十年に一度の寒波
2023-01-25
十年に一度の寒波が日本列島を襲うという
連日の報道で身構えるなか
昨日は大分の市街地も日中どんより曇った中で雪が降り
夜は凄い突風が吹き荒れ
早々にお朝事のお休みを連絡し
明けて今朝は県内どこも氷点下でしたが
積雪はなく午前中のお参りも予定通り出来ました。
私たちの生活は
こうした天気に左右されることが多くあります。
人間がどんなに偉くなっても
天気など自然界を掌握することはできません。
私が生きるこの生身も自然の摂理の中にあって
私がどうこうすることはできません。
自然の大きな力に
自分の都合で良くも悪くも
おまかせするしか術を知りません。
午後ちょっと遠方のお家に車でお参りしました。
親戚の方も方々からお参りされていて
お勤めの後お茶をいただきながら
「仏さまのご縁に遇えてよかったですね」と
お話しました。
雪が積もって道路が凍っていたら
私も皆さんもお参りできなかったことです。
ただ仏さまのご縁
「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のおはたらきは
私がどのような状況にあっても
お念仏の声となって今こここの私のところに
至り届いてくださっていることを
また頼もしく有難く思うことです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.1.25)
「楽やないけど楽しいわ」
2023-01-24
毎朝朝ドラを観る生活習慣が
ずっと身についています。
今回の『舞いあがれ』は
航空パイロットをめざすヒロインの物語ですが
今は東大阪市の町工場が主な舞台になっています。
先代から父が継いだねじの製造業ですが
小さな町工場ゆえの苦労が絶えません。
「小さいねじから、大きな夢を」のスローガンで
小さな工場から事業を拡大していきますが
リーマンショックのあおりで倒産の危機に瀕する中で
父が急死し母が社長になって会社経営するようになります。
苦労が絶えない困難な中で
母が「楽やないけど楽しいわ」と
ぽつんと漏らします。
テレビ時代劇『水戸黄門』の主題歌に
「人生楽ありゃ苦もあるさ」と歌詞があります。
人生はまさに苦楽の繰り返しの様相ですが
苦しいことも楽しいことも含めて
「楽しい」と言える心境です。
臨終の時に私たちは何を思うのでしょうか。
「色んなことがあったけれども、いい人生だった」と
自分の都合で良いことも悪いことも
みんな受け入れて「そのまま救う」とおはたらきの
南無阿弥陀仏のお喚び声を聞かせていただきます。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
命終えて往き生まれる阿弥陀仏のお浄土は
極楽といわれます。
私たちが生きる娑婆世間の苦楽を超えた
極めて楽しいみんなが喜びに満ち満ちた世界です。
「楽やないけど楽しい」と
自他共に心豊かに往生浄土の人生をご一緒しましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.1.24)
民生委員なり手不足
2023-01-23
今朝の大分合同新聞の第一面に
「民生委員 なり手が不足」の見出しが
大きくありました。
民生委員のなり手がいないということですが
これは自治委員など
地域の役職者全般にいえる問題です。
地域の中で自治委員や民生委員の果たす役割は大きく
独居高齢者の増加と
子どもの貧困などの課題が深刻化する中で
その役割はますます重みを増しているといわれます。
昔は地域の顔役といわれるような人で
何かもめ事があった時に話をまとめる調停役として
地域の皆さんから一目置かれた存在でした。
今は実務が事細かになって大変です。
そして周囲の目もうまくやって当たり前で
ちょっとでも不備なことが起こると非難される始末です。
退職者や子育てを終えた方が殆どで
ゆっくりゆったりこれからの人生を楽しむ人が多い中で
進んで地域のお世話をすることが
割に合わないことかもしれません。
私たち現代人の自己中心でドライな考え方が
今後も顕著になってくるのでしょうか。
隣り近所の日常の付き合いが
殆どなくなりました。
日暮らしを共にする私たちの地域が
私の単なる住居になったということでしょうか。
米や味噌醤油の貸し借りまではなくても
同じ地域で共に生きるなかで
村八分に遭う人でも葬儀と火事は共に務める二分のことで
お互い同じ地域に住まいする意味合いがありました。
昔の地域の光景に郷愁をそそられますが
これからの地域のあり方を考えると
地域の役割がこれまで通りでいいのかということです。
これはお寺のあり方にも重なります。
地域の中のお寺の存在です。
昔は地域の皆さんに開かれた
公民館や託児所の役割も担っていました。
門徒檀家だけではなく地域の方々がお寺にみえられ
習字や裁縫料理などを教えたりもしていました。
特に何か用事があってというのではなく
ふらっと気軽に出入りできて
私の居場所的な時間と空間を
みんなで共有できるようなお寺になりたいと
ふと思うことです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.1.23)
大相撲の権威
2023-01-22
大相撲初場所の千秋楽結びの一番で
大関貴景勝が平幕の琴勝峰を下して優勝しました。
1横綱1大関という125年ぶりの事態で
横綱休場により最高位の一人大関が
連日結びの一番を取ることで
かなりのプレッシャーだったと思いますが
平幕力士の4場所連続優勝を阻止し
久しぶりに番付通りの結果になりました。
群雄割拠の戦国時代を思わせる
今の大相撲の勢力構図です。
昨年二大関があえなく陥落し
誰が優勝してもおかしくないといいますが
みんなドングリの背比べで
飛び抜けた強者がいないということです。
番付通りに行かない面白さも
いつものことになってしまっては興味が薄れます。
ここは早く強い横綱大関の誕生を
待ちたいところです。
今場所はかろうじて
大相撲界の権威が保たれたということですが
私たちの社会もこうした権威ということが
まかり通る社会です。
ただ昔と今の違いは
権威だけがものを言う社会ではなく
その人人の置かれた立場での実績が評価される
社会になったということです。
学校の先生やお医者さん政治家さんなど
身近な社会的立場に立つ人も
権威だけを振りかざしていると逆に批判の対象となり
その人人の生き方が常に問われます。
権威ある立場に立つ人ほど社会的な責任を負い
謙虚に社会的な任務に取り組む姿勢が求められるのです。
そこで私たちお寺のお坊さんです。
一昔前は社会的に一目置かれる立場にありました。
またお寺と門徒檀家さんとの関係でいうと
お坊さんの宗教的に特別な役割が大きかったと思います。
最近「お坊さん便」といって
葬儀や法事をお勤めするお坊さんを手配する
サービスがあるといいます。
日頃お寺とご縁がないお家も
何かの時にはお経をあげてくれて
代金も明瞭でその時だけのサービスで
お寺との関係がなく大変好評だそうです。
お坊さん便のお坊さんはお経をあげる人で
電話一本でお経の出前をしてくれるのです。
お経をあげるのでしたら
何もお坊さんでなくてもいいと思いますが
お坊さんがあげるお経だから有難いということでしょうか
お坊さんの資格を持っていることの権威です。
このようなお坊さんの見方が
私たちお寺のお坊さんの見方に重なることで
いろんなトラブルが生じることにもなります。
本来浄土真宗のお寺のお坊さんと門徒さんは
お念仏のご縁つながりの関係にあって
一朝一夕にできたものではなく
遠い昔からの特別なものなのです。
仏さまのご縁をいただいて
共々にお念仏申す身にさせていただき
心豊かにお浄土への人生をご一緒させていただける
有難さを思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.1.22)
「浄土真宗でよかった」
2023-01-21
昨日の法話会でのことです。
今は身近な仏事についてテキストを輪読し
日頃の疑問など話し合って
浄土真宗のご法義を味わわせていただきます。
ある方が
「浄土真宗で本当によかった」と言われました。
他宗教宗派で宗教的な行事作法が
それぞれ異なります。
すべて意味のあることでお互いに敬い尊ぶことですが
中には教条的に他の教えを受けつけないで
排除するようなことがあります。
その点浄土真宗は
他の教えも鷹揚に受け入れる柔軟性があって
自らも縛ることがないというのです。
ただ「浄土真宗では」と
ついつい紋切り型で言うところが
特に私たち僧侶に多いのも事実です。
浄土真宗の肝要はちゃんと聞いて知っておいてもらい
ここは曲げてはいけないと思いますが
例えば仏事の作法などで
他宗教他宗派の葬儀にお参りしたときの対処です。
お参りの仕方もそれぞれ違いますが
合掌しお念仏申してお礼をする
浄土真宗の作法でいいのです。
ただその時の周囲の雰囲気も少し考慮して
大きな声でお念仏申すとか
はばかられることは注意しましょう。
浄土真宗門徒はこうしないといけない
ということではありません。
浄土真宗のみ教えを聞いて自信をもって
私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.1.21)