「願」※転載
2025-02-12
もしも願いがかなうなら……
皆さんは何を願われますか?
私は、家族が健康で
私より長生きしてくれることを願います。
ところが先日、妻に
「僕が先にお浄土にいきたい」と話したところ
「勝手やな!残される家族のこと考えてる?」と
一喝され、ハッとしました。
家族への率直な願いの奥底に
大切な人が亡くなる苦しみを
「私が」味わいたくないという
自分本位な思いが潜んでいたのです。
私の願いには
たとえそれが他者へのものであっても
利己的な思いが潜んでいるという
親鸞聖人のお示しを痛感しました。
阿弥陀さまの願いは
迷いの世界に沈むこの私の救い一点です。
そこに利己的な思いは
一切ありません。
私がお浄土に生まれることができなければ
仏にならないとまで誓われました。
そして、自分中心にしか
物事を見ることができない私を救おうと
今このときも願いはたらき続けてくださっています。
いつ命を終えるか
どちらが先かはわかりませんが
阿弥陀さまの願いが成就した世界
またともに会えるお浄土に生まれさせていただくことを
ありがたく思います。
※『本願寺インスタ倶楽部』
(林 龍樹 本願寺派総合研究所研究員)より転載
ー本願寺新報2025年2月10日号ー
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.2.12)

一番身近な選挙
2025-02-11
今度の日曜日に投開票の
市会議員選挙が告示されました。
国政県政市政と選挙が何度もあります。
地縁血縁諸々の縁で
顔が見える知り合いも立候補されることもあって
市政は一番身近な選挙ですが
何か関心が薄いようにも感じます。
特にこの人という推しの方がいないなかで
今朝の新聞で初めて候補者54人の一覧を見ました。
現職新人元職と
これまで馴染みの方もいますが
全く知らない方が大半です。
さて誰に投票するか
紹介一覧には写真と簡単な経歴が載っているだけで
どの候補者にも決まって書かれてあるのは
年齢・所属の政党(無所属も)そして最終学歴です。
どんな政治信条で何をやってきた人で
市議になって何をやろうとしているのかが
投票する大きな判断材料です。
詳細はこれから新聞やチラシ等で知るところですが
今はネット選挙で日々情報を発信している
候補者も多いと思います。
その人の属性ということでいうと
学歴記載に違和感をもちます。
今までも学歴詐称問題をおこした政治家がいて
学歴が大きな投票の判断材料に
なっているのでしょうか。
学歴記載の有無は候補者自身の判断でいいし
学歴を一つの投票材料にするかしないかも含めて
私たち有権者のものの見方価値観によるところです。
何を依りどころに生きているのか
私のものの見方が問われるところです。
お念仏申されるように
お念仏の視座で
あなたも私も自他共に
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながり
阿弥陀さまのお慈悲の中に生かされて
心豊かに生きて往ける社会をめざして
選挙にのぞみ投票したいと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.2.11)

お墓参りウォーキング
2025-02-10
毎日30分程ウォーキングをして
お墓参りするというお方のお話を聞きました。
高齢になってなるべく体を動かそうということで
お墓参りです。
ウォーキングとお墓参りの
一挙両得のコスパです。
毎日時間を決めて
お墓参りをする人の話をよく聞きます。
自宅の近くに墓地があることで
生活の日課になっているとのことです。
最近墓じまいの話をよく聞きます。
後を見る人がいないということですが
遠方にある墓苑のお墓をしまうというお話です。
高度経済成長期の頃
海の見える高台の墓苑が大々的に売り出されました。
青い海と空が合いまった光景を思い浮かべますが
お墓参りとなると
遠方にあって交通機関が少なく
マイカーで行くということでした。
それでもお墓を求めたときは
自然豊かな郊外にドライブするような
気分だったのでしょうが
高齢になって車の運転ができなくなり
お墓参りが思うようにできなくなったということです。
お墓には大切なご先祖のお遺骨が
ご安置されています。
もうすでに亡くなって
懐かしいお姿に会うことはできませんが
お墓に参ることで会いに行くんですね。
懐かしい方々に会いに行けるところが
お墓といただければ
お墓参りは大変意義深いものになるでしょう。
これも人それぞれのものの見方でしょうが
毎日お墓参りして先に往かれたお父さんお母さん
おじいちゃんおばあちゃんに会いに行くことで
ウォーキングすることができ
手を合わせお念仏申すことができます。
先に往かれた仏さまが
私たちがお念仏申されるように仕向けてくださった
南無阿弥陀仏のおはたらきと味わわせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.2.10)

ダーナの日
2025-02-09
私たちの宗派(浄土真宗本願寺派)では
2月の第2日曜日をダーナの日と定めて
さまざまな社会福祉活動に取り組んでいます。
ダーナとは布施のことで
仏事にお包みする「御布施」を思い浮かべる人が
多いと思いますが
布施は煩悩を捨ててさとりを目ざす仏道修行の一つで
見返りを求めないというお心を教えます。
あなたと私が自他共に営む社会経済生活は
ギブアンドテイクの関係で成り立っています。
ものに値段をつけて売買が成立し商業活動ができ
仕事に見合った金銭ということで賃金が支払われます。
御布施もまた仏事を勤める僧侶に対する代価と
思っている人が多いと思いますが
御布施には決まった金額はありません。
僧侶は仕事の代価として御布施をいただくのではなく
御布施は仏さまへお供えするもので
「御布施はどのくらいですか?」ときかれて
「お気持ちをお包みください」とお答えします。
僧侶が施す布施は法施といって
仏事をお勤めしお経を読誦し
ご法話お取り次ぎをします。
一方仏事の施主である方の布施は財施で
お金や品物を仏さまにお供えします。
布施には三輪清浄という決まりがあります。
三輪とは、布施をした人、布施を受けた人
布施されたものをいい
三つの全てが煩悩を離れて清浄でなければ
本当の布施にはならないという
仏道修行のいわれです。
布施によって対価を求めたりしないと
自ら欲を捨て見返りを求めないというのです。
見返りを求めない布施の心はお念仏の心です。
阿弥陀さまが先手で一方的に
「われにまかせよそのまま救う」とおはたらきの
南無阿弥陀仏のお心です。
「お念仏の心で させていただく ありがとう」と
あなたも私も自他共にお念仏申されるように
仏さまのお慈悲の中にご縁をいただいて
「おかげさま」とお互いに
私にできるダーナをさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.2.9)

一番安くて小さな贈りもの
2025-02-08
この時期ならではの
スーパーの売り場の光景です。
つい一週間前は恵方巻が色々と品を変え
所狭しと並べられていましたが
今はチョコレートのオンパレードです。
2月14日のバレンタインデーに
チョコレートの贈りものです。
チョコレートを贈って
自分の気持ちを相手に伝えるということです。
いつでもどこでも伝えられたらいいことですが
2月14日です、チョコレートなんだそうです。
先日新聞で
「手紙は一番小さな一番安く贈れるギフトかなと思う」
との記事を読みました。
言葉は自分の気持ちを相手に伝える
一番分かりやすい手段です。
手紙に思いを言葉にしたためて
おくります。
ただネット社会の今は
SNSやLINEで日常的に言葉のやりとりができ
「手紙文化が消える?」という大きなテーマでの
問題提起でした。
自分の気持ちといって
その時どき場面ばめんで揺れ動くもので
その思いは文字にした時とも移り変わっていきます。
手紙に書かれた文字の背景には
目に見えないその移ろう思いが感じられ
何度読んでもさまざまな思いが巡ります。
阿弥陀さまは南無阿弥陀仏の
ことばになった仏さまです。
「生きとし生けるものすべてを分け隔てなく救う」と
ご本願をたてお名号を成就して
いつでもどこでもどんな人にもおはたらきです。
今こここの私に届けられる
阿弥陀さまのお喚び声です。
私のお念仏の声となって
「われにまかせよ必ず救う。
いつも私が一緒だから安心して生きて往こう」と
往生浄土のお念仏の道行きをご一緒くださるのです。
お念仏は阿弥陀さまから私への
いつでもどこでも
称え易くて勝れて大きなおくりものです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.2.8)
