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お念仏を申す生活法話

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大相撲の権威

2023-01-22
 大相撲初場所の千秋楽結びの一番で
大関貴景勝が平幕の琴勝峰を下して優勝しました。

 1横綱1大関という125年ぶりの事態で
横綱休場により最高位の一人大関が
連日結びの一番を取ることで
かなりのプレッシャーだったと思いますが
平幕力士の4場所連続優勝を阻止し
久しぶりに番付通りの結果になりました。

 群雄割拠の戦国時代を思わせる
今の大相撲の勢力構図です。
 昨年二大関があえなく陥落し
誰が優勝してもおかしくないといいますが
みんなドングリの背比べで
飛び抜けた強者がいないということです。

 番付通りに行かない面白さも
いつものことになってしまっては興味が薄れます。
 ここは早く強い横綱大関の誕生を
待ちたいところです。

 今場所はかろうじて
大相撲界の権威が保たれたということですが
私たちの社会もこうした権威ということが
まかり通る社会です。

 ただ昔と今の違いは
権威だけがものを言う社会ではなく
その人人の置かれた立場での実績が評価される
社会になったということです。

 学校の先生やお医者さん政治家さんなど
身近な社会的立場に立つ人も
権威だけを振りかざしていると逆に批判の対象となり
その人人の生き方が常に問われます。

 権威ある立場に立つ人ほど社会的な責任を負い
謙虚に社会的な任務に取り組む姿勢が求められるのです。

 そこで私たちお寺のお坊さんです。
一昔前は社会的に一目置かれる立場にありました。
 またお寺と門徒檀家さんとの関係でいうと
お坊さんの宗教的に特別な役割が大きかったと思います。

 最近「お坊さん便」といって
葬儀や法事をお勤めするお坊さんを手配する
サービスがあるといいます。

 日頃お寺とご縁がないお家も
何かの時にはお経をあげてくれて
代金も明瞭でその時だけのサービスで
お寺との関係がなく大変好評だそうです。

 お坊さん便のお坊さんはお経をあげる人で
電話一本でお経の出前をしてくれるのです。

 お経をあげるのでしたら
何もお坊さんでなくてもいいと思いますが
お坊さんがあげるお経だから有難いということでしょうか
お坊さんの資格を持っていることの権威です。

 このようなお坊さんの見方が
私たちお寺のお坊さんの見方に重なることで
いろんなトラブルが生じることにもなります。

 本来浄土真宗のお寺のお坊さんと門徒さんは
お念仏のご縁つながりの関係にあって
一朝一夕にできたものではなく
遠い昔からの特別なものなのです。

 仏さまのご縁をいただいて
共々にお念仏申す身にさせていただき
心豊かにお浄土への人生をご一緒させていただける
有難さを思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.1.22)

「浄土真宗でよかった」

2023-01-21
 昨日の法話会でのことです。

 今は身近な仏事についてテキストを輪読し
日頃の疑問など話し合って
浄土真宗のご法義を味わわせていただきます。

 ある方が
「浄土真宗で本当によかった」と言われました。

 他宗教宗派で宗教的な行事作法が
それぞれ異なります。
 すべて意味のあることでお互いに敬い尊ぶことですが
中には教条的に他の教えを受けつけないで
排除するようなことがあります。

 その点浄土真宗は
他の教えも鷹揚に受け入れる柔軟性があって
自らも縛ることがないというのです。

 ただ「浄土真宗では」と
ついつい紋切り型で言うところが
特に私たち僧侶に多いのも事実です。

 浄土真宗の肝要はちゃんと聞いて知っておいてもらい
ここは曲げてはいけないと思いますが
例えば仏事の作法などで
他宗教他宗派の葬儀にお参りしたときの対処です。

 お参りの仕方もそれぞれ違いますが
合掌しお念仏申してお礼をする
浄土真宗の作法でいいのです。
 ただその時の周囲の雰囲気も少し考慮して
大きな声でお念仏申すとか
はばかられることは注意しましょう。

 浄土真宗門徒はこうしないといけない
ということではありません。
 浄土真宗のみ教えを聞いて自信をもって
私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.1.21)

「逃げて来い!」

2023-01-20
 博多でストーカーの殺人事件
そして13歳の中学生が母親を刺殺した事件
大分では小学一年生の子どもを母親が殺害した事件と
何ともショッキングな事件が相次いでいます。

 あなたと私が織りなす私たちの社会にあって
私たちは誰一人独りで生きているのではありません。

 それぞれが自分の思い思いに生活していますが
他者との関係でみんなが思い通りに生きているのではなく
互いに自分の思いをぶつけて衝突することもあるし
いろんな楽しい時間もあったのではないでしょうか。

 ストーカー犯罪は今のネット社会が生んだものです。
SNSで誰とでも交信できるなかで
相手がどんな人か分からないままに
事件が後を絶ちません。

 病んでる社会の様相です。
そしてこの私もこの病んでる社会の一員だということです。

 ストーカーだったら警察に対処してもらってといって
やっぱりこうした事件が起こるのです。
 子育てのことは児童相談所にとか
具体的な対処法を求めて様々な行き場所がありますが
一朝一夕に自分の思い通りに
解決できることではありません。

 私がこの世に生まれて
今まで生きてきたなかで
これまで巣つくってきた心の闇です。

 お寺はあなたの居場所といい
駆け込み寺といわれます。
お寺は逃げ場所だというのです。

 阿弥陀仏さまの「まかせよそのまま救う」
南無阿弥陀仏のお喚び声です。
「逃げて来い!」と聞こえます。

 阿弥陀仏さまの胸が大きくはだけているのは
この胸の中に顔をうずめて泣いておくれと
私をそのまま抱き取ってくださる
お慈悲のおはたらきとお聞きします。

 お寺に来てどんな対処法があるのか
ストーカーの対策ができるのかというと
それはそれぞれ専門の部署での対応です。

 自分が今抱えている問題に向き合うことが辛かったら
ここはとにかく逃げて来いというのです。
 そしてあなたの思っていることを
打ち明けたらいいのです。
 そのまま聞いてくださる仏さまです。

 世間的に見れば逃げるのは恥だというでしょう。
ちゃんと問題に向き合わないで
何の解決にもならないというでしょう。

 でもその場から逃げることで
仏さまの前に身を置いて
ゆっくりゆったり自分自身を見つめ直すことです。

 逃げましょう、逃げましょう。
これはしんどい辛い
ここに居ることがたまらないときは
逃げましょう。

 逃げても生きるということですから
これからも思い通りにならないことが起こってきますが
とにかく逃げましょう。

 逃げて生きて往きましょう。
「まかせよそのまま救う」とおはたらきの
阿弥陀さまのお念仏の世界は
悩めるあなたの逃げ場所です。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.1.20)


 

私の楽しみ

2023-01-19
 今朝久しぶりに
6時の梵鐘を撞きました。
 玄関から外に出て南の空低く三日月が見えました。
ナイフのようなすっと冴えわたった輝きでした。

 この時期「寒くて暗い中を(鐘撞きは)大変ですね」
と言われますが
外に出て月を見られる楽しみです。
 月を見るためだけに外に出るのは億劫ですが
鐘撞きの縁に遇って
大宇宙の中に生かされて生きていることを
実感できる私の楽しみです。

 住職を継職して法務の役割が代わり
日々の生活様式も特に朝の時間がすっかり変わりました。

 そろそろ慣れて行かないといけないことですが
このお朝事のことでいうと
お導師のつとめが代わったことで
ご法話お取り次ぎがなくなりました。

 毎回お話の内容を録音して後で文字にし整理して
HPに発信することが日課になっていました。
 今は直接パソコンに入力していますが
中々思うようにお話が出てきません。

 今日のお話も前以て原稿を書いて
用意しているわけではありません。
 その時どきに私が思ったこと感じたことを
皆さんにお話させていただいています。

 お朝事のご縁にお参りして聞いてくださる
皆さんがいるからお話できる楽しみです。

 HPを開いてどういう方が
お話を読んでどう感じてくださるのか分かりませんが
確かに読んでくださる方がいらっしゃる楽しみです。

 お寺の住職の楽しみは
一人でも多くの人がお寺参りして
お念仏のご縁に遇ってくださることです。

 これからの私の楽しみも
一人でも多くの方に
お念仏のご縁に遇っていただくことです。

 お寺から飛び出して
多くの人に出遇うなかで
共々にお念仏申すご縁をつくりを
楽しみながらさせていただきたいと思います。

 私たちの楽しみの大本はお念仏です。
お念仏申す身にさせていただく仏さまのご縁です。
 どうぞ引き続いてお朝事のご縁にお参りしてください。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.1.19)


「かかりつけ僧」のお坊さん

2023-01-18
 十数年間月に一度の
かかりつけ病院の定期健診で
血圧の薬を処方されることになりました。

 前々から血圧がずっと高い数値で推移しており
先日の大分市の健診で要診断と指摘され
いよいよ私も覚悟を決めてのことでした。

 ここは日頃から私の体の健康状態がわかっている
主治医の先生のご指導に従うばかりです。
 あまり薬に頼りたくないと言ってきた私ですが
今回は「わかりました」と素直に受け入れました。

 70歳になりました。
実は父も高血圧症で
病院に行かないままに
70歳を過ぎて脳梗塞を発症し
74歳で亡くなりました。

 私の心配もありましたし
かかりつけの医師の判断が決め手になりました。

 かかりつけ医ならぬ
かかりつけ僧といって
日頃中々聞けない仏事のことや広く心の悩みについて
相談できるお坊さんのことをいうそうです。

 所属寺があるなら
お寺の住職や坊守に相談すればいいことだと思いますが
かえって気軽に相談できないといいます。

 お寺に日頃のご縁がないということでもあります。
葬儀や法事のお勤めはその時どきに相談できるのですが
それ以外のことは
お寺には用事がないということでしょうか。
 お寺と門徒檀家の皆さんとのつながりが
特別な事務的なものになっているように思います。

 何かの時のお寺さんお坊さんです。
お寺の経営ということではそれでいいのでしょうが
私たち浄土真宗のお寺はお念仏の道場といい
僧侶も門徒も同じお念仏のみ教えにつながって
仏法聴聞こそが肝要と聞かせていただきます。

 平生業成の南無阿弥陀仏のご法義だからこそ
常日頃からいつでも何でも相談できる
かかりつけ僧のお坊さんでありたいと思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.1.18)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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