緒させていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.1.17)
ずっと待っていてくださる仏さま
2023-01-16
大腸がんの検診で
検査容器を提出に行きました。
所定の時間場所に行きましたが
回収者らしき方がいなく
少し待ったものの不安になって
家に帰って確かめようと引き返しました。
後の日程が入っており
何かバタバタしてのとっさの行動でしたが
途中でスマホで確認の電話をすることに気づいて
連絡すると間違いないということで
再び所定の場所に戻ると
回収者がいて検査キットを渡すことができました。
数分ほど待ったことですが
「何で来ていないのか」とイライラして
「せっかく準備して来たのにどうしてくれる」と
少し苛立つ始末でした。
何のことはない
しばらくそこで待っておればよかったことですが
待てない私がいました。
自分の思い通りに
すべてできればよかったのですが
どこまでも自分中心に生きている私を
見せてもらいました。
阿弥陀如来さまは
ずっと私を待っていてくださる仏さまです。
南無阿弥陀仏のみ名となり
「われにまかせよ必ず救う」とこの私を喚びつつ
私が気づくまで待ってくださっているのです。
待たせた私を叱るどころか
「ようこそようこそ」と
そのまま引き受けてくださるのです。
この目で見える阿弥陀さまは
お仏壇の中でじっとしているようですが
昼夜を問わず私がこの世に生まれるずっと前から
すっとお立ちになって南無阿弥陀仏のおはたらきで
この私を御仏前に迎えてくださるのです。
ここに座って仏法を聞いて
お念仏を申す身にお育てくださった
阿弥陀さまの御身を拝して
今日も一日お念仏申して始めさせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.1.16)