クローン猿の誕生
2018-01-26
中国でクローン猿が誕生したというニュースです。
1997年にイギリスでドリーというクローン羊が誕生したということで、世界中の大きな話題になりました。
人間の生に科学のメスを入れるということで、遺伝子操作など生命科学の研究は飛躍的に進んでいます。
羊から猿へといえば、人間と同じ霊長類ですから、クローン人間がいよいよ現実味をおびてきたということでしょうか。
そのクローン羊を誕生させた科学者に、
当時子どもを亡くした親から「愛する人を再生することが可能でしょうか」と電話があったといいます。
再生です。クローンというのは全く同じ生命体をつくるということです。
私たちも日頃何気なく「子どもをつくる」ということを言っていませんか。
子どもは授かりもの、恵まれしものといいます。
私たちのいのちはつくられたいのちではないのです。恵まれた、授かったいのちなのです。
だからこそ精いっぱいこのいのちを生きていこうと思います。
そのことを教えてくださるのが、仏さまです。南無阿弥陀仏のみ教えです。
私たちは大いなるいのちに生かされてこのいのちを生きています。
人間の思い、自分の思いだけで何でもできるものではありません。
それこそ恵まれしいのちを人間の自分勝手な思いだけで操作するようなことになれば、
最後に残るのはどんな人間なのでしょうか。
果たしてこれから先人間が本当に生きていくことができるのかなとさえ思います。
南無阿弥陀仏のみ教えに聞かせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.1.26)
大自然に生きる
2018-01-25
今日は特別寒い朝になりました。
私たちは日々大自然の中に生きているのだなと思います。
一昨日は群馬県草津の白根山が突然噴火して、亡くなった方もいらして、大変なことになっています。
草津には全国的に有名な草津温泉があります。まさに自然の恵みです。
この近くでも別府の鶴見山は活火山で、同じようにいつ噴火するかわかりません。
まあ大丈夫ということで、今日も別府温泉は全国の観光客で賑わっていると思います。
ただ自然の恵みと自然の脅威は背中合わせということ、
その大自然の営みの中に私たちの日々の生活があるということを改めて思い知らされます。
親鸞聖人は阿弥陀さまのお救いの法を自然法爾(じねんほうに)ということで教えてくださっています。
自然法爾とは「おのずからしからしむ」という南無阿弥陀仏のおはたらきです。
南無阿弥陀仏は「まかせよ救う」の阿弥陀さまのお喚び声です。
喚ばれた私はただ「はい、おまかせします」南無阿弥陀仏の一声でいいのです。
ところが高慢ちきなこの私は素直に「はい」と言えません。
「そんなはずはない」と疑い心さえ起るのがこの私の自性です。
阿弥陀さまと相撲を取るようなものです。どんなにこちらがいきがっても到底相撲になりません。
大自然と相撲を取っても、結局勝ち負けでいったらやっぱり負けてしまいます。
だって私たちも同じ大自然の中のいのちを生きているのですから。
大きな大きないのちのなかに生かされてあるいのちなんだと気づいてくれよといわれます。
ところが人間、私たちは偉いものだから、自然に立ち向かおう、自然を克服しようという心までも出てきます。
自分がもっともっとよくなりたいという欲の心、それが適わないと怒りの心に変わります。
本当のことに目覚めていない愚かな凡夫の私がいます。
阿弥陀さまは愚かな私と知らせてくれてそのまま救うというおはたらきの仏さまに成ってくださいました。
愚かな私だから駄目だということではありません。
愚かな私と知らせてそのまま救う、南無阿弥陀仏の自然法爾のおはたらきです。
ナモアミダブツ「まかせよ救う」のお喚び声に、ナモアミダブツ「はい」とおまかせすればいいんです。
今日の一日も色んなことがあるでしょう。予期せぬことも起こるかわかりません。
ここは大きないのちの営みにまかせて安心して、お念仏申して今日の一日も生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.1.25)
東京の雪景色
2018-01-24
昨日のワイドショーは東京首都圏に降った大雪のことでいっぱいでした。
東京上空からヘリコプターで東京の町を見せてくれました。
あるコメンテーターが「今までに見たことがない景色、きれいだな」と言いました。
するとすかさずメインキャスターが「今大変な方もいらっしゃいますから」と言われました。
通勤通学で転んで救急車で病院に運ばれている方もいらっしゃるかもしれません。
もっと大変な状況の方もあるかもしれません。
そうした方々のすがたがヘリコプターの映像には映らないんです。
初めて見るきれいな雪景色だと思います。
ただこれがたくさんの人々が生活している東京だという映像がすぐその後に映しだされました。
どこかの駅の構内に人がいっぱい、まさにぎゅぎゅうづめになっています。
恐ろしいくらいにいっぱいです。狭いなかに何百人もの方がうごめいています。
その一人一人に生活があるということです。家族があるということです。
今から会社に行くんでしょうね。学校に行くんでしょうね。
今日は30分、1時間も早めに家を出た方もたくさんいるでしょうね。
私たちは中々その一人一人ということについて思うことが難しいです。
いや家族であってもいつもあなたのことを思うているということは難しいです。
自分のことで精いっぱい、生きることで精いっぱいの私たちの有り様です。
そうした私たちをこの阿弥陀さまはすっと見抜かれて、私たちにああしなさいこうしなさいというのではなく、
私たち一人一人に寄り添って「まかせよ救う」南無阿弥陀仏のおはたらきの仏さまになってくださいました。
「十人は十人百人は百人ながら」という御文章さまのお言葉があります。
100人のうち99人を救えばいいのではありません。過半数だったら合格という話ではないのです。
阿弥陀さまはすべのものを一人残さず必ず救うとおはたらきです。
百人いたら百人をです。そこにこの私が救われる教えがあります。
この私をこそ救わずにはおかないと聞かせていただきます。
ご緒に、お念仏申しましょう。(2018.1.24)
小さな訪問者
2018-01-23
昨日ピンポーンと鳴って坊守さんが玄関にいくと、小学生の女の子二人が「トイレをかしてください」と来たそうです。
以下は、後で坊守さんから聞いたお話です。
一人がトイレに行ってすぐさま「広いなあ」という声が聞こえたといいます。
お寺の本堂はお家に比べて随分広いしスケールが違いますから、トイレもまた広く感じたんでしょうね。
その間にもう一人の女の子が坊守さんにこう聞いたそうです。
「お聞きしますけど、朝が来た!いのち まいにち あたらしいって、どういう意味ですか」という質問です。
山門の掲示板に町角掲示板と同じ月のことばを貼っています。
今月のことばが「朝が来た!いのち まいにち あたらしい」だったのです。
掲示板をちゃんと見てくれているんだなと思ったら、何か嬉しかったです。
そこで坊守さんが答えたそうです。
「毎日目が覚めるでしょ」と言って、「もし目が覚めなかったら、どうなると思う」と聞いたそうです。
ちょっと間をおいて、その子が「目が覚めなかったらそのまま眠ってます」と答えたといいます。
いいですね。子どもの感性って、本当に素晴らしいと思います。
目が覚めるということは、生きているということです。目が覚めてみたら生きていたのです。
私が目覚めよう、生きようと努力したのではなくて、目が覚めてみたら生きていた、朝が来たということです。
私たちは、今、このいのちを生きています。
昨日のいのちでもない、明日のいのちでもない、今日のいのちです。
「いのち まいにち あたらしい」、今日も精いっぱい生きていこうとお念仏申す、このお朝事のご縁です。
今日もこうしてご一緒にお勤めができました。阿弥陀さまにお礼ができました。
今はまだ暗く寒い朝の時間ですが、これから日中にかけて明るくなります、あたたかくなります。
人人それぞれに色んなことがある今日の一日ですが、このいのちを精いっぱい生きてまいりましょう。
さっきの女の子、どのように坊守さんのお話を聞いたかわかりませんが、ようこそお寺に来てくださいました。
問いをもつこと、そしてその問いを仕舞い込まずに素直に聞くことの大切さを教えてもらいました。
これからの人生の中でふっと今日のことを思い出して、大事なことに気づかせていただければと思います。
日々の生活の中で仏法に遇わせていただきます。
私たちはもうすでに仏さまの大きな大きなおはたらきのなかに生かされてあるのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.1.23)
いのちのバトン
2018-01-22
昨日は全国都道府県対抗の男子駅伝がありました。
先週は女子の駅伝があり、この時期、高校、大学、実業団と、箱根駅伝もあって、毎週のように駅伝中継があります。
炬燵に入ってテレビ観戦する方は気楽ですが、選手の皆さんは大変です。
駅伝は個人競技ではなく、チームが一つになって一本のタスキをつないでいくという日本で生まれた団体競技です。
前の選手からもらったタスキを次の選手に渡していきます。
途中で走れなくなってタスキ渡しができずに、無念の涙を流す選手の姿も見てきました。
まさに命がけの競技です。いのちのタスキです。
この一本のタスキには、タスキをつなぐ選手だけでなく、たくさんの方々のあつい思いと汗と涙がしみ込んでいます。
相田みつをさんの『自分の番 いのちのバトン』という詩を紹介します。
「父と母で二人 父と母の両親で四人 そのまた両親で八人
こうして数えてゆくと 十代前で千二十四人 二十代前では…‥?
なんと 百万人を超すんです
過去無量の いのちのバトンを 受けついで いま ここに 自分の番を生きている
それがあなたのいのちです それがわたしのいのちです」
私たちは今ここにいのちを生きています。
このいのちは私が始めたいのちではありません。私がつくったいのちではありません。
お父さんお母さんがいたということです。
そのいのちのバトンをいただいて、今私は生きています。
昨日は卓球の全日本選手権もあって、男子は14歳中学生の張本選手、女子は17歳の高校生伊藤選手が初優勝しました。
新旧交代と新聞の見出しに大きくありました。
どんなに強い選手でも、いつまでも勝ち続けることはできません。いつかは必ず後進に道を譲らねばなりません。
私たちのこのいのちにも限りがあります。
そのことだけみると、いのちのはかなさ虚しさを思い、何か悲しくなりますが、
仏さまのみ教えに、人のいのちは限りがあっていつか必ず終えていくけれども、
そのまま仏に成らせていただくいのちなんだよ、と聞かせていただきます。
仏さまのご縁をいただいて、無量のいのちをいただきます。
新旧交代です。バトンをつないでいきます。
私たちのバトンは、南無阿弥陀仏のいのちのバトンです。
ナンマンダブツとお念仏申す身にさせていただきます。
お念仏のいのちのバトンは、大いなるいのちのお念仏の世界へと、皆をいっしょにつないでくれるバトンです。
「みんないのちつながっていっしょ」の世界へ「いっしょにこうえ~」とお念仏の声かけをしていきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.1.22)