無料食堂
2018-05-22
この前テレビのニュースで無料食堂のことが取り上げられていました。
無料食堂といって何でも無料なのではありません。
一般の食堂ですが、店頭に小さな張り紙があって「もしどうしてもお腹がすいてもお家にお金がないときや
お子さんにおいしいものをお腹いっぱい食べさせてあげたいのにご事情があってむずかしいときなどは
コソっと店長に相談してください」と無料で食事を提供しているということです。
最近は子ども食堂が全国的にさかんで、生活に困っている家庭の子どもさんに食事を提供する活動が行われています。
今の社会は人と人とのつながりが希薄になって隣の人がどういう生活をしているのか
生活に困っている方がいても見えないわからない、見ようとしないわかろうとしない
逆に困ったところを見せないというなかに、今日の食べるものに困っている方がいらっしゃるということです。
困っている人が「たすけて!」と手をあげ声をあげることが難しい社会になっています。
5月初めに始めた無料食堂ですが、半月の間に10件ほどの利用者があったといいます。
いつもこの食堂を利用している人は「大変いいことだと思います。私が食事をして支払うお金が役に立ち
一つの社会貢献になっていると思うと何か嬉しいですね」と言っています。
なかには無料ということで悪用する人もあるのではと思われますが
店長いわく「100人来て99人にだまされても、1人の本当に困っている人を救えるならいいかなと思って始めました」と。
おいしかった、よかったと喜んでもらえたらということです。
今日の御文章さまのなかに「10人は10人ながら100人は100人ながら」というお言葉がありました。
阿弥陀さまのお救いは10人いたら10人とも100人いたら100人とも一人も漏らすことなく救わずにはおかないというもので
100人のうち99人が救われたらいいというものではありません。
残った一人をこそ救わずにはおかないと、一人一人に寄り添っていく南無阿弥陀仏のおはたらきなのです。
ナンマンダブツとお念仏を申し南無阿弥陀仏のお心おはたらきを聞かせていただいて
私にできることを精いっぱいさせていただきましょう。
いのちが見えにくい社会になってきているようです。
日常の生活、普段の人と人とのつながりのなかで、すぐそばで困ってらっしゃる方がいらっしゃると心を配りましょう。
困っている方が「たすけて!」と声をあげられる社会になっていけたらと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.22)

平生日常のお念仏です
2018-05-21
昨日は年に一度の親鸞聖人降誕会のご縁で、午前中から子ども会そしていろんなバザーがあり
大勢の方にお参りいただいて一日中お寺が大変賑わいました。
仏さまのご縁ですが、たくさんのご門徒衆にお手伝いいただいてはじめてできることです。
特に役員さんはいろんな準備からすると何日も前からお寺にかかりっきりということで本当にご苦労さまです。
先人から受け伝えられた仏事です。仏さまのご縁という仏事の意味をあらためて思います。
仏さまのご縁をいただくなかにお念仏申す身にお育ていただくことです。
とはいえ大きな行事ですから、終わるとどっと疲れがでます。
そのなかで今朝目が覚めて、このお朝事のご縁です。
いつもの日常にかえります。させていただくことがあるということの有難さを思います。
平生にかえらせていただくなかにまた自分自身を見つめ直す場があるということです。
私たちにとってそれが阿弥陀さまの御仏前であります。
ここに座れ、お念仏申せよとご催促です。
お念仏は特別なときのお念仏ではありません。平生日常のお念仏です。
いつでもどこでもどのような時でもどんな人にも
このお念仏のおはたらきが行き届いているということを聞かせていただくなかに
お念仏を申す日々の生活をさせていただきます。
私一人をめあてのお念仏ですが、私一人だけのお念仏ではありません。
ご縁ご縁にお念仏を申すなかに隣の人隣の人に南無阿弥陀仏の大きないのちのご法義を伝えていきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.21)

ご縁をいっぱいいただきましょう
2018-05-20
今日は朝早くから婦人会の役員さんがお寺に来てくださって賑やかに降誕会のバザーの準備をされています。
お内陣のお荘厳も紅白のお餅をお供えしてきれいに整いました。
親鸞聖人のお誕生をお祝いする法会です。
浄土真宗の宗祖親鸞聖人です。
阿弥陀如来の本願念仏のお救いの法を明らかにしてくださいました。
親鸞さまがお生まれになってお念仏のみ教えを私たちに届けてくださった尊いご恩を思います。
仏教といいますと一般的には葬式法事仏教などといわれ、何か人の死にまつわる暗いイメージがありますが
お釈迦さまのお誕生をお祝いする花まつりもあり、慶び事もまた仏さまのご縁といただきます。
今日は本堂山門の幕も五色幕というにぎやかな幕を張っています。
一人でも多くの方に阿弥陀さまのお救いの法に出遇っていただきたいという親鸞さまのお心もちを思います。
今日はバザーもあります。
毎年のことでお寺のバザーを楽しみに近所の方、日頃ご縁のない方もたくさんお参りいただきます。
石垣だんごやカレーライス、おにぎりの食品バザー、ご門徒皆さんが持ち寄った物品バザー
そしてかき氷、焼きそば、フランクフルト、フリーマーケットもあります。
いろんな楽しみをもってこのお寺の境内に足を踏み入れ本堂にあがって
阿弥陀さまに両手あわせてナマンダブツとお念仏お礼ができることです。
こうした仏さまのご縁をいただくなかに私たちの日々の生活があることをまたあらためて教えていただきます。
にぎやかなお寺は人がたくさんお参り出入りされるお寺です。
にぎやかにお念仏の声が聞こえるお寺になっていきたいと思います。
それが親鸞さまが一番喜ばれることだといただきます。
今日はお天気にも恵まれました。
どうぞ一人でも多くの方に声かけをされて共々に仏さまのご縁をいっぱいいっぱいいただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.20)

お念仏の友として共にお育ていただきました
2018-05-19
昨日はお葬式のご縁でした。
以前お寺の本堂で葬儀をしたときに司会を頼んだ業者の方にお寺で作ったアナウンス原稿でとお願いしましたが
それ以来その業者が司会をする円光寺が導師のお葬式はその原稿通りに司会をしてくださっています。
開式にあたって「お念仏の友として共にお育ていただき阿弥陀さまのお浄土に往生された
○○さんのお葬式をお勤めさせていただきます」とアナウンスされます。
お念仏の友として共にお育ていただいた方のお葬式です。深い意味があります。
友人代表の方の弔辞がありました。円光寺のご門徒さんです。門徒式章をつけられて御仏前に立たれます。
弔辞は故人を偲ぶということで、生前の思い出を語り最後に
「お浄土に往生して仏さまとなってこれからも私たちをずっと見守ってください。
いずれは私たちもお浄土に往生させていただきます。お浄土でまた会いましょう」と結ばれました。
中々そこまで言えないというか、お寺さん以外のお葬式ではこれまでにありません。
あの世とか、あちらとか、天国とか言い、「ご冥福をお祈りします」「ゆっくりお休みください」が定番です。
お念仏の友としてと司会原稿にはありますが、その人が果たしてお念仏の友と言われるような日暮しをしていたかどうか
日頃からお寺参りしていたかなどと、あれこれ思いをめぐらすのが、私たち世間一般の見方のようです。
ただお念仏の友としてと言われて「ああそうやったんやな」とお参りの方が頷いていただけるのが
私たち浄土真宗のお葬儀ではないかなと思います。
さてお葬儀に門徒式章をつけましょうと言いますが、中々難しいですね。
昨日のお葬式もご門徒の方がたくさんお参りでしたが
お通夜の時は式章をつけてご一緒にお正信偈のお勤めをされていた方も
お葬式になると式章をつけていない方が多かったように思います。
門徒式章が身につくというのは本当に難しいことだなと思います。
そういうなかにあって、お通夜のご縁にご一緒に平生のお正信偈のお勤めができご法話をさせていただきます。
そして次の日のお葬式に「お浄土に往生されてこれからもよろしく、そしてお浄土で再会しましょう」と
ナンマンダブツとお念仏申して送っていけるというご法義の有難さを思います。
死んだらお終いではなくてこれからもずっとずっとつながっていくご縁だなということをまた思いました。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.19)

命終わっていのち愈々つながっていきます
2018-05-18
今日はIさんのお葬式のご縁です。
昨日は歌手の西城秀樹さんがお亡くなりになったということです。私より3歳年下です。
最近私の年齢に近い方が亡くなられていかれますが、これは何も不思議なことではありません。
私たちの命終は病気になって亡くなるとか事故に遭って亡くなるとかいう言い方をしますが
この世に生まれて来た以上はいつか必ず亡くなっていくというのが私たちの人の命の道理なのです。
そして会うた者は必ず別れていかなければなりません。
そうした人と人との別れのご縁に私たちは仏さまのご法義に遇わせていただきます。
私たちは死んだらお終いではなくて、「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏さまに成らせていただくと、聞かせていただきます。
そのおはたらきは私一人だけではなく隣の人も隣の人も、家族ご縁の方々にもすべてに
この南無阿弥陀仏のおはたらきが及んでいるというご法義なのです。
お通夜のお勤めをしてご法話をさせていただきます。
私に近い年齢の方のお通夜ではその人とのつながりのなかにいろんなエピソードのお話になります。
Iさんとは20年ほど前に京都のご本山にご一緒にお参りしました。
ちょうど私が住職を継職した頃で同年輩の皆さんと5人でした。
小さい頃からのご縁で思い出もたくさんあります。そういうなかにあって日々の生活はそれぞれであります。
ただお念仏のご法義につながった私たちは命終わっていよいよご縁つながりが深まっていくといいますか、
増々つながっていく、つながっていけるご法義なんだと有難く思います。
たくさんの方々が先人となってお浄土に往ってらっしゃいます。
そのお浄土からのおはたらき、南無阿弥陀仏のおはたらきを今日もこうしていっぱいいただいて
お念仏申して生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.18)
