42.37%
2025-02-17
大分市議会議員選挙の投開票が行われ
当選者44名が決まりました。
一番身近な選挙で立候補者も多く
連日選挙カーが行き来し名前を連呼してと
これまでは賑やかな選挙という印象でしたが
今回は物静かな選挙という感じでした。
ネット社会の都市型選挙の様相でしょうか
血縁地縁社縁といった人間関係のなかに
直接顔が見える人人に訴える手法ではなく
不特定多数にネットを通じて主義主張を発信し
選挙戦の臨場感をリアルタイムで伝えるといった
戦法です。
今回得票率が前回より3ポイントも少ない
42.37%という過去最低だったということです。
半数以上の有権者が棄権する選挙の有効性です。
日常生活の中で人と人とのつながりの
希薄化が一段と進み
政治に関心がない層が確実に増えているということで
本当にこれで民主主義の選挙と言えるのでしょうか。
当選者の顔ぶれを見ると
盤石な組織をもった人が確実に当選しています。
投票率が低くなれば低くなるほど
組織票が幅を利かせるという選挙の常識です。
逆な見方をすれば
特に支持者のない棄権された無党派層の浮動票を
どう取り込むかで
選挙結果が大きく変わることにもなります。
大きな風が吹いて大きな波になり
大きな力になるということです。
その起因が最近の選挙で一気に注目される
ネット選挙のあり方です。
小回りの利く何かの仕掛けで
大きな成果を上げることもあるでしょう。
ただ大事なことは日頃の地道な活動です。
確固たる指針方向性をもって
同じ志の仲間を一人一人増やしていく手法です。
お念仏のご縁づくりです。
南無阿弥陀仏のお心おはたらきをいただいて
私からあなたへお念仏の輪が広がる手法です。
日々の生活の中でお念仏申させていただきましょう。
お念仏がそのまま隣の人へと広がっていきます。
阿弥陀さまの「われにまかせよ必ず救う」の
ご本願のおはたらきです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.2.17)

あなたの宗教は何ですか?
2025-02-16
「あなたの宗教は何ですか?」と訊かれて
あなたはどう答えますか?
ちょっと間をおいて
「私の家の宗教は〇〇です」と
答える人がいます。
葬儀社で葬儀をつとめるときに
「あなたのお家の宗教は何ですか?」
とまず聞かれるといいます。
「仏教です」というと
「宗派は何ですか?」と重ねて聞かれるそうです。
首都圏などの都会の話かと思ったら
今は核家族でお家にお仏壇がなく
お寺との日常的な関係もなくて
先のような質問になるそうです。
葬儀社にとって仏教でもどの宗派で
お寺とのご縁があるかの確認は
事前に必ずしておくべきことで
後々トラブルになることもあるそうです。
さて「あなたの宗教は?」と訊かれて
「無宗教です」と言われる方がいます。
何で私に宗教が関係あるのかと
聞こえてくるようなことですが
欧米ではちょっと軽蔑されるといわれます。
宗教はその人の人生を語る上で
生きる依りどころであり
その人となりを判断される大きな材料になるからです。
生まれたお家にお仏壇がありました。
近くのお寺とのご縁がありました。
私が選んだ宗教ではありませんが
お家の先人が私に伝え届けてくださったものです。
仏さまのご縁をいただいて
この世にこのたび生まれてきたのです。
仏教浄土真宗のみ教えを聞かせていただき
お念仏申す身にお育ていただいて
「私の宗教は浄土真宗です」と名乗って
往生浄土のお念仏の道行きを生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.2.16)

年金生活のなかで
2025-02-15
昨日が年金支給日で金融機関の窓口に
多くの高齢者が列をつくっていたというニュースです。
年金をいただいて早速向かう先は
スーパーの安売りセールだそうです。
ここ最近の日用品の物価高と
令和の米騒動といわれる主食米の高騰で
日々苦しいやりくりの年金生活者の現実です。
できるだけ出費を抑えて
必ず必要なものだけにお金を使うことが
より徹底される生活の中で
お寺への出費です。
仏さまへのお供え
御布施です。
私にできることをさせていただくということで
御布施に金額の大小はありません。
できるときにできることをということで
その時どきにできることを
精いっぱいさせていただきましょう。
これまでも御布施の金額を聞かれるときに
「年金生活者だから」と言われると
ちょっと躊躇しますが
どんな人にも「できることでお包みください」と
おこたえするようにしています。
皆さんそれぞれのお気持ちを
仏さまにお供えさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.2.15)

出会いなおし
2025-02-14
「やり直すことができない人生も
見直すことができる」との言葉をいただきます。
この歳になって思うことです。
これまでの人生を振り返るとき
「こうしておけば」と思い返しても
一つとしてやり直すことはできません。
自分の都合に良いことも悪いことも
色々ありましたが
すべてはお念仏のご縁につながって
今の私があると聞かせていただきます。
一直線の人生で後戻りすることはできませんが
あなたと私のご縁つながりの人生の営みのなかで
これからもお互いに生かされて生きていく
この人生です。
あなたと私の出会いがあり
そして別れがありました。
この人生は
出会いと別れの繰り返しです。
家族や職場地域で日常お会いしている方もいれば
学生時代以来ずっと会っていない方がいます。
人それぞれの人生があり生活ぶりも違って
今何をしているかなと思いを馳せます。
懐かしいご縁の方々です。
良い思い出ばかりではなく
喧嘩別れしたり
いつの間にか音信不通になった人もいます。
出会いなおしということを思います。
遠いいつの日か一緒に学び遊んだ友です。
皆さんそれぞれにいろんな人生の歩みの中で
今また会える楽しみです。
これまでの人生の道行きはそれぞれに違っても
仏法に遇ってお念仏申す身にお育ていただき
これからの人生を共々に生きていける
往生浄土のお念仏の道行きを
ご一緒させていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.2.14)

そんなに急いでどこへ行く
2025-02-13
車を運転していて
他の車が急に前方に割り込んできて
ひやっとすることがあります。
何か先を急いでいる様子で
それからも左右に車を切り返しては
見えなくなりました。
さぞ遠くに行ってしまったかと思いきや
次の交差点で信号待ちしている車を見つけて
苦笑いするようなことです。
他人事ではありません。
私もこんなことが何度もありました。
「せまい日本 そんなに急いで どこに行く」と
交通安全の標語がありました。
今でいうタイパです。
時間の節約とでもいうことですが
運転を急いでスピード違反や事故を起こしたりしては
もともこもありません。
私たちの人生の道行きです。
「急がなくてもよいことを急いで
毎日をあくせく生きている」と
私たちの有り様をお経さまに説かれてあります。
自分中心の思いはからいでアクセルを踏み続け
ゆっくり人生の道行きを楽しむことなく
常に前を向き頑張って生きている私たちです。
二度とないこの人生です。
私たちは何のために生まれてきて
どこを目ざして生きているのでしょうか。
お念仏申して
「われにまかせよ 必ず救う」との
南無阿弥陀仏のお喚び声を聞きつつ
阿弥陀さまのお慈悲の中に安心して
一日一日をゆくりゆったり
ある時には立ち止まって
往生浄土のお念仏の道行きを
あなたと私自他皆共にご一緒させていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.2.13)
