人生は筋書きのないドラマ?
2024-01-02
お正月の元旦は
子どもたちはお年玉をもらったり
家族親族旧友が久しぶりに再会して
穏やかに楽しく過ごす特別な日と
当たり前に思っていました。
石川県能登地方で震度7の大地震です。
テレビは直後から震災関連の報道番組に切り替えて
正月特番を楽しみにしていた人も多かったと思いますが
NHKは終日ずっと放送を続けています。
何でよりによってこの元旦の日にといっても
いつどこでどんなことがこの身に起こるのか分からない
諸行無常の仏法の理です。
ある人は「人生は筋書きのないドラマ」と言われます。
確かにこの私の人生を振り返っても
こうしてこうしてこうなるという筋書きがあって
その通りに生きてきたわけではありません。
自分にとって思い通りになることもならないことも
様々に色々あって
私の都合に良くも悪くも
この私の人生だったということです。
縁起の仏法を聞かせていただきます。
すべての事象には原因があり
幾多の条件が縁り合って起こるということで
自分一人の力でどうこうなることではないのです。
思い通りにならない「まさか」の展開も
悲しく悔しいけれども
その結果を我が事として引き受けていかねばなりません。
阿弥陀如来はこの混迷の世界に苦悩する私たちを
南無阿弥陀仏のおはたらきでそのまま救うと
いつでもどこでも私たちに寄り添いご一緒です。
私たちは南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりの中に
あなたも私も共々に生かされて
どんなことがあっても今こここの私を生きていけるのです。
お念仏申して南無阿弥陀仏のいのちの物語を
聞かせていただきましょう。
※『ようこそ月報』第4号/2024年1月号より
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.1.2)
この一年もありがとう!
2023-12-31
12月31日の大晦日です。
今日の日を皆さんはどう迎えられましたか。
いろんなことがあったこの一年です。
皆さんそれぞれにこの一年の歩みは違いますが
南無阿弥陀仏「まかせよ救う」の大きなおはたらきで
私たちは共々に
同じ往生浄土の一本道を歩ませていただけることを
本当に有り難く思います。
お念仏申してこれからも
いのちを大切に心豊かに
阿弥陀さまのお慈悲の中を
生かされて生きてまいりましょう。
南無阿弥陀仏ありがとう!
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.12.31)
50回忌の祥月命日
2023-12-30
今日12月30日は円光寺第16世住職
釋照哲さんの祥月のお命日です。
昭和41年に往生されて
50回忌になります。
もう49年が経ちますが
当時私は中学2年生で
今も色々と昨日のことのように
思い出すことが沢山あります。
ご法事は先人をたずねていくご縁です。
この私のいのちのルーツです。
私のいのちのあり方を
仏法に聞かせていただきます。
祥月のお命日は
南無阿弥陀仏のおはたらきで
先に往かれた方が人の命を終えた日であり
同時にお浄土で仏のいのちに生まれた日です。
私の命が今ここにあるのは
お父さんお母さんがいたということです。
そのまたお父さんお母さんがいた
そのまたお父さんお母さんがいたという
いのちの物語です。
この命の歴史をずっとたずねていけども
どこからこの命が始まったか分かりません。
分からないほどの無量のいのちを受け伝えられて
今ここにこの私のいのちがあるということです。
私のいのちといいますが
私がこの世に生まれようとして生まれた命ではなく
私が生きるということについても
他の多くの命に支えられ生かされて
生きているということです。
ご先祖有縁の方々の無量のいのちのつながりのなかに
この私のいのちがあるのです。
私たちは南無阿弥陀仏というご本尊
大きないのちの大本をいただいて
お念仏を依りどころに生かされて生きています。
この人生色んなことがあるけれども
南無阿弥陀仏とお念仏申して生きて往けるのです。
今年も今日明日の二日間になりました。
どうぞ今日の一日もお念仏を申して共々に
往生浄土の道行きを生きてまいりましょう。
※2015.12.30アーカイブ
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.12.30)
「大変やったね」
2023-12-29
「大変やったね」
夕食のときに家族からかけてもらった言葉です。
昨日のお話の続きです。
私の不注意で落とした財布を拾ってくれた人がいて
届けてくださった交番に受け取りに行き
財布がそのまま私方に戻ってきました。
キャッシュカードも入っていて
すぐ取引停止の手続きをしなければならなかったのですが
その前に財布が見つかったことで
事無きを得たのです。
行方不明の財布のことがずっと精神的に重く気になり
キャッシュカードの取引停止やその後の再発行のことなど
事務的な煩わしさを今思うと
大変な事態に陥っていたということです。
無謀なことでケガをして泣いて帰った子どもに
「何でそんなことをしたの」と叱る親の傍らで
おばあちゃんは「痛かったね。もう大丈夫!」と
孫に寄り添い傷の手当てをしたというお話です。
親も祖母も子を思う気持ちは同じですが
その対応は異なります。
叱られたことで自分の非を教えてもらい
これからはより注意するようになるでしょう。
ただまた同じことを繰り返すかもしれません。
そうした私のことをもうすでに見抜かれて
叱るのではなくそのまま抱き取るのが
仏さまのお慈悲のおはたらきです。
子どもは
「これからは心配をかけないようにしよう」
と思うでしょう。
「大変やったね」と言われて
自分のことを心配してくれている人がいることを思います。
財布を拾って「困っているだろうな」と
自分のことに置き換えて思ってくれたんでしょうね。
周りの方たちに心配かけないようにしようと思い
困っている人に何かできるお手伝いをさせていただこうと
思うことです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.12.29)
どこまでも自分の思いはからいで生きている私です
2023-12-28
昨日久しぶりに友人と
夜の大分で食事をしました。
駅に向かって帰る途中
財布が無いことに気づきました。
さあ大変!
ほろ酔い気分も吹っ飛んで
何度もポケットやカバンの中を探しますが
財布はありません。
お店に戻って聞いても無いものはありません。
ああどうしようと
悶々と夜中を過ごして
朝一番に駅近くの交番に電話をしました。
財布の特徴や入っていたものなどを聞かれて
「ちょっとしばらくお待ちください」とのこと
もしかして‥…
再度私の名前を確認したうえで
「ありました」との返答で
昼前に交番に財布を受け取りに行きました。
財布を拾って交番に届けてくれた人は
20歳代ぐらいの男性で
住所も名前も告げなかったそうです。
駐在さんからは
「返戻金は要らないですよ」と言われて
中身もそのままに財布が戻ってきました。
財布が無くなって色んなことが
頭の中を交錯しました。
年末の人通りの多い中で
財布を拾ってそのまま返ってくるだろうか
現金だけ抜かれて戻ってくるのでは
キャッシュカードは大丈夫か等など
人を疑い悪いことばかりをぐるぐる考えていました。
本当に情けないことです。
どこまでも自分中心の思いはからい疑い心が
行ったり来たりの私です。
財布を拾った人は
どんな思いで交番に届けてくれたのでしょうか。
「財布を無くして困っているだろうな」と
自分のことに置き換えて考えてくれたのでしょうね。
拾ったものはそのまま交番に届ける。
誰でもできるようなことですが
果たして自分だったらと考えてしまいます。
駐在さんから住所名前を聞かれたと思いますが
名乗ることなく立ち去ったといいます。
まさに見返りを求めない
菩薩の布施行です。
以上、財布が戻ってきた今だからこそ
こんな文章が書けるのですが
もし未だ行方知れずだったら
疑いの心止むことなく
どんなことまで悪い妄想を膨らませていただろうかと
まさに悪凡夫の私の正体です。
阿弥陀如来のご本願のお救いは
この私のためのものでした。
お念仏申して阿弥陀さまのお心おはたらきを
聞かせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.12.28)