葬儀社のチラシ
2023-01-31
最近新聞の折り込みチラシに
葬儀社のものが多くあります。
超高齢社会になり多死社会になるなかで
これから葬儀が増えて需要があるとの見立てでしょう。
昔は葬儀といえばお寺さんを中心に
地域の皆さんで隣近所の有縁の方をおくるという
一つの形がありました。
今は地域社会のあり方が大きく変わって
隣近所の付き合いもほどほどに
人と人とのつながりが薄くなりました。
葬儀も喪主と葬儀社との間で進められます。
チラシを見ると
葬儀のあり方について
様々なプランが提案されています。
今は家族葬という葬儀が一般的になりましたが
家族葬のかたちも種々提案されていて
家族葬限定の葬祭場が多くなってきています。
家族だけのごく少人数の葬儀で
喪主家族用のリビングや寝室やバスルームが完備された
ちょっとしたホテルのようなものです。
それこそホテルの宿泊者のように
通夜葬儀の流れを全て葬儀社におまかせすればいいわけです。
最も注目される経費は
家族葬自体は安価な設定になっていますが
当然いろんな諸経費もついてきます。
このような葬儀に
私たちお坊さんのお役目もあるわけですが
葬儀社まかせの対応で
えっと思うようなことに遭遇します。
喪主がお寺さんに葬儀のお勤めをお願いするという
基本的な葬儀のあり方が見失われて
何かお坊さんは葬儀のお勤めをする役目の人に
なっているような感じです。
それぞれのお家のご事情もありますが
葬儀の後の49日間の中陰の間の
七日七日のお勤めもしないところが多くなりました。
四十九日の満中陰のお勤めをして
納骨したらそれで終わりということで
一周忌三回忌七回忌といった年忌のお勤めも
これからは少なくなるのではないでしょうか。
お寺との関係で
喪主施主の意味が分からなくなって
お寺のお坊さんはお経の配達人ということでしょうか。
お寺とご門徒の関係は
葬儀や年忌の仏事をご縁に
お念仏のみ教えをお取り次ぎするなかで
共々に浄土真宗のご法義に遇わせていただき
お念仏申す身にお育ていただくことの肝要です。
これからも葬儀のあり方が変わってきます。
ただ自分の都合に合わせて仏事を見るのではなく
浄土真宗のみ教えを中心にした葬儀のあり方を
お寺から提案していきたいものです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.1.31)
阿弥陀仏の100%のお救い
2023-01-30
一か月ごとに内閣支持率が発表されます。
報道機関によってそれぞれ数字は違いますが
今の岸田内閣の支持率は
大凡30%台で不支持が上回っています。
これまでの世論調査で
最高の支持率はというと
100%はありません。
せいぜい70%台で
50%を超える支持率であれば
大方支持されているとみられます。
不支持の理由で面白いのは
具体的な政策云々ではなく
「人間として信用できない」
「支持政党ではない」ということで
頭から拒否反応を示されることです。
何のことでもそういう人っています。
とにかく反対、何でも反対という人です。
この世間のことについては
どんなことも100%はないということです。
賛成の人もいれば反対の人もいる
どっちでもない関係ないという人もいるということで
あまり世間の評価を気にしすぎると
こちらがパンクしてしまいます。
あなたと私が織りなす私たちの社会です。
人それぞれに思いはみんな違って
自己中心に生きて苦悩していると
仏さまの見立てです。
阿弥陀仏はどんな人も分け隔てなくそのまま救うと
南無阿弥陀仏のおはたらきで100%のお救いです。
蓮如上人は御文章さまで
阿弥陀仏のお救いを
「十人は十人百人は百人ながら」と讃嘆しています。
一人も漏らさない取り残さないというのです。
その一人こそ親鸞聖人は
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば
ひとへに親鸞一人がためなりけり」と
いただかれたのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.1.28)
何でどうして私だけが(2011年アーカイブ)
2023-01-29
県内各地で鳥インフルエンザが次々に発生し
霧島では火山噴火で火山灰の広域被害と
今宮崎県が大変です。
何でこんなに自分のところだけがと
我が身のことに重ねて思いませんか。
周りの人は幸せそうに日暮ししているのに
何でどうして私だけが
こんな目に遭わないといけないのかと。
病気を患うということについても
同じ同級生を見るとピンピン元気にしているのに
何でどうして私だけがこんな重い病気になって
苦しみ悩まなければならないのかと思ったりです。
何で何で何でどうしてどうしてどうしてと
やるせない思いです。
ただ私たちの人生をちょっと振り返ってみると
自分の都合で良い悪いということで
悪い時ばかりではなくて
良い時もあったんですね。
その時どきの自分の都合で
私の思いが右往左往することで
自分のほぼ思い通りにいっている時は素通りする心も
ちょっとでも逆縁に遭うと
それこそ地獄に真っ逆さまに堕とされそように
我を見失い悪いことばかり思い悩む私がいます。
とかく私の心は落ち着くところがなく
フラフラふらふら不安定です。
右から優しい声がかかったらすぐ右の方に行き
左から嫌なことが聞こえてくれば耳をふさぐといった具合に
あっちに行ったりこっちに行ったりと迷う私です。
自己中心に生きて苦悩する私のあり様を
阿弥陀仏さまはすでに見抜かれて
迷う私をそのまま救うと南無阿弥陀仏のおはたらきです。
何でどうして私だけがと
自分の都合に合わせて良い悪いと思い煩い
愚痴をこぼす私を
良いも悪いもそのまま救うとおはたらきなのです。
今日一日も色んなことがあるでしょう。
良いこと楽しみなこと
悪いこと心配なこと
何があるか分からないなかに
阿弥陀仏さまは私の口からこぼれる
南無阿弥陀仏のお念仏となって
「私がいるよ大丈夫だよ」と
ご一緒くださっているのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2011.1.29)
お念仏が取りもつ夫婦の仲(2013年アーカイブ)
2023-01-28
昨日は大海組の連続研修会(蓮研
別府別院にお参りして夜は懇親会がありました。
連研を受講のご門徒さんとお寺のご院家さんが
一堂に会食して色んな話になりました。
私の隣に座った方は72歳のご門徒さんで
初めてお寺の研修会に
それもご夫婦で参加されたといいます。
大海組の連研も今回で17期になります。
組内のお寺の同じご門徒さんが
12回のプログラムを連続して受講します。
会場の組内のお寺さんを巡るなかで
お念仏のお友だちもできて有難いご縁です。
最近の傾向としてご夫婦での参加が
多くなっています。
いいことだなと思います。
お酒も入って内輪のお話をされました。
実は夫婦の危機だったというお話です。
どこまで本当かはわかりませんが
夫婦仲がどうこうという時に
お寺のご院家さんから連研の話をいただいて
夫婦で参加するようになったというのです。
夫婦一緒に車で会場のお寺さんにお参りし
別々の班での話し合い法座の話やお聴聞されたことなどを
後で互いにお話をされたのでしょうね。
夫婦円満の良いご縁になったといいます。
阿弥陀さまがお念仏の仲立ちを
してくださったのだなと思いました。
あなたと私の私たちはお互いに向き合うと
自分を中心としたものの見方で
自分の都合のいいように
言わなくでいいことまで言って
しなくていいことまでしてしまうところがあって
人間関係がぎくしゃくしたものになります。
同じ屋根の下に暮らす夫婦ですから
お互いに都合の良い時は良いのですが
何か都合の悪いことが起こると大変です。
自分を中心に自分の都合で生きているお互いが
今日も皆さんこうして阿弥陀さまの御仏前に座って
南無阿弥陀仏とお念仏申してお礼ができました。
あなたも私も同じ中心をいただくのです。
家庭のなかの中心がお仏壇で
お仏壇の中心が阿弥陀さまです。
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
共々に生かされて生きている
私たちお互いであるということです。
妙好人といわれるお念仏を喜んで生きたお方が
夫婦喧嘩をしたときにお家のお仏壇の前に座って
「鬼の私がでました。あさましあさまし」と
阿弥陀さまを拝んでいかれたというお話です。
お念仏が何でも解決してくれる
万能薬という話ではありませんが
南無阿弥陀仏とお念仏を申すなかに
ありのままの私を知らせてそのまま救ってくださる
阿弥陀仏のみ教えを共々に聞かせていただき
互いに敬い助け合って生きてまいりましょう。
ご夫婦でお参りされるご縁をいただいて
本当に有り難いことだなと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2013.1.28)
トヨタ社長交代
2023-01-27
今日のトップニュースは
トヨタ自動車の社長交代です。
自動車産業で世界一の業績を誇り
世界のトヨタとして
メディアにも積極的に登場注目されてきた
豊田章男社長は66歳で会長職に就き
次期社長は53歳です。
14年ぶりの社長交代は
グローバルに日々移り変わる現代社会の緊急課題に
社長は会社のトップとして果敢に向き合い対処し
会長は社長を支えていく体制の強化です。
一昔前の大会社のように
親方日の丸の経営手段は今や破綻し
トップがセールスに乗り出す経営戦略です。
会社組織とは異なりますが
私たちのお寺のあり方に重ねて思うとき
世襲の住職交代は親から子への世代の交代で
凡そ30年のことです。
今は生前に交代することが多くなりましたが
前住職が亡くなって継職となると
時既に60歳代の新住職ということです。
これまでの人生を振り返って
体力的にも精神的にも
一番油ののりきった時は40~50歳代でした。
特に今のネット社会にあっては
若い発想の転換が急務です。
お寺と門徒の従来の関係でいえば
ただお経を読んでいればいいのではありません。
これからはお寺が選ばれる時代になっていきます。
ここは仏教本来の価値観を発揮していくチャンスであり
その活動拠点がお寺であり
お寺の住職お坊さんの責務なのです。
このままではお寺にお参りされる方がもっと減って
お寺は風景そのものになってしまいます。
お寺からの発信です。
仏教の力はたらきの発揮です。
学校では教えてくれない仏教は
闇夜のこの時代社会の灯火になります。
お寺で待っているのではなく
お念仏のご縁づくりに出かけて行きましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.1.27)