無縁遺骨の行先
2024-09-26
人が亡くなり火葬されて
あとにお骨が遺ります。
身寄りのない独り暮らしの方が増えて
このお遺骨の引き取り手がないことで
市町村の自治体が苦慮しているといいます。
市町村で身寄りがいないかどうか調査をしますが
たとえ見つかっても遺骨の受け取りを
拒否されることも多いと聞きます。
諸々の事情があってずっと長く疎遠になっており
今更引き取れないというのです。
何か寂しい限りですが
身近な家族親族の関係も
日頃のつながりが希薄になったことを物語るものです。
さて引き取り手のない遺骨は
当該の自治体が保管することになっており
自治体が管理する保管場所に納骨されます。
ただいつまでどういう形で保管するのか
本人の意思確認もできないし
勝手にどうこうすることもできず
結局はそのまま預かって
遺骨は増えるばかりだというのです。
この問題を取り上げた情報番組のコメンテーターは
お墓は後に遺った方が故人を偲び
お参りするためにあるもので
誰もお参りしない遺骨については
土に返すことがいいのではと
意見を述べられていました。
聞き方によれば
誰のものかわからないものは
捨ててしまってもいいのではと
受け止められかねませんが
現実にこれからも遺骨は増え続け
お家のお墓もいっぱいになって
今後この問題は
広く一般的な社会の大きな課題になってきます。
私のご先祖のお遺骨です。
そして私の遺骨の行先です。
日本における葬送は
近年火葬になりましたが、それまでは土葬でした。
先祖代々のお遺骨で私たちが目にするのは
せいぜい4代5代前のものです。
それまでの先祖の遺骨はというと
数え切れないほど無数にあるはずですが
この目で見て確認できるものは皆無で
みな土に返っているということです。
近年葬儀社や納骨事業者を中心に
永代供養墓の提案が
ネットや広告チラシでされています。
お墓の維持管理が子や孫の負担になると
墓じまいをして永代供養墓を求める方が
多くなったということです。
私の遺骨の行先です。
これからさまざまな選択肢が増えてくるでしょう。
墓地納骨堂を管理運営しているお寺も多いことから
お寺もいろんな要望に応えて
さまざまな提案をさせていただくことになるでしょう。
お盆やお彼岸にお墓参りされる風習は
日本各地でまだまだのこっています。
私のいのちの大恩人である
ご先祖のお墓にお参りしてお礼ができることは
大変意味のあることです。
南無阿弥陀仏の大きなお慈悲のおはたらきのなかに
先に往かれた方も隣りにいる方も共々につながって
往生浄土の人生を生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.26)

この体たらく!
2024-09-25
政治の世界を見るにつけ
今も昔も変わらず
離合集散を繰り返す人間のエゴ丸出しの様相です。
ドラマの世界だったら
これほど面白いものはありませんが
現実に私たちの生活に直結することで
笑ってばかりいられません。
何とも歯がゆいもどかしい次第です。
立憲民主党の代表選挙を経て
昨日新体制の執行部人事が発表されましたが
さっそく党内から不平不満が噴出する有様です。
「新代表はこれでノーサイドというが
キックオフの始まりだ」との声も聞かれたとか……。
自民党の政治とカネの問題を追及し
派閥政治の悪癖を指摘する政党が
同じようにグループをつくっては
党内抗争に明け暮れる体たらくを
私たちに公開しているようなものです。
ただこのことは政治の世界だけのものではなく
私たち人間が生きる社会には
付きもののように見受けられる光景です。
何かのグループに帰属することで自らの保身をはかり
力のある人の顔色をうかがい
他のグループとの力関係をはかり
自分の都合で付いたり離れたりを繰り返しては
苦悩する私たちです。
まさに五濁悪世の生きづらい社会にあって
煩悩具足の身を生きる私たちに
法然聖人は
「お念仏申されるように生きましょう」とお示しです。
阿弥陀仏のご本願のお心
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで救われ
お念仏の世界に共々に生かされて生きる
あなたと私はお念仏のともがらですよと
聞かせていただきます。
親鸞聖人は『歎異抄』で
「つくべき縁あればともない
はなるべき縁あればはなるる」
(一緒になるべき縁があればともに歩み
離れるべき縁であれば別の道を歩む)と
あなたと私の出会いと別れは無数の縁が織りなすもので
学校で職場で趣味やスポーツの会で
同期生、先輩後輩、同志、師と弟子の関係も
親子、兄弟姉妹、夫婦の家族でさえも
それぞれの思いはからいで生きる私たちは
縁があれば共に歩み
縁がなければ離れることもあると
教えてくださいます。
会うも別れも縁次第と言われて
自分の都合にあえば良いのでしょうが
自分の思い通りにならないと
「昨日の友は今日の敵」とばかりに
互いに裏切った裏切られたと
背中を向け合い非難し合う関係にもなります。
お念仏のご縁でつながるあなたと私は
阿弥陀さまのお慈悲のなかに共々に生かされて
生活ぶりはそれぞれ違いますが
同じ往生浄土の道を歩ませていただきます。
お念仏申して自他共に心豊かに
生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.25)

いのちの古里
2024-09-24
ある俳優さんが1カ月間地方での撮影で
その土地の人々の温かさに触れて
「故郷とは場所ではなく、人なのかもしれない。
私たち人間は、土地に帰るのではなく
人に帰るんだと思った」と述べています。
進学や就職で故郷を離れて生活することになって
初めて故郷の有難さを知るといいます。
見慣れた故郷の風景が懐かしく思い出され
当たり前のような日暮らしが
本当は有難いことだったと思い知らされるのです。
お正月やお盆に故郷に帰省します。
故郷の山川草木に抱かれ懐かしい人たちに会って
生かされて生きる力をいただきます。
歳を重ねて異郷の地で家庭をもち
家族と故郷に帰省をします。
故郷は私と家族をそのまま
迎え入れてくれます。
私の帰る所が故郷です。
故郷には私を待ってくれてる人がいます。
親兄弟親戚有縁の人たちです。
人に会いに故郷に帰るのです。
また歳を重ねます。
故郷はいつまでも故郷のままですが
待ってくれてる人が少なくなります。
親も亡くなって
故郷に帰るのは親の法事ぐらいになってしまいます。
親に会いに帰ります。
人の命終えても親は親です。
今はお浄土の仏さまとなって
私のことをいつも思ってくださり
「どんなことがあっても私が一緒だから
大丈夫安心して帰って来いよ」と
待っていてくださるのです。
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
共々に生かされて生きて
懐かしい方々が待っていてくださる
いのちの古里のお浄土に帰らせていただきます。
お念仏申して先にお浄土に往かれた
お念仏の先人をたずねて
今日一日も阿弥陀さまのお慈悲のなかに
生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.24)

リレー・フォー・ライフ
2024-09-23
昨日22日の秋分の日国民の休日の
今日は振り替え休日です。
土曜日からの三連休になり
各地でいろんなイベントが行われます。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言われる
本来は絶好の行楽シーズンですが
各地で猛暑日を記録するなど
まだまだ真夏の様相で外に出るのもおっくうです。
昨日は一日雨模様でした。
土曜日には石川能登地方で大変な豪雨災害があり
心からお見舞い申し上げます。
今日は朝から青空がひろがり
心地よい風が吹いて
「リレー・フォー・ライフ」の
ウォークイベントに参加しました。
リレー・フォー・ライフとは
がんサバイバー(がん経験者)やそのご家族を支援し
地域全体でがんと向き合いがん征圧を目指して
1年を通じて取り組むチャリティ活動です。
1985年、一人の医師がトラックを24時間走り続け
アメリカ対がん協会へ寄付を募りました。
「がん患者は24時間、がんと向き合っている」という
想いを共有し支援するためでした。
ともに歩き、語らうことで生きる勇気と
希望を生み出したいというこのイベントは
現在世界34ヶ国2460ヵ所で開催され
年間寄付は約137億円にのぼります。
(リーフレットより)
今回私が参加したのは
リレーフォーライフ活動の締めくくりとして開催する
サバイバーに寄り添い歩くリレーイベントで
サバイバーや医療福祉関係者がチームの仲間と
24時間チームフラッグを掲げ
タスキをつないで歩きます。
会場のスポーツ公園の周回コースを
1時間ほど歩きました。
久しぶりのウォーキングです。
各チームのテントが並び
色んなメッセージのフラッグが掲げられ
さわやかに秋を感じられてよかったです。
私たちが生きる社会には
人それぞれに色んなことがあります。
老病死の苦悩を生きるお互いですが
自分が生きることで精いっぱいで
他の人のことを思いやることは
中々大変難しいことです。
自利利他円満の菩薩の慈悲行は到底できませんが
お念仏申して今私にできることをさせていただくことで
自他共に心豊かに生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.23)

お念仏申して生きる
2024-09-22
深夜2時過ぎ激しい雨音で目が覚めました。
雷も鳴って心配になりました。
昨日石川県能登地方を襲った集中豪雨の
テレビ映像が頭をよぎりました。
川という川が氾濫し至る所が
大きな河のような洪水状態になっていました。
今年1月1日に能登半島地震が起こり
大きな被害をこうむったところで
まだ復旧復興の途上にあるなかでの
今度は豪雨災害です。
「地震があってまた今度は豪雨で、何でどうして」
「踏んだり蹴ったり」「神も仏もない」
「もう絶望感しかない」など
住民の皆さんの偽らざる悲痛な声です。
私たちは豊かな自然の恵みを享受して生きていますが
時としてこの大自然は脅威の牙をむきます。
同じ昨日の大相撲で石川県出身の関脇大の里関が
二度目の優勝を果たし
来場所の大関昇進をほぼ決めました。
地元石川の度重なる自然災害に言及して
「この優勝と大関昇進の明るい話題で
地元が元気になってほしい」と述べています。
いつどこでどんな災害に遭うかわからないなかに
毎日生きている私たちです。
お念仏申して生きるとは
大自然の営みの中で
いつでもどこでもどんなことがあっても
阿弥陀さまの大きなお慈悲のなかに
共々に生かされて生きていると聞かせていただきます。
どんなことがこの身の上に起こっても
阿弥陀さまは摂取不捨のおはたらきで
「決してあなたを見捨てることはないから
大丈夫安心して一緒に生きて往きましょう!」と
南無阿弥陀仏と喚んでくださっているのです。
この人生は嬉しいこと楽しいこともありますが
自分の思い通りにならないことも沢山あります。
どんなに悲しいときでも苦しいときでも
いつもご一緒してくださっている阿弥陀さまにまかせて
お念仏申して往生浄土の道行きを共々に
今日一日も歩ませていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.22)
