本文へ移動

お念仏を申す生活法話

RSS(別ウィンドウで開きます) 

38年前の私を振り返ります

2023-11-07
 プロ野球日本シリーズ第7戦で
阪神がオリックスに勝利し日本一になりました。

 38年ぶり2度目のことです。
長い球団の歴史の中で優勝回数が少ない印象ですが
これが阪神タイガースというか
何度もあと一歩で優勝できなかったときも
負け続けるなかにも
熱狂的なファンに支えられて
このたびの日本一です。

 同じ関西球団同士の対戦という話題性もあり
戦力も拮抗した中で1点をどう取りどう守るかと
選手起用の監督采配にも見応えがあって
好試合が続き
野球の面白さを楽しませていただいて
テレビの前に釘付けになりました。

 38年ぶり優勝の余韻は球団選手関係者だけでなく
ファンの胸にも深く去来するものがあるようです。
 
 38年前1985年昭和60年当時のことです。
まだ生まれていなかった人もいますが
どこでどうして生きていたか生活ぶりはどうだったか
それぞれの人生を
いろんなことを思い出すのではないでしょうか。

 前回の日本一は何といってもバース掛布岡田の
強力打線によるところが大きかったと
誰もが認めることです。
 甲子園の対巨人戦
三者連続バックスクリーンホームランは
その象徴的なものとして何度も映像で流れ
人びとの目に焼き付いて今も語り草になっています。

 38年前の私を思い出すのも
このシーンに重なります。
 ご本山での研修中で京都の宿舎で中継を観ました。
全国から集まった若いお坊さんが
ロビーのテレビを囲んで大歓声をあげていました。
 
 私の人生を振り返るとき
この年は大きな節目になりました。
 これまでの生活とは一変するほどに
新たな道を歩み出すスタートの年になりました。

 私たちの人生の歩みは
良いも悪いも日々変化しつつ続いて行きます。
 前を向いて未来に向かって生きるということですが
自分の思い通りに順調に行くときもあれば
大方は思い通りに行かないままに
日々繰り返しの生活に流されて
時間だけが経って行くってことはありませんか。

 今回阪神の優勝で
38年前の私を振り返ります。
 あの日あの頃何を思いどう生きていたのか
これからどう生きていこうとしていたのかです。

 日々慌ただしく過ぎ行く中に
来た道を振り返ることって難しいですね。
 自分のことで精いっぱい
今を生きることで精いっぱいの私です。

 長い人生の道行きの中に
時には自分自身を振り返ることの大事です。
 そうした忙しい私を振り返らせていただくご縁が
ご先祖有縁の方々のご法事仏さまのご縁です。

 今年は父の25回忌にあたります。
自ずと24年前1999年平成11年の私を思い起こします。
 周囲の方々とのつながりの中に生かされて生きてきて
そして24年経った今の私です。

 一周忌三回忌七回忌
13、17回忌とご法事のご縁をいただく中で
年齢を重ねてまいります。
 親子でいうと親の年にだんだん近づいてきて
ものの見方が変わってくるということでもあります。

 特に大切な方の死は
遺った私たちにとって
大きな人生の再スタートのご縁でもあります。

 ご法事で先に往かれた大切な仏さまが
「ここに座れ」と御仏前に私を誘い
「仏法を聞いてくれよ」とお坊さんのお取り次ぎで
仏法聴聞させていただき
「お念仏申す身になってくれよ」と促されて
お念仏を申させていただきます。

 私のすぐ隣に有縁の皆さんがご一緒です。
同じ御仏前に座りお浄土の阿弥陀さまにお礼を申します。

 この人生を共々に歩んできた方々です。
先に往かれた方を偲び自らのこれまでの歩みを振り返って
これからもあなたも私も共々に
お念仏を申してお浄土への道を歩ませていただく
人生の大きな節目のご縁をいただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.11.7)

「今日はどうする?」

2023-11-06
 朝起きて「さあ今日は何をするか?」と思います。
今日一日どう生きるかということです。

 仕事や学校があれば
決まったスケジュールの中でのことですが
仕事や学校が休みの日です。

 特に予定がない休日の過ごし方です。
予定がなくても今日一日生きていきます。
 そこで「どうする?」
どう生きるかということです。

 休みを利用してスポーツや趣味のことに打ち込む人も
旅行やドライブで外出する人もいると思います。

 一方で「今日は何もしないぞ」と決めて
一日中家でぼやーっと過ごす人もいると思いますが
皆さんそれぞれ生きています。

 それぞれの生き方があり
休日の過ごし方です。

 今年の大河ドラマ『どうする家康』もいよいよ終盤です。
天下人になった徳川家康の人生は
そのまま日本の歴史をつくってきたことで
万人から注目されますが
家康の人生も私のこの人生も
大きないのちのつながりのなかに共々にあると
教えていただくのがお念仏のみ教えです。

 私たちのこの人生はそれぞれに
自分の都合思いはからいで
良いとか悪いと言われる人生です。
 自分の思い通りに行けば良い人生で
そうでないと悪い人生といわれたら
結局この人生はみんな悪い人生で終わるのでしょうね。

 人間に生まれて生きて命終えていくなかで
「良い人生だった」と喜べない私たちを
阿弥陀さまは大悲の中に見て取って
いつでもどこでも誰にでも
南無阿弥陀仏のおはたらきでそのまま救うと
今こここの私に寄り添ってくださっているのです。

 良いも悪いも自分の了見の中のことと知らせ
自分の思いはからいに縛られて
小さな世界に窮屈に生きているこの私に
「大きな阿弥陀の世界に生まれて来いよ。
大丈夫いつも私が一緒だから」と
南無阿弥陀仏と喚んでくださっているのです。

 良くも悪くも阿弥陀さまのお慈悲の中
嬉しいときも悲しいときもどんな時でもお慈悲の中
生きても死んでもお慈悲の中です。

 今日は休み明けの月曜日で
一週間の始まりです。
 仕事や学校の方が多いと思いますが
「今日はどうする?」
人それぞれの一日の始まりです。

 いろんな一日の有り様生活ぶりですが
今日一日もお念仏を申して
阿弥陀さまのお慈悲の中に
共々に生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.11.5)


「メガネ、どこに行った?」

2023-11-05
 歳を重ねて日々の生活の中で
探しものが多くなりました。

 今日も新聞を読むのに
「メガネはどこに行った?」と
探す始末です。

 今までもスマホがどこに行ったとか
何回もあったことです。

 スマホがメガネが勝手に
どこかに行ったのではなくて
私がどこかに置き忘れたということです。

 メガネがどこに行ったと
慌てて探していたら
私の目の上方にかかってあったという
笑い話のようなことです。

 何とも情けないと思うことですが
これも歳のせいにしておきましょう。

 阿弥陀さまのお慈悲のご法義は
私が忘れても阿弥陀さまは決して私のことを忘れない
と聞かせていただきます。

 「いつも私が一緒だよ。
どんなことがあっても
あなたを見捨てるようなことはないからね。
われにまかせよ必ず救う」と
お念仏のお喚び声となって
いつでもどこでもこの私に
ご一緒してくださってあるのです。

 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
安心して共々に生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.11.5)

お念仏が心を豊かにしてくれる

2023-11-04
 「『この味がいいね』と君が言ったから
七月六日はサラダ記念日」
 1987年に24歳の俵万智さんが出版した
歌集『サラダ記念日』の最初の短歌です。

 何か高貴でとっつきにくい31文字の短歌の世界を
日々の生活の出来事のなかに詠んだことで
ベストセラーになり
多くの人を短歌の世界に誘ってくれました。

 その俵万智さんがこのたびの秋の叙勲で
<紫綬褒章>をいただき
喜びの心境をテレビで語っていました。

 そのなかで「短歌を作ることで人生が豊かになった
短歌が心を豊かにしてくれた
短歌にあえて本当によかった」と感謝されていました。

 文化は「心田を耕す」と
昨日聞かせていただきました。
 お念仏のご法義でいえば
「お念仏が心を豊かにしてくれる
お念仏に遇って本当によかった」です。

 その人人で持って生まれた個性が違い
生活ぶりも違うなかで
永年精進していく道に遇うことですが
一度っきりの人生で
そうしたものに遇えることは
有ること難いご縁だと思います。

 誰もが特異稀な才能をもっているわけではありません。
人それぞれ生きる道は違います。
 叙勲に値するような社会的な功績貢献は
ごくごく一部の人にしか成しえません。

 しかし生きとし生けるものすべてに
お念仏の救いの法は届けられているのです。

 人それぞれに生活ぶりは違っても
南無阿弥陀仏の大悲の中に共々に生かされて
「お念仏に遇えて本当によかった」と
心豊かな人生を生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.11.4)


心田を耕す

2023-11-03
 今日11月3日は文化の日の祝日です。

 文化とは、人間が自然とふれあい社会生活をする中で
創造し獲得してきたものの総称ですが
哲学・芸術・科学などのほか
宗教もまた主たる文化ということです。

 文化は英語で「カルチャー」といい
「耕す」という意味があります。

 あるお経(雑阿含経)に次のようなお話があります。
【以下、『朗読法話集(第一集)』より転載(42~44頁)】

 お釈迦さまが、托鉢を行っておられたときのことです。
お釈迦さまに向かってある男がこう言いました。
「修行者よ、私は田を耕し、種をまいて食を得ている。
あなたも自分で耕し、食を得てはどうか」

 すると、お釈迦さまは
「私も耕し、種をまいている」と答えられました。

 それを聞いて男は驚き、またお釈迦さまにたずねました。
「しかし、私たちは誰も、あなたが田を耕したり
種をまいたりしているのを見たものがいません。
あなたの鋤(すき)はどこにあるのですか。
牛はどこにいるのですか。どんな種をまくのですか」

 すると、お釈迦さまは
「私は、私のこころの田を耕しているのです」と
答えたといいます。

 生きてゆくためには、食べ物がなければなりません。
道具もお金も必要です。
道具やお金を得るために、私たちは田を耕し働いています。
 しかし、私たちにはそのほかにも
耕さなければならないものがあるはずです。

 それは「こころ」です。
こころを耕すことは、形がなく目に見えないので
とかくおろそかにされがちですが
私たちにとって何よりも大切なことではないでしょうか。

 最近の科学や技術の進歩は、すばらしいものです。
おかげで、私たちの生活は便利になりました。
 では、幸せになったかというと、
必ずしもそうではありません。
 多くの新しい機械にかこまれ、余計にあくせく
しなければならなくなったのも事実です。

 今日の日本は、物質的にも経済的にも、
本当に豊かになりました。
 しかし、反面、こころの荒廃をもたらしたのでは
ないでしょうか。
 財産があるがゆえに
争いが生ずることもしばしばです。

 それは、「こころの田」を耕すことを
忘れているからでしょう。
 物の値打ちをつくりだすのは、こころであること
こころは耕さずに放っておくと、荒れるものであることに
気づかなければなりません。

 仏法を聞いて、こころを耕したいものです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2023.11.3)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
0
4
6
7
0
2
TOPへ戻る