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お念仏を申す生活法話

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ドラフト

2024-10-25
 プロ野球日本シリーズを前に
この時期恒例のドラフト会議が開かれました。

 プロ野球12球団がそれぞれのチーム事情にあわせて
必要な選手をドラフト指名選択します。

 人気球団に有力選手が偏ることを避け
各球団の戦力均等をはかる目的で
始まったドラフトですが
当初は意中の球団以外から指名されて
拒否する選手がいました。

 選手の側からいうと自ら選ぶことができず
ただ指名されることを待つ身ということです。
 そしてプロ野球を目指す選手が
みんな指名されるのではなく
今回も指名されない選手がいました。

 これからの人生の道行きを決めるような
大きな人生の選択ですが
自分の思い通りにならないもどかしさです。

 私たちのこの人生は人それぞれですが
お釈迦さまは「人生は苦なり」とお示しです。

 苦とは思い通りにならないということで
人間界にあって人との出会いと別れを繰り返すなかで
ままならない人生に泣き笑いし
老病死のこの身を生きていかねばなりません。

 生死の迷いに惑い苦しむ私たちを見抜かれて
阿弥陀さまは「まかせよ救う」の
南無阿弥陀仏のおはたらきで
いつでもどこでもどんな時でも
私に寄り添いご一緒くださっているのです。

 思い通りにならないこの人生ですが
お念仏申して阿弥陀さまのお慈悲のなかに
生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(20241025)


 

お念仏申されやすい社会

2024-10-24
 衆議院選挙の期日前投票に行きました。
いつもは近くの小学校の投票所に行きますが
今回2回目の期日前投票です。

 選挙の低い投票率が大きな問題になっており
投票率アップの一つの施策が期日前投票です。

 自宅から少し遠方の投票所に行って驚いたのは
いつもの投票所より人が続々と投票していたことです。
 投票日が日曜日で所用の方が多いのでしょうね
期日前投票率が年々アップしているとのことです。

 さて選挙期間中の期日前投票ですが
投票先は早くから決めていました。

 特に支持政党があるわけではありませんが
現政権の政策政治運営は基より
各政党の平素からの政治活動には
日頃からつとめて注目しています。

 そこで投票先を選ぶ基準ですが
その人人の生きる価値観が大きな指標になります。
 今は多様性の時代社会であり
さまざまな価値観が蔓延していますが
私の生きる依りどころです。

 お念仏の視座ものの見方考え方です。
阿弥陀仏のご本願のお心を聞かせていただき
お念仏申されやすい社会に重ねて
投票先を決めます。

 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
あなたも私も皆共に
お念仏申して生かされて生きる社会をめざして
今日一日も私にできることをさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(202410.24)

孫に連れられ御仏前に

2024-10-23
 実家に里帰りした子どもさん家族の話です。
お家のお仏壇に一番にお参りするのが孫で
孫に連れられるように親である子どもがお参りすると
実家の祖父母が言われます。

 孫が親を連れてお参りするって?
逆じゃないかなと思いますが
そういうことです。

 さてこのお孫さん
初めてお仏壇にお参りしたのは
いつのことだったのでしょうか?

 自ら進んでお仏壇にお参りするように
なったのではなく
誰かと一緒にお参りされたのではありませんか。
 生まれて間もない赤ん坊の頃
両親や祖父母に抱っこされて
お仏壇に初参りしたのかもしれません。

 お仏壇にお参りすることを身をもって教えられ
次第に身についたということでしょう。

 浄土真宗のみ教えは
「信心正因称名報恩」といって
阿弥陀仏の他力の信心一つで救われるご法義で
称名は報恩お礼のお念仏といいます。

 阿弥陀仏の他力の信心をいただく
「如来より賜る信心」といって
その大本は阿弥陀如来さまのご本願のお心
「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のおはたらきです。

 阿弥陀さまの大きなお慈悲に生かされて
お念仏のご縁つながりのなかに
この私に届けられたご信心をいただいて
お念仏申す身にお育ていただいた有難さ尊さです。

 お念仏の先人のよきお導きがあり
有縁の方々のお念仏申す後ろ姿を見て育ち
「一緒にお参りしよう!」と誘われて
ご本尊の阿弥陀さまに手を合わせ
お念仏申す身のしあわせです。 

 南無阿弥陀仏とお念仏申しましょう。
「まかせよ救う」のお念仏のお喚び声が
そのまま子や孫に有縁の人人に伝わって
お念仏申す人をお育ていただくのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(20241023)

「転」※転載

2024-10-22
 石は水に沈む性質を持っています。
ですが、小舟にでも載せられると
沈むことなく
舟の着くところまで運ばれてゆきます。

 この時、石が水に浮く性質へと
変わったわけではありません。
 石自体はそのままに
置かれている場所が舟の上となり
水に浮くように転ぜられたといえるでしょう。

 私たちの生活でも
転居をはじめ転向・転任・転業・転身などの
「転」が思い浮かびます。

 自分の置かれる場が転ずるならば
転ずる前と転じた後の区別があり
年月が経つと
転じた先の環境によって
大きな変化がみられることでしょう。

 阿弥陀さまは私たちに対して
煩悩を捨てよ
清らかな人格となって悟りをひらきなさい
とはおっしゃいません。

 本質的に清らかになり得ない私を見抜いたうえで
「南無阿弥陀仏」といういわば舟に乗せて
そのまま救うとおっしゃいます。

 仏教の教えに出遇えたからといって
たちどころに理想的な自分自身に
変身はできないでしょう。
 しかし、
沈まぬ阿弥陀さまの舟に乗せられるということは
大いなる「転」です。

 そんなご恩を
少しずつ気づけるような
日々といたしたく思います。

※『本願寺インスタ倶楽部』
   (本願寺派総合研究所 高田未明副所長)より転載
    ー本願寺新報2024年10月20日号ー

ご一緒に、お念仏申しましょう。(20241022)


マイペースでできることを一つ一つ!

2024-10-21
 月参りのご縁で
お勤めの後お家の方とお話をします。

 炊飯器のスイッチを入れ忘れて
お仏飯の用意ができていませんでした
お仏壇の前に座布団を
出し忘れていましたなどと
「すみませんでした」と謝われます。

 お盆に出された御布施も
「中身が入っているのか」何度も確かめないとと
「最近こんなことが度々あって不安です」と
言われます。

 私と同年輩の奥さんで
5年前にお義母さんとご主人を相次いで亡くされ
これからのご自身のことが不安で
気になっているようです。

「私も忘れることってたくさんありますよ」と言って
「できることを一つ一つさせていただきましょう」と
お話しました。

 若い頃は二つ三つ同時進行でできていたようなことも
今は何か用事をしに行った部屋に入って
「はて?何をしにここ(この部屋)に来たんだろう」と
用事を忘れることさえあります。

 一つ一つ当面のことをしていくことで
忘れたら思い出すようにと心がけています。
 先の例でいうと元居たところにかえって
ふと思い出すこともあります。

 できることをできるときにすることで
自分一つで頑張るのではなく
近くの人に手伝ってもらうことも大事です。
 ただ他の人から
「そんなこと忘れたの、大丈夫!」など言われると
落ち込んでしまうのが嫌で
一層自分のところで頑張ろうとする悪循環です。

 時間がかかって効率が悪いなどと言われても
マイペースで自分にできることを一つ一つ
させていただきましょう。

 お念仏申されるように生きましょう。
「一人じゃないよ。私がいるよ大丈夫だよ」と
いつでもどこでもどんな時でも
阿弥陀さまがご一緒です。

 阿弥陀さまの大きなお慈悲のなかに
共々に生かされて生きて
お念仏申して安心して
今日一日もできることをさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(202410.21)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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