スマホ入力にご用心!
2023-02-09
昨日は寒田(そうだ)の公民館に
お話に出かけました。
初めて行く所ですが
スマホのナビ案内で行きました。
前の日に「寒田校区公民館」で検索して
下調べをし確認して
当日出発前に「寒田公民館」と入力して
家を出ました。
大体のコースは頭に入っていたので
道中はスイスイと行きましたが
目的地に近づいた頃ナビが
「左折して」と案内します。
確か広い道路の右側だったのではと思いつつ
ナビの案内の通りに細い道を下って行ったら
「目的地に着きました」と言われ
案内されたのが「中寒田公民館」でした。
駐車場に車が一台もなく
全く人の気配もない所で
公民館はしっかり施錠されていました。
間違った!時間がない!どうしよう!
すぐ館長さんに電話して場所を確認し
時間に遅れることなく「寒田校区公民館」に着いて
事無きを得ましたが
ちょっと慌てました。
すぐ思ったのは
「スマホの案内通りに行ったのに
スマホは一体どうなってるのか!」と
スマホを責める私でした。
後で冷静に振り返ると
スマホは正確そのもので
「寒田校区公民館」を「寒田公民館」と
入力した私の間違いでした。
「寒田校区公民館」も「寒田公民館」も
同じようなものじゃないかと
素直に私の非を認めようとしない私ですが
スマホのAI機能には所詮太刀打ちできません。
正確無二のスマホがあって
おかげで便利になりました。
ただちょっとは融通をつけてもらってもいいのにと
私の都合を持ち出す人間の身勝手さは
これからもどうしようもないところです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.2.9)
お念仏のご縁つながり
2023-02-08
今日はご縁があって
稙田の寒田公民館でご法話をさせていただきます。
去年からご依頼があったことで
ご縁つながりということを思います。
公民館の館長さんにもお会いしたことがありませんし
今日の会にお見えになる方も
初めてお会いする人ばかりです。
でも何か懐かしささえ感じます。
仏さまのご縁のあたたかさです。
館長さんからご依頼があった時に
大分のホルトホールでお話を聞いたということでした。
5年前のことです。
その5年前の会は
前の年に私の高校の同級生から依頼され
別府でお話をした会からつながってということです。
私と同級生との関係が
次から次につながったご縁です。
仏さまのご縁でいうと
私がお寺に生まれたということから始まりますが
仏法聴聞させていただくと
人間に生まれるその前からずっと
ご縁はつながっているといいます。
お念仏のご縁つながりです。
「いのち みんな つながって いっしょ」と
自他一如の南無阿弥陀仏のいのちのつながりです。
あなたと私のご縁つながりは
私の都合で良かったとか悪かったとか言っていますが
私たちそれぞれの思いを超えて
良くも悪くも私たちはお念仏のご縁に
つながっているのです。
あなたと私それぞれに小さな自分中心の世界に
閉じこもって生きているお互いが
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
共々に阿弥陀さまのお浄土に
生まれる身にさせていただきます。
阿弥陀仏のお浄土を
俱会一処の世界と言われる所以です。
お互いに生活ぶりが違う者同士が
お念仏申してご一緒に同じお浄土に
生まれさせていただくのです。
この人生を振り返って
良くも悪くもいろんなことがありましたが
人間に生まれてあなたに会えて本当によかったと
南無阿弥陀仏のご縁をいただいて
今日一日もお念仏申して
生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.2.8)
凡愚の人
2023-02-07
今開会中の国会の委員会で
「この愚か者めが!」の言葉が注目です。
民主党政権下の2010年に
当時野党の自民党の国会議員が放った
「この愚か者めが!このくだらん選択をした
バカ者ども絶対忘れん!」という発言です。
上から目線の凄い言葉ですが
自民党内では好意的に受け止められ
1枚1500円の「愚か者めが」Tシャツが
売り出されました。
「愚か者、バカ者」と言われて
私だったら腹が立ちます。
そして即座に
「あなたから言われたくない
あなたこそ愚か者バカ者」と言い返しそうです。
愚か者って一体誰のことでしょうか。
法然さまは「愚者になりて往生す」と言われ
親鸞さまは「愚禿釋の鸞」と自ら名のられました。
愚者とは阿弥陀仏の智慧の光明に照らされた
ありのままの私の真実のすがたであり
阿弥陀仏は煩悩具足の凡夫を目当てに
摂取不捨の慈悲の光明のおはたらきで
この私をそのまま救ってくださると
南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただきます。
何をもって愚者というかは
自己中心の狭い了見で「私こそ正義」と思い上がり
実は真実本当のことを知らない私のことをいうのです。
私たち人類の歴史は科学的な知見で知識を積み重ねて
便利で豊かな生活を享受してきました。
しかしその知識はこの宇宙大自然の営みの
どれほどのことを知り得たというのでしょうか。
まだまだわからないことばかりなのに
わがもの顔に人間中心に振る舞っているすがたは
愚か者のなせる業です。
その愚かさの極みが戦争です。
互いに自らの正義を振りかざし
幾多の人命を損ない失い
先人が築き上げてきた文明文化を踏みにじり
自然環境も破壊するといった
私たち人間の罪悪業です。
私たち人類の歴史は
この地球上で戦争のなかった日はないと言われるぐらい
戦争の歴史の連続です。
戦争の結果
一体何が残るのでしょうか。
これほど愚かなことはないと
非戦を誓うのはほんの束の間で
忘れられない怨み辛みがまた頭を持ち上げて
また戦争が始まります。
何度同じことを繰り返したらよいのでしょうか。
戦争に終わりはないのでしょうか。
救われ難き身を生きる私たちに
阿弥陀仏の本願念仏のご法義は
善悪浄穢貴賤敵味方の分別を超えて
あらゆるいのちをそのまま救うとおはたらきです。
南無阿弥陀仏のお心に
共々に生かされて生きるお念仏の世界があることと
謙虚に聞かせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.2.7)
ピンポンと卓球
2023-02-06
先々週の日曜日テレビで
日本卓球選手権のシングルス決勝戦を観ました。
中学生の頃部活が卓球部だったこともあり
卓球には思い入れがあります。
卓球はスポーツ競技の中でも
日本が得意とする世界レベルの種目で
これまでも優秀な選手を輩出しています。
テーブルテニスといいますが
狭い卓球台を囲んで小さなラケットを駆使し
小さな球を打ち合う競技で
テニスのような優雅な雰囲気からは程遠いものです。
1秒間に何回もラリーの応酬が繰り広げられ
心技体合わせた瞬発力が求められます。
卓球はピンポンとも呼び名され
私たちにも身近な遊びとされます。
温泉旅館で浴衣がけでピンポンを楽しむ光景が
思い浮かびます。
卓球の球はピンポン玉とかピン球ともいわれて
日本にゆかりの馴染みあるものです。
台を囲んでピンポーンと
羽根つきのような感じで打ち返すピンポンです。
全くの初心者でもにわか仕立てで
すぐできそうな遊びですが
これが得点制の試合形式になると
力が入ります。
昔ピンポンパン体操が流行りました。
ピンポンパンの語呂が良いリズムに合わせた
子ども向けの体操でしたが
ピンポンパーンと弾けるスマッシュです。
スマッシュの一撃で得点を決めるということですが
中々容易なことではありません。
力が入るが故に
球が大きく台を外れるかネットに引っかかるか
どこに行くのか分かりません。
一球一球慎重に打っては返してと
相手の声を聞きつつ自分の声を伝えてと
お互いの意見を尊重して
敬い合い支え合う私たちの社会でありたいと思いますが
どこかに「私が私が」と力が入ってしまいます。
ピンポーンとお念仏を申して
共々に生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.2.6)
すてきな日曜日
2023-02-05
今日2月の第1日曜日は
別大マラソンの日です。
昨晩急に思い立って
マラソンが行われる別大国道を
妻と歩くことにしました。
実はコロナ前もご門徒有縁の方に呼びかけて
実施していたことです。
名づけて「円光寺別大ウォーク」です。
以前大分陸上競技場をスタートゴールにして
別府そしてわが町三佐を折り返しにした
42.195㎞のマラソンコースに因んで
第1回目の別大ウォークは
本願寺別府別院参拝をもう一つのテーマに
円光寺から別府別院の往復40㎞を歩きました。
10数人の参加者で4人が完歩しましたが
さすがに足が棒になるような過酷な行で
翌年からはJR西大分駅まで往復電車利用の
別大国道コースになりました。
今回は法事のお参りもあって
田ノ浦から両郡橋往復の「ミニ別大コース」です。
※<てるてるブログ>で写真掲載
ウォーキングの前の腹ごしらえに
前々から思っていた
「朝マック」の朝食をいただきました。
日中は若者たちが雑談したり勉強している
光景を想像しますが
日曜日の早朝は本当に静かです。
私たちと同じ夫婦連れのお客さんが
数組いました。
広い店内で車が時折り行き交う外の風景を見ながら
コーヒー片手に朝マックです。
いつもと違う小さな非日常の朝は
とても新鮮でちょっと胸がときめくすてきな時間でした。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.2.5)