今日は何の日?
2023-11-25
朝早くラジオから
「今日は三島事件があった日です」との
放送が聞こえてきました。
1970年昭和45年11月25日のことです。
その時のことがふっと思い出されます。
私が高校三年生で
その日の授業を終えて学校から帰宅しようと
下駄箱から通学靴をとって履こうとしていた時に
一所に居た友だちから
事件のことを聞かされたということで
その時の光景が凍り付いたように思い出されます。
家に帰って詳しいことを
テレビのニュースで知りました。
作家の三島由紀夫が東京・市ヶ谷の自衛隊駐屯地で
憲法改正を主張し自衛隊に決起を呼びかけた後
盾の会の同志の介錯で割腹自殺した事件です。
世論を震撼させた衝撃的な事件でした。
間近に大学受験を控えた中で
私は事件の意味するところが理解できず
ただただ「なぜなぜ」という思いばかりでした。
受験勉強漬けの高校生活にあって
当時の時代社会は大変不安定なものでした。
日米安保体制反対運動が各地で起こり
ヘルメットをかぶり火炎瓶や角棒で武装した
全学連の学生が機動隊と衝突を繰り返し
不穏な空気が日本社会全体を覆っていました。
多感な高校生の中にも
こうした社会の動きに敏感に反応し
学生運動に参加する者もいましたが
学校内で私たちは平穏を装い
それぞれの進路を目指していました。
三島事件の真相は分からないことが多いですが
今も三島の言動は東京大学全共闘討議など注目され
さまざまな出版物が出ています。
あれから53年
良くも悪くも日本はどう変わって行ったのか
私はどう生きたのか。
今日は何の日?
歴史の一齣と過去を振り返るだけでなく
その日の思いが今の私につながって生きていることを
1970年11月25日も53年後の今日も
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりの中に
聞かせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.11.25)
「行ってまいります」
2023-11-22
朝ドラ『ブギウギ』で
スズ子の弟六郎に赤紙がきて
出征します。
ご近所有縁の皆さんに見送られて
「花田六郎、行ってまいります」と言ったところ
「行ってまいりますはあかんで、行きますや」と諭され
「行きます」と言い直して六郎は出征していきます。
「行ってまいります」は
「行ってきます」の丁寧な表現です。
日常生活の中で私たちも
家人に見送られるときに
「行ってきます」と言い
「行ってらっしゃい」と見送られます。
「行ってきます」には
行って帰って来ますという意味があります。
子どもを学校にまた親や兄弟を職場に見送ります。
見送る方も見送られる方も
行く所がわかっているから
そしてまた家に帰って来ることがわかっているから
安心して見送られるのです。
一度別れますが
再び会うことが約束されていることの安心です。
ではなぜ「行きます」なんでしょう。
行く先は戦地です。
死を覚悟の別れに「帰って来ます」とは言えないのです。
六郎は東京に居る姉のスズ子を訪ねます。
そして別れです。
「行ってまいります」と言って
すぐ「行きます」と言い直しますが
スズ子が「行ってまいりますでええ」と言い
「行ってまいります」と別れます。
21、22両日に渡る出征見送りの演出に
制作者の思いを推察いたします。
人の命終わるときの別れです。
南無阿弥陀仏とお念仏申して
「いってきます」「いってらっしゃい」と
今生の人と人との別れができる安心です。
南無阿弥陀仏のおはたらきで
阿弥陀さまのお浄土に往き生まれて仏と成り
衆生済度のために
迷いのこの世に還って来るのです。
お念仏申すところに
先に往かれた大切なお方は仏さまと成って
私のところにかえってきてくださっているのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.11.22)
ご法事のご縁をいただいて
2023-11-21
ご法事のご縁で
遠近各地から親族有縁の皆さんが
御仏前に一堂に集います。
久しぶりにお会いすることで
近況報告やいろんな話に花が咲きます。
ご法事を迎える先人の思い出話です。
「ああそんなこともあったね!」という話
「えっそんなことがあったの?」という話
懐かしい思い出話の中にも
忘れていたこと思い出したくないこともあったりして
反省することもあります。
生前中も亡くなってからも
お互い歳を重ねるなかで
自分にとって良いことも悪いことも
いろんなことがありました。
そして今の私たちです。
南無阿弥陀仏と一堂にお念仏申す中に
今こここの私が仏さまのご縁をいただいて
生かされて生きていることを
聞かせていただきます。
楽しい時も苦しい時も
嬉しい時も悲しい時も
「いつも私が一緒だよ。
どんなことがあっても
あなたを見捨てることはないからね」と
いつでもどこでも
阿弥陀さまがそして先に往かれた仏さまが
ご一緒です。
ご法事をお勤めして
親族有縁の皆さんそれぞれのお家に帰って行かれます。
皆さんそれぞれ生活ぶりは違いますが
私たちは共々に
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりの中に
生かされて生きていることを
お念仏を申してこれからも聞かせていただきます。
「いのちみんなつながっていっしょ」と
お念仏のご法義に遇わせていただいて
本当に有難いご縁になりました。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.11.21)
後片付け
2023-11-20
今日は朝からご門徒衆にお手伝いいただき
御正忌報恩講法要の後片付けをしました。
何日もかかって手作りのお飾りで整えた
お内陣のお荘厳を
短時間で後片付けします。
私たちの日々の生活もまた
準備と後片付けの繰り返しですね。
食事ひとつとっても
献立を決めて食材を買いに行くことから準備を始め
調理をして食事を摂ります。
そして後片付けが済んで食事が終わるということです。
食べたら終わりではありません。
そういう意味では後片付けというのは
食事全体の締めくくりであり重要な意味があります。
私の人生の後片付けです。
死亡診断書の届け出から始まる事柄は
遺った者の務めです。
それらの死後手続きを終えて
その人の死が公になります。
死んだらお終いという
後片付けです。
私たちのお念仏のご法義は
死んだらお終いの教えではありません。
南無阿弥陀仏のおはたらきで
人の死を縁に仏のいのちに生まれる
と聞かせていただきます。
阿弥陀如来の「我にまかせよ必ず救う」
本願念仏の法を聞きひらき
お念仏申す身にお育ていただいて
命終わるとき浄土に生まれて仏と成るのです。
浄土で仏に成って
「極楽!極楽!」とゆっくりゆったり
お休みするのではありません。
浄土から迷いの世に還って来て
南無阿弥陀仏「まかせよ救う」のはたらきを始め
後に遺った私たちを護り導いてくださるのです。
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の
六道の迷いの世界を
生まれては死にを繰り返し輪廻して
このたびは人間界に生まれた私たちに
「どうか仏法に遇って仏の世界に生まれて来いよ」
と仏法聴聞を勧められます。
人と生まれて
仏法聴聞させていただきましょう。
生死(しょうじ)を繰り返す迷いの命を
「そのまま救う」と南無阿弥陀仏の仏法は
さとりのいのちに生まれさせてくださるのです。
お念仏を申して
往生浄土の人生を今日一日も生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.11.20)
父の25回忌のお勤めです
2023-11-19
今年の親鸞聖人御正忌報恩講法要のご縁に
円光寺第17世住職釋昭然の25回忌法要を
併せてお勤めさせていただきました。
父のご法事です。
平成11年11月1日に往生して24年になります。
74歳でした。
爾来歳を重ねて私は71歳になり
父の歳に近くなりました。
25回忌33回忌の年回法要は
親子の関係でいえば
子が親の年齢に近づくということです。
あの頃どんなことを思っていたのかなと
お寺を預かる住職として念仏者として
この歳になって何を思い
何をしたかったのかということです。
今は直接聞けるわけではありませんが
同じような年齢になって重ねて思います。
歳を重ねていくなかに病むこともあり
思うようなことが出来なくなっていくこの身に
南無阿弥陀仏のおはたらきが届いてくださいます。
お念仏を申して
今こここの私にできる精いっぱいの
ご報謝をさせていただきましょうと
南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただき
共々に往生浄土の人生を歩ませていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.11.19)