本文へ移動

お念仏を申す生活法話

RSS(別ウィンドウで開きます) 

「氷がとけたら春になる」(2012年アーカイブ)

2023-02-04
 2月4日の立春です。

 暦の上では春になりましたが
昨日は玖珠町でマイナス147度という
観測史上最低気温だったそうです。

 各地で最低気温を更新し
水道管が凍り九電の大分火力発電所が凍結して
電気の供給がしばらく止まったといいます。

 大分のニュースが全国放送になっています。
志高湖では湖面が凍ったということです。

 今は寒い朝に外出することもなく氷を見ませんが
昔小学校に通った頃は
水たまりの凍った氷を面白がって踏んで
登校したことを思い出します。

 「氷がとけたら春になる」というお話です。
学校の試験で「氷が融けたら何になるか」の問いに
ある子が「氷が融けたら春になる」と回答したそうです。

 これは試験の答えとしては×で
氷が融けたら水になるが正解です。

 しかし春が待ち遠しい雪国では特に
氷が融けることで
やっと春が来るということなのでしょう。
 心豊かなあたたかいお話ですね。

 親鸞聖人が著述された御和讃に
「煩悩の氷とけて菩提の水となる」とあります。

 私たちの心は煩悩だらけで
私が私がと自己中心の思いはからいで生きては
苦しみ悩み迷いの中にあると
仏法に聞かせていただきます。

 氷のように固く冷たく周りのものと交わろうとせず
閉ざされた世界にいるこの私をこそ救おうと
阿弥陀仏さまは智慧の光明を放って
ありのままの私を知らせてくださり
慈悲のはたらきでそのまま抱き取ってくださるのです。

 あたたかい光のはたらきで
氷が融けて水になるのです。

 固体の氷が融けて液体の水になると
四方八方に広がります。
 氷も水も成分は同じでも
氷と水のはたらきは違います。

 私の固い氷のような煩悩の心が
南無阿弥陀仏のおはたらきで融けて
水のように大きな菩提の世界に広がるというのです。

 あなたも私もみんなが
菩提の水の世界に広がって
自他一如の世界に生れるのです。

 南無阿弥陀仏のお浄土の世界です。
私たちに等しく開かれたお念仏の世界です。

 お念仏のご法義に遇わせていただいて
固く冷たい私の心を解き放ちて
お浄土に生まれさせてくださるのです。

 立春とはいえ当分寒い日が続きます。
お念仏を申し阿弥陀さまのお慈悲にいだかれて
今日一日もあたたかく過ごさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2012.2.4)


恵方巻と物価高

2023-02-03
 2月3日の節分です。
明日4日は立春で暦の上では
寒い冬から温かい春へと移り変わる節目の日です。

 節分の催しもの行事につきものは
豆まきそして恵方巻です。

 恵方巻という巻き寿司が主役です。
その年の恵方の方角に向かって
巻き寿司を黙って一気に食べると
願いが成就するご利益があるといいます。

 近年は「鬼は外福は内」の豆まきより
恵方巻の方が話題になっていますが
今年は物価高の話題と相まって広く報道されています。

 物価高で恵方巻の食材が値上がりする中で
恵方巻自体を値上げするか
値段はそのままにして中味を減らすかという選択です。

 ある業者さんは海鮮巻き寿司を値段据え置きで
中身の材料を一つ減らして対応するということですが
一番高値で代表的なネタを減らすということで
これでお客さんに説明がつくのかなとも思います。

 多種多様な食品その他の物価高騰で
生活を切り詰める工夫を余儀なくされるなかで
お念仏申して心静かに節目の日を過ごしましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.2.3)

テレビ放送開始70周年

2023-02-02
 昨日2月1日はテレビ放送開始の記念日で
今年が70周年だそうです。

 昭和28年2月1日生まれということで
70歳の私と同学年になります。

 テレビと共に育った世代です。
子どもの頃思い出すのは
近所の家にテレビを観に行ったことです。

 わが家にテレビが来てからは
当時は少ない番組から
NHKの『ジェスチャー』や『それは私です』
民放の『白馬童子』『怪傑ハリマオ』『とんま天狗』
などを観て主題歌も覚えています。

 そして今も生活の中にテレビがあるというか
テレビを観ながら生活しているって感じです。

 いつもテレビをつけっ放しにして
ただだらだらとテレビを観てるって印象の私たちを
今の若い人たちはどう見ているのでしょうかね。

 ネット社会で育ち生きている彼らは
テレビをあまり観ないといいます。
 気になるドラマや番組は
ネット配信の動画で観るというのです。

 また日々のニュースも新聞を読まなくて
ネットニュースでその日の出来事を
簡潔にわかりやすく配信されたものを
読んでいるといいます。

 自分が気になる番組を観たい時に観て
自分の関心のある記事は読みたい時に読むということで
何とも合理的効率的で有意義な時間の使い方が
できるということでしょうか。

 家族が一緒に同じ番組を観て声をあげて笑ったり
チャンネル争いを繰り広げていた
家庭の風景が遥か遠い昔のことになりました。

 私たちがこれまで生きてきた時代社会とは違います。
今は今で生活スタイルが個々でそれぞれ違います。

 昔はテレビのある部屋が家族みんなが集まる所でしたが
今は個々それぞれの部屋が中心で
食事もそれぞれの時間に食べることで
同じ屋根の下で生活しながら
家族の顔を見ないで過ごす日もあるといいます。

 私が生まれるその前は
どんな家庭生活だったのでしょうか。

 今のような家の造りではありません。
家族が集まる場所といえば茶の間であったり
仏壇のある仏間だったという話です。

 一日の始まりと終わりには
家族そろってお家のお仏壇にお礼をしていたといいます。

 お仏壇がテレビに代わり
テレビがパソコンやスマホになって
家族一緒に日暮らしするようなことではなくなりました。

 私たちの生活の中心は
私が生きる依りどころは
果たして何でしょうか。

 お仏壇のない家が多くなり
家族のあり方がこれからも変わって行くなかで
お念仏を申す生活の意味を見直したいものです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.2.2)

新宿東急百貨店閉店

2023-02-01
 東京新宿の東急百貨店が
閉店したというニュースです。

 私も行ったことがない縁もゆかりもない百貨店ですが
テレビニュースを観て何か郷愁を感じます。

 昭和42年の創業で55年の歴史だそうです。
東京オリンピックを契機に
戦後日本の復興を旗印に高度経済成長する中で
一般庶民が豊かな生活を享受する
一つの象徴が百貨店へのお出かけ買い物でした。

 私が小学生の頃母や妹と一緒に
ちょっとよそ行きの服を着てバスに乗り
町中のデパートに行った思い出です。
 屋上の遊具で遊んだり大食堂で食事をしたりと
子ども心に夢のような時間を過ごしました。

 昨日午後7時の閉店前には
大勢の人がぐるりを囲み
別れを惜しんでいました。

 親と子そして孫と
お家お家の家族の歴史ととも
思い出がたくさん詰まった場所だったのでしょうね。

 その後バブル経済の破綻もありましたが
百貨店は庶民の特別な場所として
それぞれの人生の歩みのなかにありました。

 自分にとって良いことも悪いことも
色んなことがあったこれまでの人生です。

 閉店に駆け付けた人人は一応に
「さみしい」と漏らしていました。

 思い出の中にある目に見えるものが無くなる
寂しさでしょうか。

 この世のものはすべて
一瞬たりとも変わらないものはないと
諸行無常の真理を聞かせていただきます。

 ただ思い出はそのままに
その人ひとの心に変わらず残るもので
思い出しては懐かしくまた恥ずかしく思うことです。

 変わって行くということは
無くならないということでもあります。
 
 渋谷再開発事業で東急百貨店の跡地には
東京新宿の未来を生きる超高層ビルが建つ計画だそうです。
 これからもその時代に生きてこの目に見るなかで
その時どきに人ひとが思い出を紡ぐことになるでしょう。

 思い出は思い出として
私がこれまで生きてきた証しでもあります。
 人の命は限りがありますが
時代社会の変遷の中にも
私たちはこれからも生きていきます。

 「どんなことがあっても
いつも私が一緒だから大丈夫安心して
この道を共に生きて往こう」と
阿弥陀仏さまが開いてくださった往生浄土の人生を
お念仏申して南無阿弥陀仏のお喚び声を聞きつつ
今を確かに生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.2.1)

葬儀社のチラシ

2023-01-31
 最近新聞の折り込みチラシに
葬儀社のものが多くあります。

 超高齢社会になり多死社会になるなかで
これから葬儀が増えて需要があるとの見立てでしょう。

 昔は葬儀といえばお寺さんを中心に
地域の皆さんで隣近所の有縁の方をおくるという
一つの形がありました。

 今は地域社会のあり方が大きく変わって
隣近所の付き合いもほどほどに
人と人とのつながりが薄くなりました。

 葬儀も喪主と葬儀社との間で進められます。
チラシを見ると
葬儀のあり方について
様々なプランが提案されています。

 今は家族葬という葬儀が一般的になりましたが
家族葬のかたちも種々提案されていて
家族葬限定の葬祭場が多くなってきています。

 家族だけのごく少人数の葬儀で
喪主家族用のリビングや寝室やバスルームが完備された
ちょっとしたホテルのようなものです。

 それこそホテルの宿泊者のように
通夜葬儀の流れを全て葬儀社におまかせすればいいわけです。

 最も注目される経費は
家族葬自体は安価な設定になっていますが
当然いろんな諸経費もついてきます。

 このような葬儀に
私たちお坊さんのお役目もあるわけですが
葬儀社まかせの対応で
えっと思うようなことに遭遇します。

 喪主がお寺さんに葬儀のお勤めをお願いするという
基本的な葬儀のあり方が見失われて
何かお坊さんは葬儀のお勤めをする役目の人に
なっているような感じです。

 それぞれのお家のご事情もありますが
葬儀の後の49日間の中陰の間の
七日七日のお勤めもしないところが多くなりました。

 四十九日の満中陰のお勤めをして
納骨したらそれで終わりということで
一周忌三回忌七回忌といった年忌のお勤めも
これからは少なくなるのではないでしょうか。

 お寺との関係で
喪主施主の意味が分からなくなって
お寺のお坊さんはお経の配達人ということでしょうか。

 お寺とご門徒の関係は
葬儀や年忌の仏事をご縁に
お念仏のみ教えをお取り次ぎするなかで
共々に浄土真宗のご法義に遇わせていただき
お念仏申す身にお育ていただくことの肝要です。

 これからも葬儀のあり方が変わってきます。
ただ自分の都合に合わせて仏事を見るのではなく
浄土真宗のみ教えを中心にした葬儀のあり方を
お寺から提案していきたいものです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.1.31)


円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
0
5
5
2
6
9
TOPへ戻る