「七転び一起き」※転載
2024-12-06
「七転び八起き」とは
何度失敗しても立ち上がって
努力することだそうですが
無限に転がり続けるのが
人生ではないでしょうか。
失恋、病気、上司に叱られること
他人の言葉に落ち込むこと
この人生起き上がってもすぐに転びます。
いや無始以来ずっと転がり続けてきたのが
私たちではないでしょうか。
日本の歴史で最も勝ち組になった人と言えば
豊臣秀吉を思い浮かべます。
足軽から関白まで上りつめ
全国を支配しました。
しかし最後は「露と落ち露と消えにし我が身かな
浪速のことは夢の又夢」と歌ったように
結局彼も大きく転がる人生でした。
一方、お釈迦さまは王子として生まれ
三つの城を持ち、妻や息子にも恵まれました。
でもお釈迦さまは地位も財も家庭も捨てて
真の世界をひたすら求められました。
それは地位がなくても家がなくても病であっても
たった一人であっても大丈夫の世界です。
私たちは七転びどころが
無限転びでしょう。
でも仏法に遇うと
大きなはたらきによって
本当に起き上がることができるのです。
無限転び一起きを
七転び一起きと表現いたしました。
※『本願寺インスタ倶楽部』
(中央仏教学院 福間義朝長)より転載
ー本願寺新報2024年12月1日号ー
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.12.6)
お歳暮の贈りものです
2024-12-05
年末になり
お歳暮を贈る時節になりました。
いつもの人にいつもの品を贈りに
いつものお店に注文に行きました。
もうそろそろ注文があるのではと
お店で前以て
いくつかの提案をしてくださっていました。
昨今の物価高です。
毎年少しずつ価格が上がり
品物や数量を変えるなどして
何とか予算内に納めてきましたが
さて今年はどうするか。
お正月定番の蒲鉾類のお歳暮です。
予算内で品物自体を変えることも考えますが
お正月のおせち料理の一品に
いつもの品を待ってらっしゃるのではと思うと
品物は変えずに数量を変えるということで
提案されたカタログを見ると
3本5本8本セットとあって
4本セットがないことに気づき
尋ねますと
「4本は縁起が悪いということで
用意していません」と
予想通りの答えが返ってきました。
4は嫌われます。
4は死に通じる縁起の悪い数字になっているようです。
果たして4本詰めを贈って
何かクレームがついて返品されるのかというと
どうでしょう。
ただ常識がないと思われたりしないか
などと思ったり
人人の思いはそれぞれに様々で
何でも気にすれば気になり
自分の思いはからいにとらわれて
悩み苦しみ迷う私たちです。
自分中心の小さな世界に閉じこもって不安な私に
大きな世界に生まれて来いよと
阿弥陀さまはいつでもどこでも
南無阿弥陀仏のお喚び声になって
私に寄り添いご一緒してくださっているのです。
お念仏申して
南無阿弥陀仏のお心おはたらきを聞かせていただき
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
共々に生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.12.5)
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで救われる
2024-12-04
親鸞さまは『歎異抄』第二章に
「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」と
「よきひと」法然聖人から専修念仏の「仰せ」を聞いて
「信ずるほかに別の子細なきなり」と
念仏一つで救われるご法義に遇いました。
同じく『歎異抄』第一章には
「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて
往生をばとぐるなりと信じて
念仏申さんと思い立つ心のおこるとき
すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたもうなり」と
信心一つで救われるといただきました。
さてこの「ただ念仏して」と
「念仏申さんと思い立つ心のおこるとき」とは
別々のことをいっているのではなくて
念仏も信心も阿弥陀仏の本願力のおはたらきによる
他力の念仏他力の信心で
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで救われる
ということです。
南無阿弥陀仏は阿弥陀仏の
「生きとし生けるものすべてを分け隔てなく必ず救う」
本願成就の名号ですから
名号法こそがすべてのものをそのまま救う
おはたらきなのです。
念仏も信心も
私の側のところで語る宗教が一般的です。
私が起こす信心私が称える念仏で救われるといったら
私の手柄となって
救いも確かなものと受け取ることができるでしょうが
どこまでも私の思いはからいを離れるものではなく
阿弥陀仏の救いを信ずることを疑うことになります。
私の思いはからいに振り回され
苦しみ悩み迷うこの私をこそ
必ず救うと本願を起こし南無阿弥陀仏を成就された
阿弥陀さまのお心おはたらきを聞かせていただき
お念仏申して阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
共々に生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.12.4)
浄土真宗門徒の心意気
2024-12-03
遠縁のお寺さんの御正忌報恩講に
ご法話お取り次ぎのご縁をいただきました。
11年ぶりのご縁です。
お参りの方でしょう
駐車場に車がいっぱい止まっていました。
お勤め前にご院家さんから
コロナ禍で総代さんだけのお勤めが続いたが
ようやく昨年からご門徒皆さんとお勤めする
従来の報恩講に戻りました
とお話を聞きました。
本堂に入ると満堂のご門徒さんでいっぱいでした。
きれいにお飾りされたお内陣のお荘厳を前にして
皆さんのお顔が輝いて見えました。
浄土の荘厳です。
ご門徒皆さんが施主となりご懇志をはこんで
お荘厳できた阿弥陀さまの御尊前に一堂に座り
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に安心して
ご一緒にお念仏申させていただきます。
お念仏の先人が私たちに伝え届けてくださった
親鸞さまの御正忌報恩講のご縁です。
コロナ禍でこれまで続いていた多くの行事が
中止になったり内容変更を余儀なくされました。
年末恒例の紅白歌合戦も三年前の東京オリンピックも
無観客での開催になりましたが
それでも続けて行われてきました。
今年夏のパリ五輪は多くの観客で盛り上がりました。
紅白歌合戦も然りです。
報恩講のご縁でいえば
親鸞聖人三十三回忌のご縁に第三代覚如上人の時から
毎年お勤めさせていただく
私たち浄土真宗門徒にとって
最も大事な親鸞さまのご法事です。
第八代蓮如上人は「信をとれ信をとれ」と
報恩講にこそ仏法聴聞のご縁に遇って
信心獲得を勧めお念仏申す身にお育ていただくことが
祖師聖人の報恩謝德のつとめだといわれました。
今年が763回忌のご法事になります。
長い歴史のあゆみのなかで
これまでにも何度か中断の危機があったと思いますが
種々工夫して報恩講を勤められ
今ここに届けられたご縁といただきます。
「よかったですね」とお話しました。
阿弥陀さまの「われにまかせよ必ず救う」
南無阿弥陀仏のおはたらきに
「おまかせします阿弥陀さま」と
ほれぼれとよりたのみよりかかって
報恩謝德のお念仏を申させていただきます。
浄土真宗門徒の心意気を力強く有難く思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.12.3)
かりんとう饅頭
2024-12-02
ご門徒のお家にお参りして
お勤めの後にお茶のお接待があります。
あるお家で出されるお茶うけについて
あるお坊さんのお話です。
初めてお参りしたお家で出されたのが
<かりんとう饅頭>でした。
初めていただくお菓子で珍しくて
「おいしいです」「好きです」といただくと
それから決まって<かりんとう饅頭>が
お茶うけに出てきたそうです。
用意できていないときは「すみません」と
謝られたといいます。
自分のことを気にかけ思ってくださる
有難いことだなというお話です。
私が学校を卒業して自坊に帰り
ご門徒のお家の月参りを始めた頃のお話です。
一人暮らしの70代の小綺麗なおばあちゃんのお家で
決まってコーヒーが出ました。
素敵なカップにコーヒーをいれてくださり
最後に角砂糖を混ぜて出してくださるのですが
1個2個3個…と
コーヒーがあふれ出すのではないかというほど
たくさん入れてくださり「さあどうぞ」と言われます。
すごく甘いコーヒーでしたが
ご門徒さんの精いっぱいのおもてなしです。
戦前戦中戦後の物の無い時代を生きてきて
甘いものは本当に貴重でぜいたく品だったそうです。
そのぜいたく品をお坊さんに
布施する思いなのでしょうね
その心遣いが有難くて甘いあったかい思い出です。
阿弥陀さまの御仏前に共々に誘われて
ご一緒にお念仏申させていただく
あたたかい仏さまのご縁に遇わせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.12.2)