寒い中暗い中をようこそお参りです
2018-01-14
この時期、ご本山京都西本願寺では1月9日から16日まで、親鸞聖人の御正忌報恩講(ごしょうきほうおんこう)がお勤まりです。
この時間もお晨朝(じんじょう)というお朝事のお勤めがあって、全国各地から多くのご門徒衆がお参りさせていることです。京の底冷えといいます。京都の冬は寒いというか痛い、冷たい、足元から冷える体のしんまで冷える厳しさです。
そんな中をお同行が気持ちをもってお参りされるということです。
今日お参りの皆さんです。今日は日曜日で、ゆっくりしたい。寒いし、もっと温かい布団の中にいたいですよね。
それを今日は仏教壮年会の例会があるということで、お寺のお朝事にお参りしようと昨日から心の準備をして、
気持ちをもってお参りされました。ようこそのお参りです。
皆さんのお寺への思い、浄土真宗門徒の心意気を感じます。
本願寺には二つの大きなお堂があって正面向かって右に阿弥陀堂、左に御影堂があります。
阿弥陀堂にはご本尊の阿弥陀如来像がご安置され、御影堂には宗祖親鸞聖人の御真影(ごしんねい)さまをご安置です。
御影堂で毎朝お正信偈(しょうしんげ)さまのお勤めがあります。
正信偈は親鸞さまが書かれた、私たちへのお手紙です。
毎朝拝読して、親鸞さまのお心、阿弥陀さまの救いの法を讃嘆させていただきます。
ご門徒同行皆さんのご本山への思いは、まさに親鸞さまのみもとに馳せ参じるあつい気持ちいっぱいです。
親鸞さまのみ教えを一堂に声に出して聞かせていただきます。皆さんの思いがすーっと一つに寄せられます。
このお寺がそうです。皆さんの思いが一つになるところです。この思いは阿弥陀さまの願いに発します。
親鸞さまは重ねておっしゃいます。お寺参りしてくれよ。仏法聴聞してくれよ。お念仏を申す身になってくれよと。
今日の皆さんです。大きな声でお正信偈さまのお勤めができました。お念仏申せました。
その心は、私たちのいのちの古里、阿弥陀さまのお浄土に馳せ参じる、思いを致すということです。
今日は寒い中暗い中をようこそお参りでしたと、親鸞さまが私たちに声をかけてくださっています。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.1.14)
仏さまをお迎えする
2018-01-13
昨日は入仏式(入仏法要)のご縁をいただきました。
大切なお方とお別れをして、初めて仏さまのご縁をいただくお家での仏事です。
入仏というのは仏さまをお迎えするということで、浄土真宗のご本尊の仏さま、
阿弥陀如来さまをお家の中心にご安置させていただく、慶びの仏事といいます。
一般には、お仏壇を申すということで受け止められていますが、
お仏壇は阿弥陀さまのお浄土を表し、その中心に阿弥陀さまをお迎えするということが大事なのです。
お家の中心です。お家の中心にお仏壇、その中心に阿弥陀さまです。
お家の人が一同に手を合わせお礼をさせていただく仏さまです。家族の中心です。
家族一人一人の生きる依りどころです。生活の中心です。
悲しみのご縁ですが、そのまま仏さまのご縁といただきます。
先に往かれた大切なお方は、今は阿弥陀さまのお浄土の仏さまとなって、
阿弥陀さまの「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のおはたらきをお手伝いしてくださり、
後に遺した私たちに仏法聴聞してくれよ、お念仏申す身になってくれよと、仏さまのご縁をお勧めです。
いつでもどこでも「私がいるよ、大丈夫だよ」とお念仏の声となって、
私たちのことを思い護り導いてくださる仏さまのご縁です。
仏さまに手が合わさる、ナンマンダブツとお念仏申して、これからもご一緒に生きていけます。
慶びの仏事ということで、お仏飯は赤飯、赤いおろうそく、お包みも紅白ののしでとお勧めし、
その通りにしてくださいました。
きれいにお荘厳されたお仏壇のご尊前でご家族有縁の皆さんご一緒にお勤めができました。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.1.13)
詩の世界・死の世界
2018-01-12
急に冷え込んできました。室内温度でいいますと、3日前より7度も低いです。寒いというより冷たいですね。
南国九州といいますが、九州各地軒並み氷点下の朝で、山間部だけでなく平野部でも大変な積雪というニュースです。
積雪というと、北国の冬の風景を思います。
雪にあまり縁のない外から見ると、雪の世界は詩の世界です。きれいな雪景色に、夢をみロマンを感じます。
ただ雪の世界で生きる方々の現実生活は厳しく、雪は厄介ものとさえいわれます。
これもニュースでしか見聞きしないことですが、70歳80歳のおばあちゃんがせっせせっせと雪かきをしています。
背丈ほどの大きな雪を家の屋根から下している人がいます。大変だなと思います。
雪下ろしで亡くなる方が何人もいらっしゃるといいます。
まさに生死をかけた、命がけの生活をされているということです。
外から見ると美しい詩の世界も、その内に生きる人には、死の世界です。
外から見る人は、雪がない所に住んだらいいのにと思いますが。
その内に生きる人は、厳しい自然環境の中でも先人が培い伝えてくれた生活の知恵をたよりに生き抜いてきたのです。
外からでは分からない、そこに暮らす人の楽しみがあるということではないのでしょうか。
先人の知恵が息づくなかで、詩の世界が護られてきたともいえます。
今日のお朝事も、こんな暗い中寒い冷たい中でお勤めしないといけないのかと、外から見る人は思うかもしれません。
ただこうして御仏前にご一緒にお念仏申して、今日の一日も始めさせていただけることを本当に有難く思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.1.12)
いのちをあずかる
2018-01-11
昨日は子ども会水曜学校の今年初めての会ということで「新春お楽しみ会」をしました。
10人の小学生がお参りされました
いつもみんな一緒にお勤めをして、その後新院さんがお話をしますが、昨日はいつもとちょっと感じが違っていました。
というのも、10人のうち半数の子どもさんはいつもは水曜学校に来ていなく、
子ども同士で「今日はお寺でお楽しみ会があるから行かんか」「ああ行こう」ということで来た初めての子もいました。
始まる前から何かざわざわして、お勤めの間も横を向いたり落ち着かない様子でした。
新院さんは「このお寺にはただ遊びにきているということではないんですよ」
「ちょっと大げさかもしれませんが、みんなの命を預かっているんです」と話をしました。
お家の人が子どもがどこに行ったかわからないと心配するのでは困ります。
「いのちをあずかる」と聞いて、はっとしました。
先人から「お寺の住職はお寺をあずかり、ご門徒さんをあずかっているんだよ」と何度も聞かされています。
ご門徒さんのいのちをあずかるということです。仏さまに成らせていただくいのちです。
ただ初めてのご門徒さんにこんな話をしてもピンとこないと思います。
だからお寺があるんです。浄土真宗のお寺は聞法の道場といいます。
仏に成らせていただくいのちを、今こここの私が生きているということを聞かせていただきます。
お寺はただ遊びにくるところではありません。
蓮如上人は御文章さまに、お寺の寄合のとき「酒飯茶なんどばかりにてみなみな退散せり」と書かれています。
お寺参りして、ただお茶を飲みご飯を食べお酒を飲んで帰ってしまったら、これほどもったいないことはないと。
お寺参りは「信心獲得のため」といわれます。
酒飯茶もいいんです。お寺に遊びにきてもらっていいんです。
ただお寺参りをご縁にして、仏法を聞いてくれよお念仏を申す身になってくれよと思います。
浄土真宗の仏教を開かれた親鸞聖人から、このお寺をあずかり、ご門徒皆さんをおあずかりしているのです。
住職のつとめを思います。お寺にお参りしましょうと、ご門徒有縁の皆さんに声かけをします。
私も皆さんとご一緒に仏法聴聞させていただきます。そしてお念仏申す身にさせていただきます。
今日もこうしてお朝事のお勤めをご一緒させていただきました。
共々にお念仏申してお浄土参りをさせていただく身の幸せを思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.1.11)
君たちはどう生きるか
2018-01-10
昨日NHKのテレビで「君たちはどう生きるか」という本の紹介がありました。
80年前に吉野源三郎さんが書いた本ですが、今世代を超えてブームになっているとのことです。
原作をもとに漫画が出版され若者を中心に飛ぶように売れて原作も読み返されているということです。
なぜ今この本が注目され読まれているかについて、今生きている社会に閉塞感を感じる人が多く何か息苦しいなかに、
一つ風穴を開けてくれるような生きるヒントが書かれてあるといわれます。
番組の最後にキャスターが「この本の最後にこう書かれています」と言いました。
どんな結論かと思うでしょう。
本の最後は「君たちはどう生きるか」でしたと。
結論を言わないというか、結論はないといっていいのでしょう。
人それぞれ生き方は違うのであり、この本の主眼は生きることの結論はあなた自身の問題ですよということでしょうか。
『歎異抄』の第二条を思いました。
関東のお弟子さんたちがはるばる命がけで京都に親鸞聖人を訪ねてきます。
「往生極楽の道」を問いたずねるためです。関東でお念仏の救いに異議が蔓延し、不審を晴らしたい思いからです。
それに対し親鸞さまは「ただ念仏して、阿弥陀仏に救われ往生させていただくのである」と自らの信心を明かします。
そして最後に「念仏して往生させていただくと信じようとも、念仏を捨てようとも、
<面々の御はからひなり(原文)>」と言われます。取るか捨てるかは<あなた方お一人お一人が決めることです>と。
凄い言葉ですが、大事なことです。
私の人生、私の歩む道です。
一度っきりの人生です。人から言われて歩む人生ではありません。
ただ「どう生きるか」何も教えてくれる人がいない、教えてくれるものがないのでは、不安です。
だから「どう生きるか」その道行きを求め、たずねていくのです。
仏法聴聞です。南無阿弥陀仏のお心をたずねていきます。
今朝もご一緒にお正信偈さまのお勤めができました。
「帰命無量寿如来」と発音し「南無不可思議光」と一同に続きました。
南無阿弥陀仏です。南無阿弥陀仏一つに、この道を一緒に往こうよと親鸞さまがお呼びかけです。
「まかせよ、救う」の南無阿弥陀仏のおはたらきに「はい」とおまかせして今日もこの道、
お念仏の道を皆さんご一緒に歩ませていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.1.10)