春の嵐
2018-03-05
春の嵐です。昨日は温かいお天気でしたが、今日は一変して大きな雨になって夜中には雷が鳴っていました。
春の嵐で、劇的に季節が変わるといいます。
よく三月のこの時期、三寒四温という言い方をします。
寒い日が三日そして暖かい日が四日と、徐々に温かくなるということです。
確かに徐々にということですが、どこかの時点で劇的に変わるといいます。
私たちの信心いただくということを重ねて思います。
お聴聞しましょうといいます。聴く聞くですね。
よく「何ぼ聞いてもわからん」と言う人がいます。
何回聞いてもわからないから、また聞くんだと言われます。
聴くは、こちらから聴きにいくといいます。すると聞こえてくるといわれます。
聞いたから聞こえてくるのではありません。聴いて聴いて聴いて、ふっと聞こえてくるといいます。
阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のお喚び声です。ふっと聞こえてくる、聞かせていただきます。
信心をいただく、天と地がひっくりかえるような劇的な変わり目です。
しかしここは聞いておかないとわかりません。聞いておかないと聞こえてくるということもありません。
ご縁なんですね。ご縁ご縁に聞けよ聞けよといいます。
聞いて聞いて頭でわかるということではありません。
私の心、この身に聞こえてくるのです。
その聞こえてきた阿弥陀さまのお心がそのまんまこの口を通してナンマンダブツとお念仏となってでてくださいます。
仏法を聞いてくれよ。お念仏を申す身になってくれよという阿弥陀さまの願いです。
そして私たちを仏さまのご縁に導いてくださったご先祖有縁の仏さま方の願いです。
南無阿弥陀仏の大きな願いといのちのつながりのなかに、今日もこうしてご縁をいただきました。
お念仏を申してお礼をさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.3.5)
在家の仏道
2018-03-04
私たちの浄土真宗の仏教は在家の仏教といわれます。
家に在る、住まいするということです。家があるということは家族があって共に生活をしているということです。
生活をしていく中で仏道を歩ませていただける、いただく仏教なのです。
在家の仏教に対して出家の仏教といいます。
出家とは捨家ともいい、家を捨てるのです。
家族の縁を切る。財産や地位や名誉も全部捨てて仏門の入り仏道修行に励むのです。
山の仏教ともいいます。ひとり山に籠ります。
世俗の一切の執着、とらわれを全て絶つことから修行が始まります。
家族とともに社会生活を営む私たちは到底出来ることではありません。
ではそうした出家修行ができない私たちは救われないのかというと、
親鸞聖人が20年間の比叡山でのご修行ののちにお出会いなされた法然上人は、
そういう在家の人こそ救わずにはおかないとすっとお立ちになった仏さまがいらっしゃるという
南無阿弥陀仏のお救いの法を説かれたのです。
家族をもつということは、楽しいことですが、一人だったら気ままにということも、
二人三人四人になると、私の思い通りにならないことが増えてまいります。
我が身のこともそうです。老いていく病んでいくいのちを終えていく、老病死の身を生きねばなりません。
思い通りにならない、苦しみです。
そういう私たちを目当てに「必ず救う、まかせよ」と南無阿弥陀仏のご本願のお心おはたらきをいただいて
私たちがこの世に在りながら家庭をもちながら仕事をしながら仏道を歩ませていただくことができるのです。
南無阿弥陀仏、お念仏の仏道です。
仏法を聞かせていただくなかに生活させていただきましょう。
お家のお仏壇、御仏前にお念仏申して今日の一日を始めさせていただきましょう。
今日の一日を振り返り仏さまにお礼を申させていただきましょう。
在家の仏道を心して、これからも歩ませていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.3.4)
お念仏の花
2018-03-03
今日は桃の節句です。
桃の花が今見頃です。河津桜も咲いています。いよいよこれから桜の本番ということになります。
春になると色んな花が咲いて楽しみです。
桜の開花日が気になるところですが、大よそその花花の咲く時期は決まっています。
突然急に根のないところに花は咲きません。
大いなる光といのちに育てられて花が咲くのです。
お念仏のみ教えでいいますと、私たちもお念仏の花を咲かせるといいます。
お念仏の花はお念仏の土壌に根を張ることで必ず咲かせていただきます。
まさにお念仏の力おはたらきです。阿弥陀さまの本願他力と申します。
「必ず救うまかせよ」の南無阿弥陀仏のおはたらき一つに育てられお念仏の花を咲かせていただきます。
お花はそれぞれ同じようで一つ一つ違います。人もまたそれぞれ違います。人それぞれの生活ぶりです。
今拝読の御文章さまにもいただきましたが、それぞれの生業、仕事も違います。家族、親子兄弟夫婦といっても違います。
ただ同じ南無阿弥陀仏のお念仏の土壌に根っこをはる私たちは、
みんないのちつながっていっしょの同じ南無阿弥陀仏の花を咲かせるお念仏のお仲間です。
お念仏の花をこれからもいっぱいいっぱい咲かせましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.3.3)
ご縁つながって
2018-03-02
昨日お寺に訪ねてこられた方がいて、お母さんの四十九日をお勤めしていただけますかということでした。
初めてのご縁の方で、いろいろお話を伺いました。
北九州に住んでいたお母さんが亡くなって、お手次ぎの浄土真宗のお寺さんにお葬式をしていただき納骨して
大分の家に仏壇を持ち帰り、今後のお勤めを同じ浄土真宗の円光寺でしてほしいということです。
これまでも何件か、お葬式は他のお寺さんお坊さんがお勤めして
その後の四十九日から初盆、一周忌、三回忌という仏事のお勤めを頼まれることがありました。
今はお葬式でお終いというところもあり、お葬式自体をしないところもでてきました。
ずっとお話を聞いていましたらこれまでにご縁のある方で、以前円光寺にお参りされお話を聞いたことがあり
すぐ近くのご門徒さんをよく知っているということで、とんとん拍子に話が進み
何日の何時にお勤めにお参りしますということになりましました。
ご縁です。ご縁というのは自分があれこれつくり上げるものではありません。
これまでもつながって、これからもつながっていく仏さまのご縁です。
そしてもう一つお聞きしたいということで、新しいお仏壇を申して古いお仏壇をどうしたらいいかと、お仏壇の処分です。ゴミに出すといってそのままでは市のごみ収集の決まりでできません。
仏壇店に引き取ってもらうのがベストですが、お仏壇と分からないようにしてゴミに出したらいいですよと言いました。
一般心情的に私たちはお仏壇を粗末に扱ったり、勝手に始末できません。
そこで魂抜きのお経をあげてほしいとか言われますが、御礼のお勤めをさせていただきましょうと言いました。
それは特別なお勤めではなくて、日々のお勤めです。日々のお勤めのなかに御礼をさせていただくのです。
それで古いお仏壇のお役目が終わり新しいお仏壇のお役目が始まるのです。
そして大事なことはお家の中心、お仏壇の中心の阿弥陀さまという仏さまです。
阿弥陀さまがずっとずっといつでもどこでも私たちの生活を見守ってくださってあるということです。
その阿弥陀さまのご縁を私たちにつくってくださったのがご先祖有縁の仏さまです。
仏さまの大きなご縁につながって生かされて生きている私たちだということです。
ずっとずっと広く広くご縁つながってあるなかに私たちは安心して今日一日の日暮しをさせていただけるのです。
それを救いといただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.3.2)
十方衆生へ声かけ
2018-03-01
あっという間に3月になりました。明るくなりました。
昨日から強い風が吹いて春の嵐といいますか、季節の変わり目、春になってくるということです。
昨日はコンパルホールで毎月一回の法話会のご縁をいただきました。
円光寺通信にはおでかけ法話会とご案内していますが、お寺から外に出かけて仏さまのご縁をいただくということです。
昨日はいつものメンバーとは違う人が一人来ていました。一目見て誰かなって思いました。
いつもの方ははがきでご案内しますが、1月から大分合同新聞木曜日の夕刊「ラーン&プレイ」のコーナーに
「ようこそ大分まちなか法話会」ということでご案内を無料で掲載させていただいています。
その記事をみてこられたということでした。
誰かなって、失礼ですよね。こちらからご案内したことでしたのに、でも嬉しかったです。
ご縁づくりということを思います。
いろいろ工夫して声かけをしますが、その成果というか、
声かけをして10人のうち100人のうち1000人のうち、大分合同新聞を読んでいる人でいったら何万人のうち、
どれほどの人が案内をみて、実際にやって来られるのか、そしてこれからも続けて来てくださるのか、
何人来られたから善い悪いではありません。これもまたご縁というよりほかありません。
私たちの阿弥陀さまのお寺もそうです。
どなたがお参りされてもいいんですが、いつもの人がいつものようにお参りされます。
有難いことですが、どうして他の人のお参りがないのでしょうか。
どこかに問題があるのです。私のところに問題があるのでないでしょうか。
どこかで壁をつくって、この人は善いよ、この人は悪いよなどと見ているのではないでしょうか。
阿弥陀さまは十方衆生よと呼びかけです。
人間だけではなくて生きとし生けるものすべてに声かけです。
ナンマンダブツとお念仏申して来いよと、ナンマンダブツナンマンダブツという声かけをいただいて
今日もこうしてお朝事のお勤めをさせていただきました。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.3.1)