見るに見かねて、居ても立ってもおられません!
2018-04-06
昨日は一日中大相撲の京都舞鶴巡業での話題でもちきりでした。
土俵の上で挨拶をしていた主催の市長さんが突然倒れ、女性が土俵に上がって緊急処置をしていたところ
「女性の方は土俵から下りてください」と何度もアナウンスがあったことが波紋を広げています。
このニュースの映像を観た時皆さんはどう思いましたか。
私は何かとても嫌な感じがしました。
女人禁制という大相撲の伝統があるということですが、土俵の上に人が一人ばたっと仰向けに倒れているんです。
男性が5,6人土俵に上がりました。でも何もできなくて、どうしていいかうろたえるような状況が見て取れました。
その時、すーっと女性が土俵に上がってきて、何もできない男性を押しのけ心臓マッサージを始めました。
そしてもう1人女性も加わって見事な緊急対応でした。すごいなと思いました。
女人禁制とか、誰が上がって良いとか悪いとかいうのではなく、人の命に係わる緊急事態なのです。
その女性は看護師さんだったということですから、事の重大性、一刻を争うということが誰よりも分かっていたんですね。
アナウンスがあった後も緊急処置を続けていました。
その身についた思いがそのまんま行動になって表れたということです。
何も技量をもっていない者が土俵に上がっても意味がありません。みんなポカーンとしているだけです。
阿弥陀さまのご本願のお救いを聞かせていただきます。
迷いのなかにあって迷いを迷いと気づかず朝から晩まで私が私がと
自分中心の煩悩の火を燃やして生きる私たちを苦悩の重病人と見るに見かねて見抜かれて、
一切の衆生を分け隔てなく必ず救うとご本願を建てられ成就されて阿弥陀さまに成ってくださいました。
阿弥陀さまは私たちを救うすべての手立てをすでに成就完成されているから、すっ飛んで来られるのです。
手立てがなかったら向こうから眺めているだけでどうしようもありません。
この私を必ず救うという手立てを十劫というはるか遠い昔につくって
今まさに私のところに南無阿弥陀仏と来てくださっているという阿弥陀さまのお救いなのです。
すぐそこに倒れている人がいる、困ってらっしゃる方がいる。
そのことを見た時、座っちゃおれんで立ち上がってそのまま私のところに来てくださるのです。
私たちが生きる社会にはその社会の構成員である私たちが共に生きるためのルールがあります。
条文化された法律であり、道徳や昔からの言い伝えまで
社会の常識というルールがあってこの人間社会は成り立っているともいえますが、
今回のように伝統というルールを守ることだけに固執してしまうと、おかしなことにもなってしまいます。
何を守るかです。一番守るべきものは何かということでもあります。
人一人の命にかかわる緊急事態です。
私が不意に倒れて何もできない状態になった時、
すぐそばに人がいるのにただ見つめるだけということが現実に起こったら、絶望的ですね。
阿弥陀さまのお救いはこの私一人のお救いです。
すぐさま私のところに駆けつけてくれて「大丈夫。私がいるから大丈夫」とそのまま抱き取り救うてくださる。
南無阿弥陀仏のおはたらきに安心して今こここの私を生きていけます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.6)
プランターのお花に思いを寄せて
2018-04-05
4月8日はお釈迦さまのお誕生日で、今年はちょうど日曜日になります。
花まつりの会ということで、お寺で行事をしますが、
年度初めの日曜日で良い時候ということもあって、他にもいろんな行事があるということです。
鶴崎の剣八幡神社のお祭り、遠見金毘羅宮のお祭りや三佐の体協の総会も重なって、
「すみません。花まつりにはお参りできません」と言われる方が多くいます。
境内にプランターのお花がいくつも寄せられています。有難いことです。
その当日参加できなくても、プランターのお花というかたちで参加できるということです。
何の行事でも一人でできるものはありません。
皆さんが思いを一つにしてはじめてできる、私たちの花まつりの会です。
皆さんのお心をプランターという形にしてお寺にはこんでください。
もちろんその日に時間がありましたら、どうぞお誘いあわせ皆さんご一緒にお参りしてください。
お釈迦さまのお誕生日です。
「お釈迦さまおめでとう、そしてありがとう」とお礼をさせていただきましょう。
お釈迦さまが開いてくださった仏教です。
その仏さまのみ教えをいただいて、浄土真宗という仏教を親鸞聖人が開いてくださいました。
お釈迦さまから2500年、親鸞さまから800年という時空を超えて、
今こここの私に阿弥陀さまのお念仏のみ教えが届けられました。
お念仏を申すなかに4月8日を皆さんそれぞれお迎えしてほしいと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.5)
お念仏のご縁つながり
2018-04-04
昨日は竹田のお寺の坊守さんが2月にご往生されて、お参りさせていただきました。
十年ほど前のこの時期に、坊守と一緒に花まつりの行事にお参りさせていただいたことがあります。
うちのお寺より一回り二回り小さな本堂が満堂になるほどいっぱいの皆さんがお参りでした。
ご門徒の方ももちろん、近くの福祉施設の入所者の方がマイクロバスでたくさんお参りされていました。
毎年施設の方にご案内して一緒に花まつりの会をして、
灌仏といってお釈迦さまの誕生仏に甘茶をかけたり、梵鐘をついてもらったりしているそうです。
昨日お参りした時、たまたまその福祉施設の方がお参りされてお話を聞かせていただいたことです。
何かのご縁を感じました。
実はそのお寺から円光寺に第13代の住職が入寺されているのです。
160年ほど前に円光寺が大地震に遭って本堂庫裡鐘楼が転覆したという記録がありますが、その時の住職です。
昨日お参りしてそのことについてもご院家さんにお話を聞きたいということもあったのですが、
そういう方がいたということは聞いていましたということです。
その方についての資料がすぐあるということではありませんが、
こうしたご縁つながりということを本当に感じます。
私たちの日々の生活のなかでこの目に見える直接的なつながりということもありますが、
目に見えないつながりが遠い過去からあって、そしてこれから未来へもつながっていくということです。
未来へというと何か不確かな感じですが、
私たちは南無阿弥陀仏という中心をいただいているご縁つながりという確かさを思います。
確かに確かにずっとつながってきたし、今もつながっているし、これからもつながっていくという、
大きな大きな安心のなかに今日の一日もあるんだなといただいた昨日のご縁でありました。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.4)
二つの過去帳
2018-04-03
昨日はあげ法事ということで、お寺の本堂でご法事のご縁をいただきました。
神奈川県からお参りされた方で、ご兄妹が大分にいらっしゃるということです。
ご法事のお勤めの後「過去帳をもう一つつくってもらえませんか」というご相談がありました。
神奈川にお仏壇があるんですが、大分にも過去帳をということです。
今は位牌を過去帳にしましょうとご門徒さんに勧めていますが、
位牌にご先祖の霊が宿っているといわれることを聞きます。
私たちの浄土真宗のご本尊は阿弥陀如来さまで、お仏壇の中心にご安置しますが、
一般的にお仏壇はご先祖をおまつりするところで、位牌を安置してお経をあげてもらうことによって
ご先祖を供養するとか慰霊するとか言われているようです。
浄土真宗だけではありません。仏教の各宗派にはご本尊の仏さまがあって
お寺の中心、お仏壇の中心にご安置してお参りさせていただくことが肝心なのです。
お経をあげないとご先祖の霊が迷って出てきて禍をかすということではありません。
だからお命日より早くご法事のお勤めをしないといけない、遅れたら大変なことになるということではありません。
過去帳を二つつくって、その人の代はいいんでしょうが、
その経緯がわからないまま子や孫の代に伝わると、
過去帳が二つあることが不安になり、粗末にできないと迷ってしまいます。
ご先祖は子や孫を迷わせたり困らせたりしません。
今は仏さまとなって私たちを見まもってくださっていると聞かせていただきます。
いつでもどこでものおはたらきですが、その大きなご縁がご法事のご縁なのです。
過去帳はご先祖の方々のいのちの記録です。
過去帳が大事なのは、ご先祖のいのちがあって私のいのちがあることを思うことなのです。
お家のお仏壇、ご本尊の阿弥陀さまにお礼をしましょう。
そのことがそのまま阿弥陀さまのお浄土に生まれて往かれたご先祖有縁の仏さまにお礼をさせていただくことなのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.3)
新生活が始まります
2018-04-02
新年度4月に入って今日が月曜日ということで、今日から学校に行ったり会社に行ったりという新生活が始まります。
新しい一年が始まるということで、希望と不安が交錯する独特な感じの時期です。
特に学校に進学したり就職したりとかで親元を離れて生活を始める人はまさに初めて経験することばかりです。
今までは当たり前のように親にしてもらっていたことが、自分一人で生活をしていかなければなりません。
不安はもちろん戸惑いもありますが、逆に今までできなかったことしたかったことが自分でできるという夢があります。
ただこれも自分の思い通りになるということではありません。皆さんもこれまで経験したことでしょう。
思い通りにならないなかに一層不安にさいなまれ、こんなはずじゃなかったと苦しみ悩むことにもなります。
あらためて親の有難さを思います。
御和讃に「釈迦弥陀は慈悲の父母」とあります。
お釈迦さま阿弥陀さまはお慈悲のお父さんでありお母さんであると
親鸞聖人はお釈迦さま阿弥陀さまを慕っておられたということです。
お父さんお母さんはいつでもどこでも「影のごとくに添いたもう」と、私のことを思い寄り添ってくださっています。
お父さんお母さんはお亡くなりになっても、どこまでもお父さんお母さんです。
今は仏さまとなっていつでもどこでも私を見守ってくださり私と共に生きてくださっています。
「一人じゃないよ、わたしがいるよ、大丈夫だよ」南無阿弥陀仏とおはたらきくださる仏さまです。
お念仏を申すなかに安心して新生活を始めましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.2)