出会い直し
2025-03-02
「やり直しのきかぬ人生であるが
見直すことはできる」と
お念仏の先人の言葉をいただきます。
この歳になって思うことです。
これまでの人生を振り返るとき
「こうしておけば」と思い返しても
過去のことは何一つやり直すことはできません。
人の世に生まれて生きて
多くの人との出会いと別れがあり
いろんなことがあっての今の私です。
「見直すことができる」とは
どういうことでしょうか。
私が見直すというように聞こえますが
私の見方で見直す私の人生は
自己中心の自分の都合に合わせたものの見方で
良かった悪かったと見ては
どこまでも後悔と迷いの堂々巡りで
最終的に悪い人生で終わります。
見直すとは私の思いはからいを超えた
善悪に執着しない仏さまのものの見方で見直すことで
良くも悪くもすべては仏さまのご縁につながって
「仏法に遇えてよかった」と
人生を振り返ることができると聞かせていただきます。
あなたと私の出会いがあり
そして別れがありました。
この人生は
多くのあなたとの出会いと別れの繰り返しです。
後戻りすることはできませんが
あなたと私のご縁つながりの日々の営みが
そのままこれからも互いに生かされて生きていく
この人生の道行きです。
家族や職場地域で日常お会いしている方もいれば
学生時代以来ずっと会っていないあなたがいます。
人それぞれの人生があり生活ぶりも違って
今何をしているかなと思いを馳せます。
懐かしいご縁の方々です。
良い思い出ばかりではなく
喧嘩別れしたり
いつの間にか音信不通になった人もいます。
<出会い直し>ということを思います。
遠いいつの日か一緒に学び遊んだ友です。
皆さんそれぞれにいろんな人生の歩みの中で
今また会える楽しみです。
これまでの人生の道行きはそれぞれ違っても
仏法に遇ってお念仏申す身にお育ていただき
これからの人生を共々に生きて往ける
往生浄土のお念仏の道往きを
ご一緒させていただきましょう。
★『ようこそ月報』2025年3月号より
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.3.2)

それぞれの卒業式
2025-03-01
3月は卒業式のシーズンです。
卒業式の思い出はそれぞれにありますが
今日は高校の卒業式でした。
確か私たちの頃も3月1日でしたが
いつもは学校がお休みの土曜日なのに
今年も3月1日にして
何か意味があるのでしょうか。
大学受験前の高校の卒業式でした。
多感な高校時代を振り返り感慨にふけるというより
大学受験をすぐそこに控え不安もあって
気分は卒業式どころではありませんでした。
中学の卒業式も高校入試直前のことでしたし
大学の卒業式は3月末のことで
就職などで引っ越しやら次の生活の準備で
欠席する人が多かったようです。
私も後日卒業証書が
実家に郵送されてきました。
そのなかで小学校の卒業式は
次にみんなが進学する中学校が決まっていて
大きな安らぎに包まれて
先生や周囲の方々に感謝して学び舎を巣立ちます。
3月29・30日に「住職継職法要」をお勤めします。
二年4カ月前に住職退任の辞令を受け
既に私は前住職の身ですが
この間新住職が描くお寺のデザインを見守りつつ
お念仏のご法義相続という大安心の中に
ご門徒有縁の皆様に御礼を申し上げ住職の卒業式です。
これからもお念仏の同行として
往生浄土のお念仏の道往きを
ご一緒させていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.3.1)

宗兄弟
2025-02-28
今朝の地元新聞に「宗猛総監督退任へ」の
記事がありました。
宗茂さんと双子のマラソンランナーとして大活躍し
現役引退後も共に旭化成陸上部で後進の指導につとめた
レジェンドです。
宗兄弟と私は同じ年です。
全く面識はありませんが
同じ大分県出身の同学年でもあり
高校生で県内一周駅伝で活躍していた頃から
注目して見ていました。
決して順風満帆な競技人生ではなかったと思います。
一番の思い出を
「モスクワ五輪代表決定のマラソン」といい
残念な思い出に
「日本がモスクワ五輪をボイコットし
出場がかなわなかったこと」をあげ
世界の政治の荒波に翻弄され
夢を断念せざるを得なかったことをいわれています。
同い年にプーチンさんと小池百合子さんがいます。
今も政治の世界の第一線にあり続ける人たちですが
それぞれの国で異なる社会体制の中に生きて
モスクワ五輪当時どんなところにいて何を思い
そして今為政者として市民のために何をすることを
最優先に考え政治を司っているのでしょうか。
この同じ一つの地球にあって
政治体制の異なる社会に生き
人それぞれの人生
人それぞれに生活ぶりが違うなかに
これからも悲喜こもごもの人生を生きていく
私たちです。
これまで歩んできたこの人生を振り返って
自分にとって良いことも悪いことも
いろんなことがさまざまにあったけれども
お念仏のお救いの仏法に遇わせていただき
阿弥陀さまの大きなお慈悲のお心
南無阿弥陀仏のおはたらきに生かされて
往生浄土のお念仏の道往きを共々に生きていける
「お念仏に遇えて本当によかった」と有難く思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.2.28)

「何も変わっとらん!」
2025-02-27
2月も残すところあと一日です。
いつもの月より2日3日少ないいつもの年のことですが
あっという間に過ぎ行く時の流れに身を置いて
「何も変わっとらん!」と
ため息まじりの声が聞こえます。
私たちのものの見方は往々にして
自己中心の自分の思いはからいで物事を見ては
都合の良いことはそのまま受け入れ
都合の悪いことは「何でどうして?」とはねつけ
受け入れようとしません。
「何も変わっとらん!」と
自分の思い通りにいかない周りの状況に
腹を立て悔やみ嘆く私がいます。
仏さまはそんな私を見てとって
お慈悲の心でそのまま抱き取り
「われにまかせよ必ず救う」と
おはたらきです。
仏さまは「如実知見」のものの見方で
真実ありのままをそのまま知る智慧の眼で
私をそのまま見守ってくださっているのです。
諸行無常の世にあって
周囲のものもすべてがそうですが
この私も移り変わって行ってる現実を
そのまま受け入れるなかに
私たちはそれぞれのいのちを互いに生かされて
共々に生きているのです。
私の思いはからいを超えて
すべてのいのちはみんな変わって行くのです。
生きるということは変わって行くことで
その生き方変わり方は人それぞれに千差万別です。
人それぞれに生きて変わって行く中に
互いにいのちを認め合い支え合っていくことで
私たちは大きないのちにつながって
安心して生きていけるのです。
すべてが阿弥陀仏さまの
「いのちあるものすべてを分け隔てなく必ず救う」との
ご本願のお心おはたらきと聞かせていただきます。
あなたも私もお念仏申して自他共に
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に生かされて
今日一日も生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.2.27)

同級生がやって来た!
2025-02-26
あんのん館の<すいようサロン>に
中学の同級生が3人お参りされました。
一人はご門徒の方で
もう一人と二人で先々月はじめてお参りされ
今回はもう一人の同級生と三人一緒のご縁です。
前以て聞いていましたが
名前は思い出しても会ってすぐ分かるか心配でした。
バレー部だった記憶があって
背の高い彼に会うなり
「〇〇さん?」と声をかけました。
何せ中学卒業以来47年ぶりの再会で
町ですれ違ってもわからなかったでしょう。
その彼とあんのん館の阿弥陀さまの御仏前で
会い直すことができたということです。
仏さまのご縁です。
仏さまのご縁で私たちはつながっていることを
あらためて思います。
ここで会うことが約束されてあったという
仏さまのご縁といただきます。
あなたと私が約束して会えたということではなく
仏さまがあなたと私が会えるご縁を
つくってくださっていたということです。
私たちはこの人間界に生まれて
多くの人と出会いそして別れを繰り返していますが
初めて会う人も実はすでに過去世で会っていた人が
必然的に会えたということではないかと
思ったりします。
私からいうと仏さまのご縁は
偶々会うということですが
仏さまかいうと必ず会うということだということです。
仏さまが約束してくれていた
あなたとの出会いがあり再会がありの人生の営みです。
お念仏申して
人の命は終えていきますが
先に往かれた方とまたお浄土で再会でき
この世に還って懐かしい方々とまた再会できる
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
あなたと私自他皆共に生かされて生きていると
聞かせていただき
今日一日もあなたとの出会いを楽しみに
お念仏申して生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.2.27)
